1、前世を思い出しました
最後の記憶は燃え盛る炎の中だ。
オルトネット・フォン・レッドバットは血を吐くような叫び声をあげたのだった。
「なんでなんで、欲しいものを手に入れようとして何が悪い―!」
【異世界ファンタジー悪役令嬢が近代日本伝奇ホラー因習怨念旧家に転生したので、呪いの温床を根絶やしにしようと思います。】
魔法暦1121年、フリースラント王国の大貴族であるレッドバット公爵家の令嬢として生まれたオルトネットは、従姉妹の新興貴族であるブラバント伯爵家のエリザと、隣国のフランツ帝国のシュヴァン皇太子の婚約を妨害し、王国転覆を企んだとして、断罪を受けたのだ。
死んだはずであったのに、目を開けてみたら日本家屋の板敷き間にいた。
今生では代々続く旧家である子取家の第4子、音として生まれた。
日本、大正、昭和、迷信深い山奥の村…うーん、フリースラント王国とは程遠い。
長い夢を見ていたような感覚だった。身を起こして姿見を覗き込む。
小さな顔に、白い陶器のような肌、ふさふさの長いまつげ、大きな丸い潤んだ瞳、すっと通った鼻筋、さくらんぼのような唇。
宮廷の薔薇と謳われたオルトネットそっくりの美しい顔立ちだ。
肩のあたりで揃えられた柔らかな巻き毛が形のいい頭を取り巻いている。
しかし、栄養失調で毛先はパサついている。顔色が悪く、爪は割れており、着物は古びている。
あの壮麗で優雅、自信に満ちていたオルトネットとは違い、みすぼらしい身なりで暗い目をしている。
本来なら裕福な家の令嬢である音が、使用人と大差ない身なりなのは、妾の子として虐げられてきたからである。
「これまでは前世の行いが悪かったせいと諦めていたけれど…。思い出してみたら、全然わたし悪くないじゃない!」
華やかだった前世を思い返してみる。
容姿を磨き、教養や知識を身に着け、権謀術数を駆使して、いつも自分にふさわしい富や名誉や権力を手に入れるため、健気に努力していた。
「それが従姉妹にちょっと意地悪をしただけで殺されるなんて」
むしろ被害者ではないだろうか、前世の自分にいたく同情する。
音の生まれた子取村は山間部にある集落だ。人口400人ほどの小さな村だが、子取家に伝わる〝お蔵様〟を祀っているおかげで、同規模の村よりずっと裕福だ。お蔵様のおかげで子取家当主は千里眼を持つと言われ、農作物の種まき収穫の時期から、相場の上がり下がりまで的確に判断し、莫大な富を築いて村全体を潤してきた。
その代わり、子取家は絶対的な権力を持ち、村の人間は文明開化からしばらく経ったというのにとても迷信深い。
お蔵様の教えにより、この村の人間はどうしようもない不幸や不運に見舞われたとき「前世の報い」と考える。例えば誰かが病気になったら「前世の行いが悪かったから、報いを受けた」というように。
その考えに飲まれていたのかもしれない。
私が妾の子に生まれたのは、前世の行いが悪かったから…
食事を与えられないのは、前世の行いが悪かったから…
古着しかないのは、前世の行いが悪かったから…
数え上げればキリがない辛い境遇や陰湿ないじめを、そうやって飲みこんで、下を向いて生きてきた。
しかし実際、思い出してみれば、そう悪い人間ではなかったことが分かった。
欲しいものを手に入れようとしただけだ。
確かにその結果、追い落とされて財産を没収された貴族だったり、婚約者との仲を引き裂かれそうになった従姉妹だったり、告げ口で左遷された将軍だったり…は、いたかもしれない。
でも、それは仕方ないことだ。
宮廷はもとより毒蛇の巣。大貴族とはいえ斜陽のレッドバット家に生まれ、富や権力や名誉を手に入れようとするなら、後ろ盾がないオルネットの手段は限られていた。
殺されるほど悪い行いをしたつもりはない。
「むしろ勤勉な努力家よね。褒めてほしいくらいだわ」
バカみたいじゃないか、オルトネット・フォン・レッドバット。いや今は子取音。
自分らしい人生を取り戻さなければ。
ふさわしい幸福を手に入れなければならない。
まずは身なりを整えるところからだ。背筋を伸ばし、正妻の娘たちが踊りの稽古をしている座敷に向かった。