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珍しい味のカフェオレを飲み干したエリザベートは、隣に座っているウィレムの顔色が悪いことに気がついた。柔らかな色の瞳が鮮やかに見えるほど顔が白くなっている。額に汗が浮かんでいるし、唇は乾いてカサついている。
嫌がらせの飲み物を二連続で一気飲みする妻を見れば、普通の人間なら具合が悪くなるのかもしれない。この程度の嫌がらせなど通用しないと示すための行為だったが、思わぬ副作用があったようだ。
「わたくしたちはこれで失礼させていただきましょうか?」
声を低めて確認すると、ウィレムが小さく頷いた。
エリザベートは「皆様、中座する無礼をどうかお許しくださいませ」と断ってから席を立ち、さりげなく彼の腰を支えて退出した。
苦茶にせよ毒にせよ、いかにも小物が仕掛けそうなちゃちな嫌がらせだ。毒など効かないから種類を気にしたことはないが、公然と仕込んでニヤついていられるなら即効性のない軽いものだろう。
だが、かわいそうな若い夫の具合まで悪くした罪は重い。
「午後は狩りの予定が入っておりますが……」
見るからに具合の悪いウィレムを寝室に連れて行く途中、従者がおそるおそるといった態度で尋ねてきた。
「いや、やめておく。午後はテレーゼ妃と過ごしたい。構いませんか?」
「もちろんですわ」
健気にも体調が悪いとは言わない夫は、きちんとエリザベートの予定も尊重する姿勢を見せた。エリザベートは午後の読書と散歩を夫との時間に変更する旨を、従者からハイズ夫人に連絡してもらうように頼んだ。
たぶん午後いっぱいかけて病床の夫に無茶をしたことを責められるのだろうが、確かにエリザベートが不死身だと知らなければ心臓に悪い光景だったことだろう。甘んじて受け止めようと思う。
ウィレムに「あとは任せる」と丸投げされた従者は「か、かしこまりました」と口ごもり、顔を赤くして途中で去っていった。王族から直接命じられ、しかも裁量を与えられた名誉に震えているのだろう。
侯爵と伯爵は後で庭園の池に浮いているところを後日発見されるのかもしれない。持参金目当ての王妃暗殺を呪いと嘯くメーガルトはやることが違う。
寝室に到着すると、エリザベートは夫に歩み寄った。
「服を緩めて横になってください」
「えっ、じゃ、じゃあ、人払いを。みんな外してほしい」
エリザベートはなんでも自分で済ませてしまうが、たいていの高貴な人物は上着ひとつ脱ぐにも召使いにさせるのが当然だった。
だが、ウィレムは一人になりたがった。少々変わっているのかもしれない。
「寝間着は寝台にありますからね」
召使いがいなくなったあと、エリザベートも声をかけて居室に下がろうとした。が、ウィレムに呼び止められた。
「なんできみまで下がるんだ。一人で何をしろって?」
「お召し替えを人に見られるのがお嫌なのかと思って。わたくしがお手伝いを?」
「ひ、昼間から寝室に僕を連れ込んでいるのはきみのほうだろう」
「殿下のお顔の色が優れないようだったので。一緒にお昼寝をしてもよろしくて?」
「構わない。存分に昼寝を楽しんでほしい。顔色はちょっと……悩み事があって」
「まあ、そうでしたの」
では、と衣装のリボンをほどき始めると、ウィレムが「わあああ!」と慌て始めた。
「なぜここで脱ぐ!? バスルームがあるだろう!」
「あら、夫婦でも恥じらいは大切だったわね。失礼」
ちなみに朝は女官に着付けられたメーガルトのドレスだが、自力で脱ぎ着できるようにもなっている。式典用の礼服ならともかく、日常のドレスにいちいちお針子を使うような贅沢な王家ではないというわけだ。大昔のフォンブルクのドレスは着替えのたびにお針子がローブを縫い合わせる構造になっており、着るほうも着付ける方も大変だった覚えがある。
エリザベートは浴室で着替えを済ませ、寝室へ続く扉を開けた。
寝台に腰掛けて中途半端にシャツのボタンを外していた夫が襟を掻き抱き「早すぎないか!? ドレスを破り捨てたのか!?」と叫ぶ。
「いえ、破くより脱いだほうが早いでしょう。殿下のお召し替え、手伝います」
「いい! ――いや、やっぱりお願いできますか」
着替え慣れていないらしく、ウィレムの指は外したボタンを再び留め始めてしまっている。
「ボタンを外すから、両腕をおろして楽になさって」
「恥ずかしいから見ないでほしい」
「あら。わがままな王子様だこと」
長い長い人生だ。男性用の衣服の構造もある程度は知っている。
エリザベートはにこりと笑った。
「わたくしが前からボタンを外してご自分で脱いでいただこうと思いましたが、後ろからお脱がせすることもできますよ。どちらになさいます?」
だんだんわかってきた。このかわいそうな夫はひどく初なところがあり、からかうと非常にエリザベートが楽しいということを。