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いせこい

階段から突き落としたと冤罪をかけられたので、証拠映像を魔法で夜会の空に投影しました。ついでに浮気現場の録画も流しておきますね

作者: 住処
掲載日:2026/07/21

 夏至の夜会で大階段の下に倒れていたミレーユ嬢は、駆け寄った人々の腕に守られながら震える指を私へ向けた。


「アデライード様です……あの方が、わたくしの背中を」


 なるほど。


 今夜の主役は王都の夜空へ初めて映像を投影する私の記録魔法だったはずだが、どうやら始まる前から演目が変更されたらしい。しかも私には何の相談も来ていない。婚約者のロラン様がミレーユ嬢を抱き起こし、こちらを睨んでいるところを見ると、筋書きをご存じなのはお二人だけのようである。


「アデライード……君という女は。ミレーユに謝れ。今すぐだ」


「その前に、お医者様を。足を痛めていらっしゃいます」


「またそうやって話をそらす!」


 そらしてはいない。階段から落ちた方がいらっしゃるのだから、まず医師を呼ぶのが普通だと思うけど……。幸い、近衛騎士がすでに宮廷医を連れてきていた。ミレーユ嬢の右足首はドレスの裾越しにも分かるほど腫れ、宮廷医が触れると彼女は短い悲鳴を上げた。骨折の疑いがあるため動かさないようにと告げられても、私を責める声には張りがある。


 死に関わる怪我ではなさそうだ。それだけは安心した。


 私は大階段の途中に立っていた。ミレーユ嬢が倒れているのは十二段ほど下で、私たちの間には手を伸ばしても届かないほどの距離がある。


 それでも夜会の客たちは、私と彼女を見比べて囁き始めた。ロラン様が真っ先に私を犯人と決めたため、周囲も何か根拠があると思っているらしい。公爵家の嫡男があれほど確信しているのだから、婚約者の素顔を以前から知っていたのだろう。そんな声まで聞こえてくる。


 私の素顔については、本人へ一度お尋ねいただきたい。


「ヴァルモン侯爵令嬢」


 低く落ち着いた声がざわめきを止めた。


 人々が左右へ道を空け、その奥からセドリック・アルノー公爵が歩いてくる。王立記録院総監を務める二十八歳の公爵で、王家の条約や裁定記録を預かる方である。濃い藍色の礼装は飾りが少なく、背筋の伸びた長身によく似合っていた。黒に近い髪の下から淡い青の目を向けられると、ロラン様まで無意識に姿勢を正す。


「一つずつ伺います。サント男爵令嬢に触れましたか」


「いいえ。踊り場ですれ違っただけです。私はそのまま上へ行き、物音で振り返りました」


「証人は?」


「今のところ、私の言葉だけです」


 周囲の囁きが少し大きくなった。


 セドリック公爵は私を慰めず、疑いもしなかった。ただ必要な事実を順番に確かめている。その眼差しには、私が泣き出すのを待つような湿った同情もなかった。


 ありがたい。今の私は泣くより先に、腹が立っている。


「分かりました。ではベルティエ公爵令息。そこまで言い切れるわけを聞かせてください」


 セドリック公爵が視線を移すと、ロラン様はミレーユ嬢の肩を抱いたまま顎を上げた。


「本人がそう言っている。ミレーユがこんなことで嘘をつくはずがない」


「ヴァルモン侯爵令嬢も、触れていないと言っています」


「アデライードはミレーユを嫌っていた。私と少し話しただけで、後から何度もしつこく聞いてきたくらいです」


 親しく話す。


 ずいぶん便利な表現である。夜会のたびに二人で姿を消し、私との約束を忘れた翌朝にミレーユ嬢が新しい宝石を身につけていても、親しく話していただけで通るらしい。


 私は何度かロラン様へ理由を尋ねた。彼は私の疑い深さを責め、記録魔法へ没頭しているから人の心が分からなくなるのだと諭した。研究を続けたいなら、公爵夫人となった後は趣味の範囲に収めるようにも言われた。


 その言葉を聞くたび、胸の内にあった婚約への期待が少しずつ削れた。今夜まで形が残っていたのは、両家が十年かけて整えた契約を私の感情だけで壊す勇気がなかったからである。


 先ほどの一言で、その形もきれいに崩れた。


「わたくし、前から怖かったのです。アデライード様は、ロラン様とお話しするたびに怖いお顔で……」


 ミレーユ嬢が苦しそうに息をつき、ロラン様の胸へ頬を寄せた。


「さっきも、もうロラン様に近づくな、と。それでわたくしが何も言えずにいたら、いきなり後ろから……」


「最後に伺います。本当に、私が押したのですね」


「ええ。間違えるはずがございません。あの時のお声も手の感触も覚えております」


「ロラン様は私の話を聞くおつもりは?」


「聞くことなどない! こんな場所で人を突き落とす女を公爵家へ迎えられるものか。婚約は終わりだ。今夜、ここで解消する」


 王宮の大階段で、招待客を証人にして告げられた。


 名誉と婚約を同時に失わせるには、よく考えられた場所である。あとは私が泣いて取り乱せば、嫉妬深い悪女の出来上がりだ。


 残念ながら、今夜の王宮には人の証言より口数の少ない証人がいる。


「承知いたしました。それでは皆様に、一つ見ていただきたいものがございます」


「記録?」


 ロラン様の眉が動いた。


 私は大階段の手すりへ埋め込まれた薄青い石に触れた。今夜のために王家の許可を得て設置した残光石である。映像と音を最大六時間保存し、同じ紋章を刻んだ投影器へ送り出す。王立記録院の裁定記録に使えるか確かめるため、大階段、庭園、観測室の三か所で試験運用を行っていた。


 設置場所には記録中と記した銀の札を掲げてある。夜会の招待状にも試験の説明を添えた。ロラン様には私から二度お伝えしたが、どうせ壁へ色を映す遊びだろうと笑われた。


 壁だけでは少々狭い。


「セドリック公爵。予定を早めてもよろしいでしょうか。今、ここで映します」


「許可します。石をこちらへ。封印は私が見ます」


 公爵は手袋を外し、残光石へ刻まれた紋章を指先でなぞった。長い指が淡い光を受けると、王立記録院の獅子印が石の中央へ浮かぶ。


「午後六時から途切れていません。後から手を加えた跡もない」


「待て! そんな石一つで何が分かる!」


「まだ始めてもおりませんわ、ロラン様」


 ずいぶん早く反対なさる。


 王宮楽団の指揮者へ合図を送り、演奏を止めてもらう。私は庭園に並べた十二本の投影柱へ魔力を通した。


 月明かりの下、夜会の空が薄青く染まった。


 星を隠さないよう光量を調整してある。広い空の中央に大階段の映像が浮かび、招待客たちが一斉に顔を上げた。人の背丈の十倍ほどに映った私が階段を上り、その横をミレーユ嬢が下りていく。


 映像の私は彼女へ会釈した。


 ミレーユ嬢も微笑んで応じる。すれ違った後、私は歩みを止めずに上階へ進んでいた。ミレーユ嬢は三段下りたところで振り返り、玄関広間にいたロラン様へ目を向ける。


 空に映るロラン様が、右手の人差し指で自分の襟元を二度叩いた。


 それを見たミレーユ嬢は手すりを握り、片足を一段上へ戻してから、身体を後ろへ倒した。


「え?」


 現在のミレーユ嬢が小さく声を漏らした。


 映像の中でも同じ声が響いている。ただし意味は違った。階段の下で受け止めるはずだった若い従僕が、給仕に呼び止められて横を向いていたのだ。ミレーユ嬢は慌てて手すりをつかもうとしたが間に合わず、十二段を転げ落ち、右足をねじったまま石床へ打ちつけた。鈍い音の直後に上がった悲鳴には、本物の苦痛がにじんでいた。


 私は上階で音に気づき、振り返る。二人の距離は誰の目にも明らかだった。


 映像が止まると、庭園には衣擦れの音さえ聞こえなくなった。


「違います! こんなの、こんなの嘘です! わたくしは押されました。アデライード様が、きっと映像を……!」


 ミレーユ嬢がロラン様の腕へしがみついた。


「そうだ、アデライードの術だろう! 自分に都合よく作ったに決まっている!」


「この石に私の思いどおりのものを映す力はございません。見た光景と聞いた音を残すだけです」


 私が説明しても、ロラン様は首を横に振った。


「口では何とでも言える!」


「では、記録院で石を調べていただくまでお待ちになりますか」


「そんな必要はない! もう止めろ。客に見せるようなものではない」


 おや。


 転落の記録が偽物だと確信なさっている方が、ほかの記録まで急いで止めたがる理由は何だろう。


 セドリック公爵も同じ疑問を抱いたらしく、淡い青の目を細めた。


「転落の記録なら、もう止まっています。なぜ装置まで止めさせるのです?」


 セドリック公爵は残光石から指を離さず、私を見た。


「では、転落より前の記録を見せてください。映像が途切れず続いているか、この場で確かめましょう」


「午後七時の観測室が残っております」


 ロラン様の顔から色が消えた。


 あら。こちらで正解らしい。


「アデライード、よせ!」


「こちらは別の記録ですわ」


 私はわざと一息置き、彼の目を見た。


「どうして止めてほしいのです?」


 私は投影柱へ魔力を送り、時刻と場所を切り替えた。


 空に映ったのは、王宮庭園の端に建つ小さな観測室だった。記録魔法の調整に使うため、今夜だけ私が王家から借りている部屋である。扉には大きな銀札が下がっていた。


 記録実験中。入室の際は映像と音声が保存されます。


 読みやすい字である。我ながら丁寧に書いた。


 映像の扉が開き、ロラン様とミレーユ嬢が入ってきた。二人は銀札を裏返し、そのまま鍵を閉める。


 夜空いっぱいに映ったロラン様が、ミレーユ嬢の腰を抱き寄せた。


「階段でうまく倒れてくれ。今夜のうちにアデライードを追い出せる。そうしたら君を父上に紹介する」


「でも、やっぱり怖いわ。受け止めてもらえなかったら、わたくし、本当に怪我をしてしまうでしょう?」


「下に従僕を置く。君は手すりから二、三段落ちたふりをして、あの女に押されたと言えばいい。私が真っ先に君を信じる。あとは皆が勝手に騒いでくれるさ」


「……本当に、わたくしが次の婚約者になれるのね? それと、約束の首飾りも」


「ああ。君だけだよ、ミレーユ」


 二人はそこで口づけをした。


 長い。


 記録魔法の連続性を確かめるには十分すぎる長さである。私はもう止めてもよいかと思ったが、ロラン様が私の装置を偽物と呼んだ件を思い出し、あと少しだけ流すことにした。


「アデライードの魔法も、結婚さえすれば私が好きにできる。あいつの話は長くてかなわないが、王家は欲しがるだろう。かなりの金になる」


「では、ロラン様がお作りになったことに?」


「妻のものなら夫のものだ。あいつは家のことでもしていればいい」


 なるほど。


 婚約後も研究を続けてよいと仰ったのは、私のためではなかったらしい。胸の奥に残っていた小さな痛みが、そこで静かに冷えた。


「もう十分だ!」


 ロラン様が投影柱へ駆け寄ろうとした。


 セドリック公爵が片腕を上げると、王宮騎士が二人の間へ入った。公爵は怒鳴らず、ロラン様へ触れもしない。ただ視線を向けただけで、騎士たちが迷いなく動いていた。


「その柱に触れれば、今度は壊そうとしたところまで石に残ります。そこでお待ちを」


「公爵、これは、その……私と婚約者の話です。記録院には関係がない」


「ここは王宮です。借り物の部屋へ勝手に入り、王家が試している魔法を売ろうとした。関係がないと、もう一度おっしゃいますか」


 夜会を主催した王妃陛下が、近衛騎士を伴って階段の前へ進み出た。普段は穏やかな方だが、今は扇を閉じたままロラン様を見ている。


「ベルティエ公爵令息。今夜の夜会はあなたの芝居のために開いたものではありません」


「お待ちください、陛下。私はミレーユを守りたかっただけで、決して王宮を軽んじたわけでは……」


「自分の発言までお忘れになったのなら、先ほどの映像をもう一度ご覧になりますか」


 王妃陛下の問いに、ロラン様は答えなかった。


「続きは別室で聞きます。今は黙っていなさい」


 王妃陛下は宮廷医へミレーユ嬢の骨折を処置するよう命じ、処置後は別室で監視するよう近衛騎士へ告げた。受け止め役だった従僕も事情を聞かれることになった。彼は遠くで膝を震わせている。


「アデライード」


 ロラン様が初めて、怒りを抑えた声で私の名を呼んだ。


「映像を止めてくれ。頼む。君なら分かってくれるだろう? 婚約のことも、あれは頭に血が上って……今の言葉は取り消す」


 少し前まで、私の言葉など信用できないと仰っていた方である。話し合いの効き目が急に強くなったらしい。


「取り消していただかなくて結構です」


 彼の顔に安堵が浮かびかけた。私はそれが形になるまで待ってから、続きを口にした。


「婚約を終わりにする、という最初のお言葉だけ頂戴いたしますわ」


「十年だぞ。十年も、君は私の婚約者だったじゃないか」


「ええ。最後にようやく、同じことを望めましたわね」


 私は彼がミレーユ嬢へしたように、優しく微笑んだ。


 ロラン様は何か言おうとしたが、近衛騎士に促されて口を閉じた。ミレーユ嬢は右足を副木で固定され、担架で運ばれた。婚約者だった方も別の控室へ連れていかれる。先ほどまで私を避けていた招待客たちが道を空け、今度は私へ頭を下げていた。


 手のひらを返す速さまで、記録しておけば研究の役に立つかもしれない。


 翌日の王宮裁定では、私への嫌疑が正式に取り消された。


 ベルティエ公爵家からは公開謝罪と慰謝料が支払われ、ロラン様は嫡男の地位と王宮儀典官の職を解かれた。公爵家は次男を後継者として届け出たため、彼は遠い領地の別邸で裁定を待つことになった。ミレーユ嬢と彼女の父には虚偽の告発と証人買収への賠償が命じられ、社交界へ出る資格も当面停止された。


 私の記録魔法については、発明者と所有者が私であることを王家が布告し、王立記録院で正式に採用することが決まった。


 裁定から一月後、私は再び夏の夜空を見上げていた。


 今夜の投影場所は王立記録院の中庭である。空に映しているのは誰かの転落や密会ではなく、北方の観測所から届いた星の記録だった。王都では見えにくい小さな星まで淡く瞬き、招待された学者や書記官たちが声を抑えて見入っている。


 私の隣にはセドリック公爵が立っていた。


 彼は総監として研究室と助手を用意し、雇用契約も報酬も、私の希望を一つずつ聞いた。婚約を失った令嬢への同情で採用したのかと尋ねると、三年前に私が発表した残響保存の論文から読んでいると答え、訂正すべき計算式まで二つ挙げた。


 悔しいが、どちらも正しかった。


「公爵閣下。今夜の投影はいかがでしょう」


「北の空を、この目で見ているようです。あなたが星を映すと言った時は、正直ここまでとは思いませんでした」


「まあ。総監閣下ともあろう方が、そんなにあっさり認めてよろしいのですか」


「間違えたうえに意地まで張ったら、部下に笑われます」


 真面目な顔で答えた後、公爵の口元がわずかに緩んだ。


 整った顔立ちの方が不意に笑うのは、あまり心臓によくない。計算式を指摘された時より動揺したことは、記録に残さないでおこう。


「それから、今夜のうちにお願いしたいことがあります」


「観測室でしたら、来月まで空きはございませんよ」


「お願いは一曲のことです。次の舞踏会で最初に私と踊っていただけませんか」


 私の返事を急かさず、公爵は静かに待っている。


 以前の私は、十年続いた約束を守ることばかり考えていた。これからは誰と踊るかも、誰と働くかも、自分で確かめて選べる。


「研究の予定に響かない時間でしたら」


「もちろん」


「それでしたら……ぜひ」


 セドリック公爵が差し出した手を取ると、頭上の星々が次の季節の空へ切り替わった。


 今度の記録には、残しておきたい夜が映っていた。


お読みいただきありがとうございます!

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次回も楽しんでいただけるよう頑張ります!

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