鏡から出てくるモノ
寝る前に読むのもオススメ
「そうだ、丁度こんな寒い時期だったかな」
目の前に居る人に、僕は何気無く話しかけた。
特に理由があった訳ではなく、ただの暇潰しだ。
対するその人はと言うと、何を急に言い出すのかと言った顔をしている。
「そう、こんな寒い日の事だった。名前はそうだな・・・山田とでもしておこうか。別に山田って名前に意味なんて無いんだけどね」
相手は反応に困っているらしいが、僕は話し続ける事にした。
「山田って奴は随分と変わった奴でさ、とにかく鏡から窓まで、自分が反射しそうな物は全部隠す癖があるんだよ」
例えそれが小さな物でも、と僕は零す。
何故、彼がそんな几帳面な性格をしているのか。それを紐解くには、彼の過去を語らねばならないだろう。
「なんでそんな事するのかって?それは山田が子供の頃の話になるんだけどさ」
山田の出身地である村は、今も藁葺き屋根の建物がある様など田舎だ。
閉鎖的で、排他的。今でこそスローライフなんて言葉で田舎を良い様に見せているが、実際はそういった悪い部分を抱えた地方もある。
山田の家もまた、そういった暗い部分を抱えていた。
曰く、東の山には神様が居る。曰く、山で蛇を殺すと祟りが起こる。
馬鹿馬鹿しいと一蹴される様な迷信も、その村では本当の事の様に考えられてきた。
「でも、山田って奴は昔っから捻くれた奴だったんだよ。だから、そんな事を言われても、そうなんだ、って納得した振りをして信じていなかった」
それはきっと、おかしな事ではないと思う。
今の子供達は、歳若くして知識を蓄えているからだ。山田も同様に、学校の友人達から色んな話を聞いていたのだろう。
悪く言えば生意気、良く言えば博識。山田はそんな子供だった。
だから、大人達が言う事を話半分にしか聞いていなかったのだろう。
「好奇心ってヤツなんだろうね。山田は『とある話』を家族から聞かされた時に、その真相を知りたくなったんだよ」
それは蒸し暑い夏の事だった。
山田の家の庭には物置小屋があったらしい。らしい、と言うのは、今はもうその小屋自体が無くなっているからだ。
何故、その小屋は無くなったのか。
「それは山田が小屋の中に忍び込んで、ある物を手にしたからだよ。その話ってのが・・・」
庭の小屋にある鏡には良くないモノが住み着いている。
山田の祖父は、山田の母にそんな話の切り出し方をしていた。
原因は、母が小屋の掃除をしようと買って出た事にある。それを聞いた祖父は血相を変え、それは止めて欲しいと懇願したのだ。
その鏡には絶対に触れてはいけないモノが居る、と。
「それは何かって?まあ、そんなに急がなくて良いよ。もうちょっとしたら分かるから」
それを盗み聞いていた山田は、またホラ話をしているなと思った。
彼にしてみれば、そういった話は子供達の行動を制限する為の物でしかなかったのだ。
例えば、山には化け物が居る。この話も、子供達に山へと立ち入れさせない為の作り話だろう。蛇を殺すのは駄目というのも、毒蛇が危険だから近付けない為の口実だ。
大人が子供に言う事を聞かせようとした場合、子供の恐怖心を煽るのが一番手っ取り早い。言って聞かせるより、自らすすんでそうする様になるのが一番なのだ。
しかし、山田という少年はそれを知っていた。大人の嘘を、その中に隠された本当の意味を。
だから、今回の事もそんな話の類だと思ったのだ。
おそらく物置小屋に大切な物があり、それに触れられたくないといった理由なのだろう、と。
「山田はその小屋に忍び込む事にした。家族全員で夕飯を食べた後、皆の気が緩んだ時を見計らって、ね」
空はザクロが弾けた様な朱。
長く影が伸び、先端が物置小屋の壁で立ち上がっている。
山田はあからさまに怪しい足並みでそれに近付いていく。誰かが見ていれば、子供が影遊びをしているのだろうと思っただろう。
けれど、山田を見ている人間は居なかった。
彼は一切の邪魔も無く、物置小屋の扉へと辿り着いた。
「前日に雨が降っていたからなんだろうね、ツンとした草の匂いが漂っていたらしいよ」
扉に付いているのは、古い南京錠。
だが、肝心の金具自体は錆び付いており、祖父が取り替えなければいけないとぼやいていたのを、山田は知っていた。
小さく生唾を飲み込み、山田は鍵に触れる。
ほんの小さな動作であったはずなのだが、それだけで鍵を扉に固定している螺子がグラリと揺れた。
それを見て、山田は小さく微笑む。一番懸念していた事が、こうもあっさりと解決したのだから。
「物置小屋の中には何があるのか。鏡と祖父は言っていたけど、もしその通りならそれはきっと値打ちがある物なんだろう・・・そんな事を山田は考えていたらしい」
山田が服を巻いた拳で南京錠を叩くと、元々から腐りかけていた扉の一部ごと鍵は地面に落ちた。
その拍子に、僅かな隙間が扉に生まれる。
それはまるで、山田の来訪を歓迎するかの様だった。
「外はまだそんなに暗くなかったのに、中はどうしようもない位に暗かったらしい。でも、用意周到な事に懐中電灯を持ってきていたんだって」
赤子の鳴声の様な音を立て、山田は扉を開く。
懐中電灯から伸びる淡い光は、墨に染められた空間に色を加えた。
箱、箱、箱。大きさは様々、形も様々。
山田が思っていた光景とは、まるで違う物が広がっている。それは確かに、物置小屋として間違っていない光景だった。
ただ、最奥に何も置かれていない空間がある。
そしてその中央にポツンと丸い箱が置かれていた。
「多分祭壇みたいな物だったんだろう、って山田は言ってた。でも、子供にそれが分かる訳ない。山田も、今思えば・・・みたいな事言ってたし」
漆塗りの木製の箱。大きさは四方20センチ位だろうか。
見るからに高価な箱に、山田の口角が釣り上がっていく。
「半信半疑だったんだろうね。きっと、物が溢れているから危ないって可能性も考えてたんだろう」
懐中電灯を脇に置き、山田は箱へと手を伸ばした。
開け放たれた扉と、外から差し込む暗褐色の光。埃と腐った木の匂いの中、山田の手は箱に付いている紐を解き始める。
ピリ、と小さな音が何度も響き、紐が解かれる度に何かが床へと落ちていく。
それは、小さな紙切れだった。
「真っ暗だったからね、何が落ちているかなんて分からなかったんだろう。見えていたら、絶対に手を止めていたはずだよ」
小さな紙片。
それは、解かれていく紐の上から貼り付けられていたお札だった物。
糊が古くなっていたのか、紐に跳ね除けられて、あるいは山田の手によって地に落ちていく。
形を失った紙片は、彼の膝の下で、カサカサと耳障りな音を立てていた。
そうして、箱の戒めは完全に解かれた。
山田は逸る気持ちを抑え切れず、乱暴に箱を開く。
「中に入っていたのは、金属で出来た鏡だったらしい。今みたいなガラス製の鏡じゃなくて、本当に古いタイプの鏡だね」
出てきたのは、酷く曇った鏡だった。
大きさは直径12,3センチ。丸い形をしており、縁に僅かな装飾が施されている。
山田はその鏡を手に取ると、その裏を見始めた。
「結構厚みがあって、それなりの重量感があったらしいよ。表は大した事無かったから、裏の装飾具合で価値を知ろうとしたんだってさ」
裏には、花を模した装飾が施されている。
薄明かりに照らされたそれは、酷く精巧な造りをしていた。素人が見ても、この鏡が本当に価値の有る物だと分かる程に。
山田はその形を指でなぞり、笑みを浮かべる。
大した物など無いと思っていた自分の家に、こんなお宝が眠っていたのだ。そう思えば、表情が綻ぶのも無理は無かったのだろう。
一通り裏面の細工を堪能した後、山田は鏡を裏返す。
本来その役目である鏡面部分は、やはり酷く曇っている。
磨けば綺麗になるだろうか。そんな事を思い、彼がその部分を服で拭おうとした時だった。
何かが映っている。
僅かな光を反射し、小屋の中を映し出す鏡。
その中で、自分と何かを映し出している。
鏡に映る山田は、磨りガラスの向こうに居る様だった。
だが、もう一つはどういう事なのだろうか。白と青と黄色を混ぜた様な色をしたモノは、何故かぼやけていなかった。
深い闇の中に居るはずが、どうしてこうもはっきりと見えるのか。
ただ、ユラユラと。
そのもう一つは、小さく揺れ動いている。
黒い糸束を上から垂らし、けれどそれをピタリと顔に纏わり付かせながら。
「声が出なかったってさ。息を漏らすのが精々だったんだと」
どうして、こんなモノが居るのか。
先ほどまで、自分以外の誰も居なかったはずなのではないのか。
誰かがこの物置小屋に入ってくれば、扉から音が聞こえるはずだ。
そんな疑問が、山田の中を駆け巡っていく。
ただ、空白とも呼べる時間だけが流れ―――白い影の顔の部分、その下半分が裂けた。
傷口が開く様に、その裂け目は半月を描く。
それは、酷く暗い赤色をしていた。
それは、醜悪な笑み。
影は、自分を見て笑っているのだ。
「そこでやっと声が出たんだとさ。後はまあ・・・お察しの通り坊さんやらが来て、お払いされたとか言ってたよ。まあ、当然と言えば当然だよね」
山田が鏡の箱を開けた事で、祖父祖母はすぐさま近くの寺へと山田を連れて行った。
祖母は泣き叫び、祖父は山田が見た事も無い渋面を作っている。
長い読経の後、水垢離もさせられた。
そこまでして、やっと山田は解放された。
「山田のお祖父ちゃんは、その一件で物置小屋ごと鏡を燃やす事にしたんだそうだよ。鏡だけは特別な方法で燃やされたらしいけど、だからその小屋はもう無いんだ」
物置小屋が無くなったと同時に、山田は両親と共に都会へと引っ越す事になる。
その間際、彼の祖父母は、きつく山田に言い含めた。
絶対にこの土地に戻ってくるな、と。アレがお前を見つけたのだから、それは絶対だ、と。
山田は泣き叫んだ。色々と反抗はしたが、祖父母の事は慕っていたからだ。
だが、祖父母も剣幕はそれすら許さぬ程の物だった。
「そうして、山田はこっちに引っ越してきたんだ。僕がアイツに出合ったのも、そのせいなんだけどね」
目の前の人は、気分の良くない話を聞かされた事で、少し胡乱な目で僕を見ている。
でも、僕は構わず話を続ける事にした。
「でも、それで終わりじゃなかった。死んだんだよ、山田のお爺さんとお婆さん」
山田が引っ越してから、数年経った頃の事だったらしい。
最初に死んだのは、山田の祖父。割れた鏡の前で死んでいた。
次に、祖母が死んだ。風呂の中で、溺れる様にして息を引き取っていた。
二人の表情は、見る者が目を逸らしたくなる程の物だったそうだ。
「そして、次は山田の番だった。コンコン、って何かを叩く音が聞こえるんだってさ」
例えば夜景を見ようと窓の覗き込む時、例えば喉を潤そうとコップに水を入れた時。
何でも良い。
何かに自分が反射する条件が整えば、その音は必ず聞こえた。
そしてその時、自分を映し出す物を見てしまえば
「後ろにソレが見えるんだってさ。多分、鏡はアレの封印か何かだったんだ。無くなったから、自由になったんだと思う」
ずっと、アレは離れない。
寝る時でも、風呂に入っている時でも、食事をしている時でも。
コン、コン、と叩き続ける。
そしてそちらを見れば、自分とアレが映し出されているのだ。
「山田は死んだよ。丁度こんな寒い日、去年の事だった。最後は何もかも分からなくなって、この話を聞き出すのも随分と苦労したけど・・・・・・本当、聞かなければ良かったよ」
白と黄と青を混ぜた色。
それは、もう生きている筈のない色。
目の前の人物の向こうに映る、僕の隣に居るヤツの色。
何故、知ってしまったのだろう。
知らなければよかった。知ってしまう事が、アレがこちらを知る術になるなんて。
コン、コン、と音がする。
それと同時に、「見つけた見つけた見つけた」と繰り返す声。
でも、今だけはその声が遠くに聞こえる。
「実はね、僕もそろそろ死んじゃうっぽいんだ。こうして正気で居られるのも、多分本当に僅かだと思う」
ずっと、ずっと、聞かされ続けてきた。
見つけた、と。
何かを叩く音と共に、ただずっと聞かされ続けてきた。
だから、アレが今「見つけた」のは僕じゃない。
「聞いてくれてありがとう。多分、次は君の番だと思うから」
多分感想返しとか出来ないと思います。
連載の方やれって意見は我が家の突然壊れた冷蔵庫に言って下さると助かります。