9. 笑顔の温度差
「…なあ、後輩」
「何ですか先輩」
「昨日は早めに帰ったが、今日は体調はもう大丈夫なのか?」
「ええ、もう大丈夫です。凄く元気」
「そうか…?なら、いいんだが」
「……?変な先輩ですね。そんなことより稽古をしましょう。昨日の分を取り戻したいんです」
「う……うむ」
「……う〜ん?」
「どうしました?部長。何か今のシーンに問題がありました?」
「いや、うん……。問題はないよ。問題はないんだけどさ」
「けど、何ですか?」
「ああ、ごめん。こっちの話。後輩ちゃんは昨日までの照れが無くなってるね。このまま続けて」
「分かりました」
「…………いや、な〜んか、違うんだよなぁ…」
「後輩」
「何ですか先輩」
「もう一度今のシーンを合わせてみよう」
「え?何かボク間違えちゃいましたか?」
「いや、台詞も覚えられているし、声もよく出ている。しかし、何か違和感が……」
「え?どこですか?どんな違和感が?」
「何だろうか……全体的に、トーンが低めなような」
「じゃあ気持ちテンション上げてやってみますか?でもそれだと可憐なお姫様のイメージと少し食い違ってしまうかもしれませんが…」
「一度そのイメージで進めてみよう。感じを見たい」
「分かりました。じゃあシーン頭から行きましょう」
「うむ……」
「ねぇ、後輩ちゃん」
「何ですか部長」
「ちょっと笑ってみてくれない?」
「はぁ……笑うんですか?」
「そう。お姫様だから、可憐にさ。にこっとね」
「分かりました…………はい、こんな感じですか?」
「う〜ん……」
「どうしました?今日の部長なんか変ですよ?」
「ああ、いやいや、ちょっと考え事しちゃって。うん、大丈夫。じゃあ次のシーン行こう」
「そうですか?」
「うん、大丈夫大丈夫。はい、皆次のシーンやるよー」
「……」
「……やっぱり、なんか違うんだよなぁ」
「――『王子様、どうか私をお救いください』」
「……うむ。声も通っているし、台詞も完璧だ。可憐な姫の演技も出来ている」
「ですよね?違和感の正体は掴めました?」
「……」
「何ですか先輩。変な顔して」
「いや……何でもない。このまま続けるか」
「そうですね。では続きをお願いします」
「――『姫よ、必ずや私が守ろう』」
「…………はい」
「……後輩。返事がやや淡白だった。もう少し感情を込めて」
「そうですか?ちゃんと出来てたと思うんですけど…」
「それにしては機械的な印象に思える。ここの姫の心情はもっとこう……」
「う〜ん……はい、一回ストップ〜」
「はい、どうしました?部長。どこか修正点がありました?」
「いや〜……演技としては問題ないの。ないんだけど……」
「はぁ……それでは何が?」
「なんかねぇ……温度差を感じるのよ、二人から」
「温度差……?」
「うん。先輩くんはすっごい真剣に姫様を想ってるのに、後輩ちゃんが一歩引いちゃってる感じがする」
「そうなんですか?うーん……引いちゃってるかぁ……」
「あ、別に責めるつもりはないの。演技としては十分出来てる。でも、全体を見ると、微妙に噛み合ってない感じがするのよね…」
「じゃあ……もう少し積極的に?」
「積極的と言うか、ちょっと大人び過ぎてるから、気持ち感情を前に出す感じ?」
「もう少し私が感情を抑える方向でやってみるか?」
「いやいや、あんたはそのままで平気。むしろ十分すぎるくらい真っ直ぐだから」
「……真っ直ぐ?何の話だ?」
「うん、こっちの話」
「……演技の話ではないのか?」
「そうよ〜、だからね〜、後輩ちゃん」
「は、はい」
「ちゃんと笑おう。可愛くさ。王子様の前なんだから」
「……笑ってますよ、ボクは」
「いや〜、まだまだ。本気の笑顔はもっと眩しくて可愛いでしょ?」
「っ……そ、そんなの……」
「うん、いい感じ。照れてるのは悪くない。――じゃ、もう一回頭からいこっか!」
……笑顔。
部長は軽く言ったけれど、それが今のボクには一番難しい。
だって――先輩の前で笑うたびに、胸が苦しくなるんだ。
嬉しいのに、切なくて、泣き出したくなる。
……ボクの笑顔なんか、先輩には必要ないんだろう。
きっと先輩の隣で本当に輝けるのは、部長みたいな人で。
優しくて、大人で、全部を包み込んでくれる人。
それに比べてボクは――子供で。
可愛いなんて言われて、誤魔化しの笑顔しか出来なくて。
……本当は、もっと格好良くなりたかったのに。
先輩に憧れて、この部に入って。
隣に立ちたくて、追いかけてきたのに。
……やっぱり、ボクには無理なのかもしれない。
今日も、先輩と部長の二人を見てると、それが嫌でも分かってしまう。
――この気持ちは、胸の奥に仕舞ってしまった方がいい。
先輩と、ずっと一緒に居る為に。