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「おはようございます、妃殿下」
サー、と窓掛を開ける音がして、眩しい光とともに声がかかる。エリザベートは盛大に顔をしかめ、寝具を引っ張り上げて頭まで覆い隠した。
「おそれながら妃殿下。そろそろお目覚めになりませんと」
寝室じゅうの窓掛が全開にされたようで、朝の光が寝具を貫通してエリザベートに燦々と降り注いでくる。眩しい、煩わしい、寝かせてほしい。
起こしにきた女官には申し訳ないが、平均睡眠時間が三日のエリザベートは到底起きられそうにない。
潜り込んだ寝具から片手を出し、ふにゃふにゃの寝起き声で「ごめんなさいもう少しだけ寝かせて」と懇願するも、容赦なく剥ぎ取られた。
「いけません! レオナルド殿下が食堂にて妃殿下をお待ちです。早くお支度なさってくださいませ」
「ひえっ」
春とはいえ、薄手の寝間着一枚になれば不死身でも寒い。
固く目を閉じたまま両腕で胴体を掻き抱き、エリザベートは大判の枕の下に頭を突っ込んで暖を取ろうとした。
「妃殿下、お目覚めに効果のあるお飲み物をお持ちいたしました。どうぞ」
あっさりと枕をめくり、女官が声をかけてくる。
眩しくて目を開けられず、エリザベートは上半身を起こして手渡されたカップを手探りで受け取った。体に良さそうな、さわやかな芳香と湯気を感じる。何度か息を吹いて冷まし、口に含む。
「……」
「……」
ほろ苦く、さっぱりした香草茶のようだ。続けて何口か飲んでいるうちにすっかり飲み干してしまった。
お茶のおかげで体が温まり、エリザベートはようやく目を開けて辺りを見渡した。
「……妃殿下?」
広々とした寝室には女官が三人。エリザベート一人に対して多すぎるような気もする。皆そろって唖然とした顔でエリザベートを見ているが、眠気の残る彼女は気にも留めない。
「おはようございます、皆さん。ベッドの寝心地が良くて寝過ごしてしまいましたわ」
女官のうち、厳めしい顔つきをした年配の貴婦人が言った。
「改めまして、おはようございます、妃殿下。本日から身の回りのお世話を務めさせていただきます、ハイズと申します」
年配の貴婦人はハイズ侯爵夫人。
二人いる若手の女官のうち、薄茶色の髪の方がフォルモ子爵夫人。黒髪の方がヴェルト男爵夫人。
寝台から降りたエリザベートはあっという間に着るもの、化粧、髪と身支度を整えられ、食堂へ連行された。行き交う誰もが彼女のために道を空け、恭しく頭を垂れる。慣れない光景に困惑しつつ会釈を返しながら進み、ようやく食堂の扉の前にたどり着いた。
「妃殿下をお連れいたしました」
「おはようございます、殿下」
その日の最初の王族への挨拶は、きちんと膝を折って頭を下げること。
エリザベートにこの国の作法を教えた大使がそう言っていた。
作法通りに裾をつまんでふわりと広げて膝を折り、柔らかく頭を下げる。
「あ、え、あの、もう、あなたもメーガルド王家の一員ですから、そのように畏まらずとも」
若い夫の正体は王子の双子の弟とはいえ王弟公の令息だったと聞いている。ここまで恭しく挨拶されることには慣れていないのだろう。かわいそうなほど焦っており、一周まわって可愛く思えてきた。
「どうぞこちらへ」
席についていたのにわざわざ立ち上がり、夫がエリザベートを椅子までエスコートしてくれた。おまけに腰掛けた彼女に対して、同じように丁寧なお辞儀までしてくれる。夫婦は対等ということだろうか。
今朝はかなりエリザベートに気を使った献立で、フォンブルク料理尽くしの朝食だった。
海辺のメーガルト王国で出される穫れたての魚介料理は、フォンブルク宮殿のそれとは別物と言っていいおいしさだった。フォンブルクは領地が広い分、食材が豊富な代わりに運搬に時間を要し、保存食めいた料理が多いのだ。
「妃殿下、お料理はお気に召しましたか?」
「ええ、とっても! とれたての食材は良いものですわね」
フォンブルクよりも漬け込みの浅い肉や果物も、弾けるような新鮮さが引き立って非常においしかった。
夫のほうを見れば、慣れない異国風の料理が口に合わなかったのか早々にナイフとフォークを置いている。かわいそうになってしまい、エリザベートはハイズ夫人に耳打ちした。
「わたくしはなんでもおいしくいただけますの。どうか献立は殿下のお好みを最優先にしてさしあげてください」
「かしこまりました。厨房にお伝えいたしますわ」
「それと、今朝の朝食が素晴らしかったこともぜひ伝えてください」
「承りました」
食後の甘味までぺろりと平らげ、エリザベートは大満足で朝食を終えた。