契約
目が覚めるとそこは保健室であった。そういえば1組の生徒との戦いで気絶したのだった。外はもう暗くなっているようだが灯りのついている保健室内はまだ明るい。ベッドから起き上がると養護教諭を探す。もう帰ってしまったのだろうか、辺りには見当たらない。
「あら、目が覚めたの」
後ろから声をかけられ振り向くと一番奥のベッドからまだまだ若い養護教諭の美里先生が起き上がってきた。見当たらなかったのは仮眠をとっていたからのようだ。
「勤務中に寝てていいんですか?」
「そういうことは時計を見てから言いなさい」
言われて時計を見ると20時を過ぎていた。たしかに養護教諭の勤務時間という枠を超えている。
「すいません、思ったよりも長いあいだ眠ってしまっていたみたいで。帰らずに目を覚ますのを待っていてくれたんですか?」
「別に待ってたわけじゃないわ。最近は帰るのがめんどくさくてここで寝泊りてるくらいだし」
「それは女性としてどうなんですか」
「シャワーもちゃんと浴びてるから大丈夫よ」
「そういう問題じゃないかと」
「そういう問題よ。女なんてある程度の清潔感さえ保ってれば問題ないわ」
そういうものなのだろうか。絶対違う気がする。まだ若いのにこの人はこのままじゃ婚期を逃してしまうような気がする。
「時間も時間ですし、今日は帰ります。お世話になりました」
「別に泊まっていってもいいのよ?先生とふたりであつ〜い夜を」
「帰ります」
「ちょっとツッコミくらい入れたらどうなのよ!」
俺は暴走の止まらない養護教諭を置いて学校を出た。すっかり遅くなってしまった。たまには近道を通ろうと廃ビルを抜ける。その途中、廃ビルの上の階から声が聞こえてきた。なんだろう、まさか幽霊?さすがにないか。俺はそんなことを考えながら階段を上がり声のする方を覗き込む。そこには1組の生徒数名が何かを取り囲んでいた。答えはすぐにわかった。取り囲まれていたのは何かではなく誰かだった。それは昼間に見た一般生徒。そして取り囲んでいる方のリーダーはどうやら俺がやりあったあの特別クラス生。どうやら契約召喚獣を使って一般生徒を襲っているようだった。一般生徒の方もハリネズミの契約召喚獣で身を守ろうとしている。木刀を取り出そうとして折られたことを思い出す。このままノコノコ出て行ってもできることはないと見守っていると状況が動いた。大型の狼がハリネズミに向かって大きく口を開き噛み付いたのだ。しかしすぐにそれは間違いだと俺は気づく。噛み付いたのではない。喰っているのだ。契約召喚獣の魂とも呼べる魔力の核に。その光景を目の当たりにした一般生徒は顔に恐怖が張り付いたまま動けないでいた。俺も恐怖のあまり一歩後ずさる。契約召喚獣に他人の契約召喚獣を喰わせるなんて。早くしないと手遅れになる。だが俺に何ができる。昼間全く歯が立たなかった相手だ。その上今は木刀すらない。俺はもう一歩後ずさる。その時だった。
カランコロン―
思いっきり何かが転がる音が廃ビル内に響く。それは俺が蹴飛ばしてしまった空き缶の音だった。
「誰だ!?」
「くっ、こんなテンプレみたいなことってあるかよ!?」
1組の生徒たちが叫ぶと大型狼はハリネズミの契約召喚獣を放り投げてこちらへ向かい猛烈なスピードで走り出す。俺は全力で距離を取るべく逃げる。戦うか、それとも逃げるか。どちらにしても一度距離を取らねば話にならない。そして1階下のフロアの物陰に隠れる。状況を打破する手段を考える。この隙に襲われていた生徒が逃げてくれれば良いが、あの状態じゃとても無理だろう。最善と言える答えはどんなに悩んでも出てこない。やがて狼の静かな足音が近づいてくる。おそらく匂いでこちらがわかったんだろう。俺は自分の召喚器である本を取り出しどうにかできないかを考える。とにかく魔力を注ぐ。真っ暗だったあたりに魔力の光が反射され慌てて魔力を込めるのをやめる。こんなことは初めてだった。もう一度魔力を注ぐ。するとやはりこの本が青白い光を放っていた。光を放っているのは裏表紙だった。そこには契約召喚獣召喚のための詠唱と思われるものが浮かび上がっている。いつも明るいところで本を開きながら召喚しようとしていたせいで気づかなかったのだ。しかし詠唱が必要な召喚獣となるとそれは儀式クラスのものである。現代の魔法のほとんどは魔力操作だけで詠唱を必要としないのだ。つまり詠唱が必要なものは相当上位の魔法なのである。自分にできるだろうか。やるしかないだろう。
覚悟を決めて一字一句読み上げていく。そして最後の起句を読み上げる前にして俺は迷う。どうやらこの召喚術の触媒は術者の魂のようなのだ。つまりこの起句を読んだら俺はどうなるのかわからない。そして狼はこの部屋に入ってくる。1組の生徒も一緒のようだった。
「この部屋の中にいるのはわかってるんだ。出てこいよ落ちこぼれ!」
どうやら誰かバレているようだった。俺は本を待機状態にして立ち上がる。もしどうしてもダメな時には魔力を込めて起句を読み上げるだけだ。
「やあ奇遇だね。こんな状態で言うのもなんだけど俺は何も見ていないんだ。見逃してもらえないかな?」
命乞いでもするかのように時間を稼ぐ。
「はっ!今更そんな戯言が通用するかよ。あんなところを見られたんだ。生きて返すわけにはいかないな。ちょうどいい。これから強くなるコイツの最初の獲物にしてやるよ」
そう言うと魔力を狼に向けて注ぎ始める。すると狼は光に包まれ形を変化させていく。身体はより大きく。一つだった頭は3つに。爪は長く鋭く。そして光が収まったところにいたのは今までの狼ではなかった。
「ケルベロス!?」
そこにいたのは紛れもなく伝説上の生物、ケルベロスだった。契約召喚獣が形を変化させるのは珍しいことではない。進化するように成長し形を変えていくことはよくある。しかしケルベロスのような有名な魔物や神獣のようになるのはひと握りだ。
「そうだ。俺がいかに凡人と違うかこれでわかっただろう。まあそんな上位種の召喚獣に殺されるんだ。光栄に思うがいいさ」
ダメだ、勝ち目も逃げる隙もない。俺は諦めたように投げやりに起句をつぶやく。次の瞬間ケルベロスが飛びかかろうと体を沈める。目を閉じ体を小さくして最期の時を待つ。しかしそれは訪れなかった。目を開くとそこには大きな光が輝いていた。それに気後れしたのかケルベロスは飛びかかろうとした姿勢のまま光の方をその6つの眼で睨みつけていた。
光は徐々に形を成していく。細い手足。女性のような膨らみ。そして長く灼熱のように紅い髪。それは少女だった。歳は同い年か少し上くらいだろうか。彼女は一体なんなのだろうか。髪と同じような紅いドレスを纏った少女はその紅蓮の双眸をこちらに向ける。
「随分弱そうな契約者だな。本当に大丈夫なのか?」
少女は独り言のように呟く。それとほとんど同時に少女にケルベロスが飛びかかる。少女は振り返りながら腕をひと振りする。それに合わせて放たれたのは赤過ぎる程に紅い炎だった。その炎はケルベロスにまとわりつくとそのまま焼き尽くすように熱を上げていく。その影響でケルベロスは動けなくなっていた。
「驚いたな、今日はやけに乱入者が多いみたいだな。まあこんな廃墟でも近道に使ったりする人がわりと通るから珍しくもないがな。お前がなんでここを通ったかは知らないし興味もないが他人の勝負に乱入してくるのはマナー違反だろう。ま、一人も二人も変わらないからいいけどよ」
1組の生徒は余裕を崩さずに嘯く。
「それにしてもあんた、相当の使い手みたいだけど運がなかったな。うちのケルベロスは地獄の番犬だ。特に火に対しては城壁並みの耐性を持つ。その程度の炎じゃ火傷は負わせれてもせいぜい軽症だろうよ」
「ふむ、そうか。ならば」
少女は言うと腕を横に伸ばし手元に魔力を集中させると赤色の大剣を取り出した。そしてそれをケルベロスに向かって斬り下ろす。ケルベロスは炎にまとわり付かれうまく動けないまま右の首を失った。それと同時にケルベロスの周りの炎も消える。ついでに1組の生徒からも笑顔が消えた。
「・・・お前、何者だよ」
その顔には明らかに恐怖が滲んでいた。
「ここで引かないならそこの獣を殺してしまうぞ?いいのか?」
少女は通る声で警告する。しかし帰ってきた返事はまだ好戦的なものであった。
「冗談だろ。まとわりついたうざったい炎も消えたんだ。これからが本番さ」
そう言うとケルベロスに魔力を送り失われた首を再生させる。もちろんそれは完治と呼べるものではないがあのまま戦うわけにはいかないと判断したのだろう。
「そうか、ならば仕方がないな」
少女は剣にさらに魔力を込めるそして大きな炎の刃と成す。それを横に薙ぐ。
「だから炎はケルベロスには効かねぇって言ってんだろ!」
相手はそれを好機と見て笑いながら叫びケルベロスに指示を出そうとした。しかしその指示が出されることはなかった。炎の刃でケルベロスは真二つにされ使用者の魔力に還元される。そして召喚者である彼はその治療のためにケルベロスに送り込んでいた魔力の量が急激に跳ね上がり、大量の魔力を吸い上げられ気を失った。取り巻きたちはしばらく呆気に取られていたが、少しの落ち着きを取り戻すと彼を担ぎ上げそのままここから逃げるように立ち去って行く。
少女は炎の剣を魔力に戻すとこちらに近づいてきて手を差し出し言う。
「フレイだ。これからお前の契約精霊になるからな。友好の証の握手だ」
「契約精霊・・・?」
俺はまだ契約精霊がどういものなのかわからなかったが手を握り返した。
これが俺と契約精霊フレイの出会いだった。