3、
歩いて来たというクロムウェルは馬などないと言うので、カミラは馬をおり、ゆっくりと歩きながら、ソベクの家に向かった。
オルサークはどこからともなく現れた男の存在を少し遠巻きに見ていたものの、カミラとクロムウェルの様子を見て、警戒を解き、村の外れにある一軒の家にたどり着いたころには、たわいない、会話をクロムウェルと交わしていた。
「ここがソベクさんの家です」
こぢんまりとした玄関のすぐ横にイチイの木が家にしなるようにそびえ立つ。木の先は切り落とされ、枯れていた。
扉を叩くと家の中から、のそのそと小柄な男が顔を覗かせた。
クロムウェルとカミラを交互にみる。
「ソベクさんこんにちは」と、二人の間からオルサークが手を上げる。
「オル坊か。こいつらは誰だ?」ソベクの目には射抜く様な冷たさが含んでいた。
「急にすみません。廃聖堂調査委員のカミラ・ウィンスラーと申します。こちらはクロムウェル」クロムウェルは小さく会釈をする。
「ほら、この前バルトルが見つけた、村はずれの廃聖堂について、調べに来たんだよ」
オルサークの説明に、頷きながらも警戒心はとけない。
「儂に何の用だ?」
「少し、お話を伺いたいのですが、よろしいでしょうか」
カミラはこれでも廃聖堂調査員で二年程仕事をこなして来た。様々な地域の人と関りを持つこともあり、ソベクの様な目をした人にも何度か遭遇したことがある。その経験からこのタイプの人には控え目に、少し下手に出るのが得策だと彼女自身、学んでいた。
「ああ。だが、なんのもてなしもないが?」とカミラを睨むように見た。
「お構いなく。ただ少しお話を伺いたいだけです」カミラが張り付けたような笑みを浮かべると、仕方なしにソベクは扉を大きく開けて、三人を招き入れる。
家の中は思った以上に片付いている。暖炉、ソファー、テーブル、必要なものだけが部屋の中にあった。
「で、一体なんだ?」ずいぶんとぶっきらぼうな物言いだ。
「すみません、なるべく村の方から色々とお話を伺いたく思いまして、先ほどオルサークさんからソベクさんがこの村で一番長く住んでいらっしゃると聞いたものですから。ちなみに、ソベクさんはどのくらい、このシーラ村に?」
「生まれてからずっと、だ。生涯この村にいる」
「まあ、ではご両親は最初に入植された、四軒のうちのご家族なのかしら」
「まあ、そうだ。はじめは父だけだった。結婚して母もこの地に暮らすようになった。それがどうした?」
「いえ、先ほど、ご紹介いただいたように、私は村はずれにある、あの建物が聖堂であったのかどうかを調査するためにここに来ました。先ほど、オルサークさんの案内で、聖堂を訪れまして、お話を伺うと、この村の人はどなたもあの聖堂についてご存知ないと伺いました。ちなみに、他の三軒の家の方はもうこの村にはいらっしゃらないのでしょうか」
「……いないな。そもそも両親は国の機関に選ばれ、この土地に入った。つまり任期が終われば、ここに居る必要はなくなった。だが、父と母はこの村が気に入ったらしくずっとここに居たと聞いた」
クロムウェルはただ、カミラとソベクの会話を見ていた。それはオルサークも同じだった。
「なるほど。この村には聖堂はない様ですが、もともとこの村に住む人はそこまで聖女信仰を持っている人はいないのでしょうか? 誤解しないでください。聖女信仰に関しては百年前のエストの戦いが終わってから信仰の有無はその人の判断に委ねられていますから、信仰が無いからと言って特に問題はありません。私が知りたいのは、あの聖堂が聖堂として利用されているのか、いないのかを知りたいだけですから」ソベクはそっぽを向き、「儂は知らんな」と吐いた。
「では過去には?」と聞くと、「さあ」とさらに視線を反らし言葉を濁す。
「ソベクさんはあの聖堂については何もご存知ないと伺いました。逆に、あの建物はソベクさんが生まれた時からあったかどうかについては、教えていただけますか?」
「知らん」それから、いくつかカミラが質問を投げかけるも、ソベクは『知らん』の一点張り、で何一つ話たがらない。話は平行線を辿る。オルサークは話に入った方がいいのか、どうすべきなのか最初は悩んでいたものの、諦めただ二人の様子を眺めていた。
カミラは一旦質問を中断し、深呼吸をした。せっかく来たのに、何の収穫もなく、途方に暮れた。「話はそれで終わりか?」ソベクは突き放したように言った。まるで、笑われているようだと、歯がゆさだけが、カミラの心に感じられた。
それを見かねてか、クロムウェルに言った。
「では、最後に一つだけ教えてください。もしかして、あそこは監獄ではありませんでしたか?」
カミラとオルサークはおろおろとした。誰もが予想だにしなかった言葉だ。
ただ、聞いたことのある話ではあった。公にはされていないが、過去に囚人を集め、強制的に労働をさせていた、という。
ソベクは目を白黒させ、少しするとうつむき、ため息をついた。
顔についた皺がくっきりと見え、更に年老いたように感じた。沈黙の後、老人は覚悟を決めた様に口を開いた。カミラは息を飲んだ。
「いつかアンタみたいな人が来る日が、遠くない未来にあると思っていた」ソベクは言葉をきって、「どうしてわかった」とクロムウェルをじろりと見た。
「ここは農村。しかもかなり地方の、」
「はっきり言え」クロムウェルの言葉にソベクが噛みついた。
「では、その様に。はっきり言って、歴史も名もない田舎の村にしては設備、インフラが整いすぎているのです。はっきり言って、この村は異常です」
クロムウェルの言葉にはっとなる。カミラは仕事柄、本当に何軒しかないような土地を訪れることもしばしばあった。本当に獣道を歩いて辿りついたこともある。しかし、ここは違った。
「四軒しかなかった家からなぜ、これほど大規模な設備が出来たのか。そもそも、設備を整えるにしてもそれなりに人手がいる。そして当然、莫大な費用もかかる。そんなものが、こんな田舎のどこから捻出されるのでしょうか。見る限り、宝石や金貨が湧き出ている訳でもありません。どちらかと言うと住民の方々は慎ましく、農業や酪農を営んでいるようです。そうなるとおのずと結論が見えてきます。連れて来た囚人が開拓し、設備を整えたという事にならないでしょうか」ソベクは何も言わない。無言は肯定に思えた。
「その理論を裏付けるのが、あの建物。建物の中から、囚人服の断片と思われる、この切れ端。聖堂の近くの草むらから、鎖の断片が見つかりました」
そう言って、クロムウェルは自身のポケットからハンカチにくるんでいたものを取り出し、ソベクの目の前に見せるように出した。
「この黒ずみは血の跡だ。それから、鎖の破片も見つけた。これは逃亡しないように囚人をつないだのでしょう。最後に、アジュールダイヤの紋章を外壁に施したのは、監獄だとばれた無い様、言い逃れることが出来るように。恐らく、公にはされておらず、秘密裏に建てられた建物だった。その理由は、百年前のエストの戦いで、この国は負け、帝国の配下に加えられた。これは全ての国民が納得できる結果ではなかった。納得できない、負けを認められなかった者たちは、各地で結束しクーデターを起こした。彼らは国事犯として次々と捕らえられていくが、もともとあった監獄に対して、捕らえる者がどんどん右肩上がりになるため、収容する監獄が足りなくなり、急遽こういった施設が用意された」
ソベクは諦めたように、こくりと頷いた。
「儂の父は看守だった。最初に入植した四軒は全て、監獄がらみの役人だった。今、あんたが言った通り、戦争が終わり、帝国の領地となった後、クーデターなるものが各地で起った。国は内密にそれを処理し、国事犯として監獄に収監した。ただ、それはかなりの人数に及んだ。そういった者たちは、一人一人が極悪人という輩ではないが、もし逃亡し、そういった者たちが再度集まり、結束されるとその後が面倒だった。そう出来ない様に、ここの様にかなり離れた地に秘密裏に囚人たちを送り込む監獄を建てた。と、親父から聞いた。ここは人間が生活するには難儀な場所だ。囚人たちは過酷な労働を強いられた。当時『死の牢獄』、一度入ると戻れないとまで言われていた。『死』が意味するのは、処刑されるのではなく、労働を強いられ動けなくなった者は無惨にも山に打ち捨てられる。という意味だ。国はここから帝国に逃げることが出来ないように、向こう側の山を《死の山脈》と名前を付け風潮した。監獄があったのはほんの十年ほどだった。儂がまだ小さい頃だ。そのうちに、クーデターは年々少なくなり、それに伴い、送られてくる囚人もほとんどなくなった。その時点で土地はかなり開墾・整備されていた。そうなると、囚人たちは他の監獄へ輸送されるか、出所していった。それを知っているのも、もう儂くらいだろう。儂も小さいころだったから、実際にどこまで過酷な労働をしていたのかは知らん。ただ、よれた囚人服を着た気の良いやつもいた。親父が死ぬ前に語ってくれたあらましだ。この話は決して誰にも話すな、と。しかし、いつか、話さなければならないことがあるかもしれない。その時は真実を、話せ。と言い残して、死んだ」
翌日は、雨の降る寒い朝だった。
体がきしみ、カミラは目が覚めた。荷物の中に温かいコートを一着、念のためにと召使いのリットンが無理やり詰め込んだことに感謝した。
カミラとクロムウェルの泊まる部屋は村長であるバルトルが用意してくれた。
最低限の身支度をし、ダイニングへ向かうとバルトルの奥さんが朝食の用意をしていた。手伝いますと申し出るも、座っていてと微笑まれた。
「来週からは温かくなると思うんだけどね」バルトルの奥さんは憂鬱な顔でそう言った。この地方では、この季節のことを「リラ冷え」と、言うらしい。
朝食を取っていると、雨は上がり雲の隙間から太陽が顔を覗かせた。
「軒先に咲いているライラックを少しいただいても?」
「もちろん」と花鋏を貸してくれた。
カミラは花束を抱え、廃聖堂、いや監獄があった場所に花を手向けた。
大地から切り離された紫色の花はカミラが去った後、この建物のように朽ちていくのかしら。花の色が薄く白くなりなり、やがて散り枯れ行く。木の上でそうなるはずだったのに、カミラが手折ったせいで、本来の生き方から外れてしまった。
誰にも知られないまま、ここで儚く枯れ行く運命。
ここで命を落とした人々は……。考えて、止めた。あまりにも不毛な気がした。それよりも、自身の運命のことを考えなければいけない。左腕をおさえる。体の中から漏れ出す嗚咽をこらえるように目を閉じた。
「カミラ嬢」
振り返るカミラは、この場所にはいないはずの人物に目を見開いた。
「クロムウェル様?」クロムは頭を掻いた。
「先ほど、ここへ向かってくる貴女を見掛けたので」クロムウェルはカミラが手向けた花に目をやった。
「貴方が何も責任を感じる必要はないのです」カミラは昨日の事があってから、とても頭を悩ませた。
「私がしたことは、ただ村の問題を余計にかき回しただけの様に思えてしまって。ただ、簡単に、何となく話を聞いて聖堂か聖堂ではないかを判断したのなら良かったのではと」
あれから、過去にこの村に監獄があったことが広まり、村人は何とも言えない表情浮かべ、カミラを見ていたのだ。
「そろそろ帰りましょう」と、クロムウェルは手を差し出す。相変わらず、黒っぽい手袋はそのまま。カミラは彼がそれを外しているところを未だ見たことがない。カミラは少し笑って差し出された手に答えた。丁度一人でいるのは、淋しく思われたので、正直カミラにとって彼の存在はありがたかった。彼は思ったより人を見ているのかもしれない。と、思った。
馬車の中で報告書には、「聖堂――×」とだけ記載した。過去の出来事を国に報告するのは辞めた。そもそも、国が秘匿していた事項なのだから、積極的に言う必要がないと思った。農家の軒先にライラックの花がたわわに咲き乱れ、香りに包まれる。