10.忠犬、マジギレ5秒前。
今日は月に一度の役員会議。
私が出席するのは今日が初めてだから、どうしても緊張してしまう。
ドアが開き、広い会議室へ副社長が堂々と入室。その後ろで、影に隠れるように私も続いた。
重役ばかりが並ぶ空気に圧倒されて視線を泳がしていると、見覚えのある顔が目に入った。
(……第一開発部の部長だ。)
かつて私が所属していた部署の上司だった。しかし席が遠く、私に気づく様子はない。
そもそも、まさか役員クラスの会議に元部下が出席しているなんて、思いもしないのだろう。
(秘書室にいるのは知ってても、副社長付きだなんて普通は思わないよね……。)
そうこうしているうちに、会議が始まる。
ボイスレコーダーは起動しているけど、気になった話や単語は手元のメモに残していく。
やがて議題は、第一開発部の業務遅延の件に移った。思わず顔を上げて、部長のほうを見る。
「開発部員のスキル不足が原因と見ておりまして……。しばらくは残業を増やしてでも納期に間に合わせます!」
そう堂々と語る部長に、私は歯を食いしばった。
(違う。それ、外注費削減って理由で、ただでさえ人手足りてないのに全部社内でやるようにしたからじゃん……!)
前の部署とはいえ、仲間たちの努力を踏みにじる言葉に、怒りが込み上げる。
でも、私はただの秘書。発言権なんてないし、しかも今は副社長の側にいる。
余計なことをして、彼に迷惑をかけるわけにはいかない。
(……悔しい。でも、今は耐えなきゃ。発言だけは、ちゃんと記録しておこう。)
会議後、副社長室に戻ると、副社長が書類を整理しながらぽつりと言った。
「なあ、同じ部屋に辛気臭い顔の人おったら、ボクまで萎えるんやけど?」
その目は、私の感情を見透かしていた。
「……失礼いたしました。納得できない話を聞いてしまって。でも私が副社長に話すのは、秘書という立場を利用した“告げ口”のようで……内容は伏せさせてください。この件については、人事部に掛け合うつもりです。」
……声は震えていなかっただろうか。精一杯平静を保つ。
副社長は椅子にゆったり座ると、にやりと笑った。
「ふーん。ちゃんと立場、わきまえてるやん。ええわ、ご褒美にキミの話、聞いたる。」
私は、会議で聞いた内容と、第一開発部の現状を静かに語った。
感情は交えず、事実だけを端的に。
彼は最後まで遮らず聞いてくれたが、話が終わるとすぐに言った。
「とりあえず、人事部に掛け合うのは一旦ストップや。反論はナシ。ええな?」
「……は、はい……」
(まさか、もみ消されるの?)
心にざらついた不安を抱えたまま、私は部屋を後にした。
紬が部屋を出るのを見届けた直後、彼はスマホを耳に当てながら微笑んだ。
「社長~、お疲れさまです~。久しぶりにランチでもどうです?」
翌日、私は人事部に提出する証拠を集めようと奔走していた。
そんな中、隣の総務部で「外注への発注書」が再提出されたと知る。
提出元は、第一開発部だった。
(もしかして……!)
確信を胸に、私は副社長の部屋へ走った。
「……第一開発部の対応、変わったようですが。もしかして、副社長が?」
問いかけると、彼はわざとらしく肩をすくめた。
「不正を見つけた賢い犬に、ご褒美あげただけや。」
意味ありげにこちらを見る視線に、つい頬が熱くなる。
「犬って呼ばれるのは気に入りませんけど……感謝はしてます。」
「ボクは会社のために動いただけやで?……まあ、どうしても感謝したいって言うなら。」
一歩こちらに近付き、目を細める。
「引き続き忠犬として、頑張ってな?」




