13、宿敵も出ました
山の中腹まで来たとき、ぽっかりと細い穴が開いたように、黒い魔力が存在しない横道があった。
不審には思ったが、これ以上後ろの化け物に距離を詰められたくはない。人ひとりを背負い、ワイヤーを避けて山道を登っているせいで、小夜の進みは遅かった。
本人は何も言わないが、息も上がっている。少し休む必要がある。
「小夜、すぐ右横に道があるから、そっちへ入って」
「はい」
横道に入ると、小夜の足取りが軽くなった。
「小夜?」
「先ほどより、動くのが楽になりました」
ワイヤーも無い、化け物も横道に入ってからは追ってこない。
しばらく歩いて後ろを確認し、小夜に声を掛ける。
「ちょっとここで休みましょう」
「もっと先に明かりが見えます、そこまで行きませんか」
音様の足の手当ができるかもしれません、と小夜が言った。
「気が進まないのよね…」
小夜の調子が良いのは何よりだが、なるべく道の奥には行きたくない。
この横道は、ひどく居心地が悪いのだ。前世のエリザを思い出すような、自分とは壊滅的に性質が合わない魔力の気配がする。
小夜の提案を保留し、背から降りて座らせる。
道の奥から滝の音が聞こえてきた。
「子取村の山に滝なんてあったかしら?」
「お屋敷の裏山にはあると聞いたことがございます」
ということは、村外れからぐるりと回って屋敷の裏手まで山伝いに歩いてきたということか。
また月が出てきた。
道のずっと先に社が見える。明かりはそこのものだったらしい。
「社がございますね。お供え物もありますし、ちょうど良うございました」
どこかふわふわした口調で小夜が立ち上がる。
「待ちなさい」
思わず裾を掴んだ。
何かがおかしい。
「小夜、お供え物は何があるの?」
「高坏に美味しそうな饅頭が3つと、お神酒がございます」
「では聞くけど、いつからお前はそんな遠くまで見えるようになった?」
「え…」
社までざっと数百メートルはある。とてもじゃないが、月明かりだけでそんな詳細を見通せるはずがない。
自分の言っていることの不自然さに気づいたのか、小夜の声が震えた。
「言われてみれば、どうして見えるのでしょう」
「戻るわよ」
追ってくるものよりも、誘い込むものの方が性質の悪いことは多々ある。長居は無用だ。
結界を巻きなおして再び小夜の背におぶさろうとしたところ、
「音様」
と小夜がささやいた。
「向こうから人が来ます」
見ると社から明かりを持った白い着物の何者かが音もなく近づいてきていた。
手早く、縄を小夜と自分に巻き付ける。
「早いところ、先ほどの分岐点まで戻りましょう」
「はい」
小夜に背負われ、夜道を戻る。
先ほどの分岐点の近くまできたとき、そこに先ほどの7本足の化け物がうろついている気配がした。
「止まって」
今は月が出ている。このまま行けば、小夜が前方に化け物を直視する羽目になってしまう。
「あれを近くで見ることになったら、小夜はSAN値直葬だわ」
「産地直送とは何でしょうか?」
問いかけは無視した。
後ろからは不審者。前には化け物。
一瞬迷ったが、歩いてきた横道から山の上側の藪に分け入らせた。
結界の縄を強く掴む。
「ここでやり過ごしましょう」
「はい」
2人で小さく輪の中にうずくまった。
しばらくして明かりが近づいてきた。息を潜める。
「音様、絵理子様が…」
「見えているから言わなくていい」
社から向かってきていたのは、白装束の絵理子だった。
胸に丸鏡を下げ、手にろうそくを持ち、足音もなく夜道を歩いている。
優しげな声で呟いているのは前世で覚えのあるブラバント家の索敵詠唱だ。
「勘弁してよ…」
横道に入ってから、嫌な予感はしていたのだ。
オルトネット・フォン・レッドバットが音に生まれ変わったように、エリザ・ツー・ブラバントも転生して絵理子になっていたなんて。
幸いにして、エリザの詠唱スキルはオルトネットに比べて格段に低い。あの程度の索敵詠唱で見つかるとは思わないが、
「何よ、あの魔力量」
自身の魔力を持たない音に比べて、絵理子の魔力量は膨大だった。
絵理子からは水にまつわる土着の神の気配がする。そういえば前世では、自前の魔力で全ての魔法を御していたオルトネットとは違い、エリザは神の力を借りることで魔法を操っていた。
「神に愛されしエリザ…ねえ」
生まれ変わっても、神に愛される女のままであるらしい。どこの神かは知らないが。
「やっぱり、嫌いだわ」
前世を思い出して苛立ちを感じているうちに、絵理子が通り過ぎた。
その先は7本足の化け物がいる分岐点だ。
化け物は絵理子の存在に気づいたようだった。
月は出たままだ。
「小夜、良いと言うまで目を瞑ってなさい」
「音様は?」
「私は平気。無用な気遣いよ」
何も見ることがないよう、念のため、小夜の頭を振袖で抱き込んだ。
絵理子がいる横道に、黒い魔力とともに化け物が乗り出してくる。
絵理子は落ち着いた様子だった。
「私はお前じゃなくて、音姉さまたちを探しているのだけど」
貞女の顔をした化け物は身の毛のよだつような叫び声を上げ、噛みつこうとした。
「嫌だわ。犬にされると言葉まで忘れるのね」
絵理子が胸の丸鏡に右手をあてて、左手で空中に円を描く。
呪文を唱えると空中に描いた円から勢いよく水流が出て化け物に直撃した。
詠唱は拙いが、あの魔力量をぶつけられると応えるのだろう。化け物の足が2本ほど千切れた。
「あら、みっともないわね」
うふふ、と絵理子が笑う。
「次で終わりにしましょうか」
怯んで後退した化け物に追撃しようと、また丸鏡に手を当てて、しかし、そのまま下した。
中空を見上げて
「そのように仰るなら」
と答えを返す。
「神様、案じることはありませんわ」