24 【番外編 3】 ありがとうとごめんね
「あのさ」
彼はこつんと、私の肩口に頭を預けた。普段なら、まずやらない行動だ。そのまま、ぼそっと呟く。
「本当は戻ってきてくれてすごい嬉しいし、ほっとしてる」
「ほっと?」
「子どもじゃないんだから、迷子にはならないと思うけど。でも、サチみたいな子が一人でうろうろしてたら、声かけたりするやつもいるかもだから」
「知らない人にはついていかないよ、子どもじゃないんだから」
「そんなのわかってるよ。普通の相手ならサチが自分で対処できることも」
あえて茶化した私に、彼は憮然とした。
「でも、しつこくするやつがいるかもしれないだろ。だけど、そういうこと言うとすごい過保護っていうか、やきもち焼きみたいじゃん」
「……ありがと」
「それに、サチが楽しみにしてたのも知ってたし」
「うん。私も、ごめんね」
「何が」
「はしゃぎすぎて、リョウトが乗り物苦手かもしれないって、想像してもみなかった。さっき乗ったスピニングボート・イン・ストームは、最高速は大したことないけど車酔いしやすい人には向いてないって、最初にちゃんと言っておけばよかった。リョウトの一日を台無しにしちゃったかもって思ってたの」
「それは、確認しなかった俺が悪い。サチが気にすることじゃない」
リョウトは私の肩に預けた頭はそのままに、手探りで私の左手に自分の右手を重ねた。指をしっかり絡めて、手の甲側から包み込む手は、骨ばって少しごつごつしていて、私のよりも一回り大きい。すっぽり収まる安心感があるから、手をつないでもらうのはいつだって大好き。小さい頃からずっと好きだった。
ぶっきらぼうで無愛想だけど、本当はすごく繊細だし優しいのだ。だからこそ、リョウトが自分を後回しにしていたら、怒るのは私の役目だと思う。
「リョウトは? 私がいない間は、どうしてた? 気分を立て直すのに手いっぱいだった?」
「ん、いや。それなりに、周りが見えるようになってきてからは、観察してた」
「わ、仕事熱心だね」
私はくすくす笑った。
そう。乗り物がここまでダメなのは初耳だったけれど、賑やかな場所も普段はさほど好きじゃない彼が、こんなところに来ているのは、私のためだけってわけでもない。彼自身の仕事に活用する目的もあるのだ。
「アイデア、浮かんだ?」
「うーん、そんな簡単には。でも、そういうシーンが必要になった時には、書けるかもって手ごたえは出てきたかな」
「乗り物酔いする人の体験は確実にすごい臨場感で書けるよね」
彼は文筆業で生計を立てている。それも、複数のヒット作をものにしている、恋愛小説家。
世間には外見も住んでいる地域も公表していないし、ここですれ違った人には、彼の職業は絶対当てられないだろう。
少し長めの髪は、会社勤めには見えないかもしれない。でも、それ以外の手がかりは皆無である。高校生までは剣道部にいたので、細いなりに筋肉質ではあるけれど、色白。顔立ちは端正だけど、表情はさほど豊かな方ではない。
以前は、清潔で機能的でありさえすれば何でもいい、引き出しから適当にどれをとって組み合わせてもまあまあ無難に着地するものしか買っていない、みたいな無頓着なファッションで、容姿とトータルすると、IT系ひきこもりオタクか研究一筋の大学院生、百歩譲って在宅ワーク中心のエンジニアみたいな外見だった。
けれど、着るものや髪型について言えば、時々私と一緒にプライベートの時間を過ごしてくれるようになって、少し変わってきた気がする。色や形にも多少興味を持って選んだんだろうな、という服装は、ラフだけど、芸術家らしい繊細な色気が垣間見える雰囲気になってきた。
今日も、オフホワイトのオックスフォードシャツの上から、黒いカジュアルなジップジャケットを羽織っている。ごくごくシンプルな物ばかりだけど、以前のように着られればいいというオーバーサイズの品ではなく、細身の割に少し腕と足が長めの体形にちゃんと合ったものを選んでいるし、色も白と黒だけではなくなった。デニムのボトムスは明るいブルーだし、シャツの胸ポケットには小さな山吹色のワンポイント刺繍がちらっとのぞいている。
誤解があるといけないけれど、私は今の一連のくだりを、全力でほめて言っている。以前のスタイルだって、信念を持って着るものに割くエネルギーを一定程度に制限したからこそのアウトプットだ。その信念をちゃんと根本に持った上で、今は変化にも少しずつ対応しようとしている彼の生活は、見た目に気を遣ってばかりの軽薄な人間より、よほどカッコいいと思う。
「乗り物酔いの経験ね」
リョウトはおかしそうに軽く息をはきだした。
「うん。それに関しては十分すぎるくらい取材できたな。それに、離れたところから見ているからこそ気づくこともある」
彼は私の膝越しにひょいと手を伸ばすと、私がすっかり飲み終わってベンチの座面に置いていた紙コップに自分のコップを重ねて掴み上げた。思いがけなく急に近づいた距離にどぎまぎしている私を置いて、すっと立ち上がってゴミを捨てに行く。
歩く姿勢がすごく綺麗なのも、私がリョウトを好きなところの一つ。
でも、今まで甘やかされていた左手が、急に外気に放り出されて、ちょっぴりすーすーする。って、贅沢だぞ、私の左手。
戻ってきた彼は、私にすっと右手を差し出した。
「一番乗りたかったのが、レインボーアーチスペクタクルなら、もう並ばないと」
「え、でも」
「一人では行きたくないんだろ。俺も一人で並ばせるのはやっぱりいやだなって思った。だから一緒に行こう」
もたもたしている私にじれたように、彼の右手は私の左手を捕まえた。
私の戸惑いをよそに、左手はすっかり彼の右手に甘えて、またすっぽり包んでもらえる安心感に喜んでいる。こら、左手。
「でも、まだ少しめまいが残ってるでしょ。今日、絶叫系に乗ったら、また酔うよ。やめたほうがいいって」
「大丈夫。無理も我慢もしてないから」
彼は横目でちらっと私を見て、口の端をちょっと持ち上げた。
「正直、サチはレインボーアーチスペクタクルには乗らずに戻ってくるだろうって思ってた。あれが一番行列が長いだろ。サチ、いつも俺に気を遣うから」
最後の一言はそっくりお返ししたい。
「でも、ここまで来て、十年以上前から乗りたかったアトラクションを逃す手はないじゃん。鋼の三半規管なんだから、ビビってるわけじゃないんだろ」
「いや、それはもちろん。乗ってみたいよ。でも」
「じゃあ、四の五の言わずに来いよ。俺だって、待ってる間に何も考えてなかった訳じゃない」
ぐいっと私の手を引く力は思いのほか強くて、私は小走りで彼の隣に並んだ。頭の上で、小さな鈴の音がまた、ちりり、と聞こえた。














