糧
昔書いたものを再投稿
無機質な壁と鉄条網の塀の向こうには、
似ても似つかぬ世界があるらしい。
それは我々に劣る、血も涙もない世界で、
少数のブルジョワと奴隷のような大多数が…と学校で習った。
翻って、多くの民族がいて、平等で差別のない私たちの世界からすれば考えられない、そんな世界に興味のあった私は、外交官か、特務を目指していた。
いつもの日、治安機関に務める父に守られながら、
学校へ向かう。近頃遠くの連邦構成国で学校を狙った
テロがあったらしく、至る所に検問所が設けられ、内務省の張り紙がいつもより増えた。よく見る光景だ。正直、何も思わない。
30人ほどの同世代が、同じ様な服を着て、地味な色で
彩られたキャンバスのような部屋で長机に座り、授業を受ける。
仲の良い友達と日々遊んだり勉強したり、進路について悩んだりする中で、進路面談の日、首都の大学は少し…副都なら入ったも同然と言われた。苦しい時間は雨と同じだ。私は首都の大学を目指すことにした。
そんな中のある日、女の子が転校してきた。
笑顔が素敵な南東の連邦構成国の子らしい。
私はすぐに興味を持った。かの都市、すなわち彼女がいた連邦構成国の首都は、我々のそれにはない美しさがある。
友人たちを誘い話しかけた。
すると、彼女はすぐ私たちと馴染めた事もあってか、身の上話をした。この前のテロで妹が死んだこと。前いた場所から命からがら逃げてきたこと。
壮絶な人生に誰もが同情した。
壁向こうへの憎悪と結びつけるとか、単に悲しむとかいろいろと。
帰ってからの家族と、昔からよく知っているお父さんの友人2人との団らんの時間。皆の前で彼女のことを話すと、お父さんは「よかったね、皆と仲良くやれるなんて、流石私の娘だ。」と眉ひとつ動かさず笑顔で言った。
翌日。再び父と学校へ向かう。
校門の前に彼女はいた。父は友人の父らしく振る舞っていた。お父さんは休暇らしく、昨日の2人と一緒に街へと消えていった。
午前が過ぎ、お昼になった彼女は昼食をゆっくり味わっていた。私が食べ終わる頃には半分といった具合に。
いつも彼女が見せる笑顔は他民族ながらに美しかった。この笑顔はどこから来るのだろうか。この国と党への感謝?危険がない生活?それとも…私たちと一緒にいるから?
学校生活の無機質で殺風景な教室に彩りを見せ始めた。
ある日、私は家で裁縫をした。途中に指に針を刺したり、やり直しになったりした。そんなそれを渡したときの、彼女の笑顔は少なくとも最近の宝物だ。
数日後、帰るとお父さんが深刻そうな顔をして待っていた。私を目にするなり、真剣な話がある。という表情だった。そして実際にそうなった。
「お前が仲良くしているのは、この前のテロの犯人の姉だ。」
信じられない言葉に、私は反論した。そんなことない。私と同じ16歳だ。と。
「将来の夢は?周りへの迷惑は?……それに彼女がお前を殺さないという確証もない…お前も今後の人生がある。よく考えなさい。」
それだけ言って、部屋に帰った。
翌日、彼女は学校に来なかった。その日の帰り道、
明かりこそあれど、誰も外を歩かず、人気のない
集合住宅。その棟と棟の間を不審な挙動をした人影が走りゆく。
無性に興味の引かれた私は、後を追うことに。
大きな道からだんだんと小さな道へ。
ペチッと音が。下に血痕、それも大きいものがあった。高まる愛護心とそれに隠れた好奇心が私を引っ張った。
やがて集合住宅中央の中庭に。そこには幻想的な風景が広がっていた。
雲に隠れた月が顔を出したのか、中庭の噴水と
その周囲だけが照らされていた。
テロリストの姉と呼ばれたあの子が、噴水に持たれていた。
私は駆け寄った。
「いま手当するから!待って!」
彼女は無言のままだ。ただはっきりこういった。
「侵略者め」
同時に腹部に鈍痛が。そして後ろへ数メートル飛ばされていた。
事態がつかめないまま、首だけを起こすと、
よろけつつ刃物をもってこちらに近づく彼女。
「どうだった?私の仮の姿は。どうだった?哀れな他民族に施してやったという優越感は…」
理解できず、何もかもが曖昧な私と、単一で明確な意思、殺意を持つ彼女。
「復讐を」
そういって、ナタを振り上げた。
死を感じた瞬間。目を瞑った。
鋭い爆音が辺りに響いた。
本来来るはずの腹部の痛みは、頭部の耳辺りに転移した。キーン…とする無音からあけぼのへの世界。
そして太陽の うに耳鳴りが。うめきつつ何事かと思い立ち上がると、彼女は倒れ、腕がナタとともに落ちていた。
悲しむより前に真っ白になる頭を父を含めた複数人の
聞き慣れた声が吹き飛ばした。
「怪我はないか?」
答えるのもやっとにうんとだけ。
「ならよかった……さあ、特務になりたいんだろ…やれ」
手には重く冷たいL時の形をした鈍器の感覚。
テロリストを処罰しよう!
いつも目にする広報。
この状況下、処罰というのは決まって死である。
目の前には憎悪の目を私に向け横たわって、
息も荒いかつての友人。
もといテロリスト。
祖国のために! みんなで守る国と党
揺れる心は敵のうち
スローガンが頭を駆け目ぐる。
そして聞こえてきた言葉
「これが、特務だ。」
大学への熱望、殺人の正当化と、チェイサーのスローガン。そして特務に仮装する…いや、したい自分。
それは一方の、「仲良くした子」、殺人の抵抗。
あるはずのない個人か、国家かという選択を打ち消した。
私はこの頃に珍しい秋のじめっとした空気に包まれて
いた。
翌日、小鳥が鳴く晴れの日。私はお父さんの忘れ物を
届けるべく、市役所に行った帰りに、人に声をかけられた。
「落とし物ですよ!…しかも成績帳じゃない。大事にしなさいな!」
礼だけして、家へと帰った。机の上には、見慣れぬ
書類が。
「首都大学の推薦状…か…」
私はその日から、味の濃いボルシチが好きになった。




