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2話目

 身も心もさっぱりとしたエミネーラが風呂場から出ると、少年は温かい飲み物を用意していてくれた。椅子に座り、湯気の立つカップを両手で持って一口含む。


「ありがとう、美味しい」

「そ、そう、良かった」


 少年はホッと息をついた後、自分もエミネーラの向かい側に座って同じものを飲み始めた。その動作を、エミネーラはジーッと見つめる。

 視線に気付いた少年はキョロキョロと左右に顔を振り、背中を丸めた。


「あ、あの、あまり見ないでもらえると……」

「単刀直入に聞く。君が噂の死神くんだろうか?」


 エミネーラはテーブルの上に身を乗り出して少年に尋ねた。まるで同極の磁石が離れるように少年もエミネーラから逃げる。目の見えない顔からは表情が読み取れなかったが、唇を噛むのが見えた。


「……あなた、僕を探しに来たの……?」


 少年の声は強張っていた。が、エミネーラはそれに気付かない。少年の答えで彼が死神だという確信が持てたからだ。

 舞い上がって頬を紅潮させて万歳をする。


「やっぱり! 会えて良かった。私、君と結婚しに来たんだ!」


 少年はその言葉は予想していなかったようで口をポカンと開け、石のように固まる。エミネーラは笑顔で少年の手をとり、嬉しそうに自己紹介を始めた。


「私はエミネーラ。いや、姉様達が皆身を固め始めたから私も、と思って君を探しに来たんだ。結婚するなら君がいいなって」


 段々少年の硬直が解けはじめ、それに比例して頬も赤くなっていく。あわあわと唇をわななかせ、左右に頭を振った。


「なななな、何で、ぼ、僕、あなたと会った事あったっけ?」

「いや、無いよ」


 けろっと言い切るエミネーラに少年は絶句する。会った事もない人物と結婚する為に誰も入りたがらないような不気味な森に単身乗り込んできたというエミネーラの思考が理解出来なかったのだろう。


「あ、会った事も無いのに結婚なんて、で、出来るわけないよ……」

「そうかな? とりあえず結婚してからお互いに深く知り合っていければいいと思うんだが」

「ぎゃ、逆だと思う! ちゃんとお互いを知った上で、け、結婚するものなんじゃ……」

「そうなのか。うーん、結婚というのは奥が深いな……。あれ? でもロザリー姉様は相手の顔を見た事がないはずだぞ? んん?」


 ロザリーは長女。隣国の王子の元に嫁ぐ予定の姫君だ。ほぼ政略結婚という形だが、ロザリーはそれを不満に思っていない為、会った事もない相手でも幸せな結婚だと笑っていたのだ。王子は大層な美青年だと、専らの噂であったし。


「あ、あなたの……えみ、えみね、え……エミさんのお姉さんの事は知らないけど、僕は……好きになった人と結婚するのがいいなって、思う」


 手を握られたまま少年は一生懸命に語るが、ふいに口を閉ざして俯き、エミネーラの手を弱々しく払った。


「……違う。そ、そもそも、僕と結婚なんて……エミさんが不幸になるだけ、だよ。朝になったら、街まで送っていくから」

「何故私が不幸になるなど君にわかるのだ」

「わかるよ、僕は死神だから。人に死を運ぶ不吉な存在、だから……」


 消え入りそうな声にエミネーラはどうしてか胸が痛くなった。目の前の少年は間違いなく傷付いた心を持っているとわかったからかもしれない。

 確かに死神という存在は歓迎されるものではないのだろう。けれど、それは決して彼のせいではないのだ。


「君は気まぐれに人を選んで魂を持って行く存在なのだろうか」

「ち、違うよ。人にはそれぞれ寿命が決められていて、寿命が切れた人の魂を冥府に送るのが、僕の役目……」

「では、君が殺しているわけではないのだから、問題無いじゃないか。つまり死後の魂が迷わずに冥府へ行けるように導いているのだろう? 優しい仕事だ」


 にこっと笑顔を見せるエミネーラに、少年は少しだけ顔を上げた。


「むしろ私は君が死神だからこそ結婚したいのだ。興味深い」

「え、ええ?」


 気が抜けたような声で少年は驚く。死神という不吉な存在を嫌う者は多いが、好意的に見られた事など一度も無い。

 今更のようだが、ここで初めて少年はエミネーラを「変わり者かもしれない」と思い始めた。


「で、ででででも駄目だよ、あの、あ、朝になったら帰って……」

「なかなか強情だな、君は」

「え、エミさんには言われたくない……」


 しばらくの間「帰れ」「嫌だ」の押し問答が繰り返されたが、結局どちらも折れずに疲れただけだったのでお開きになった。最後の方はもうお互いに何だか可笑しくなって笑いながら相手の要望を却下していた。

 喉が渇いたとカップの中身を飲み干し、思い出したように擦りむいた手の平の痛みにエミネーラは顔をしかめた。鼻の頭もひりひりする。

 鏡が無いから何とも言えないが、きっと今のエミネーラを見たら姉達は悲鳴を上げるだろう。顔を傷つける事に皆敏感なのだ。


「痛……。なあ、すまないが絆創膏などあったりしないだろうか」

「え? あ、あああ、怪我してたんだね……ご、ごめん、気が付かなくて」

「いや、君のせいじゃないし……ん、どうにも違和感があると思ったら、まだ名前を聞いていなかったな」


 エミネーラはポンと手を打つ。


「名前、教えてもらえるだろうか」


 にこにこ笑うエミネーラに面食らいながらも、少年は背中を丸めてぼそぼそと答える。弱気な姿勢に小さな声は自信の無さの表れなのだろうかと、エミネーラはぼんやりと考えて聞いていた。


「な、名前……あ、あの……い、イリヤ……」

「イリヤか。綺麗な名前だな」

「え、あ、ああ、ありがとう……」


 もじもじと指を弄り、イリヤは慌てたように棚の方へと走っていってしまった。照れているのがまるわかりで、見ていてほほえましくなる。

 小走りで戻ってきたイリヤは小さな箱を抱えていた。テーブルの上に置いて蓋を開けると、小瓶が何本かと包帯や湿布が見えた。どうやら薬箱だったらしい。

 赤いラベルの小瓶を取り出して綿を用意するイリヤに、今度はエミネーラが慌てる。


「イリヤ、絆創膏だけもらえればいいんだ」

「だ、駄目だよ。消毒しないと。それに、薬塗った方が早く治るから」


 有無を言わさずエミネーラの手首を掴んで自身の方へ引き寄せると、慣れた手つきで手当てをし始める。けれど少しだけ指は震えていて、彼が緊張しているのが伝わってきた。

 それが可笑しい事だとは露ほども思わなかったけれど。


「……何だか」

「は、ははははい?」

「殿方に手を握られるのは少し照れるな」

「さ、さっきエミさん自分から握ってきたじゃないか」

「自分から握るのと相手から握られるのは違うだろう」


 イリヤの手は細くて白くて女性のようだったけれど、エミネーラの手よりも大きく指も長い。当然なのだが男性なのだという事を急に意識してしまい、頬が熱くなる。

 エミネーラには恋愛の経験が無い。心ときめくような男性に出会った事がない。そのせいか結婚というものも実は根本的な事を理解出来ておらず、好きな人というよりは自分にとって興味深い人間と一緒になれれば、と漠然と思っていた。

 ただ自分を退屈させないでくれる存在と結婚しに来たはずのエミネーラは、イリヤという少年に胸を高鳴らせている。まだ彼が死神たる片鱗さえ見せていないというのに。


「う、動かないでね」


 いつの間にか手の平を手当てし終えたイリヤは、次は鼻を消毒しようと顔を近付けてくる。前髪が邪魔で見えづらいのか、必要以上に近い。

 エミネーラは動かなかった。と、いうより、動けなかった。自分でもよくわからない緊張感でがちがちに固まり、息さえ止める。

 つまるところ、エミネーラには男性に対する免疫がなかったのだ。結婚をしたいと言う割には、経験も免疫も皆無。恥じらう気持ちは乙女として可笑しくないはずなのだが、未知の感情故に頭の中は混乱していた。


(な、何だ? 何でこんなに恥ずかしいんだ? どうしたんだ私……)


 間近にあるイリヤの顔を見る事すら堪えられなくなり、目をぎゅっとつむる。


「い、痛かった?」

「いや、そ、そうじゃない」


 薬を塗って絆創膏を貼る際、イリヤの指が肌に触れた。それだけの事なのにエミネーラの心臓はテンポを速め、鼓動が頭にガンガン響く。


「あ、ありがとう」

「う、ううん。痕残らないといいね」


 はにかんで微笑むイリヤに、胸が締め付けられるような感覚が沸き上がる。撫でたくなるような、抱きしめたくなるような。

 どちらも出来ずに笑い返すと、イリヤの方が照れて俯いてしまった。


「ああああの、もう遅いし、ね、寝た方がいいよ」

「あ、そ、そうか。そうだな」

「べ、ベッド、そっちの部屋にあるから」


 暖炉の脇にある扉を指差され、エミネーラは新たな問題点に気付く。イリヤは一人で暮らしているのだ。当然ベッドもひとつだろう。夜中に突然転がり込んだ身で、彼からベッドを奪うわけにはいかないと。


「私は床でいい。君がこの家の主だ、君がベッドを使うべきだ」

「そ、そんな、女の子を床に寝させるわけには……」

「大丈夫だ、目覚めると床で寝ていたとかよくある」

「それは大丈夫じゃないっていうか、べ、別問題……」

「大丈夫ったら大丈夫。それともあれか? ふ、二人で同じベッドでねね寝るつもりか?」


 当然冗談だったが、どもったせいでそうは聞こえなくなってしまった。済ました顔でエミネーラは内心焦りまくりである。

 イリヤも本気で捉えてしまい、もげそうなくらい高速で頭を左右に振った。


「だっ、だだだ駄目だよ!」

「じゃ、じゃあイリヤが使ってくれ」

「エミさんが使って」


 再びゴングが鳴り終わりの見えないベッドの押し付け合いを開始するも、既に二人の気力はゼロに近い。間をとって二人で床に寝る事になった。どこをどう間とったのかは本人達にもわからない。

 小さなランプの灯だけを残して、暗くなった部屋の中でエミネーラは瞼を閉じる。少し離れた所で床に寝ているイリヤは、物音どころかきぬ擦れの音さえ立てない。呼吸もしているかどうかわからないくらいの静けさだ。

 エミネーラも緊張で落ち着かない。もしも寝ている内に鼾をかいたり歯軋りをしてしまって聞かれたらどうしよう、とか、今更な不安が頭の中を駆け巡る。精一杯の対策で寝返りをうち、イリヤに背中を向けて布団を頭からかぶった。

 彼と結婚したいという思いは変わらない。けれどイリヤに対して感じる緊張感や羞恥心がエミネーラを戸惑わせているのもまた事実。彼女はそれが何なのかまだ理解出来ていない。理解出来ない感情に邪魔されて、結婚したいのに恥ずかしくてまともに顔も見られない、そばにいるのも落ち着かない瞬間があるというジレンマに悶々としながら、エミネーラは段々と深い眠りに落ちていった。

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