11、私の女中です
「こうしていると、あの夜の日々を思い出します」
ぽつりと小夜が話し出した。
「音様、私に『前世の行いが悪かったから、自分は酷い目にあっているらしい。だから諦めなくては』ってお話されたのですよ」
「そうだったかしら」
「私は外から来た人間なので、この村の考え方はよく分かりませんし、好きではありません。だから音様がそう話されたとき、『そんなことはない』と否定したかった」
「そう」
「でも音様はこうも仰いました。『それでも、こんな目にあうほどの悪事を働いたとは思えない。もし、自分の前世の行いが悪くないと分かる日がきたら、全部ひっくり返してみせるわ』って。その強さがうれしかった」
「そう、ありがとう」
今となっては予言のような言葉だ。自分がそんなことを言っていたなんて、不思議な気持ちがする。
「最近の音様は人が変わったようだ、と皆が噂をしています。でも私は、音様は昔のままだと知っています。昔と変わらず、強くて優しい」
「優しいかは知らないけど」
「優しいです。今と同じく、きっと前世でもそうだったのですよね?」
この村は不思議なことが多いから前世が分かることもあるのでしょう、と小夜は言った。
「…この村の考え方は好きじゃないと言ったくせに、前世を信じているの?」
「音様にとって都合のいい考え方なら信じます」
「あなた、本当に私のこと好きね?!」
「はい。だから、もう最後なので、たくさんお話させていただいて幸せです」
「最後?」
「お屋敷の皆様は私が盗みを働いたと思っていますし、絵理子様は音様を貶める邪魔をされたと思っているでしょう。お屋敷にはもう居場所がありません、きっと追い出されます」
「追い出されないわよ」
「そうだったら本当に良いのですが。…音様のおそばにずっとお仕えしたかった」
「ずっと仕えてもらうわよ」
「そうなったら夢みたいです」
小夜は下を向いた。
「あなた、少し人の話を聞かないところがあるようね」
頬に手をあてて顔を上げさせる。
「ずっと仕えてもらいます。お父様に話はつけました」
「えっ」
先ほど屋敷を出る前のことだ。
小夜が庭で袋叩きにされて連れて行かれた後、父の前で久光が貞女を女中の監督不行き届きで責めているところに介入した。
使用人の不祥事に厳しい父のこと、久光も自分に責任が及ぶのが怖かったのか、執拗に貞女を責め続けていた。姉妹や他の使用人たちは退室し、大広間には3人だけだった。
久光の怒鳴り声が響くなか、声を掛ける。
「お父様、貞女をあまり責めないでくださいませ。小夜は私付きの女中でございますので、私にも責任があります」
驚いた顔をして、久光と貞女が振り返った。
「お前に女中を付けた覚えはないが」
顎をさすりながら、重蔵は訝しんだ。
主屋内の女中の配置は貞女の権限だが、その後、久光を通して重蔵に報告する義務がある。
「昨夜、貞女に小夜を付けてもらったばかりでした。今日のご挨拶で、そのことを貞女からお父様に申し上げるはずだったのですが、その前にあのような騒ぎになってしまったので、お伝えできなかったのです」
全くの嘘だが、小夜が自分の侍女だったという既成事実を作るために、堂々と述べる。
ちょうど、自分付きの女中が欲しかったところだ。
主屋の使用人たちに疎まれているため、まっとうな方法では自分の女中が得られないことは分かっていた。
不祥事を起こした女中なら、うまい具合に誘導すれば、上司としての責任から逃れたい一心で『もともと監督権を譲っていた』という作り話に乗り、こちらに引き渡してくるはずだ。
「そうよねえ、貞女?」
呆気に取られていた貞女だが、ハッとした顔で首を縦に振った。よくわからないながらも、とにかく追求から逃れられるチャンスだと気付いたのだろう。
「は、はい。実はそうなのでございます」
「本当なのか」
重蔵の鋭い眼光に射すくめられ、貞女が体を硬くした。
「小夜が私についてすぐに問題を起こしたので、貞女は責任感から言い出せなかったのでしょう。私が小夜を付けてもらってまだ一夜ですし、貞女があの子を監督していた期間の方がずっと長いのは確かですから。…そうでしょ、貞女」
「は、はいっ、その通りです」
再び貞女が激しく首を縦に振った。
険しい顔の重蔵の前で、顔に手を当てて首をかしげながら言葉を続ける。
「もしかしたら、私付きになったことで忠誠心が誤った方向に傾いて、今回の騒動になったのかもしれません。そうであれば、私にも責任があるでしょう」
「確かに小夜の申し開きは奇妙だったな。絹子の指輪を盗んで自分のものにするなら分かるが、『似合うと思って』お前に渡すとは」
「はい」
「お前の女中だったとすると、お前にも罰を与えねばならんな」
「覚悟しております」
これで小夜を侍女にできるなら、多少の罰は受けてもいいと考えていた。
ふと、重蔵の圧が和らいだ。
笑顔を見せ、聞いたことがない奇妙に柔らかい声になった。
「お前、そんなに自分の女中が欲しいか」
「は?」
「小夜は主人に嘘をついた女だぞ。そんな女を傍に置くのか」
目の前にいるのは確かに重蔵なのに、別人と話しているような違和感がある。
久光を横目で見ると、失神寸前といった具合の真っ青な顔をして震えていた。
重蔵は今までに見たことがないほどニコニコした笑顔だった。
「ん?どうだ、嘘は許されんぞ」
様子がおかしいのは気になるが、ともかくも返答する。
「嘘には種類がございます。小夜のついた嘘は悪意がありませんでした」
「そうかぁ」と妙に間延びした調子で重蔵は続けた。
「では音、お前がついた嘘はどうだ?小夜がお前の女中だったというのは嘘だろう」
作り話がバレている。
ゾワっと総毛立つような笑顔だった。
「お前の舞は見応えがあった。気に入った。だがな、そもそもなぜ指輪をしたまま舞ったのだ?女中がいるなら預ければいいだろう」
「それは…」
いくらでも言い訳は思いついたが、何を言っても見透かされると本能が警鐘を鳴らしている。
「なぜ嘘をついた」
「申し訳ございません。小夜を手元に置いておきたい一心でございます」
「小夜はお前を庇ったのか」
「恐らくは。しかし、私も指輪を盗んだわけではありません」
「それは嘘ではないようだな」
なぜ、そんなことが分かるのだろう。これが噂に聞く子取家当主の千里眼なのだろうか。
「そういうことなら、お前も『悪意のある嘘ではない』ということになるのか。だが、主人に嘘をつくのはいかん。そして、この家の主人はこの儂だ」
「申し訳ございません、二度と致しません」
「お前の舞は惜しい。だから、小夜と一晩、屋敷の外で夜を明かしてこい。それをもって罰としよう」
「承知いたしました」
もともと罰自体は覚悟していたので、すんなり受け止める。
「だが、貞女」
重蔵の細められた目が部屋の隅で縮こまっている貞女に向いた。
「ヒッ」
「お前はなぁ、どうしようか。保身のためだけに、音の嘘に乗ったな?」
「お許しください、お許しください!」
貞女がカエルのように這いつくばって許しを請う。震えて歯の根が合わないのか、唇がめくれて下顎の乱杭歯が見える。
一顧だにせず、重蔵は顎をしゃくった。
「久光、こいつを蔵に放り込んでおけ」
「はいっ!今すぐに!」
早く重蔵の前から離れたいとでもいうように、脱兎のごとき速さで久光は貞女の髪を荒々しく掴んで引き摺り、大広間を出て行った。
「それだけは勘弁を!何卒、なにとぞ…!」
廊下に貞女の悲痛な声が響くが、主屋に大勢いるはずの使用人たちは誰もが息を潜めて気配を消していた。
「音、お前も早く行け。もう用は無いぞ」
重蔵はあくびをひとつした後、奥の間に通じる扉の向こうへ消えていった。
「ということがあったのよ。だから、屋敷の外で一緒に夜を明かせば、明日からお前は私の女中なの」
「音様ぁ…」
殴られて泥だらけの小夜が手を握ろうとしてくるのを、さりげなく躱す。せめて泥を落としてからにしてほしい。
「あなた、顔は無表情なのに声は泣きそうなの、面白いわね」
「音様、重蔵様の笑顔を見てよくご無事で」
小夜によると、使用人の間では重蔵の笑顔を見た人間は遠からず死ぬと言われているらしい。
知らなかった。ただ、あれは重蔵というより何か別のもの…〝お蔵様〟かもしれない…が憑依しているように見えた。
小夜は相変わらず、声だけは感情豊かだ。
「私のためにそんな恐ろしい目に遭われていたなんて…」
どうも感動しているところ悪いが、別に小夜のためというわけではない。それに
「恐ろしい目はむしろこれからが本番ではないかしら」
「?どういうことでしょうか」
何も気づいていないらしい小夜にため息が出る。
2人を取り巻く夜の闇はどんどん密度を増していた。