5. 手の中のしわくちゃな台本
「ねえ先輩」
「どうした後輩」
「その椅子の上で仁王立ちするのやめません?」
「高所から世界を俯瞰することで、凡俗の視界を劇的空間へと昇華させているのだ」
「あれ、これ役者モードだ。いつもより言葉選びが難解ですね」
「当然だ。役者とは常に“高み”を目指す生き物だからな」
「高みって、単に椅子の上ですけどね」
「椅子とは即ち玉座だ。そしてここにいるのは学園の王子様。劇的登場に相応しいと思わないか?」
「ああ、これ王子役の登場シーンなんですね」
「その通り。そしてこれは絢爛豪華な玉座!」
「残念ながらそれは部室に置いてあるただの丸椅子です」
「確かにその通り。後輩の言いたいことは丸っと理解した」
「今のやり取りで何を理解出来たと言うのでしょう?」
「演出効果が足りないと。そういう事だな?」
「何一つ理解してません先輩」
「ならば次は更なる高みを目指そう!机の上に移動だ」
「話聞けって。危ないからやめましょよ」
「大丈夫だ後輩。机の上程度では大した怪我はしない」
「でも落ちたら怪我はするでしょうに。次の舞台に参加出来なくなっても知りませんよ?」
「何も問題はないぞ後輩。なぜなら今この瞬間より、ここが舞台なのだからな」
「そこは舞台じゃなくただの机です先輩」
「机は舞台。舞台は人生。人生とは即ち――」
「長くなりそうなので、先ず降りてください」
「ふむ……では窓際に立てば」
「仮に落ちた時のリスクが爆発的に増えています先輩」
「だが景観が加わる。窓の外に広がる世界を背景にすれば、我が存在は地球すら舞台と化すのだよ」
「地球規模の芝居ってなんでしょう」
「……………」
「まさか何も考えていないんですか?」
「つまりだな、後輩よ」
「頭の中に石でも詰まってるんですか?」
「演劇とは“どこでも舞台になり得る”という普遍的真理を伝えているのだ」
「石が詰まってるのは耳もだったか…」
「して、いよいよ次の舞台に移動するぞ後輩よ」
「分かりました。でも高みに登るのは危ないので止めてください」
「なるほどつまり」
「先輩は今何に納得したんですか?」
「あえて真逆に行くということだな?」
「そんなこと言ってませんが、真逆とは?」
「床を這う」
「スケールが急に小さくなりましたね。高みを目指すスタイルはどこに消えたんですか?」
「ふっ。これが違うんだなぁ」
「違うのは先輩の常識じゃないですか?」
「床という低い場所をあえて舞台にすることで、民衆の目線に寄り添う王子様を演じられるのだ。これつまり新たな高み」
「床を這ったらただの変な人ですけどね」
「いいや、後輩。これもまた舞台さ」
「ではボクは観客として通報ボタンを押しましょう。先生を呼んで来ます」
「その演目の先はバッドエンドだぞ後輩」
「お〜……す?」
そんなやり取りの最中、部室のドアがガラリと開き部長が中に入って来た。
部長は床を這っている先輩を、しばし無表情で眺めてから、ニコリと笑ってボクの方を見た。
「相変わらず仲良しだね。あんたらは」
「ツッコミを放棄しましたね部長」
「さて、何のことやら?」
「部長。これも新たなる高みなのだ」
「へぇ。床を這うのが高みとは、ずいぶんと新解釈なこって」
「ふっ……演劇とは、既存の価値観を覆すところから始まるものだからな」
「は〜、なるほど……じゃあ後輩ちゃんはその“価値観を覆された側”かな?」
「ボクはただの被害者です」
部長は楽しげに笑いながら、窓際に腰を下ろした。
視線は自然と先輩へ向かう。
「でもさ、あんたのそういうとこ、結構好きだよ。突拍子もない発想とか」
「……うむ。それは褒め言葉として受け取っておこう」
先輩の声は、普段より少し柔らかかった。
その横顔を見た瞬間、胸の奥がざわつく。
「……」
「後輩、どうした?顔がこわばってるぞ」
「い、いや、なんでも……」
今の先輩、いつもと違う……。まるで部長にだけ、特別な顔を見せてるみたいだ
嫌な予感が喉に引っかかる。
台本を持つ手に、無意識に力がこもった。
もしかして――先輩の“好きな人”って……部長?