町外れの花学者見習い*2
「ごめんねイリア!私、花学者になるのが夢なの!」
求婚の言葉の後、暫くきょとんとした少女が、満面の笑みで放った言葉はそれだった。
「………か、花学者?」
「うん。だからイリアと結婚は出来ないよ、ごめんね!」
何故かプロポーズしたはずの自分が逆にぽかんとして、対して少女はそのまま生き生きと、夢である花学者について語りだしてしまった。
「あのね!花学者になれたらね、花薬のお店を開きたいの!その為に、研究もしながら世界中の花を探す旅に」
「ま、待て、え……フィ、フィーナ?」
少年は狼狽えながら少女に待ったをかける。
そ…そりゃ夢を追いかけるのは良い事だけど。
たとえこの少女にその花学者になる才能が無かったとしても。
でも…………。
「そんな遊びに行くのを断るみたいにあっさりと………。」
「え?どうしたのイリア。」
がっくりと肩を落としたのに気づいたのか、語るのを止めて、心配そうに覗き込んでくる。
その顔がまた可愛いなと思いながらも、いまはそれどころじゃない。
「……どうしたのじゃないだろ。」
「え?」
しかも求婚されたというのにこの少女は、少しも照れたり赤くなったりしていない。
……これは、脈がまったく無いという事なのだろうか…。
い…いや、もしかしたら彼女に伝わっていなかったのかもしれないな!
無理やり上向きな考えにしたのを自覚しながら、少年はばっと顔をあげた。
「俺は、フィーナのことが好きだって言ったんだ!」
「うん?私もイリアのこと好きだよ!」
「えっ?」
またしてもあっさりと返ってきた言葉に、逆に少年が赤くなった。
あ、あれ?伝わってた?
ものすっごくいい笑顔だけど……ん?でも、
「それとねえ!アンナおばさんも好きだし、ピーターおじさんも好きだし、あ…それから、カトリーナはすごく好き!」
えへへと笑って最後には親友の名前を言い、再び本に目線を戻した少女に、少年は今度こそ固まってしまった。
そういう事だろうと思ったよ!
ちなみに彼女がさっきから読んでいる本の表紙には、『花学者バートンの100の秘密と心意気』と書いてある。
た、楽しいのか、それ?
バートンって誰だよーー。
思考があまりついていかず呆然としながら見ていると、少女がぱっと顔をあげた。
「あ、あと、この本も大好きよ。」
「俺は本以下かっ!?」
「え、なにが?」
こっちを向いてにっこりしながら表紙を見せてくれてるけど、少年にはそれのどこが面白いのかまったく理解出来ない。
それどころか、少年は「好き」で本は「大好き」と言われては、今のイリアにはその本が憎きライバルに見えて仕方がない。
「……いやいや…本にやきもち妬いてどうする。」
「え?」
「…………………何でもない。」
「そう?ふふふ、変なイリア。」
なんだか自分が虚しくなってきた。
いや、実際求婚を断られたのだけど。
「……フィーナ、あのさ。」
少年がまだ食い下がろうとすると、いつの間にか再び本を読み始めていた少女に、びしっと手を伸ばし少年の口にあてた。
「むぐ」
「待ってイリア、今ねすっごくいいとこだから!」
えっその本に見せ場の部分とかあるのかっ?
ていうか求婚されたすぐ後で、普通求婚者をほったらかして本とか読むか?
しかもすっごく楽しそうに……。
く、くそ、バートンめ…。
顔も知らない花学者に悪態をつきながら少女を見返すが、本に夢中でこちらを向こうとしない。
「………………。」
こうなってしまっては待つしかないだろう。
この口元にある彼女の小さな柔らかい手の感触を役得として、少年は大人しく黙っていることにした。
「……………。」
この少女は、絶対分かってない気がすごくする。
たぶんものすごく違う方に考えている。
「…………………。」
そういえば小さい頃から、伝えたい事をきっぱり伝えきれた事は無かったと思う。
「…………………………………フィーナ?」
暫く待っていると、ふと手がぽとりと落ちたので不思議に思って顔を覗くと、すうすうと寝息をたてていた。
「え…………寝てる?」
まさか、…いやそのまさかを実際にやってしまうのがフィーナなのだ。
「嘘だろ…………。」
少年は泣きそうになりながらうなだれた。
一回眠りに入ると朝まではなかなか起きないという事も長い付き合いで分かっている。
――そうして結局その日は、そのまま寝むってしまった少女を、家まで送り届けることで終わってしまったのだった。
***
……まぬけだ。昨日は城の奴らの誰にも見せられないほどに、まぬけな顔をしていたと思う。
わざわざ四阿を作らせてまでしてあっさり振られたなんて、は、恥ずかしすぎる………。
それは相手がその少女だったからであって、他の女性たちは身分問わず虜にしてしまうほどの容姿と、全ての人を惹き付ける魅力を持っているのだけど、そんな事少しも気がつかない少年は、はああと深くため息をついた。
――でも、諦めるつもりは全く無いし、彼女が誰かのものになるのをただ見ているつもりも、誰かにやるつもりも全く無い。
少年の少女への長年の想いは、昨日の今日で消えるようなちっぽけなものではないのだ。
「ほら見てイリア!ラーマの花薬!」
名前を呼ばれて少年は、漂っていた思考を現在に戻し顔を上げた。
見ると、目の前には液体らしきものをものすごく嬉しそうに、そしてちょっぴり誇らしげに見せてくる銀髪の少女がいた。
彼女が、少年がつい昨日に求婚をした相手なのだけど、さっきからずっと、昨夜のことなど微塵も感じさせない態度である。
忘れているのか、求婚なんて彼女にしたら何でもなかったのか…。
たぶん後者の方だろうなと考えていると、ふいに少女が妙な顔をした。
「あれっ?なんか色が変………………え、うそ!また失敗!?」
がーんと擬音でも聞こえてきそうな表情に苦笑して、少年は冷えたお茶を飲みながら呟く。
「……………まあいいよ、これからゆっくり分かってくれれば。」
「え?なに?」
首を傾げる少女には答えずに、少年は失敗作らしい花薬が入っている細いビンを少女の手から取り上げる。
なにやら変な色の液体が、ビンの中でぐるぐると回っていた。
「今回は成功したと思ったのになあ〜。」
しゅんと肩を落とす少女の頭を優しく撫でると、触り心地の良い銀髪が指先をくすぐる。
「大丈夫だよ、フィーナ。時間はまだまだあるんだから、焦らなくてもいい。」
「………うん。ありがと、イリア。」
そうだ、猶予はまだまだある。
きっとこの少女が花学者になるにはものすごく時間がかかるだろう。
…というかなれるのかさえも確かではない。
まあその間に2人の関係をただの幼馴染みではなくて恋人同士に近づけて、再びプロポーズをしてみよう!
もしかしたら受けてくれる可能性も出てくるかもしれないし。
「………よし、焦らずに、ゆっくり…。」
少年がひそかに決意を固めたその時、バタンと玄関の扉が開かれた。
「フィーナ!」
そう言って入ってきたのは、少女と同じ白衣を来た黒髪の青年だった。
「え………」
誰だ……、と呟く少年の横で、フィーナは椅子から立ち上がって青年を迎える。
「あっテト!いらっしゃい!」
「こんにちは、こんなにたくさん花材を貰いましたよ……と、お客さんかな?」
青年は眼鏡の奥の瞳をふわりと優しく細めながら、持っていた紙袋を傾けて見せた。
「うん、イリアだよ!…わあっ、いっぱいだあ!」
ひーよだれが!と口を拭う少女は冗談ではなく本当にたれそうである。
「フィーナにあげようと思って。」
「えっ本当?ありがとうテト、だいすきよ!」
「わっ……フィーナ、」
ぎゅう〜と青年に抱き付いた少女を慌ててひっぺがして、少年は怒鳴った。
「お、おいフィーナ!?」
「あっ、イリアごめんね。お茶煎れ直す?」
「そうじゃなくて……!そいつ誰だっ?」
「へ?テトだよ。」
「……フ、フィーナ、おまえ、恋人がいたのかよ…………?」
ふ、不覚だった……。
少女の周りには、男なんて自分だけだと思っていたのに。
がくっとショックを受けていると、テトといったか、青年が慌てながら否定をしてきた。
「わあ!ちっ、違いますよ!僕はただの見習い仲間です!」
「え?でも今………」
「いえ、彼女はいつもこうで……。」
「いつも!?」
「はい。僕だけじゃなくて、研究仲間の皆にもです。…あ、ええと、実を言うと一方的に彼女に好意は持ってるんですけど……。」
へへへと照れ笑う青年の言葉に蒼白になりながら、横で紙袋にかじりついている少女を見やる。
……………こ、こいつ、研究にしか目がないから安心しきっていたけど。
実際周りは男ばっかりなんじゃないか!?
そういえば、花学者の男女の割合は男の方がいくらか多くなかったか……。
「………………。」
これは、ゆっくりとか言ってる場合じゃない。
今日は帰りますねと顔を赤らめながら出ていった青年を思い出しながら、イリアは改めて決意を固める。
必ず、必ず少女を手にいれて見せる。他の男に横からとられてしまう前に、どんなことをしてでも。
「…………覚悟してろよ、フィーナ。」
「え、なあに?」
ほくほくと紙袋を抱きしめて首を傾げる少女に不敵に笑い返しながら、少年は強く拳をにぎった。
―――こうして、国王による国王のための、プロポーズ大作戦が、始まりました。