復讐の聖女~妹を虐め抜いておいて、つき合えと? よろしい、ならば××だ~
――イジメとその復讐に関する描写があります。ご注意ください。
【1】
王立貴族学園の高等部。
その教室は宮殿の一室と遜色ない優美さを誇っていた。
純白の天井には、金箔の蔦模様の浮き彫りが施され、アーチ状の巨大なガラス窓からは、美しい中庭が見渡せる。
私は教壇の前に立ち、生徒たちの姿を見渡す。
「……今日からこのクラスに加わる編入生を紹介する」
教師の紹介で私は優雅に膝を折り、スカートを少しつまんで礼をする。
「クレア・アークライトと申します」
顔を上げると、生徒たちの視線がいっせいに突き刺さる。
新参者を値踏みする好奇の目。
「クレアさんは聖女としての資質が見出されたため、これまでは神殿にて修行に励んでおられましたが、修行の区切りがつきましたので、こうして貴族学校に転入することになりました」
「みなさまよろしくお願いいたします」
私がにっこりとほほ笑むと、生徒である令息たちから軽いどよめきが起こる。
「おい、可愛いな」
「身体ちっちゃいけど、可愛いっていうより、クール系じゃね?」
「さすが聖女、清純な感じするな」
口々に私の容姿について、評論する令息たち。
一応、褒め言葉のようだが、その言葉を聞いて、私は吐き気をもよおす。
(この顔を見ても誰もフェリシアのことを思い出さないの……?)
私の顔は、世界で一番愛しい半身――双子の妹、フェリシアと瓜二つだというのに。
お前たちがもてあそんで、ズタボロにしたフェリシアのことは忘れてしまったの?
この人でなしどもが……!!
しかし、私は腹の底から湧きたつ怒りを喉元で抑えて、聖女の笑みだけを返す。
まずは名前と顔を一致させないと。
私のフェリシアをあんな風にした人間の顔と名前を……。
オスカーさんはどなた? ヴィオラさんは? どちらがイザベラさん?
* * *
「あら、クレアさん、ノートをつけてらっしゃるの? 熱心ね」
授業が終了後、さっそくひとりの令嬢が声をかけてくる。
どうやら私が机に広げていた、〝これ〟が気になったようだ。
私が見ていたのは古びたノート。
先ほどの政治学の授業についてメモをしていたわけではない。
……これはフェリシアの日記だ。
かつて、この学校の初等部でフェリシアがお前たちと過ごした日々が詳細に書かれている日記だ。
「わたしはヴィオラ、よろしくね」
いかにも高級そうな、エレガントな香水の芳香をまとったその女性は私に向かって軽く会釈をする。
ヴィオラ・フィッシュバーン、私はその名前にもちろん覚えがある。
「あら、あなたがヴィオラさん」
「わたしのことご存じなの?」
「たしかフィッシュバーン伯爵家のご令嬢ですよね。お名前はかねがね」
お顔ははじめて拝見しますが、お名前は日記で何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度もっ……!
あなたが、フェリシアのことを「臭い」などとののしり、変な匂いがするとありもしない噂をたて、学内で臭いがすると常に「フェリシアさんじゃないの?」と言って、笑い者にしたヴィオラさん。
――その顔、しかと覚えました……。
私の内心などつゆ知らず、自分のことを私が知っていたことに、ヴィオラは機嫌をよくしているようで……。
「もしよろしければ、放課後のお茶会をご一緒しませんか?」
さっそくお茶に誘ってくれた。
これは願ってもないこと。
「ぜひ、お願いします。学校に不慣れですので、いろいろと教えていただければ」
私は聖女らしく柔和に微笑み、彼女の誘いに乗った。
ヴィオラに案内されたのは、学園内にある貴族専用のカフェテリアだ。
最高級の茶葉の香りが漂うサロン。
おおよそ学校内とは思えない豪華なティーテーブルとチェアーが並んでいる。
私がヴィオラに誘われたのは、サロンのもっとも奥の特等席。
そのひと際豪華なテーブルには、すでに二人の男女が席についていた。
「こちらはイザベラとオスカー様」
ヴィオラに紹介されると、軽く会釈で答える令嬢と令息。
(あれがオスカー……、ふーん、意外)
オスカーこそがフェリシアを苛め抜いた中心人物。イザベラとヴィオラはその取り巻きだ。
どれほど底意地の悪い顔をしているかと思ったのだが……。
オスカーは甘い貴公子といった感じの外見だった。
少しウェーブが入った明るいブラウンの髪。
通った鼻筋。それに、どこか甘えているような少しタレ目気味の眼つき。
なんというか、悪い意味でモテそうな顔だ。
「たしか、アークライト家は伯爵家だったよね」
「ええ」
「オスカーさまの公爵家には及びませんが、わたしとヴィオラとは同格ね」
ヴィオラとイザベラがさっそく私の家を値踏みする。
オスカーのグランヴェル家は公爵家のなかでも歴史がある名門として知られている。
オスカーと交友関係を持って取り入ろうとする人間は多いのだろう。
「それで、聖女の力というとどんなことができるの?」
イザベラが興味津々で目を輝かせる。
――〝聖女〟それは神の力の一部を持った女性。
その能力は聖女によって異なるが、多くの場合は回復の奇跡、もしくは浄化の奇跡、心を癒す奇跡など。
いずれにしろ、この世界を癒す力で、人や物に危害を加えるような力はない。
「私に与えられた奇跡は浄化、……汚れを祓い、あるべき清浄な姿に戻す力です」
そう答えると、三人は「へー」、「聞いたことある」と小さめのリアクションをする。
そのリアクションが示す通り、浄化の能力はありふれている。
個人の力の差はあるが、この国に数十人ほど存在が確認されている聖女の内、もっとも多くを占めるのが浄化の聖女だ。
「ねえ、ここでやってみせてよ」
イザベラがからかうような口調で言う。
本当に見たいというより、お茶の話題のついで、暇つぶしにといった感じだ。
しかし、イザベラの言葉の軽さと裏腹に、私の胸の内にどす黒い感情が沸き上がる。
(五年前フェリシアにもそんな感じで言ったのね……)
フェリシアに「飛んで見せて」と無理やり、三階建ての校舎の屋上から飛び降りさせたイザベラさん。
妹の日記に残された、震える文字。
屋上から突き落とされ、足を折った妹を、彼女たちは「勝手に飛び降りた」と笑ったのだ。
テーブルの下で、ドレスを握りしめる手に力がこもる。 怒りで震えそうになるのを、私は必死に抑え込んだ。
まだだ……。
ひとりずつ、私の力で確実に仕留められるタイミングを狙う……。
「わかりました。では、グラスにお水をいただいていいですか?」
私がそう言うと、すかさず給仕がガラスのコップに入った水を持ってきてくれる。
さすがは貴族学校のカフェテリアだ。
「では……」
私は水の入ったグラスにそっと包み込むように両手で持ち、神への祈りの言葉を捧げる。
――澄みたる神の力よ。理を紐解き、正したまえ。
グラスを包んだ両手から黄金色の光が放たれ、すぐにグラスの水へと溶けるように消えていく。
水の色はなんの変化もない。
「これがどうかしたの?」
イザベラは小首をかしげている。
「どうぞ、飲んでみてください」
おそるおそるその水を口に運ぶイザベラ。
ひと口飲んだ後、目を丸くする。
「……あれ? なんだか美味しい?」
「へえ、僕もいいかな?」
オスカーがグラスを受け取ると、水を口に含む。
「なるほど、金属の匂いが消えているね」
「その通りです」
さすがは公爵家の令息。日々の美食で舌が肥えているようだ。
「この水は手押し式のポンプで地下水をくみ上げたのだろうけど、少しポンプの鉄分が溶け出してしまっていた。それが完全な清水の味になったというわけだ」
オスカーが自慢げに解説すると、ヴィオラとイザベラは浄化をやってみせた私に対してよりも多くの賞賛の言葉を贈る。
「なかなかいい能力だね。うちのシェフに雇いたいくらいだ……。それにしても、アークライト伯爵家に同世代の令嬢がいるとは知らなかったよ」
探るような視線。 アークライト家は王家の遠縁にあたる名門だが、代々、聖女の能力を持つ女性を娶り、その子を育てる習わしがある。
公にはされていないが、いわば、聖女の育成のための家だ。
「ええ。能力の開花と同時に俗世との関わりを断ちますので。修行が終わる日まで、私の存在は伏せられておりました」
「ふうん……なるほどね」
オスカーは値踏みするように私を頭から爪先まで眺め、とくに胸元をじっくりと観察し、ふっと口角を上げた。
「神殿育ちで世間知らずのようだけど、悪くないね」
身の毛もよだつ品定め。
なにが悪くないのか……? お前に評価されれば私が喜ぶとでも思っているのか?
オスカー、お前はそうやってフェリシアも品定めして、勝手に自分の女にふさわしいと決めつけ、言い寄り、フェリシアがそれを拒否したから、その後、虐め抜いたのですね……。
お前のせいでフェリシアは心を病んでしまった。
学校を辞めてからというもの、自分の部屋に引きこもって、出てこなくなってしまった。
あんなに明るく、天真爛漫だったフェリシアが、暗い目をして、ガリガリに痩せて……。
――決してお前を許さない!
報いを受けさせる!
絶対に! 絶対に! 絶対に!
絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に!!!!
「そろそろお暇させていただきます。今日はお目にかかれて光栄でした」
もう限界だ。
これ以上、怒りを胸の内に閉じ込めておくことができない。
私はなんとか令嬢らしい穏やかな笑みと優雅な礼を残し、その場を後にする。
【2】
それ以降、私は注意深く観察し、復讐するチャンスをうかがった。
日が経つにつれ、教室での力関係がわかっていく。
この学校での力関係の源泉は爵位と血筋だった。
勉学の成績などには関係なく、爵位の高い家、血筋のよい家の者は偉ぶり、劣る者はそれにへつらう。
身分の低い物はなまじ実力があると、かえって嫉妬を買い、疎んじられ、虐げられる。
まさに貴族社会の悪い面の縮図のようだった。
むしろ大人の真似をして、悪いところが濃縮されて出現しているようにすら思える。
そして特に悲惨なのは平民出身者だ。
貴族学校に通う平民出身者とは親が財を成す、もしくは、功績があったということで爵位を与えられた 領地を持たない名誉爵位の家の子女だ。
平民の子は爵位を与えられても血は劣っているとのことで、徹底的にさげすまれている。
おそらく私の双子の妹フェリシアも同じ目に遭ったのだろう。
私とフェリシアは同じ母から生まれたが、聖女の力が発現した私はアークライト家に引き取られ、発現しなかったフェリシアは母に与えられた名誉男爵家バーネット男爵家の娘として育てられたのだ。
これはアークライト家が王家から与えられた聖女育成の使命によりやむを得ないこと。しかし、そんな家の事情とは関係なく、私とフェリシアはとても仲がよかった。
幼い頃から、ふたりでひとつであるかのように共に喜び、共に悲しみ、同じ時を過ごしてきた。
そして十二歳になり、私は聖女の修行のために神殿で暮らし、フェリシアは貴族学校へと入学した。
それから五年後、修行生活の合間に久しぶりに母のアークライト家を訪ねたら、フェリシアがあんなことに……。
許さない。
絶対に報いを受けてもらう……!
そしてついに、そのチャンスが巡ってきた。
ある日の放課後。
私はイザベラを尾行して、屋上への階段を足音を殺して登っていた。
屋上の重い扉を少しだけ開け、隙間から外を窺う。
そこには、胸が悪くなるような光景が広がっていた。
「……嫌、やめてください! 離して!」
「うるさいなぁ。ちょっと静かにしてろよ」
男子生徒に強引に押し出され、鉄柵の外側に立っているのは下級生の令嬢のようだった。
彼女は恐怖で顔を歪め、必死に柵のなかへと戻ろうとしているが、男の力には敵わない。
その様子を、まるで演劇でも鑑賞するかのように楽しげに見つめている女がいる。
――イザベラだ。
彼女は自身も鉄柵に背中を預け、優雅に腕を組んで令嬢を睨みつけている。
「あなた、最近ちょっと生意気なのよねぇ。平民上がりの商家出身のくせに、わたくしと同じドレスを着るなんて」
「そ、そんな理由で……!?」
「そんな理由? 身の程を知らないのは罪よ。……ねえ、そこからの景色はどう? いい眺めでしょう?」
イザベラの言葉に答えるように、男子生徒が柵の外に出された令嬢の身体を押す。
落ちまいとすがるように柵にしがみつく下級生の令嬢。
その姿を見てドッと笑いが起こる。
止める人は誰もいない……。
いや……、いた。
「なにをやっている、やめろ!」
教室で顔を見たことがある令息。
たしか、名前はアイザックといったか……。男爵家の令息らしい。
フェリシアの日記には珍しく〝いい人〟だと書かれていた男だ。
日記によると、何度かフェリシアのイジメを止めようとしてくれたらしく、そしてその正義感はいまだ健在のようで。
階段から屋上に飛び出してくると、まっすぐに下級生の令嬢に向かって駆け寄る……。
が――。
取り巻きの男子生徒に殴られ、一発で伸びてしまった。
弱い……。
身長こそ高いが、華奢な体つき。お世辞にも強そうには見えなかったが、予想よりはるかに弱い……。
「アイザック、これで何度目? いい加減学習しなさいよ」
イザベラは倒れているアイザックに向かってため息を吐くと、すぐに視線を後輩の令嬢へと戻す。
「さあ、飛んでみなさいよ。運が良ければ、足を折るくらいで済むわよ?」
「イザベラさん、本当にやったら、ヤバいっすよ」
取り巻きの男たちは一応、あくまで言葉の上では止めているが、顔はヘラヘラ笑っている。
「大丈夫よ、なんで屋上なのかわかる? 万が一のことがあっても、自分で飛んだっていえるからよ。そうすればわたしが叱られることはない」
イザベラが大丈夫だと答えたのは自分の立場について。
端から餌食になっている令嬢の身など案じていない……。
他人の痛みなど想像もしない。自分が安全な場所にいると信じて疑わない、傲慢な捕食者。
(……イザベラさん。あなたは自分が『安全圏』にいるとお思いのようですね?)
私は扉の影から、静かに歩を進め、鉄柵に近寄る。
ぐるりと四角く屋上を囲む鉄柵。令嬢が落とされそうになっている位置とも、さらにはイザベラが寄りかかっているカドとも距離のある反対方向へ。
校舎は歴史ある建物だ。屋上の鉄柵は古びて塗装が剥げ、接合部には赤茶色の錆が浮いている。
鉄にとって、錆とは酸化という名の〝汚れ〟であり〝腐食〟だ。聖女である私には浄化することができる。
――澄みたる神の力よ。腐れを祓い、取り除け。
私は指先に神経を集中させ、そっと鉄柵に触れる。
シュゥゥ……と微かな音がした。
イザベラが全体重を預けていた鉄柵の根元。ボルトと柵を繋ぎ止めていた頑固な〝錆〟が、私の力によって一瞬にして取り去られた。
その結果、当然、物理の法則が働く。
「え?」
ガクン、とイザベラの体が後ろに傾いた。 彼女が寄りかかっていた鉄柵が、音もなく外れたのだ。
「――っ、え、うそ!?」
イザベラの目が驚愕に見開かれる。支えを失った彼女の体は、そのまま重力に従って、背中から何もない虚空へと投げ出された。
「い、いやぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
甲高い悲鳴が遠ざかる。取り巻きの男たちは呆然と立ち尽くし、柵の外へと追いやられていた令嬢がへたり込む。
バキバキッ! ドサァッ!
下から、木々の枝が折れる音と、何かが地面に落ちる鈍い音が響いてきた。イザベラが落下した辺りには手入れされた植え込みと大きな樹木がある。死にはしないだろう。
ただ、無傷では済まないでしょうが。
「イザベラさんっ!?」
取り巻きたちが慌てて柵の下を覗き込んでいる。
私はその混乱に乗じて、静かにその場を離れた。
* * *
それからというもの、学園はイザベラの話題で持ちきりだった。
「柵が壊れて落ちたらしいぞ」
「植え込みの木がクッションになって命は助かったみたいだけど……全身打撲と骨折だって」
「それより、精神的なショックが酷いらしくて……」
想定通り、イザベラは一命を取り留めたものの、右足を折る重傷を負った。だが、肉体的な傷よりも深かったのは、心に刻まれた傷だ。
十日ほどの療養期間を終えて登校してきたイザベラは性格が一変していた。
口数は少なく、あの高慢な笑顔を見せることもない。
噂によると、高所恐怖症になってしまったようで、たまり場にしていたあの屋上には上がれないどころか、建物の三階以上に上がると膝が震えて歩けなくなってしまったそうで……。
宮殿には三階以上のフロアもありますので、これからの貴族生活はさぞ大変なことでしょう。
聖女として、イザベラさんの前途を案じずにはおられません。
【3】
ヴィオラへの復讐の機会は、それからひと月ほど後に訪れた。
復讐の場は月に一度開かれる学園の夜会だ。
会場は学園に併設された豪華なダンスホール。
もちろんダンスは男女ペア。ここで気が合った令息、令嬢がこっそり交際し、政略結婚までのかりそめのパートナーとなることも多いらしい。
こういう華やかで人の多い場所こそヴィオラへの復讐の場にふさわしい。
復讐のためとはいえ、男女の火遊びの場。単独で行くわけにはいかない。
私のお相手はアイザックに務めてもらう。
「人使いが荒いな」
アイザックはまだ頬に殴られた痣が青々と残っている。
しかも、前の殴られた跡が消えるどころか、さらに痣は増えている。
どうやらアイザックはイジメを見かけると、すぐに止めに入り、その度に反撃を受けているらしい。
腕っぷしが弱いのは残念だが、私の味方は彼しかいない。
「私が回復の聖女であれば、その傷も治してあげられたのだけれど」
私は自ら手を差し出し、アイザックにエスコートを求める。
顔の痣は少々気になるが、燕尾服に身を包んだ、アイザックはなかなか凛々しく、パートナーとして悪くないように思える。
「ダンスをしながら、近づけばいいんだね」
「そう。気づかれないようにね」
「クレア、ちなみにダンスの経験は?」
「ないわ。聖女にはダンスの修行なんてないもの」
「わかった、それじゃ、僕にステップを合わせて」
そういうと、アイザックは私の腰にそっと手を回し、軽やかにステップを踏み始める。
学園で孤立しているとはいえ、さすがは貴族、まったく迷いのない、流れるような動きだ。
そのまま、私たちはホールの中央へと滑り出した。アイザックのダンスに身を委ねながら、私は視線で獲物を探す。
……いた。
ホールの中心で、ひときわ目立つペアがいる。
ヴィオラと、彼女がしがみつくように腕を回しているパートナー、それはもちろんオスカーだ。
イザベラが「屋上事故」で登校拒否になったいま、ヴィオラはここぞとばかりにオスカーに取り入り、独占しようとしているのだ。
ヴィオラがくるりとターンすると、強い香水の匂いが漂ってきた。
(ジャスミンと、濃厚なムスクの香り)
彼女が愛用している貴族令嬢らしい最高級の香水だ。
だが、私は知っている。香水とは、動物性の分泌物や悪臭成分を、大量の花の香りで包み込み、薄めて作られていることを。
「……アイザック。少し、彼女たちに近づいてくれる?」
アイザックは無言で頷き、巧みなリードで旋回した。
私たちのペアが、ヴィオラたちのすぐ風上に回り込む。
――澄みたる神の力よ、虚飾を剥ぎ取り、真実を晒せ。
私はステップが乱れた振りをして、ヴィオラのスカートの裾にそっと触れる。
その数十秒後、会場の空気が、一変した。
「……うっ!?」
最初に反応したのは、ヴィオラと密着して踊っていたオスカーだった。
まるで毒ガスでも吸い込んだかのように顔をしかめ、跳ねのくようにのけ反った。
「な、なんだ、この臭いは……!?」
「え? オスカー様?」
ヴィオラはまだ気づいていない。
だが、周囲の生徒たちも次々と鼻を押さえ始めた。
「臭い! なんだ、獣の檻みたいな……いや、トイレか?」
「誰かお漏らししたんじゃないの?」
優雅な舞踏会場に、突如として充満する、鼻が曲がるような悪臭。それは、ジャスミンに含まれる「インドール(糞便臭)」と、ムスクの「獣臭」の原液そのものだった。
花の香りというオブラートを浄化で取られた香水は、ただの「排泄物と獣の分泌液」でしかない。
そして、その発生源は――。
「うっ、おえっ……! ヴィオラ、君か!?」
オスカーがハンカチで鼻と口を押さえ、汚いものを見る目でヴィオラを突き放した。 突き飛ばされたヴィオラは、よろめいてその場に尻餅をつく。
「きゃっ! な、なにを……」
「近寄るな! くさっ……お前、ま、まさか……この臭い……。お前、漏らしたのか? あれを漏らしているのか!」
「は……? そ、そんなわけないでしょう! 失礼なことを言わないで!」
ヴィオラは顔を真っ赤にして否定するが、彼女が動くたびに、強烈な腐敗臭と獣臭が周囲に撒き散らされる。 もはや疑いようがなかった。彼女こそが汚染源だ。
「うわ、きっつ……」
「信じられない。不潔な……」
「近寄らないでよ、臭いがうつるわ!」
周囲の令嬢たちが、蜘蛛の子を散らすようにヴィオラから距離を取る。ダンスの輪の中に、ポツンと取り残されたヴィオラ。
彼女はパニックになって自分のドレスの匂いを嗅ぎ――そして、絶句した。
「うそ……なにこれ、くさっ!? なんで!? これ最高級の香水なのに……!?」
自分の体から発せられる猛烈な悪臭に、彼女自身がむせ返る。
香水をつければつけるほど、それは「汚物を塗りたくっている」のと同じことになっていたのだ。
「いやぁぁっ! ちがう、違うのよぉ!」
ヴィオラは泣き叫びながら、助けを求めてオスカーに手を伸ばす。
だが、オスカーはその手を跳ね除け、軽蔑した冷たい目でヴィオラを睨みつける。
「触るな! 汚らわしい!」
「オスカー様……っ! そ、そんな……」
オスカーからの拒絶。そして衆人環視の中での屈辱。
それに耐えきれず、ヴィオラは顔を覆い会場から走り去っていった。
令嬢たちの嘲笑と、異様な残り香を置き去りにして。
【4】
その後、ヴィオラは学校に来なくなった。
学生たちの噂によると、すでに退学届が出されており、別の学校に通うことになったらしい。
たった一日のことで、学校を辞めるほどのショックを受けるなんて、随分と大げさね。フェリシアなんて、何年もずっと同じことをされていたのに……。
すっかり大人しくなったイザベラに続いてヴィオラが消えた。苛めを主導していたグループのふたりが消えたのだ。少しは学校の風通しが良くなるかと思ったのだが……。
予想外の変化が起こった。
なんとオスカーが私に言い寄るようになったのだ。
常に女をはべらせていないと我慢できない性分のようで、ヴィオラとイザベラの欠如による穴を私で埋めようとしたのだ。
「ねえ、クレア、これからはキミと昼食を一緒に食べることに決めたよ」
なにも悪びれることなく、決定事項としてそう伝えてくる。
なんという傲慢な人間……。
(お前と食べればどんな料理でもゴミの味がするだろう)
とは、言い返さない。
向こうから近づいてくるとは好都合。
私の浄化は手に触れないと発動しない。
できるだけ人目に付かない場所で、二人きりにならないと……。
何度か食事の誘いを受け、まんざらでもない演技をしていると。
すぐにそのときはやってきた。
――貴賓室。
そこは来客者を教師や学校関係者がもてなすための一室だが、オスカーは学生の身分でありながら、日ごろから自由に使用していた。
豪華なソファに深々と身を投げ出しながら、私に向かって手招きし、隣に座るようにと指示をする。
拒否されるなどとはまったく思っていない様子で。
「ねえ、クレア。僕とキミは随分と気が合うよね」
「そう……でしょうか?」
私が隣に腰掛けるとオスカーは早速肩に手を回してきた。
「ねえ、僕と付き合わないか?」
「付き合う?」
「もちろん、僕は公爵家を継ぐ身分だ。結婚となると、人を選ぶ、でも学生のうちに自由に交際する分には問題ない。キミにとっても僕と交際するのはメリットが大きいと思うよ」
オスカーはかつてフェリシアにも交際をしつこく迫った、そしてそれをフェリシアが断ったことによって、苛烈なイジメがはじまったのだ。
――名誉男爵家がオスカーさまの申し出を断るなんて生意気。
まずは令嬢たちの嫉妬を買い、イザベラとヴィオラが中心となってフェリシアを迫害した。そしてオスカーは自分を袖にした女が悲惨な目に遭うのを大いに楽しんだ。
しかも、自分のモノにならないなら、価値はないとばかりに取り巻きの男にフェリシアを襲わせようとすらしたらしい……。
「僕の言っていること、わかるよね?」
オスカーはねっとりとした視線で私の顔を覗き込み、頬に手を伸ばしてきた。
その指先が私の肌に触れようとした瞬間、全身に鳥肌が立った。
(……もう限界)
私は彼の手を取るふりをして、その手首を強く握りしめた。 オスカーは驚いたように目を見開くが、すぐに「積極的だね」と勘違いしてニヤリと笑う。
(吐き気がする……。でもこんなのフェリシアが感じた苦しみの何百分の一にも満たない)
オスカーが唇を寄せてくる。
その唇をじらすように指で制する。
(血を浄化してやろうかしら。ご自慢の高貴な血を純水に変えてしまえば、どうなるかしら?)
(それともフェリシアにあれほどのことをしておいて忘れてしまった、その役立たずの脳を……)
殺意が明確なイメージとなり、魔力となって指先に集束していく。
――清浄なる神よ……、
その時だった。
バンッ!
激しい音をたて、貴賓室の重い扉が、乱暴に開かれた。
「やめろ、クレア!」
飛び込んできたのは、息を切らせたアイザックだった。
彼は私の姿を見つけるなり、血相を変えて駆け寄ってくる。
「おい、なんだ、貴様。僕たちの時間を邪魔するな!」
オスカーが不快そうに怒鳴るが、アイザックは構わずに私の腕を掴み、ソファから引っ張り上げ、オスカーから引き剥がした。
「アイザック……?」
「だめだ。……その目は、だめだ」
アイザックは私の両肩を掴み、真っ直ぐに私の瞳を覗き込んだ。
「なにをしようとしているか、わからない。でも……あなたはいま、すごく怖い顔をしている」
「……離して」
アイザックは必死な形相で首を横に振った。
「あなたは聖女だ。聖女の力をこんなことに使うべきじゃない」
「なら聖女じゃなくたっていいわ」
「フェリシアはこんなこと望んでないはずだ!」
フェリシアの名前が出た瞬間、私の指先から力が抜けた。
張り詰めていた殺意の糸が、ふっと緩む。
――フェリシア……。
私の脳裏に元気だったころのフェリシアの姿が思い浮かぶ、とても優しくていい子だった。たしかにフェリシアは、こんなことは望まないだろう。
でも、許すわけにはいかない。
私はアイザックの手を振りほどき、再びオスカーを睨みつける。
「……殺しはしない。でも、相応の報いは必要よ」
「クレア?」
不穏な空気を感じ取ったのか、オスカーは逃げようとしてソファから立ち上がり、バランスを崩して転んだ。
私は彼を見下ろし、にっこりと微笑む。殺意の代わりに込めたのは、一生消えない「不快感」への呪い。
這いつくばったまま逃げようとするオスカーの背中にそっと指先で触れる。
――澄みたる神の力よ。淀みたる男のはらわたを清めよ。
人間の腸内には、消化を助け、免疫を維持するための無数の細菌が存在する。それをすべて〝不純物〟として浄化したら、どうなるか?
「……え?」
オスカーが間の抜けた声を上げた直後。ギュルルルルッ! 彼の腹部から雷鳴のような音が響いた。
「う、ぐっ!? な、なんだ……腹が……!?」
オスカーが顔面蒼白になり、腹を押さえてうずくまる。
聖女になるための神殿での修行、その中には医学の講座も含まれていた。
医師によると、腸には無数の菌が住んでおり、それが食べ物の消化吸収を助けているのだという。
美食家のオスカーだが、残念ながら、これからは「食べる喜び」が「苦痛」に変わることだろう。
「あ、あああ……! ト、トイレ……!」
オスカーはもはや私のことなど目に入らない様子で、尻を押さえながら貴賓室を飛び出していった。
ちなみに腸内の細菌は、免疫力や精神面にも大きく影響があるらしい。
当分の間はまともに生活することすら難しいだろう。
オスカーの姿が貴賓室から消えるのを待って、私はアイザックに向き直る。
「ねえ、アイザック、フェリシアのことを覚えているの?」
「当たり前だろ」
アイザックは即答した。
「忘れるわけがない。君をはじめて見たとき、すぐにフェリシアの顔が浮かんだよ。同い年ってことは双子かな?」
「ええ」
「フェリシアのこと、守り切れなくてごめん」
「それは私こそよ」
アイザックはきっと何度もフェリシアを守ろうとしてくれたのだろう。それに対して私はそのことを知りもせずに過ごしていた……。
「クレア。僕は思うんだ。……この学園のイジメは、元をただせばこの国の制度に問題があるって」
「爵位や血筋だけで人の価値が決まる、がんじがらめの身分制度だ。オスカーのような人間が生まれるのは、彼個人の資質以前に、そういう環境があるからだ」
アイザックは窓の外を見つめた。
その背中には誰かに蹴飛ばされたのか、靴跡がついている。
イジメを行うのはオスカーたちだけではない。
この学園内ではイジメが蔓延しているのだ。
「卒業したら、僕は政治家になるよ。中央議会の議員になる。そして、この国の歪んだ制度を改革する。身分に関係なく、正しい人間が正しく評価される国にするんだ」
「……それが、アイザックの復讐?」
「復讐じゃない。……それこそが、フェリシアとあなたを救うことになると思っている」
「私も?」
「そう、あなたにこんな悲しいことをさせないために。僕があなたとフェリシアを守る」
彼は真っ直ぐに私を見つめていた。
アイザック、あなたをはじめて見たとき、「なんて弱い」って思ったけど前言を撤回しなくちゃいけないようね。
――あなたは強い。
「期待しているわ」
私はそう言うと、アイザックの肩にポンと手を触れる。
感謝の意味と、アイザックの大きな夢へのエールを込めて。
私からのエールはかすかな光を放ち、彼の背中の汚れを消し去ったのだった。
読んでいただきありがとうございました!
評価や感想などいただければ、転げまわって喜びます。
次作への活力となりますのでぜひぜひ……。




