17.やっと隣に立てたのに(沙耶side)
朝5時。いつものアラームが鳴るずっと前――ついに今日が来た!
昨日寝る前に貼ったパックを剥がし、いつもよりも丁寧にメイクを済ませる。
滅多に使わないデパコス達も、今日は総動員だ。
髪もきっちり、しかしやりすぎない程度にセット。
(湊様のサポート、全力でやるぞ……!)
高揚した気持ちを抑えきれないまま、私は家を出た。
どうしても早歩きになってしまい、いつもより30分も早く会社に着いてしまった。
(まだ誰もいないかな……?)
静かなフロアに、私のヒールの足音が響く。
「橘さん?」
「ぎゃあああああ!」
突然、目の前に大きな影が現れた――と思ったら、黒川さんだった。
(この前もこんなことなかった……?)
「ごめん、また驚かせちゃったね。おはよう。」
「す、すみません……おはようございます。」
黒川さんが困ったように笑う。
「今朝は早いね。仕事忙しいの?」
以前ランチで悩みを話してから、黒川さんがよく副社長チームに顔を出すようになった。
羽田ちゃんは「沙耶のこと好きなんだよ!」とか言ってたけど、私を心配してくれてるだけだと思う。
だから今も、こうやって気遣ってくれているんだろう。
(心配させないよう、ちゃんと説明しなきゃ!)
少しわざとらしすぎると思ったが、分かりやすく腰に手を当てて話す。
「実は……今日だけ副社長の専属なんです、私!」
(キャー!!言葉にするとテンション上がるー!!)
たぶん、今私すごい笑顔になってるんだろうな。恥ずかしいけど、「心配しなくて大丈夫ですよ」って気持ちは伝わる……よね?
――と思ったのに、黒川さんはなんだか浮かない表情になって、
「……そっか。よかったじゃん。」
一瞬、何か言いかけたように口を開いて――でも、やめたみたいに笑って続けた。
「頑張ってね。」
と言うと、社長チームの島に戻って行ってしまった。
(どうしたんだろ……忙しいのかな?)
少し気になったものの、いつの間にか迫る定時に気付いて私も自席に戻った。
定時を周り、私は今日の流れを最終確認する。
(楽しみすぎて、もう何十回もしてるんだけどね……。)
しばらくすると、エレベーターホールから彼が歩いてくる。
コツコツと革靴の音が響き、高級スーツに身を包んだ長身が現れる。
(湊様……!今日もかっこよすぎる……!)
彼が副社長室に入るのを見届け、さっそく私も出動だ。
今日のスケジュールを胸に抱えて立ち上がると、早乙女ちゃんと羽田ちゃんが小さな声で応援してくれた。
(沙耶ー。がんばって!)
(ありがとう!)
大きく頷いて、副社長室へ向かった――。
「し、失礼します!」
「どうぞ~。」
私が部屋に入ると、彼はこちらに背を向けたまま、窓の外を眺めていた。
(ああ……何をしてても絵になる……。)
「今日は、私が春原先輩の代理をしますので、よ、よろしくお願いいたします!」
どきどきどきどき。どもっちゃったけど、嚙まなくてよかった……。
「うん、室長から聞いてるよ。よろしく、橘さん。」
(な、名前呼ばれたあああああ!!!)
にっこり王子スマイルに、名前まで呼ばれた。
私、今日死んでもいい。本当に。
そんな私を見て、彼は興味深げにうんうんと頷く。
「……うん、普通はそのリアクションやんな……。」
「え?」
「あ、ううん。じゃあ今日のスケジュール教えてくれる?」
そして私の一日専属秘書が始まった。
専属の業務は初めてだったけど、そもそも秘書としての経験や知識は春原先輩よりも多い。だからあまり困ることもなく、業務自体はスムーズにできた。
――ただ、もうときめきが、やばい。語彙力がなくなっちゃう。
飲み物を持って行ったとき、資料を渡したとき、少し何かするだけで、王子スマイルを浴びることができる。
(寿命延びちゃうよ~~!)
(……嘘……。)
ふと時計を見上げて、私は驚愕した。
もう定時じゃん……。あっという間すぎる……!
副社長室の片づけをしながら、あっという間の一日を反芻する。
「……橘さん。」
「ひゃ、はい!」
「やっぱ春原さんとは全然違うなあ。」
独り言のように、ぽつりと言われる。
「そ、それって……!」
……もしかして、私の方が向いてるって、思ってくれた?
熱意なら、負けてないし。湊様のことだってこんなにお慕いしているし、秘書の経験だって、春原先輩より――。
「うん、彼女すごいクールでさ、橘さんみたいにテンション上がったり、みたいなことがなくてさ。ほんと淡々と仕事をこなしていくっていうか……。」
期待で紅潮した顔が、さらに赤くなった。
――恥ずかしい。私は今、何を考えた?
一人で浮かれて。春原先輩に対して、私は何て失礼なことを思った?
すごく情けなくなって、涙が出そうになる。
定時が来て、挨拶して、自席に戻った。
早乙女ちゃんと羽田ちゃんが話を聞きたそうにこちらを見ている。
……でももう、なんかもう、全部嫌になっちゃった。
あんなに楽しみにしてたのに。さっきまでは、すごく幸せだったのに。
湊様の”秘書”として、本当に役に立ててたのは……春原先輩なんだって、今更気付いたんだ。




