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異世界恋愛短編集

断罪されたので辺境で科学者になりましたが、王都の元婚約者が転がり込んできた件

作者: 百鬼清風

 裁きの鐘が三度鳴った。王立魔術学院の大広間には、生徒と教員がびっしりと並び、まるで観劇でもするかのように壇上を見上げていた。


「リゼリア=ロズベリィ侯爵令嬢。あなたはこのたび、王太子殿下の婚約者として不適格であると判断されました」


「理由は、婚約者であるエルネスト殿下を独占しようとした悪意のある言動の数々。そして、平民出身の転入生レイナ・クライン嬢に対する、数々の嫌がらせであります」


 朗々と読み上げられる断罪文。けれど、私はそれを冷めた目で聞いていた。


 言いたいことは山ほどある。事実と違うことばかりで、レイナ嬢に対する嫌がらせなんて私の耳には初耳だし、むしろ彼女に塩対応をしていただけだ。それも彼女の方から近寄ってこなければ、わざわざ話す必要もないと思っていたからで。


 でも、そんな釈明をしても無駄だということは、よくわかっている。


 なにせ、目の前の王太子本人が――


「リゼリア。僕は、もう君に愛想が尽きた」


 ――そう言って、ため息混じりに顔を背けたのだから。


 あぁ、もう、いいわ。


 私、ずっとこの瞬間を待っていたのよ。



 断罪されたその日に、私の荷物はすべて王都から撤去された。追放された先は、ロズベリィ家の辺境地――フィンブリー領。


 国内でも最も北に位置し、雪と氷に閉ざされた未開の地。


 でも私にとっては、まるで天国に放り込まれたようなものだった。


「リゼお嬢様、薪を持ってきましたぞ。ああっ、でも暖炉に魔導機の部品が……!」


「そのまま置いてちょうだい、ベルント。今は魔導式水蒸気機関の実験中だから」


「な、なるほど……また何か爆発しそうな気がいたしますな」


 その通り。私は今日も、屋敷の一室をまるごと実験室に改装し、魔導工学の試作に励んでいた。


 リゼリア=ロズベリィ。かつては王太子の婚約者と呼ばれたこの身も、今や辺境の片隅で、古代技術の復元と応用を目指すただのマニアック令嬢である。


 前世の記憶――そう、私は転生者だ。


 異世界オタクだった前世の私は、なぜか貴族令嬢として生まれ変わった。だからこそ、王子様との婚約だの、乙女ゲームのような恋愛劇だのには、まったく興味が持てなかったのだ。


 それよりも魔導機。魔法と機械が融合した技術体系。


 古代に絶滅したとされる技術を、現代で再構築できたら、きっと世界は変わる。そう信じて、日々研究に励んでいた。


 そして、そんな夢を王都で語ったら『風変わりな娘』と笑われた。


 今? 誰もいない辺境で、好きなだけ爆発させてる。最高。


 とはいえ、魔導機の復元は簡単ではない。魔素変換率の問題、部材の不足、設計図の不完全さ。なにより、再現された魔導機たちは、みんなポンコツだった。


「また動かないのか……。やっぱりこの調整弁、鋳造が甘いのかしら」


 私は煤けた顔で魔導機を睨みつけ、頬を膨らませた。


 こんなときに、使える素材でも転がっていれば――


 そのときだった。


 屋敷の正面扉が、ドン、と乱暴に叩かれた。


「……? こんな辺境に、訪問者?」


 雪が舞う中、私はコートを羽織って玄関に向かった。


 開けた瞬間、そこにいた人物を見て、私はしばし硬直した。


「リゼ……! リゼリア……! お願いだ、僕を、ここに置いてくれ!」


「……エルネスト殿下?」


 そこにいたのは、あの王太子、エルネスト=カルトゥアだった。


 雪に濡れ、髪もコートも乱れたまま、彼は必死の形相で私にすがりついた。


「ちょ、ちょっと、どうしたのよ。王都にいるべきあなたが、なんでここに……」


「……追放されたんだ。レイナが、君にしたのと同じように、今度は僕が断罪されたんだよ」


「……」



 正直、ざまぁみろとしか思えなかった。


 私が婚約破棄されたあの日、彼はレイナに夢中だった。私の言葉など聞かず、レイナの一言を信じて断罪した。


 でも、私が去った後。レイナの言動が次第に傲慢になり、王族の権威を笠に着て好き勝手するようになったらしい。


 最後には、王族の財産を勝手に横領した疑いで断罪。


 巻き添えで婚約者だったエルネストも追放。笑ってしまうほど綺麗な因果応報だった。



「……で、どうしてここに来たの?」


「君が、唯一……僕を信じてくれていた人間だったと、今さらながらに気づいたんだ……」


 私は呆れた。


 遅い。全部遅すぎる。


 私はもう、王都のドレスも舞踏会も、恋愛ごっこも捨てた。


 今の私は、ポンコツ魔導機と格闘する辺境の研究者だ。


 なのに、今さら何を言いに来たのだろう、この男は。


「ごめんなさい、エルネスト殿下。ここには“王太子殿下”をお迎えする部屋はありません」


「リゼ……!」


「どうしても泊まりたいなら、馬小屋が空いてるわよ。薪代とご飯代は、働いて稼いでもらうけど」


「……うん。うん、それで構わない。君のそばにいたい。それだけでいい」


 その言葉を聞いた私は、頭を抱えた。


 まったく、どうしてこうなるのか。


 ヤンデレはもう沢山だと思っていたのに、今度は“元王太子のポンコツ居候”ときた。


 この辺境、静かな引きこもり生活のはずが、妙に賑やかになりそうだった。


 朝、目が覚めると、なぜか隣の部屋から盛大な物音がしていた。


 ガンッ!


 ガッシャーン!


 そして、


「ぐあっ……! いたたたた……!」


 思わず起き上がって眉をしかめる。


 何事かと思えば、案の定、原因は彼だった。


「……何してるの、エルネスト?」


「リゼ! おはよう! その、君に喜んでもらおうと思って、薪割りをしようと……」


 斧は地面にめり込み、割られるべき薪は粉砕というより粉々。


 彼自身は、どう見ても転倒した直後のように、腰をさすっていた。


 うん、これはひどい。


「見なさい、その有様。普通の薪すら割れないってどういうこと?」


「や、やる気はあるんだ……! 気合いが入りすぎたのかもしれない」


「気合いでなんとかなるのは、物語の中だけよ。現実はね、正しい道具と手順と、何より“繰り返し”なの」


 私はため息をつきつつ、折れた薪を片づける。


 斧を構える所作一つ見ても、彼が王子育ちの甘やかされ坊っちゃんだったのはすぐにわかる。


 いや、実際に王子だったわけだけど。


 でもまあ、こうやって身体を動かそうとしている分だけ、昔よりはマシ……かもしれない。


「それじゃ、今日は作業場の整理でもしてもらおうかしら。部品ごとの分類とか、説明書を読むとか」


「了解した、僕に任せて!」


 数刻後、私は自室の扉を開けた瞬間、頭を抱えた。


 部品は分類されていない。説明書も綴じ紐をバラバラにしてしまったようで、順番がぐちゃぐちゃ。


 ……これはもう、魔導機の方がマシなんじゃないかしら。


「リゼ……その、ごめん」


「お願いだから、余計なことはしないで。座っていてくれるだけでいいのよ」


「うぅ……」


 あんなに堂々と断罪文を読み上げていた男が、今ではすっかりしょげた犬のようだ。


 ただ、王都では見ることのなかった“人間らしさ”が、ちらほら見えるようになっていた。


「明日は、土を耕してもらおうかしら。肥料作りも教えるわ」


「え? 魔導機とかじゃなくて?」


「魔導機は土台が整ってからよ。フィンブリー領の発展には、まずは農地の安定が必要。あなたには労働力になってもらうから、覚悟して」


「はい……!」


 どうやら、エルネストは本気でこの領地に骨を埋めるつもりらしい。


 だったら、せめて役に立つようになってもらわなきゃ。


 私はその日、彼にスコップの持ち方から、土の耕し方、コンポストの使い方まで叩き込んだ。


 最初は「うぇ……」「これが肥料……?」と顔をしかめていた彼だったが、途中から「これが命を育てる土か……!」などと感動していた。


 単純なところは、変わってない。


 けれど――


「リゼ。今日はありがとう。君がどうして、ここまでこの領地のことを考えているのか……ほんの少しだけど、わかった気がする」


 夕暮れ、畑に腰かけてそう呟いた彼の表情は、以前の彼にはなかった穏やかさをたたえていた。


「そう。なら、明日は肥料を撒いてもらうわ」


「……はい」



 そうして、元王太子の農作業生活が始まった。


 思っていたよりも、彼は案外、しぶとく生き残りそうだった。


 エルネストがフィンブリー領にやってきて三週間。


 彼の不器用さは相変わらずだったけれど、真面目さと根性だけは評価に値した。


 朝は自分で起きてくるし、肥料や堆肥の臭いにも文句を言わず、地道に作業を続けている。最初は“何も考えてなさそうな顔”でスコップを握っていたのに、最近はうっすら筋肉がついてきた気さえする。


 でも、私は気づいていた。


 彼が時々、作業をさぼって“ある場所”に忍び込んでいることを。


 ……そう。作業場。私の聖域。


「――ちょっと、エルネスト!」


「うわっ、リゼ!? ち、違うんだ! これは、その……!」


 手にはばらされた魔導機の一部。床には開かれた設計図。横には分解されたばねと歯車。完璧な“現場”だった。


「何が“違うんだ”なのよ」


「い、いや。ほら、気になってて。僕、魔導機の仕組みとか、全然知らなかったから……見てるうちに、つい……」


 ふてぶてしい言い訳かと思えば、予想外にしおらしい態度で謝罪された。


 まぁ、勝手に触ったのは確かに悪い。


 でも。


 彼の目には、王都にいたころのあの無関心な色がなかった。


「ふーん……で、どうだった?」


「え?」


「魔導機、興味出た?」


「……すごく、面白い。たとえばこの歯車、回転数を調整する役割があるんだろう? それで蒸気の流れを制御して、圧力を均等に分散するんだよね」


 私は無意識に彼の手元を見た。


 ばらされた部品は確かに乱雑だったけど、規則性は保たれていた。


 魔導機の構造を理解したうえで、一つひとつ、ゆっくり外していった形跡があった。


「……誰にも教わってないんでしょ?」


「うん。説明書、読んだだけ」


「ふうん」


 私は小さく息を吐くと、棚から新しい紙を取り出した。


「なら、一つ組んでみる?」


「えっ」


「あなたの手で、簡単な魔導機を組み立ててみなさい。見てるわ。指導はするけど、手は出さない。あくまで“あなたの力”でね」


「……!」


 エルネストの目が輝いた。


 そう――私は、思い出したのだ。


 王都にいたころの彼は、たしかに冷たく見えた。


 けれど、それは“用意された道”しか歩かせてもらえない立場で、あらゆる選択肢を制限された人生だったから。


 今、ようやく彼は自由になった。


 そして、その最初の一歩が、“魔導機をいじる”ということだったらしい。


「ありがとう、リゼ。僕、本気でやってみたい」


「なら、朝の畑仕事の後ね。作業免除はしないわよ」


「うん、わかってる!」


 その日から、彼は昼間は畑で汗を流し、夜になると作業場に籠もるようになった。


 まるで、かつての私のように。


 

 ある夜。


 私がふと様子を見に行くと、彼は机に突っ伏して寝ていた。


 指先には油汚れ。テーブルには半組みの魔導機。そして、横にはぐちゃぐちゃの設計メモ。


 私は、ほんの少しだけ、口元を綻ばせた。


「……まあ、合格点ね」


 せっかくだからと、彼の設計図にちょっとだけ修正を加えておいた。


 ふふ、これは恩返しなんかじゃない。ただの……研究者としての意地よ。


 眠る彼の髪をひとつまみ、そっと耳にかかるように整えながら、私はぽつりと呟いた。


「期待してるから。ちゃんと、私の“助手”になりなさいよね」


 フィンブリー領の短い春は、まるで駆け足のように過ぎ去る。氷が解け、わずかな芽吹きが土を持ち上げ、湿り気を含んだ風が山の麓から屋敷に届いてきた頃。私は作業場の窓を開け放ち、いつものように魔導機の試作をしていた。


「リゼ、昨日言ってた圧縮バルブの調整、こっちの角度のほうがよさそうだ」


「見せて。……あ、なるほど。流れを絞るのじゃなくて、分散させたほうが安定するかもしれないわね」


 横に立つのは、かつての王太子・エルネスト。今では“助手エルネスト”として、フィンブリー領で立派に(?)働いている。


 最初は右も左もわからない農作業ボーイだったのに、今では魔導機の設計図を読んで、自分なりに改善案まで出してくるようになった。


 ……ちょっと悔しい。


 正直、彼の成長速度は予想外だった。


 そして何より。


 彼と一緒に作業していると――楽しいのだ。


「これ、次の試験で爆発しない?」


「いや、それを防ぐために、昨日リゼが作った緩衝魔石をこの位置に――」


「あ、それ、私すっかり忘れてた」


「……なんで自分で作ったものを忘れるのさ」


「量産し過ぎて、記憶のどこかに消えてたのよ」


「すごい言い訳だなあ」


 そうやってくだらないことを言い合いながら、一緒に部品を並べ、魔力を流し、パチッと火花が弾ける音にビクついて笑い合う。王都のあの冷たい空間では、絶対に味わえなかった時間だった。



 研究だけじゃない。エルネストは、領地の仕事にも積極的に関わるようになった。畑に植える作物の選定、市場での流通経路の確認、さらには村の若者たちに読み書きを教える講座まで始めた。


「エルネスト様、今日もありがとうございます!」


「教えてもらった文字で、王都に手紙を書けるようになりました!」


 子供たちが彼に駆け寄り、目を輝かせる。昔の彼からは想像もできなかった光景だ。


「……なんで、そんなに頑張るの?」


 ある日、私はぽつりと聞いた。


 エルネストは、少しだけ空を仰いで、柔らかく笑った。


「君が、“やりたいことをやってる”って顔をしてるのを見てたら、僕も何か、誰かの役に立ちたくなったんだ」


「ふうん」


「……それに、ここに来て、初めて自由になれた気がする。王族という枠からも、周囲の期待からも、誰かの視線からも」


「今は?」


「今は――君にだけ見ていてほしいと思ってる」


 心臓が、一瞬、跳ねた。


 言葉は軽く、表情は穏やか。でも、彼の瞳だけはまっすぐだった。


 私は照れ隠しに、空のスケッチブックを掴んで無理やり話題を変える。


「と、とにかく! 次の課題は蒸気駆動式収穫機よ! 秋までに間に合わせないと!」


「えっ、なにそれ? 新しいの? 超面白そう!」


「でしょ!? 人手不足を一気に解決する夢の装置よ! 問題は精密な操作が求められる回転刃の制御だけど……」


「え、それ、あの間欠ギアを応用すれば……!」


 次の瞬間には、私たちはもう、再び夢の中に飛び込んでいた。


 夢というのは、眠って見るものではない。自分たちで作って、動かして、笑って、泣いて――そうやって現実の中に形にしていくものなのだと、彼と一緒にいて知った。


 かつて私は、婚約破棄されて全てを失ったと思っていた。でも今は、毎日が実験で、毎日が発見で、毎日が笑顔だ。


 そして。その隣には、少しだけ頼もしくなったポンコツ助手がいる。


 ……さて。次は飛行機型魔導機でも目指してみようかしら?


 私たちの“革命”は、まだ始まったばかり。



 発明というのは、いつだって突拍子もないところから生まれる。


 今回のきっかけは、「空を飛べたら、物流も偵察も楽になるよね」という、私の何気ない独り言だった。


「空飛ぶ魔導機……! それ、作ってみよう!」


 隣でノートをとっていたエルネストの目が、きらきらと輝き始めたときには、もう止められなかった。


 こうして、“魔導式軽量飛行機計画”が本格的に始動した。


 まずは軽量素材の確保からだ。魔導式推進器を搭載するには、できる限り軽く、でも魔力の流れを阻害しない素材が必要だった。


 私は木材倉庫の奥をあさりながら、心当たりのある材を手に取った。


「このリドノアの木なら、強度と軽さのバランスが良いはずよ。魔力の伝導率も悪くない」


「風を切るには翼の形も重要だね。鳥の羽根の構造、観察してみようか」


「やる気だね」


「当然でしょ。空飛ぶ機械なんて、夢のまた夢だったのに、君となら本当に作れる気がする」


 私が前世で少し齧っていた飛行機の構造知識に、エルネストの魔導演算の発想力が加わり、試作案はすさまじいスピードで組み上がっていった。


 ところが。


 完成した第一号機は、わずか三メートル飛んで、盛大に爆発した。


「……やっぱり、推進部に使った圧縮魔石の安定処理が甘かったかも」


「飛んだだけすごいと思うよ! 失敗は成功の母!」


 あまりに清々しく笑う助手の姿に、怒る気も失せてしまう。


 とりあえず、爆発した機体の残骸は再利用しよう。木材は貴重だ。


 そんな失敗を繰り返しながらも、作業場の空気は活気に満ちていた。村の若者たちも興味を示して手伝ってくれるようになり、作業効率は飛躍的に向上した。


 そして、空を飛ぶ機械を作っているという噂は、思わぬ形で外にも広がっていた。


「カカシに羽根をつけて飛ばすらしいぞ」


「パフェット家の令嬢が関わっているらしい」


 おかげで、フィンブリー領には連日見物人が押しかけるようになり、屋台が立ち並ぶ始末。最初は戸惑ったが、これはこれで経済効果があると村長が喜んでいた。



 そんなある日だった。


「リゼ、ちょっと来て。なんか変な子が門の前に立ってる」


 エルネストに呼ばれて玄関に向かうと、そこには真っ白なマントを着た少年が立っていた。年のころは十四、五歳。整った顔立ちに、妙にすました態度。手には魔導学の専門書。


「ここがフィンブリー領の、空を飛ぶ装置を開発している研究拠点だと聞きました。見学を申し込みます」


 まるで役人のような口調に、私は目を瞬いた。


「あなた、どこから来たの?」


「王都のギレム技術院。二年飛び級した、天才です」


 なんとも鼻につく自己紹介だったが、その目の奥には本気の興味と熱が宿っていた。


「見学希望ってことは、協力する気はあるの?」


「もちろん。僕の理論なら、あなたたちの飛行機に安定飛行の補正魔術を組み込めます」


 ふーん、と私は顎に手を当てて考える。正直、気に入らない性格だが、才能はありそうだ。


 なにより、私たちが行き詰まっていた「持続的浮力制御」のヒントを、彼が持っていそうな気がした。


「いいわ。じゃあ、実力を見せてもらおうかしら。エルネスト、作業場に案内して」


「了解~。えーと、名前は?」


「アレク・ファン・グリフィス」


「長いなあ。アレクでいい?」


「……好きに」


 こうして、魔導飛行機計画に新たな頭脳が加わることになった。


 だが、彼が“面倒くさいやつ”だったことを、私たちはこの時まだ知らない。



 翌朝。


「ポテトをスライスして揚げただけ? なぜ、それがそんなに人気なのですか?」


 早速アレクが私の作業台にあるポテチを見て尋ねてきた。


「考えるより食べてみて」


「……あ、あ、あ……。これは……っ!」


「でしょ?」


 アレクはポテチを一口かじるなり、背筋を震わせて、わなわなと袋を握った。


「この食感……香ばしさ……音と香りと油の熱伝導が……脳に直接……!」


「落ち着いて」


「この料理、魔導式調理器具で再現できる可能性がありますか!? いえ、すぐに改良モデルを考案しましょう! 回転刃式スライサーと、定温制御鍋、そして魔力分解吸油装置を……!」


 こうして、飛行機開発と同時進行で、“魔導調理器具の発明合戦”が幕を開けてしまった。


 まさかの方向に熱量が向かってしまったけれど、こうして今、フィンブリー領はかつてないほど賑やかになっている。


 この空の下、夢に向かって――いや、たまに爆発しながらも、私たちは着実に前へ進んでいる。



 五月の空は、雲一つなく晴れていた。


 そして今日は、ついに魔導式飛行機の飛行試験日。これまで何度も爆発し、横転し、墜落してきた試作機たちの末裔――通称「フライモド改六号」が、空へと羽ばたく。


「リゼ、準備は万端だよ。機体の点検完了、魔石圧も安定してる」


「よし。アレク、補正魔術の展開は?」


「問題ありません。滑空中の浮力制御と姿勢安定補助を重ねがけしています。あとは、風の具合ですね」


 助手たちは真剣な顔で飛行機を囲み、最終調整をしていた。


 ……うん、絵面だけ見れば最高に格好いい。


 ただし、この二人の間には目に見えない火花が散っている。


「エルネスト様、まさか昨晩も寝ずに整備していたわけではありませんよね? 設計精度に影響が出ますよ」


「アレクこそ、寝ながら計算してたみたいだったけど? 数値、ちょっとズレてたよ。僕が直しておいたけど」


「……!」


「……!」


 黙っていればどちらも優秀なのに、相手の存在を意識しすぎていて常に一触即発だ。


 原因はたぶん、私。


 二人とも、研究においては全力を尽くしてくれるのだけど、それが競争心に火をつけてしまったようで、最近では私の言葉一つに対して、どちらが先に対応できるかを競っている始末。


 例えばこの前、


「誰か、昨日の圧縮比データまとめて――」


「まとめました!」


「出力形式は二種類ご用意しました!」


 みたいな感じだった。


 ありがたいけれど、正直めんどくさい。


「そろそろ試験機を滑走路に運ぶわよ。二人とも、喧嘩してないで集中して」


「了解です!」


「はっ、承知しました!」


 二人の声が重なり、同時に礼をする。


 ……はぁ、まあいいか。


 フライモド改六号は、木製フレームに強化魔布を貼り付けた軽量機体。動力は圧縮魔導蒸気と魔石反応炉を併用し、離陸時に最大出力が出る設計になっている。


 滑走路といっても、山の斜面を整地して作った簡易な土の道。整備班が目印の旗を立て、周囲の村人たちが遠巻きに見守っている。


「では、飛行試験を開始します」


 アレクが手を掲げ、魔力で風速を測る。エルネストが機体の側面にそっと手を置き、魔導反応を最終調整。


 私はコクピットに乗り込む。……ええ、当然、操縦はこの私。だって、私が設計したんだから。


「リゼ、気をつけて! 今回はマジで飛ぶかもしれないから!」


「マジでって何よ……飛ばなきゃ困るでしょ!」


 私は胸元の安全バンドを締め、ハンドルを握る。


「推進部、点火!」


 ごぉぉん、と唸るような音が響き、フライモドの心臓部が動き出す。機体がゆっくりと前に進み始め、空気が唸りを上げた。


 速度が上がり、土が後方に飛び散る。私は前方を見つめ、慎重にハンドルを上げる。


 そして――


「……上がった!」


 視界が跳ねるように持ち上がり、地面が遠ざかっていく。


 風が顔を打つ。空が近い。下を見ると、村人たちが豆粒のようだ。


 飛んだ。私は、空を飛んでいる!


「安定飛行に移行! 補正魔術、良好!」


「やったぁぁぁっ!」


 地上では、エルネストとアレクが声を上げ、抱き合いそうな勢いで喜んでいた。あ、でもやっぱり目は合わせてない。


 私は旋回に移り、ゆっくりと機体を右に傾ける。補助魔術のおかげで挙動が安定していて、視界も揺れない。


 そのまま、空から村を見下ろした。


 田畑。山。川。屋敷。


 すべてが、遠くから見ると一枚の絵のようだった。


 これが空からの視点。


 私がこの領地を再興したいと思った理由。そのすべてが、ここにある。


 この景色を、もっと多くの人に見せてあげたい。


 飛行機は、きっとこの世界を変える。


「そろそろ着陸体勢に入るわよ!」


「滑走路、問題なし! 風も安定しています!」


 私はハンドルをゆっくり下げ、速度を落としながら滑空に移行した。


 フライモドは安定したまま斜面に沿って降下し、わずかな衝撃とともに地面に着地する。


 地面を滑って、少しだけ跳ねて――やがて、静かに停止した。


「……成功、ね」


 私がそう呟くと、地響きのような歓声が遠くから届いた。


「リゼ! やったね!」


 駆け寄ってきたエルネストが、満面の笑みで両手を広げる。


 そのすぐ後ろからアレクも現れて、彼なりの小さなガッツポーズ。


「飛行機、完成です」


 私たちの“夢”が、現実になった瞬間だった。


 ただしこの後、どちらの助手がより貢献したかでまた静かな戦争が始まるのだけれど――それは、また別の話。



 飛行試験成功から一週間。フィンブリー領は、かつてないほどの賑わいを見せていた。


 空を飛ぶ機械の噂はあっという間に王都に届き、見物客や技術者志望の青年たち、さらには貴族の子弟までが訪れ始めている。飛行機の実用化が現実味を帯びてきた今、各方面からの注目は避けられなかった。


 そして、とうとう王都からの公式文書が届いた。


「魔導技術博覧会への参加要請?」


 私は広げた書面を前に眉をひそめた。文面には、飛行機を含む新技術の発表者として王都に招待したい、という丁寧な言葉が並んでいる。だがその端々に、“王家直轄の技術として囲い込もう”という意図が滲んでいた。


「リゼ、無理に行く必要はないよ。王都なんて、また嫌な思いをするかもしれないし……」


「……わかってる。でも、これは断れない案件ね」


 私たちが作った飛行機は、確かに画期的だった。でも同時に、政治的にも利用されやすい代物だ。いずれは特許や使用権、管理体制について議論になる。それなら、こちらから出向いて主導権を握るほうがいい。


 しかも。


「この書簡……王太子の後任、現第一王子のディリオン様からよ」


「え? ……僕の弟か……」


 エルネストが視線を伏せる。彼が王太子を退いた後、弟であるディリオン殿下が次期王位継承者となった。噂によると、非常に冷静で手堅い人物らしい。技術に強い関心を持っており、今回の招待も彼の主導で行われたという。


「断ったら、逆に怪しまれるわね。行くしかないか……」


「なら、僕も同行する。もちろん僕だけじゃない。アレクも連れていこう」


「僕も? 当然だ。僕がいなければ、機体の制御魔術は説明できないでしょ?」


「じゃあ決まりね。三人で王都に乗り込むわよ」


 準備を進めていたある日、フィンブリー領の屋敷に珍しい来訪者が現れた。


 馬車から降り立ったのは、艶やかな金髪を揺らした少女――レイナ・クライン。


 あのとき私を断罪し、エルネストの婚約者となり、そして王都でスキャンダルを起こして失脚した、あの“ヒロイン”だった。


「お久しぶり、リゼリア=ロズベリィ」


「……まさか、またあなたに会うとは思わなかったわ」


 以前とはまるで雰囲気が違った。華やかだった装いは落ち着いたものになり、表情にもどこか疲れた影がある。だが、その目だけは変わっていなかった。強く、そして自己中心的な光を湛えていた。


「用件を聞くまでもないけど、何しに来たの?」


「私は、あなたたちと一緒に王都へ行くわ。技術博覧会に同行者として名を連ねるの」


「……は?」


 私は思わず耳を疑った。


「私はね、王家にとって“都合の悪い存在”になった。でも、あなたたちと一緒に現れれば、“目玉展示の一部”として黙認される可能性があるのよ」


「私たちを利用するつもり?」


「お互い様じゃない? 私が口利きをすれば、展示の場所や演説の順番くらい、どうにかしてあげられるわよ」


 私はしばし沈黙し、視線をエルネストに送る。彼の表情は固く、言葉を飲み込んだように押し黙っている。


「悪いけど、あなたを信じる理由がないのよ。あのとき私を貶めたくせに、今さら擦り寄ってくるなんて」


「じゃあ、こう言い換えましょうか。私は、あなたたちに“借りを返したい”だけ」


「借りを返したい?」


「私があの場で言わなければ、あなたは断罪されなかった。あなたを貶めたのは、私。だからその借りを返す。それだけ」


 ……その言葉に、私はかえって警戒を強めた。彼女の中にはまだ、何か計算がある。


 だが、それでも。


「わかったわ。ただし、“一同行者”として。私たちの技術にも、展示にも、口出しはさせない」


「ええ、十分。それでいいわ」


 こうして、レイナ・クラインが“同行者”として加わることになった。


 不穏な気配を孕んだまま、私たちは王都へと向かう。


 私の過去、エルネストの因縁、アレクの野心、レイナの思惑。


 すべてが交錯する、魔導技術博覧会の幕が、今まさに上がろうとしていた。



 王都に入ったその日、私たちはまるで見世物のような注目を浴びた。


 飛行機の存在が王都にもたらした衝撃は予想以上だったらしく、王立魔導研究会からの質問状、貴族たちの視察要望、果ては新聞社の取材依頼までが押し寄せてくる。


「こんな騒がしい場所、二度と来たくないわね」


 私がそうぼやけば、アレクが静かに頷き、エルネストが「僕も」と苦笑する。


 それでも、私たちは“発明者”として、この喧騒の中心に立つ覚悟を決めた。


 魔導技術博覧会の会場は王立大講堂。広大な敷地に数十のブースが並び、それぞれが魔導機械や新魔術の成果を競っていた。


 その中心――特別展示広場。


 そこに、私たちの飛行機「フライモド改七号」が鎮座していた。


 周囲の喧騒がぴたりと止まり、人々の視線が一点に集中する。


「……まさか、飛ぶんじゃないよな?」


「空を飛ぶ魔導機なんて、本当に実用化できるのか?」


 そんな声が聞こえる中、私は壇上へと上がる。


 胸を張り、前を見据える。これまでどれほど嘲笑われても、否定されても、私は歩き続けてきた。


「私は、ロズベリィ侯爵家の令嬢にして、フィンブリー領の開発者。リゼリア=ロズベリィです。本日は――」


 スピーチの最中、ふと壇の端に立つ人物と目が合った。


 レイナ・クライン。


 彼女は、どこか達観したような表情で私を見つめていた。もう、勝とうとも、奪おうともしていない目だった。


 あの夜、彼女は一度だけ私に本音を漏らした。


『私はね、結局“ヒロイン”なんかじゃなかった。誰からも愛されなかった、ただの傲慢な娘よ。』


 過去の断罪も、嫉妬も、彼女なりの“居場所探し”だったのだと思う。


 私にとっての“居場所”は、ここ。空を翔ける、この場所だ。


「――私たちは、空を拓きます。世界を繋ぎ、視界を変え、国を越え、夢を運ぶ“翼”を、この手で」


 スピーチを終えると同時に、拍手が湧いた。


 私は機体に乗り込み、整備班に合図を送る。


「推進部、点火」


「補正魔術、展開!」


 滑走路に火花が散り、機体が唸りを上げて走り出す。空気が裂け、速度が増す。私はハンドルを引く。


 ――そして。


 フライモド改七号は、再び空へと舞い上がった。


 王都の空を、堂々と、軽やかに。


 街の上空を旋回し、人々が歓声を上げ、広場がどよめきに包まれる。


 私は上空から、王都を見下ろす。昔、閉じ込められたあの街。私を否定したこの場所が、今、歓声を上げている。


 機体を操縦しながら、無線越しに声が聞こえた。


「リゼ、かっこいいよ!」


「君は、今この国で最も高い場所にいる!」


「ありがとう、リゼリア。あなたのおかげで、私も救われたわ」


 エルネスト。アレク。レイナ。


 過去も、現在も、すべてが交差する空の中。


 私は深く息を吸い、静かに宣言した。


「これが、私の革命。私たちの夢」


 フライモドは旋回しながら、夕日に照らされた大空を翔ける。


 助手エルネストの声が、ふと重なる。


「リゼ――君と、もっと遠くへ行きたい」


「……うん、行こう。どこまでも」


 恋も、夢も、革命も、そして仲間も。


 全部を手にして、私たちは空を翔ける。


 これは、かつて断罪された少女が、自らの手で空を拓いた物語。


 終わりじゃない。これは、始まりだ。



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― 新着の感想 ―
 ショートアニメーションの原作を読んでいるような、そんな感覚でした。  よくある令嬢追放系の作品かと思いきや、意外や意外、ものづくりをしていく話とは。  物づくりを通して、描かれていく登場人物同士の心…
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