30 【番外編 9】 まるで魔法みたい
お互いに何も言わず、どこに行くとも決めずに、ただ彼の隣を歩いているうちに、辺りはどんどんくすんだオレンジにかげっていった。
ふと、周囲の人々の漠然とした流れが、私たちとは逆なのに気が付いた。半分以上の人が、噴水広場の方に向かっている。
スピーカーから流れる音楽も、いつのまにか変わっていた。鈴が強調された音色、明るいけれどどこか荘厳な和音。
きょろきょろしている私に気が付いて、リョウトが言った。
「クリスマストワイライトパレード、今週末からだったな。もう少ししたら始まるらしい」
「ああ、それでなんだ。行ってみる?」
私が見上げると、彼は首を横に振った。
「もう一個、乗りたいのがあるんだ。サチがよければだけど」
彼が自分から言い出してくれたのが嬉しくて、私は全力でうなずいた。
「もちろん」
◇
たどり着いたのは、ばら園の隣にある控えめな看板の乗り場だった。
アフタヌーンティー・クレードル。
どこの遊園地にもありそうなティーカップ型の乗り物だけれど、ここのはコースが長い。盆の上に載せられた茶器よろしく同じ場所をぐるぐるしつづけるのではなく、ばら園の中に巡らされた長い水路を、ごくゆったりしたスピードで一周してくるのだ。
ゴンドラに設置されたハンドルを操作し、カップを回転させて楽しむもよし、ゆったり乗って咲き乱れるばらを楽しむもよし。低年齢やシニアがメインターゲットの乗り物だ。夕闇が濃くなって、ばらを見づらくなってきた今の時間帯なら、もう、ほとんど待たずに乗れるだろう、と思ったのに、ゲートの前には意外にも数組の客が行列を作っていた。
最後尾について待っていると、奇妙なことに気が付いた。
私たちの並んでいる列は全く動かないのに、小さい子どもを連れた二、三組の客が、隣をすり抜けるようにしてゲートに消えていくのだ。
「この列、進まないよ?」
「ああ、うん。それでいい」
「なんで?」
首を傾げた私に、リョウトはちらっと腕時計を見て、うなずいた。
「すぐわかるから」
「えー、もったいぶるなあ」
私がふくれてみせたその一瞬後だった。
がらん、がらんと、大きな音が辺りを満たした。
スピーカーから、高らかな鐘の音が鳴り響いたのだ。
街灯ごとに設置されている無数の朝顔型の機械は、お客さんがどこを歩いていても切れ目なく音楽や放送を聞けるように、中央制御室から完全に同期したデータを受け取って鳴らしている。寸分の狂いもなくぴたっとそろった鐘の音が四方から聞こえるせいで、まるで、鐘の鳴る塔の真下にいるような気分だった。
ぽつん、と、目の前のアーチ状のゲートのてっぺんに、白っぽい光が星のように一つ灯る。それから、ざあっと広がるように、辺り一面に、ちかちかと瞬く小さな星のような光の点が広がっていった。
見渡せば周囲でも、同じような光の洪水が、同時多発的に起こっていた。アトラクションを囲む優美な曲線のワイヤーラティスにも、ヨーロッパ調のデコラティブなデザインの街灯にも、街路樹にも、土産物屋やカフェが立ち並ぶ通りにも、あっという間に小さな光が無数に輝き始める。
「うわあ」
思わず叫んでしまった。急速に暗くなりつつある空のてっぺんはもう、青というよりは藍色に近い。そこから下へとグラデーションになって、淡い青、クリーム色、バラ色がかったオレンジ色をわずかに残す夕暮れの名残りの色に変化している空を背景に、枝を伸ばす街路樹もほとんどシルエットしかみえないほどになっていた。そこに広がった光の点は、まるで昼間の最後の気配を追い払って宵闇を招きいれる、地上の星のように見えた。
係員の明るい声が響いた。
「ただいまより、トワイライトティータイム・クレードル、ご案内を開始いたします! 係員の誘導に従って、ゆっくりお進みください!」
少しずつ動き始めた行列について歩きながら、私は首を傾げた。
「トワイライト? アフタヌーンじゃなくて?」
「さっきの鐘が五時の時報で、そこからライトアップ営業になるんだよ。ライトアップの企画は、パレードが目玉ではあるけど、それぞれのアトラクションも日中とは違う演出になるんだ」
「あ、じゃあ、こっちの列はその順番を待ってたんだ」
「そう。すり抜けていったお客さんは、デイタイム営業でもいいから乗りたかった人達だ」
「よくそんなの知ってたね」
「いや、オフィシャルサイトに山ほどバナーが貼ってあって、特設サイトも出来てたぞ。さっき、パレードを知らなかったみたいだからあれって思ってたんだけど、サチ、完全に見落としてたんだな」
にやっと笑って言われ、私は憮然とした。
「だって、絶叫系をチェックするので手いっぱいだったから」
もちろん、とても楽しみにしていた予定ではあるけれど、ぎりぎりまで仕事に追われていたのだ。
「俺はそっちのチェックを怠ったせいで、朝の失敗につながったわけだけど」
リョウトは声をあげて笑った。
「二人とも、見てたところが全然違うんだね。同じ公式サイトを見に行ってたはずなのに、不思議」
私も笑ってしまった。きっと色んなことがそうなんだろう。同じものを見ているはずなのに、私の目に映るものと、彼の目に映るものは全然違う。
それを、わくわくして、面白がっている自分が意外だった。
中学生の頃、世の中の全てに毛を逆立てて、怯えていた私なら、そのことに気が付いた瞬間に、きっと不安や寂しさに圧倒されて、どうしようもなくなっていたに違いない。
自分で思っていたよりも、自分はちゃんと大人になれていたんだな、と思った。
中身は全然変わらないお子様のままなんじゃないかと思っていたけれど、案外、変わっていることもあるんだ。
まるで魔法みたいだ、と思った。いつのまにか、変身している。光がふわっと点いた瞬間に、あたりがもうすっかり夜に近づいていたことに気が付くみたいに。
列が少しずつ進んで、アトラクションのゴンドラが水路をゆったりと滑っていくのが見えてきた。
紅茶のカップ型のゴンドラは、ばらやラナンキュラスのようにひらひらと薄くてふっくらとしたカーブを描く花弁をいくつも重ねて、側面に取っ手をつけたデザインだった。その取っ手の上あたりからツルのようなデザインのアームが上に向かって延び、簡単な日よけ、雨よけになる葉っぱの形のシェードを支えている。
カップ型のゴンドラの外側にも、アームにも、シェードにも、たくさんの小さなオレンジ色の明かりが無数にちりばめられていた。
そうしたたくさんの光のせいで、外から見ると、ゴンドラ自体が光って見える。中に座っている人にはあまり光が当たらないので、人影は闇にまぎれてしまい、まるで、ティーカップを模した美しいランタンだけが、ゆったりと間隔をあけて、いくつも川面を流れているように見えた。
リョウトは、これに乗りたいと思ったんだ。私と一緒に。
心臓が少しずつ高鳴ってくるのがとめられなかった。
やっぱり、表面的にはぶっきらぼうで無愛想だけど、ものすごく繊細でロマンチストだと思う。
ようやく、私たちの順番が来た。リョウトは先に乗って、黙って私に手を差し伸べた。
どうしよう。まるで、お姫様になったみたいな気分だ。
私はリョウトの手に頼って、急にぎくしゃくしだした手足をどうにか転ばないように動かして、彼の隣に乗り込んだ。














