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3話目

 次に目を覚ました時、エミネーラはベッドの中にいた。起きたばかりの頭は思考が鈍っていて、最初自分が何処にいるのか思い出せなかった。

 見慣れぬ天井、見慣れぬ窓。外に見えるはどこまでも鬱蒼と茂る木々ばかり。しばらくぼーっと手元を見つめていたが、脳内が鮮明になっていくにつれて昨日の記憶が蘇ってきた。


「……わ、私、何でベッドに」


 記憶の最後はイリヤと二人で床に寝た所で終わっている。イリヤは何処だろうかとベッドから降りて扉を開けた。


「あ、お、おはようエミさん」


 エミネーラに気付いたイリヤが挨拶をしてきた。手には皿、皿の上にはサラダが盛られている。


「……おはよう」

「ご、ご飯、食べられる?」


 テーブルには既にパンとスープが並んでいた。思い出したように小さく腹が鳴り、エミネーラはほんの少し頬を赤く染めて頷く。


「君は料理出来るんだな。尊敬する」

「ずっとひとりだからね……じ、自分でやらないと、生活出来ないし」


 寂しい事を言う、とエミネーラは眉を下げた。街に行けばひとりではなくなるのに、イリヤは自分でそれを拒む。いや、きっと街の人間もイリヤの事を拒むのだろう。それがどうしようもなく寂しい事に思えて、胸が痛んだ。


「あと、これ」


 あたふたとイリヤがエミネーラに差し出してきたのは、森のどこかに落としてきたエミネーラの荷物だった。少し土に汚れているが、獣に荒らされた様子も無い。


「拾ってきてくれたのか……? ありがとう……」

「う、ううん。エミさんが帰る前に見つけられて良かった」


 喜びもつかの間、その言葉を聞いてエミネーラはぶすっと頬を膨らませた。


「心置きなく私が帰れるように荷物を探してきたのか?」

「え? えっと……だって帰ってしまった後だと簡単には会えなくなるし……」

「……そんなに私に帰ってほしい?」


 拗ねたようにそう言われて初めて、イリヤは自分が何を言ったのかを理解した。気まずい沈黙が流れ、二人は視線を逸らす。

 不意にイリヤが息を飲み、エミネーラにそっと顔を向けた。前髪の向こう側、見えない瞳が確かにエミネーラを見つめている。


「……じゃあ、見せてあげる」

「何、を?」


 酷く冷たい声。怒っているわけでも無いのに、その声はエミネーラの背筋をぞくりとさせた。

 怒っては、いない。どちらかというと諦めに似たような声音だった。


「僕がどんな役割を負っているのか、僕と一緒にいる事がどういう事なのか」


 静かに家を出ていくイリヤの後ろを、エミネーラは慌てて追い掛ける。彼の足が止まるまで、話し掛ける事がどうしても出来なかった。


*****


 エミネーラがあんなに迷った森の中を、イリヤは真っ直ぐに突き進んでいく。またあの獣が寄ってくるのではないかと警戒していたが、そんな気配は微塵も感じられない。それでも心臓を強く鳴らしながらイリヤと離れないように小走りで歩を進める。

 不意に視界が明るくなり、まだほんの少ししか歩いていないのに街へとたどり着いていた。イリヤの足はまだ止まらない。

 人通りが多い道は避けて、家と家の間を隠れるように歩いていく。どこまで行くのだろうとエミネーラが不安になってきた頃、ようやくイリヤは足を止めた。一軒の家の前。その扉を見つめたまま、じっと動かない。


「……イリヤ。ここは……」

「エミさんはここにいて」


 問い掛けをぴしゃりと遮られ、エミネーラは言葉を飲み込む。

 コンコン、とイリヤの手の甲が扉を軽く叩いた。少しして、家の中から若い女性が顔を出す。女性はイリヤを見て戸惑うように眉をひそめた後、首を傾げた。


「あの、どちら様ですか……」

「亡くなられた方がいますね?」

「え、あの、ちょっと!」


 スッとイリヤは扉の間を抜け、家の中へと入っていく。女性は驚きと怒りが入り混じった声で止めようとするが、イリヤが顔を向けただけで押し黙ってしまった。

 エミネーラは少し迷ったが、恐る恐るイリヤの後をついていく。怒られるかもと思ったけれどイリヤは一瞥しただけで何も言わなかった。

 一番奥の部屋の扉を開け、足音も立てずに中へ入る。家人と思われる数人と、ベッドの上にひとりの老人。真っ白い顔、上下しない胸。なにより、泣き腫らした目を家人達から一斉に向けられた事で、老人が息を引き取ったのだとわかった。


「何だお前達は! おい、何で他人を家にあげた!」

「わ、私は止めたわ! この人達が勝手に入ってきたのよ!」


 声を荒げる男性と女性。身内が死んだその場所にいきなり見ず知らずの人間が入ってくれば、その反応は当然だろう。

 エミネーラはイリヤの袖を引く。


「イリヤ、非常識じゃないか……」

「勝手にすみません。……僕は死神と呼ばれる者です。この方の魂を頂戴しに来ました」


 言うが早いか老人のそばまで素早く移動し、手の平をサッと翳す。家族は一瞬呆気に取られたが、すぐに思考は巡る。泣き顔から一転憤怒の表情に変わり、中年の男性がイリヤにつかみ掛かる。首を締め上げられ、イリヤは苦しそうに咳き込んだ。


「な、何をするんだ!」


 慌ててエミネーラが腕を引きはがそうとするが、びくともしない。


「お前、お前が親父を殺したのか!! ふざけるな!! 親父を返せ!!」

「何言ってるんだ! イリヤはそんな事していない! 離せ!」

「うるさい!!」


 腕に纏わり付くエミネーラを突き飛ばし、男性はイリヤを拳で殴ろうとする。しかしそれは叶わなかった。誰にも触れられていない男性の腕は、誰かに引き止められているかのように固まって動かない。

 その光景を見つめていたエミネーラは、自分に向けられる視線に気付く。つかみ掛かられこそしないが、怒りや蔑みに満ちた瞳がエミネーラを捉えていた。


「死神!! 化け物!!」

「お前のせいだ!!」

「出ていけ!!」


 投げ掛けられる言葉は、拳よりもきっと痛い。


「エミさん、行こう」


 自分よりも逞しい男性の腕をあっさりと外し、イリヤは部屋を出る。エミネーラもよろよろ立ち上がってなんとか部屋を後にした。二人黙ったまま外へと向かう。

 玄関の扉をくぐり冷たい空気を吸い込むと気分が少し良くなった。イリヤは背を向けて振り返らない。


「イリヤ、どうして否定しなかったんだ? 君のせいで亡くなったわけじゃないのだろう?」

「……でも、割り切れない事の方がきっと多いよ」


 平淡な声。けれどよく耳を澄ませて聞いていれば、僅かに震えているのがわかる。


「誰だって大事な人が死んでしまうのは悲しいんだよ。そこに得体の知れない人間がやってきて、魂を持って行かれるとわかればああいう反応になるのは仕方ない」

「でも誤解なのに!」


 人の命の長さは決められていて、イリヤがどうこうしているわけではない。それをわかってもらえない事がエミネーラには納得出来なかった。


「……僕の、前の代の死神はね、僕が魂を冥府に送ったんだ。僕を育ててくれた人。僕の最初の仕事だった」

「前の……死神」

「今でも時々考える。あの時、彼の魂を送ったのが僕じゃない別の死神だったら……僕はどうしていたんだろうって」


 背中を丸めるイリヤ。傷付く自身を守ろうとするかのように。


「きっと僕も、憎んだりしたと思うよ」


 寂しさを含んだか細い声は風に溶けていった。そのままイリヤが消えてなくなってしまいそうで、エミネーラは思わず手を掴む。

 確かな感触、確かな体温。イリヤは確かに此処にいるのに、存在が頼りなく揺らいで見えた。


「僕と一緒に居るって事はこういう事だよ」


 振り返ったイリヤの顔には長い前髪がかかっていて表情なんて見えやしない。かろうじて唇の端を持ち上げているのが見えたけれど、そのどこまでが本当なのか。


「エミさん、帰って」


 震えた声は、果たして何を意味していたのだろうか。

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