12.走り出してしまったその背中
「……っ」
視線がぶつかった。
先輩と部長の会話を、聞き取ることはできなかった。
けれど――見てしまった。
部長が、先輩の肩を掴んで揺さぶっている姿を。
真剣で、必死で、何かを訴えている姿を。
(……ボク、邪魔なんだ)
胸の奥が冷たくなる。
立っていられなくて、思わず一歩後ずさった。
「後輩……?」
先輩の声が届く。
――その声から逃げるように。
「……ごめんなさい!」
叫んで、走り出した。
扉を開け放ち、足音だけを響かせて。
「な……後輩!」
戸惑う先輩の声。
すぐ隣で、部長が鋭く叫んだ。
「なにやってんのよ! 追えっ!」
肩をぐいと押される。
その勢いで、私は我に返った。
「……っ!」
躊躇う暇もなく、足が動いていた。
――走った。
無我夢中で、ただ扉を飛び出して。
校舎の廊下も、外に続く道も、視界に映るものは何も頭に入ってこなかった。
胸が苦しい。息が切れる。
けれど、それ以上に、胸の奥が痛くて。
どうしようもなく泣きたくて。
「……ボク、笑えてなかったんだ」
あの人達の声が、頭の中で繰り返す。
“無理してる”“潰れちゃう”――。
全部、図星だった。
強がりなんて、もう効かない。
先輩の隣に立つために積み重ねた努力が、音を立てて崩れていく気がする。
……それでも。
「好きだ」って気持ちだけは、消えてくれない。
先輩を想うこの気持ちだけは、どうしても。
涙が溢れた。止められなかった。
「……後輩!」
声が聞こえた。
振り返らない。
足を止めたら、全部が壊れてしまう気がしたから。
「待ってくれ!」
「お願いだ、後輩!」
先輩の声が追ってくる。
心臓が跳ねる。
どうして。なんで追いかけてきてくれるの。
ボクは笑えない欠陥役者なのに。
走る。まだ走る。
でも、足はもう限界に近づいていて――
(……どうしてだ)
追いかけながら、私は気付いていた。
胸が焼けるように熱い。
足が勝手に動く。
ただ必死に、後輩を失いたくないと、それだけを思って。
稽古も、舞台も、大事だ。
けれど――それ以上に。
後輩がいない舞台なんて、意味がない。
後輩がいない隣なんて、意味がない。
「……失いたくない」
口から漏れた言葉に、自分で息を呑む。
私は今、何を――。
「……後輩!」
背後から、聞き慣れた声が響いた。
振り返る間もなく、腕を掴まれる。
「っ……先輩……」
「どうして逃げる」
「……逃げてなんか……」
「嘘をつくな!」
思わず声を荒げた先輩に、ボクは固まった。
こんな先輩、初めて見た。
「……君の顔、苦しそうだった。笑えてなんか、なかった」
「ボクは……笑ってましたよ。ちゃんと……!」
「違う!……違うんだ、後輩」
掴まれた腕が震える。
先輩の目が、真剣で。必死で。
「私は……君を失いたくない」
「……っ」
頭が真っ白になった。
先輩の言葉が胸に刺さって、痛いくらいに響いて。
「だから……もう一人で抱え込むな。無理に笑うな。……頼む」
先輩の手は温かくて、強くて。
振り払うことなんて出来なくて――
ボクの中の何かが、壊れる音がした。




