1、敬虔な信者
ヴィンガンでの調査は滞りなく終わった。
ただ、町の人々からのもてなしが手厚く、村を出る時間が予定よりもかなり遅くなってしまい、カミラとクロムウェルはくたくたになって馬車の中に戻った。
王城までは、まだかなり距離がある。
太陽は暮れなずみ、辺りは徐々に染められる。
クロムウェルは馬車の中向い側にもたれて瞳を閉じる、カミラの横顔を見ながらこれまでのいきさつを思い出していた。
――エイノン帝国のとある会議室。
手元の資料を見ながら、「このイワーツェ国の廃聖堂調査費とはなんだ?」大声で声を張り上げたのは、小太りの頭の薄い六十路を迎えた貴族院に所属するアーノルド伯爵だ。
アーノルド伯爵が刃の切っ先を向けたのは、色素の薄い茶の髪の毛にサファイアの瞳。女の様だと嫌味ったらしく揶揄されるほど、完成された容姿。エイノン帝国の魔術師であるジュリアスその人だ。
面倒な男だと、ジュリアスは人にわからない様にため息をついた。アーノルド伯爵は現エイノン皇帝の右腕と呼ばれる人物である。若いころは、温情な皇帝に対し、冷血漢と呼ばれたアーノルド伯爵が支えになり、帝国の繁栄に尽力を尽くしてきた。現在も、研ぎ澄まされたそれは現役であり、ジュリアスなどの若い官吏から見ると少々煩わしい存在だった。
現在この会議室で議論されているのは、エイノン帝国の領地となった従属国について。それぞれの国の自治は認めているが、予算や様々な決め事について帝国の承認が必要だ。それぞれの国に担当官がおり、予算や法律の変更が必要な場合は帝国の担当官の承認が必要になる。担当官は帝国の諮問委員会の承認をもらった上で、各国へ承認を行う。
ジュリアスが担当する、イワーツェ国の予算案が、手元に届いたので、内容を確認し、諮問委員会に承認を要求するため書類を提出した。
その書類に対してアーノルド伯爵は先程の言葉を向けた。つまりは、イワーツェ国担当官であるジュリアスに向けられた言葉である。
ジュリアスはアーノルド伯爵に言い返す材料を探すため、手元にある分厚い資料をめくり、該当箇所を見つけると「廃聖堂の現状調査、と言ったものですね」と、読み上げた。
先月、別の担当官から引き継いだばかりのため自身も不明な部分が多く、こうなることはなんとなくは予想していたものの、実際にそうなると非常に厄介だ。
「なんだそりゃ、そんな使途不明金をエイノン帝国きっての魔術師である閣下はお許しになっていたということか」
この《廃聖堂調査費》についてはジュリアスも不審に思い、自身でも調べたのだ。そうすると、過去数年、同じような金額の計上があったことを見つけた。前年度と金額も変わらず、過去に承認されているのだから特に問題ないだろう。と、高を括っていた。痛い場所をつかれたと、舌打ちしたくなる。
まあ、確かにアーノルド伯爵の言うことも一理あるのは確かだ。
「何か具体例はないのか」と助け舟を出したのはノヴァ宰相。
「手元の資料では足りないので、調べてみます。少々お時間をください」と言って、その話題は終わった。
委員会が終わるとノヴァ宰相はジュリアスの肩を叩く。整えられた金髪に、白に近いグレーのビロードのローブ。胸には王族の証である紋章が金糸で彩られている。ノヴァ・エイノンは、現、エイノン皇帝の長男であり、未来の皇帝と謳われる貴公子である。彼はジュリアスと同い年の青年であり、仲の良い友人でもあった。
「気にするなよ」
「ああ、まあ、何か言われるだろうと思っていたから」ジュリアスは肩を竦めた。
「私も前年度も計上されていた金額なので問題ないだろうと思っていた。実際の所どう思う?」
「言葉の通りに受け取ると、廃聖堂の調査とは聖女がらみのやつでしょう。それはそれで面白そうですけどね」
イワーツェ国とは、古代から魔術師が聖女を召喚したという歴史が残る、聖女信仰のある唯一の国だ。ジュリアスも魔術師として、聖女召喚という奇天烈な魔術に対し、興味があった。
「お前は魔術がらみになると目の色が変わるな」とノヴァ宰相は呆れた表情を見せた。
「廃聖堂調査、私もぜひやってみたいですね」と真面目な顔で言った。
「それもいいかもしれない。担当官になったんだ。担当国の現状を知るというのは、必要なことだ」
この担当官というのは、様々な部門の人間がランダムに当てられる。騎士、魔術師、文官、時には優秀な女官。諮問委員会もそう頻繁にある訳ではないので、二足の草鞋で通用する。任期も二年と入れ替わりが激しい。これは、担当国との癒着を懸念しての措置である。
「では、宰相閣下、許可をよろしいでしょうか」と、話が現実味を帯びると、「う、うーん」ノヴァは一歩引いた。
「珍しい、二人とも何をしている?」
向こうからそう声をかけてきたのは、黒の紋入りローブの下に、革で出来た隊服を着る美丈夫である近衛騎士副団長のリチャード・ダンテだ。
「担当官になったイワーツェ国の話」
ジュリアスはぶっきらぼうに言ったにも関わらず、リチャードは動揺し、奇怪な動きを見せた。
「君の麗しいドルネシア姫がいらっしゃる国の話だよ」ジュリアスはリチャードを見て不適な笑みを浮かべる。
「なんだそれ?」ノヴァは訳がわからないという顔をした。
「かつて、ドン・キホーテが理想とし、探しあるいた姫がドルネシア姫のことだよ」
「ちゃかすなよ」ノヴァがふんっとして言った。
「様するに、ドン・キホーテをリチャードに置き換えてもらえると、よくわかるだろう」
「は?」
「わかった、もういいから。それで、イワーツェ国がなんだって?」リチャードは、ジュリアスの話を遮った。
ノヴァは、ドン・キホーテについての説明を要求したが、ジュリアスは聞く耳を持たず、諮問委員会でのやり取りを説明した。ノヴァも最初は、不貞腐れた態度を見せたが、ジュリアスは真面目にイワーツェ国の話をするので、最後の方では、ジュリアスの説明に自身の意見を付け加えながら、話に参加した。
「なるほど、しかし今、君をフリーにするのは」いかがなものかと、リチャードは言う。
「そうなんだ」とノヴァ。
ジュリアスはエイノン帝国の魔術師の一人である。そもそも、魔術師は絶対的に少なく、国に居るというだけで、戦力になるため、自由に泳がせたくないのだ。
「いや、名目はこれですが、イワーツェ国にはきな臭い噂を聞きますので、そっちの仕事もついでにと思いまして」とジュリアスはまじめくさった顔で言った。
「きな臭い噂とは?」とリチャード。
「聖女召喚についてだ」
「その話については、私も気になっていた」とノヴァは腕を組む。
「いいだろう。君の魔術なら、何かあっても帝国に戻ってくることは難しくないだろう」と、ノヴァはジュリアスに対してゴーサインを出した。
ジュリアスが使える魔術は《転移》。イワーツェ国に居ても、戻ってこようと思えばいつでも帝国に戻れる。許可がすんなり通ったのは、彼の魔術の影響も大きい。
また、イワーツェ国に潜入するにあたって、名前と身分を変えた方が良いと言う、ノヴァの意見を採用してした。整えられた髪の毛をボサボサにし、顔半分を覆う。帝国魔術師の証である、藍色のビロードのローブは封印し、代わりに使い古された黒く長いローブを纏った。
ノヴァは、自身の名でイワーツェ国の国王宛に書状を書いてくれた。
イワーツェ国王の謁見の際も、書状をみると、一瞬ぎょっとした表情を見せたイワーツェ国の高官達だったが、受け入れたジュリアスの身なりを見て、明らかに、なんだとこんな奴か、と言う表情を見せた。多分、彼らの脳内では『こいつなら大丈夫そうだ。何より無能そうだ」と思っているに違いないとジュリアスは見抜き、ノヴァの自身の策略が成功したとほくそ笑んだ。これなら帝国の思惑など一切感じさせることなく、自身の仕事が出来ると。
「其方が、帝国から派遣されたクロムウェル殿か」
「左様でございます」とジュリアスはそうつらっと、答えた。