芽生えた恋心
私には、小さなころに知り合ったとても仲良しの親友がいる。
お人形さんみたいな、可愛い女の子。
年上なのに、どこか妹みたいな子。
家が近くだった私たちは、小さな公園の砂浜で、いつも二人で遊んでいた。
彼女と過ごした日々は、どれも大切な想い出なのだ。
「ねえ、アキちゃん。アキちゃんの妹さんって、どんな子なの?」
「ふぇ? アキ、妹、いないよ?」
「え? だってアキちゃん、いっつも白い髪の女の子が迎えに来るでしょ? あの子、妹さんだよね?」
「ううん。ハルは、アキの弟、だよ?」
「えええ!? あんなに可愛いのに、男の子だったんだ!」
「そう。ハルは、かわいい。とても」
「それで、アキちゃんの弟さんは、どんな子なの?」
「んー、ハルは、やさしい」
「やさしい?」
「うん。だから、ハルがいると、安心する。だから、好き」
「そうなんだー。仲が良いんだね」
「メグも、きっと、ハルが、好きになる」
「話したこともないのに、そんなこと分からないよー」
その時は、ふと気になって尋ねてみただけで、特別、彼のことが気になっていたわけではなかった。
それでも、人と接することが苦手な彼女が好きだと言った『可愛い少年』のことを、もしかすると私は、あの頃から気になり出したのかも知れない――。
桜舞う四月。
今日からは新学期。私も遂に中学二年生となった。
後輩もたくさんでき、上級生として立派なお手本にならないといけない。
「もう~っ、お母さんったらどうして起こしてくれなかったの!?」
……だと言うのに、私は新学期早々、慌てていた。
「そんなに慌てなくても、十分に間に合うでしょう?」
「二年生になったらクラス替えがあるの! いつも通りに行ってちゃ遅刻しちゃうよ!」
「あらあら、この子ったら。朝から落ち着きが無いわねぇ」
「だから、落ち着いてたら遅刻しちゃうの!」
せっかく一年の時は無遅刻無欠席だったのに、二年になった途端にこれじゃ、先生にも目を付けられちゃうよ!
「ああんっ、朝ご飯食べる時間がないよぅ~」
しょうがない。ダイエットだと思って、ここは我慢するしか……
「もう、ダメでしょ、萌。朝ご飯を抜いたりしちゃ」
「でも、もう行かないと遅刻しちゃうよ……」
「お母さんに良い考えがあるわ」
そう言ってお母さんが差し出してきたのは……食パン?
「学校にはできるだけ遠回りをして、曲がり角を多く曲がるのよ」
「それじゃ遅刻しちゃうでしょ!」
それに、食パンを銜えて登校だなんて、昭和の少女マンガじゃあるまいし――
ぐぅ~
「あらあら、お腹は至って正直よね」
「……いってきまふ……」
「いってらっしゃ~い♪」
違うのよ。だって、朝ご飯を抜いたら健康に悪いって、学校でも先生によく言われたからで……
食パンを銜えながら街を走る私はどう映っただろう?
この日の家から学校までの移動時間は、中学三年間で最高タイムを記録した。
◇
曲がり角で男のことぶつかるようなイベントも特に起きず、無事学校に到着した私は、さっそくクラス割りが張られている広場へと向かう。
同じように自分のクラスを確認している生徒達をかき分けながら、私は一組から順番に自分の名前を探して行く。
「えっと……えっと……………あ!」
見つけた!
私の名前は『二年六組』の所にあった。
……けれど、一年の時に仲良しだったことは別々のクラスになってしまった。
六組の女子の名前を全て確認してみたが、ほとんどがあまり話したことのない人ばかりだ。
「…………」
新学期になって、早くも不安になってきた。
どうしよう。ちゃんと友達ができるだろうか?
一人だけ仲間外れになったりしないよね?
盛大に気を落としながらも、一応は男子の名前に目を通して行く。
別段親しい男子がいるわけでもない。一人でも知っている名前がいたらまあいいか。そんな薄い思いで眺めていたんだけど、
――その名前を見て思わず、心臓がドキッと跳ねた。
そこには、一つだけ、私のよく知る名前があったのだ。
と言っても、私がよく知っているのは彼ではなく、その姉の方だ。
彼とは一度も話したことは無かったりする。
家がわりと近くで、小学校も一緒だったのに、彼とは今まで何の接点も無かった。
同じクラスになったことはこれまで一度も無かったし、彼は私のことなど知るはずもないだろう。……いや、もしかしたら名前くらいは訊いたことがあってくれるかも知れないけど、でも直接の面識はない。
彼はこの学校でも一番の有名人だ。二・三年生で彼を知らない生徒などいないはず。
外見は、カッコいいというより、綺麗な男の人という印象が強い。
私の友人に、彼のことが好きだという子が何人もいるけど、彼に告白して成功したという話は今の所耳にしたことはない。
一体、どんな人なんだろうか……?
『かわいい』『やさしい』『安心する』
思わず、懐かしいフレーズが蘇ってくる。
そう言えば、小さい頃、私は彼について、姉である彼女に尋ねてみたことがあった。
あの時、彼女は最後にはこうも言った。
『メグも、きっと、ハルが、好きになる』
……私が……好きに?
生まれてこの方、恋など経験したことのない私に、男子を好きになるという感情は、あまり理解できなかった。
新しい教室に到着すると、適当な席に腰を下ろす。
席順は決まっていないので、各々が空いている席を埋めて行く。
窓際の、後ろから二番目の席を選んだ。理由は、そこだけ周囲の席が空席だったから。あまり親しくない人の近くに座るほど、私はチャレンジャーではないのだ。情けないことに。
すぐに予鈴のベルが鳴り響いた。
……何故か、私の隣と、後ろの二席だけが空席のままだ。
『もしかして、ハブられたのでは!?』――と焦りを覚えかけた時、廊下から二人の男子が慌てるように――本当に慌てていたのは先に入ってきた男子だけで、あとから入ってきた男子は涼しげな顔をしていた――飛び込んできて、先に入ってきた男子は私の隣の席に、もう一人はその男子の後ろの席へとそれぞれ着席した。
「うっは、あぶなかったー!」
隣の男子が息を荒くしながら声を大にする。
やんちゃそうな雰囲気の人だ。クラスの位置的には、いいムードメーカーになりそう。
「そんなに慌てることはない。担任の到着まで、まだあと三十秒もある」
対照的に、後ろの男子は全く息を切らせていなかった。
見た目的に悪そうな雰囲気はしないんだけど……なんだか『真面目』とは縁のないように感じる。
「三十秒って、どうしてそんなことがわかんだよ?」
「そんなもの、昨年度までの担任の行動パターンを目安に計算したに決まっているだろう」
「相っ変わらず、エグイ情報を持ってるな、橘は」
あ、この人が“あの橘”君。だったんだ。
道理で、どこか普通じゃないように感じたんだぁ。
まじまじと私が二人を見ていると、隣の男子がその視線に気が付き。
「おっす、お隣さん! 俺は重丸條太郎。こっちの詐欺師は橘だ。よろしくな!」
「え、えっと、星野、萌です」
予想以上のフランクさに、思わずたじろいでしまう。
重丸君は、私にしたように、周りの生徒一人一人に自己紹介をしていく。彼はついでとばかりに橘君の紹介もしているけど、勝手にされている本人は不敵な笑みを浮かべているだけだ。
橘君も、違う意味で有名人だ。――学校一の問題児として。
重丸君の自己紹介がひと段落したとき、前の扉から先生が入ってきた。
奇しくも、橘君の言った通り、三十秒がきっかり経っていた。
「あー、俺が一年間このクラスの担任を任されることとなった沖田だ」
沖田先生は、昨年度までは三年生のクラスを受け持っていた、三十代後半の体育教師で、かなり怖い先生として生徒からは恐れられている。
どうやら六組は『ハズレクラス』のようだ。担任が沖田先生だと知ると、途端にみんなの顔色が青くなったのが見て取れた。
沖田先生のクラスで、問題行為を起こす人なんて出てこないだろう。いくらあの橘君であっても、この一年間は大人しくしているはず――
そう思った矢先、その火蓋は唐突に、切って落とされた。
「いいか、橘! 俺が担任になったからには、もうお前に好き勝手なことはさせないからなああああ!!!」
沖田先生の宣戦布告に、生徒達みんなが唖然とする。
ただ一人、私の斜め後ろにいる彼だけが、にこやかな笑みを浮かべて起立して、
「それはそれは、今から楽しみでしかたがありません。大衆の期待に応えるためにも、僕も全力で、先生と一緒に、楽しい一年間を築き上げて行こうと思います」
言葉だけは丁寧だったけど、所々がおかしい返答だった。
私には、『かかってこいよセンコー』としか聞こえなかったんですけど……
橘君に目を付けられないように、後ろは向かないでおこう。
沖田先生は苦虫を噛んだような顔をしていたけど、すぐに切り替えて、出席を確認し始める。
今、空いている席は一つだけ。
新学期早々遅刻だなんて、どんな不良生徒なんだろう。と、自分が遅刻しかけた事なんて棚に上げておく。
名前と顔が一致しないから、私には誰がいないかなんて分からな……あれ?
そう言えば、“彼”の姿がどこにも――
「ん……佐倉は来ていないのか? 重丸、お前は確か、佐倉と親しかったな。何か知らないか?」
やはり、来ていないのは“彼”だった。
「はーい! 佐倉はお姉さんの入学式に参加するので遅れるそうでーす!」
その発言にクラスのみんなは笑っているけど、沖田先生は一切笑っていない。
……重丸君、もう少し真面なフォローをしてあげないと。
そんな理由で新学期初日を遅刻する人なんているはずないじゃない。
「――すみません、姉が迷子にならないように高校まで送っていたら遅刻しましたっ」
いた。
後ろの扉が開くと同時に、“彼”は真っ先に遅刻の理由を申告する。
突然の登場に、クラスの全員が、視線を“彼”へと向ける――。
目鼻立ちの整った顔立ち。細くてしなやかな身体。身長は男子としてはやや小柄な方ではあるけど、特別背が低いわけではない。
“ある個所”を除けば、彼は眉目秀麗ではあっても、学校一の有名人とまでは行かないだろう。良くて学年一・二番に落ち着く程だ。
それでは一体どうして、彼がそこまでの知名度を誇るのか。その理由は、誰もが一目で見て、納得できるはず。
――それは純粋な日本人が決して生まれ持つことのできない芸術品。
ただ純朴なまでに白く。白鳥の翼のように穢れ無い――『白髪』。
雪のように真っ白な線は、まるで私を幻想へと誘うかのように煌びやかな輝きを放って見えてしまう。
彼――佐倉ハルが、私の真後ろの席へと腰を下ろす。
どうしよ……こんなに距離が近いなんて――
(緊張して、後ろ振り向けないよぅ……!)
重丸君と橘君が、気軽に佐倉君に話し掛けている。
同性同士だから、きっと緊張しないのだろうか。
佐倉君のことはずっと前から知っていたのに……
(知っているのと、近くで見るのとは……全然違った!)
……とんでもない席を選んでしまった。
『メグも、きっと、ハルが、好きになる』
好きになる以前に、顔が見れません!
早く……早く席替えしないかな……これじゃ、授業にも集中でき無さそう……。
他の女子からしたら『当たり席』なのかもしれないけど、私にとってこれ以上の『ハズレ席』はない!
一刻も早く、HRが終わらないかとばかり、そう願っていた矢先。
隣の席でお喋りをしていた重丸君が、とんでもないことを口にした。
「おっと、佐倉にも紹介しておくぜ。彼女は、星野萌って言うんだ」
な――なななななななななななん、なにを言ってるのこのバカはあああああ!!!?
紹介された……紹介されてしまった……
振り返って挨拶しないと……でもそんな勇気ありません!
でも、無視したら……絶対に気まずくなる。佐倉君に無愛想な人だと思われちゃう!
……よし、一度だけよ。一度だけ振り返って、「よろしく」とだけ言ってすぐに前を向くのよ。
三つ数えて振り返ろう。
……一つ…………二つ………………みっ――
「星野って……もしかして、メグ?」
「……え?」
振り向いたと同時に、声を掛けられてしまい、思わず佐倉君の目を見つめてしまう。
「……ど、どうして、私のこと……」
「ああ、そう言えば俺たちって話をしたことなかったっけ。昔からアキが、よく君の事を話してくるから、ついとっくに話をしたことがあると勘違いしちゃったみたいだ。ゴメンな、いきなり『メグ』なんて気安く呼んで」
……そう、なんだ。アキが、私のことを、佐倉君に……
「う、ううん、全然、構わないよっ。メグって呼んでくれても!」
「ホントに? わかった。これから一年間、よろしくな、メグ」
「うん……うんっ、こちらこそ、よろしくね、佐倉君っ」
屈託のない笑顔で笑う佐倉君につられて、私の頬はだらしなく緩んでいたと思う。
多分、この瞬間から。
私は彼のことが、どうしようもなく好きになってしまったんだ。
ご愛読、ありがとうございます。
『芽生えた恋心』は、以前なろうで連載していた『妹生活~佐倉家に住まう少女たち~』に登場するヒロインの一人・星野萌を主人公にした前日譚となっています。
本編の連載復活前に、外伝として本作を書き上げました。
本編を見られた方も、まったく知らないかたでも読めるものになっていると思います。これを機に、連載が再開したら本編の方もよろしくお願いします。(再開は10月末ごろを予定しています)
追記10/21
本編のタイトルを『サクラセイカツ ~あなたと過ごすための妹生活~』に改め、新投稿を始めました。