4.採用理由
――これは夢だ。絶対に夢。現実なわけない。
数時間前、異動通知を見たときも同じことを考えていた。
(そうそう、んで段ボールが目の前に出てきて――)
本当に目の前に何かが差し出された。でもそれは段ボールより遥かに小さかった。
「……ボイス、レコーダー?」
「そうやなあ。」
副社長がにこにこしながら再生ボタンを押すと、先ほどの会話が再生される。
『秘書業務、頑張るんやろ?嘘やないな?』
『え、ええ、はい、が、がんばります……。』
「副社長サマの前で約束したんや。しっかり頑張ってもらうで~?」
「ひぃ……」
なんなんだこいつ。さっきまでの"はんなり王子"はどうした。
ってかいつの間にボイスレコーダーなんて仕込んでたんだ。
ふかふかのソファに、このまま沈んで消えてしまいたい。
ただでさえやったことない秘書業務なのに、副社長とかいうお偉いさんの"専属"ときた。
視線を落とし、膝の上に置いた手を見つめる。
「……おーい」
いきなり低い声が飛んでくる。
「っ!は、はい!?」
顔を上げると、"やれやれ"とでも言わんばかりの顔をした副社長。
「ボクの秘書はいつまでのんびり座ってるんや?」
「す、すみません!」
弾かれるように立ち上がる。
「ほな最初の仕事お願いしよかな。お茶、なる早で~。」
ヒラヒラと手を振り、こちらも見ずに部屋の奥へ歩いていく。
「えっ、は、はい!失礼します!」
反射的に答え、副社長室から飛び出る。
(い、嫌すぎる、でも副社長じゃ話にならない!あの人に頼むしか――)
秘書室に戻ると、お目当ての人から声をかけられた。
「あら紬ちゃん。お話、どうだった~?」
「室長!あ、あの、2点お聞きしたいことが!」
「なあに~?」
「給湯室の場所と、えーと、その……」
さすがに秘書室の真ん中で「秘書室から戻してください!」とは言いづらい。
「じゃあ給湯室に案内するわ。お話はそこでしましょう。ふふ。」
(や、やさしい……!)
「はい!お願いします!」
お湯を沸かす間、本題の話を進めることにした。
「室長。あの、私、副社長に専属の秘書になるよう言われまして……。」
「聞いてるわよ~。というか、初めから副社長専属秘書として秘書室に異動になったんだし。」
「そ、そうなんですか……?なんで私なんですか……?」
「え、ええとね……。」
今まで朗らかに話していた室長が、急に歯切れが悪くなった。
「その……副社長ってほら、社員に人気でしょ?」
「ああ、今朝の朝礼でみなさん盛り上がっていらっしゃいましたよね。」
「だからその……そんな人の秘書ってだけで高倍率のお仕事なのよ。」
「はあ……。」
(話が見えないな。だったらなおさら、なんで未経験の私なんかに……?)
「もちろん、今までも何人か秘書をお願いしてたんだけど、みんな「副社長目当て」というか……どうしてもトラブルが絶えなかったのよ……。」
「なるほど……。トラブルが起こり得ない人材、ということですか。」
「そうなの~!!」
事情は分かったものの、やっぱり嫌なものは嫌だ。
というか、男性にやってもらえばいいじゃないか。
「で、でも、それって別に――」
言いかけたところで、お湯が沸いたことを知らせる電子音が聞こえる。
「さ、紬ちゃん。急いで持って行って!気を付けてね!」
室長が手早くお茶を用意すると、お盆に載せて渡してくれた。
「は、はい、行ってきます!」
(言いそびれた……。)
悶々と頭を悩ませていると、あっという間に副社長室に到着してしまう。
お盆を片手で持ち直し、ノックをする。
「どうぞ~。」
明るく、柔らかい声。まるでさっきの悪夢は嘘のような……。
「し、失礼します……。」
「遅い。何分かかるねん。」
「す、すみません。」
(ですよね~。)
来たのが私だと分かると、王子の甘いマスクは氷点下にまで下がった。
大きい役員用デスクにお茶を置き、一歩下がる。
「あ、あの、副社長。」
「ん?」
「小田室長から、私が異動になった事情は伺いました。ただその、私ごときでは務まらないといいますか、その……」
「で?」
「え、ええと、例えば、男性に秘書をやってもらえば良いのではないでしょうか……?」
ぶっきらぼうな返答に内心イライラしつつも、笑顔をキープする。
すると芝居がかった仕草で自分の胸に手を当て、
「……こんなか弱いボクが男の力に勝てると思うんか?怖すぎやろありえへんわ!」
(……あ、"そっち"も人気なんだ……。)
「何わろてんねん。」
「笑ってないです。」