EP 002 襲来
それは唐突に訪れた。
2045年8月15日、今日は田沼 渡とその彼女、菊池 沙織の記念日になるはずだった。江戸前市役所に彼女との婚約届けに、それこそ江戸前市役所のすぐ目の前に差し掛かった時だった。
擦ったプラスチックの下敷きを近づけた時のようなふんわりとした感覚が押し寄せ少し髪が逆立ち、繋いでいた手と手の間で静電気が走った。
「ひゃっ」
沙織が悲鳴をあげた。
可愛い。
思わずニヤける。
「大丈夫?」そう笑いかけたが、目を見開いた沙織から帰ってきた言葉は、「なに、あれ。」
沙織の目線を辿ると海の方、宙に何かが浮いている。軍艦だ。
何故軍艦だと思ったかというと砲塔がみえたから、形状はレールガンに似ている。渡はCGデザイナーで、先月までハリウッドの近未来戦争を題材とした映画を作っていた。だが、そのレールガンは今までに見たことのタイプで、サイズもふたまわりぐらい大きい。が、そもそも軍艦が宙に浮いてる時点でおかしいし、何より見えた砲塔は船底部に逆さまについていた。
砲塔はゆっくり向きを変え、狙うは全面ガラス張りで捻れたような形した建物。
砲塔は、ヴィィィと唸りをあげると赤い閃光を放った。
放たれた閃光は江戸前市役所ビルと江戸前自然都市共存博物館を貫いた。このふたつの街のシンボルは、なんとも呆気なく崩れ落ち瓦礫の山と化した。
渡は尻餅をついていた。わけがわらない。辺りは瓦礫が散らばり、メインストリートにそって並んでいた美しいデザインだったビルの高さは元の半分もない。
思考が追いつかない。
また、静電気のようなものが走る。海の方に目を向けると、今度はふたまわり小さい船が後ろに現れていた。
さらにその後ろ、一瞬景色が歪んだかと思うと赤い光と共に空母のような平たく巨大な船があらわれた。
思わず後ずさると、何かに触れた。この感触、何度も握ってきたこの手は…
「沙織!!」
自分でも馬鹿だと思った、その手の熱が完全に失われているのぐらいわかっただろ。
握った左手の肘から先は、真っ赤に染まったコンクリートがあるだけだ。目眩がした。沙織のはずがない、きっとそうだ。たが、その左手の薬指で輝いていたのは、どうみても一昨日彼女にはめてあげた指輪だった。こればかりは、自分でデザインした特注の指輪だからだ。川の流れをイメージしたデザインのリングに、ダイヤ形に加工されたシルバーダイヤモンドが光る。
瓦礫の山にまたひとつ、悲痛な叫びがこだまする。
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突如警報が鳴り響く。
『緊急避難警報発令:当車両は規定に従い最寄りのシェルターステーションに停車いたします。停車した後、係員の指示に従いすみやかに行動してください。ご協力お願いします。Urgent refuge warning official announcement: Our vehicle stops to nearest shelter station according to a rule. After having stopped, please act according to the instructions of the person in charge immediately. Please cooperate.』
「えー、なによこんな時に。」
最初に文句を言い始めたのは薫先輩だった。
「ということは、検見川浜じゃなくシェルターのある海浜幕張駅に向かうな。」
音夜も続けて言う。
「おいおいマジかよ。清花から『検見川浜駅ナウ』って来たぞ。」
清花との連絡役にさせられていた俺は、すぐさま「緊急避難警報発令されたから海浜幕張駅に行くことになりそう。」とメールを打ちながらいった。
電車は大きく揺れ左に曲った、シェルター直通非常用路線に入ったのだ。
苛立ちと緊張感あふれる車内では、繰り返し緊急避難警報発令を流している。
警報が発令されて20分は経過しただろうか、突如明かりが消え非常用の赤色灯に切り替わった。
「なんか怖くない。」そう誰かが呟いたときだった。
『ズドドドド』と、立て続けに大きな音がし暗闇に包まれた。揺れる車内で悲鳴が飛び交う。
最後に『ゴスン』と、鈍い音がして俺は気を失った。
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検見川浜駅のカフェでワンピース姿の清花はひとり紅茶を飲んでいた。東京新開発で今ではオシャレなカフェと駅ビルぐらいなら、都内の駅ならどこにでもある。屋上やビルの側面の一部、飲食店の窓の縁など外に露出しているスペースというスペースが緑化され、それでもあまり虫が湧かないのはなんとも不思議である。
紅茶の入ったカップを口に運んだとき、カウンターの上に置いた携帯のブザーと館内放送の警報が同時に鳴って、思わず紅茶を吹きそうになる。
『緊急避難警報が発令されました。お客様と各店舗の従業員は直ちに当駅ビル地下2階の緊急シェルターに避難してください。また、エレベーターは車椅子の方、歩行困難者専用とさせていただきます。それ以外の方は階段、または現在停止中のエスカレーターをご利用ください。また、荷物はなるべく貴重品のみとしてください。当駅ビルでお買いいただいた商品は、警報が収まり次第レシートをお持ち頂ければ商品を用意させていただきます。』
「えぇ、テツや音夜さん達と合流できないかな。」
清花が席を立とうとしたとき、景色が乱れた。四方八方に景色が回っていく。
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あれからどのぐらいたっただろう。渡は指輪を握り瓦礫のなかをさまよっていた。
まだわけがわらない。
沙織は何処だ。
わかりきった答えを蹴っては探す。
もう悲鳴すらあがらない。
たまに、生きた人を見かける。
だれもが座り込み、虚ろな目をしている。
だれもが意識を心の底に引きこもり、目の前の理解しがたい現実をシャットアウトしている。
気がつくと一人の女性の前で立ち止まっていた。
「そこのお方。」
女性はしっかりとした言葉で自分を読んでいる。
「娘を、娘を助けてください。」
そこで俺は初めてその女性の方を向いた。
女性は両手つきかがみこむような格好で、その間に女の子がいた。
女性の両足は瓦礫の下だ。かなり出血している。医者じゃなくてももう手遅れなのは目に見えている。
「お願いします。この子を助けてやってください。」
そういうと、返事も待たずに女性は息を止めた。