2、
二日程馬車に揺られ、ようやく到着した。
出迎えた村の人々が馬車のドアを開けた瞬間に甘く高貴な香りに包まれる。
ライラックの季節。薄い紫から濃い紫まで、咲き乱れる香りと立ち姿は少女の心を残した清楚な女性のよう。
村長のバルトルは背が高く、急に来た貴族であるカミラに対しても堂々とした振る舞いを見せた。彼の態度につられ、集まってきた村の人々からもカミラは好意的に迎えられた。
「長旅でお疲れでしょう。荷物をお持ちます」と、バルトルの家に招かれた。
バルトルの妻は赤毛ですらりとした長身の女性だった。大きいお腹を抱えながら紅茶を運んできた姿にカミラが恐縮しながら会釈をすると、人懐っこい笑みを浮かべたのが印象的だった。
せっかくなので紅茶をいただきながら、バルトルから今回の経緯を聞いた。
「もともとこの付近に、聖堂があったことはご存知ないのですか?」
「この辺りは、先の戦争であるエストの戦いが終わり、食料不足から新たに開墾された土地なのです。冬に大雪が降る、寒い土地のため近寄る人はなかなかなかったが、食料の困窮と当時もたらされた帝国の技術がこの土地に恵をもたらしました。最初は四軒の入植者から始まったこの村も、今では数十軒を超えるようになります。近年では、移住したいと希望者がいるという話もちらほらと聞いております。そのため、土地をもっと開墾していきたいと、周囲に目を広げたところであの聖堂を発見しました。しかし、あんな場所に聖堂があることなんて誰も知りませんでした。むしろ、この村は……言っちゃあ悪いが、そこまで信心深いのはいない。全くいない訳じゃないが、そんなに熱心な人はいない。祈るより仕事をしていた方が、目に見えて恩恵があるからね。まあ、こんな状況だ。あまり長くこの土地に住んでいるものも、そもそも聖堂について詳しいものがいないんだ。だからどうしたもんかと困っていて」バルトルは腕を組み、頭を掻いた。
「では、現状その聖堂を利用し、祈りをささげる者はいないということで間違いありませんね」カミラは念を押すように聞いた。この確認は非常に大切だった。廃聖堂とは全く訪れる人のいない聖堂を指す。一人でも訪れる人があると、廃聖堂として認めることが出来ない。
「ああ、いないね。そもそも聖堂があること自体知らなかったのだから」
「そうですか。あと、状況を確認したいのですが……実際に見た方が早そうですね、まだ日没まで時間もありますし、これから行っても?」
「もちろんだ。案内をする」
バルトル村長は案内人としてオルサークという金髪碧眼の若い男性を紹介した。
「オルサークはこの町の医者だ。もともと、王城の方に住んでいたこともあるから、ある程度話が合うと思う。それに、こいつの叔母がこの村に長く住んでいるから、小さいころからちょくちょく来たことがあって、割と事情には詳しい」
「わかりました。オルサークさん、よろしくお願いします」
カミラは立ち上がり丁重に頭を下げる、さわやかな笑顔をカミラに向けた。
村から廃聖堂まで距離があるので、馬で行こうとオルサークは言い、なんなら一緒に乗っていくかとおどけて聞いた。カミラは、乗馬は得意な方なので、馬を借りたいと提案した。オルサークは少し残念な表情を見せた。バルトルは快くカミラの分の馬を貸してくれた。
村自体はこぢんまりしているが道などのインフラは非常に整っている印象だ。
「こんなに田舎なのに、しっかりとした街の造りになっていることに驚きました?」
「ええ、私も仕事柄、様々な土地を訪れるのだけど、ここまで設備の行き届いている町は珍しいわ。ごめんなさい、言い方がまずかったかしら。別に小さい村だからと差別している訳ではないの」
「いえ、素直な感想だと思います。バルトルの言った通り、僕は王城のある、イワーツェ城の城下町で医者としての勉強をしていたので、よくわかります。この町は確かに田舎だけど、住んでいるとそこまで田舎臭くはない。まあ、経年劣化は否めませんが」
爽やかな笑みをカミラに向けた。
石畳は整然と敷地詰められ、凹凸も感じられない。腕の良い職人が行った仕事に感じられる。それは、この村まで来る道に関しても言えることだ。他の土地なら難所と呼ばれてもおかしくない様な道でも、きちんと整備されており、馬車の強い揺れもなく快適に旅が出来た。もちろんカミラとしてはありがたい。しかし、村長は四軒の入植者から始まったと言っていた。そんな村がここまで、どうやって整備したのだろうとカミラはふと疑問に思ったが、それを言葉にすることは無かった。
街道から抜け、十分ほど獣道を駆ける。木々の中に明らかに人工物の建物が見えてくる。
「あれです」とオルサークが言った。
一見、木造づくり、掘っ建て小屋の様な感じでも、外観に、廃聖堂の証であるアジュールダイヤの紋章が見られる。
正面からみると、茅葺の屋根は二等辺三角。苔むし、所々緑が湧き出ていた。
二人は馬を、近くの木へ繋ぎ、建物に歩みよる。
「鍵はかかっていませんが、ちょっと開くのにコツがいるので」と、オルサークがガタガタと木の扉を開く。
中はからっぽだった。
「なにもない?」おかしい。聖堂には紋章と祭壇が大抵セットで置かれている。
「そうなんです。私も学者の端くれとして、聖堂には紋章と祭壇がセットである。という認識があったものですから、紋章は間違いないと確認したのですが、祭壇が、このような状況でして……」口ごもりながら言った。
「この近くに祭壇が捨てられているなど、そんな可能性はありませんか?」オルサークは考え込む素振りをみせた。
「実はその可能性は私も考えまして、村の者とこの周辺を探してみたのですが、見当たりませんでした。もちろん、朽ち果てた可能性もあるので、それらしきものがあるかもしれないとも、考えました。周囲を探してみましたが、見当たりません。探したところよりももっと遠くにある可能性について、もしくは埋められた可能性もあるかもしれません。それについてもちろん否定はできませんが、ご覧いただいている通り、この辺りは四方を山脈に囲まれたはっきり言ってしまえば、不便な世から見捨てられたような村です。その村でも知らなかった聖堂の存在なのに、わざわざ祭壇だけを何処かに運ぶ、また祭壇を埋めるということについてはあまり現実的ではない事のように思えます。だって、そうする理由や必要性がないじゃないですか。まあ、どちらにしても私達がこの村が住みつくよりももっと過去にあった出来事についてはなんとも言えませんが」
お手上げというように、手をあげてそう言った。カミラは、建物を出て壁面に彫ってあるアジュールダイヤの紋章を手で触れながら、まじまじと見た。
「祭壇と思われるものと仰いましたが、祭壇ではないものはあったのですが」
「はぁ。些細なものですが、宜しければそのままにしていますのでご案内します」後について行くと、建物から少し離れ雑草の下に、ちぎれ錆びついた鉄製の何かが落ちていた。
カミラはそれを拾い上げる。「鎖、でしょうか」
「そう思うのですがね、多分この小屋を建てた木を運んできた残骸かと思ったのです」
カミラはその言葉には何も答えず、ただ、鎖の破片を食い入るように見つめていた。もう一度、聖堂に戻る。中に入り、大きく息を吸い込んだ。中は湿っぽく薄暗い空気に包まれている。長い間、だれもこの中に足を踏み入れなかったのだろう。地面からは伸びた生命力にあふれた雑草がその空間との対比を表しているようだった。
カミラはこの空間が何と言うか今まで見て来た『聖堂』とは何か違ったもの。別物に感じられた。聖堂より重たくて冷たくて、そんな雰囲気がこの建物の中には流れている。これはもちろんカミラの勘でしかない。もう一度、仔細を確認しながら、部屋の中を歩きまわる。そこまで広くない空間。草をかき分け、しらみつぶしに見て回る。
草と壁の間に、薄汚れちぎれた布切れの様なものが落ちていたのを見つける。元の色がわからない程、どす黒く汚れていた。
入り口から物音が聞こえ、オルサークだと思ってそちらを向くと、カミラの予想とは違った人物が佇んでいる。
「クロムウェル様?」
黒いコートにフードを被り、相変わらず顔半分を覆った髪の毛の奥にある瞳がどんな感情を持ってカミラを見ているのかを伺い知ることは出来ない。クロムウェルはつかつかとカミラに寄り、持っていた布切れを取り上げ、眺めた。
「どうしてこちらに?」カミラの問いにようやく気が付いたとでも言う声を出した。
「ああ、帰り道だったものだから」
「帰り道ですか? それはどちらから?」
こんな僻地に、帰り道とは。カミラには全く言葉の意味を理解できかねた。
「向こうから歩いて来た」と言って壁の奥を指さす。
「向こうって、あちらは山脈では?」帝国との国境沿いにある山は別名、《死の山脈》と言われるほど、人が足を踏み入れることが難しい。全くもってカミラの頭は理解が追い付かない。
「ちょっと、色々機密事項あるから」と見かねたクロムウェルが笑ってごまかしながら、「これは?」と尋ね返したところ、オルサークが顔を出し、カミラとクロムウェルを驚きながら交互に見た。
「その方は?」
「私と同じ、廃聖堂調査員のクロムウェル様です」
オルサークとクロムウェルはお互いを見ると会釈した。クロムウェルが、今回の件について説明を求めたので、カミラはかいつまんで、経緯を説明する。クロムウェルは持っていた布の切れ端を丁寧に自身のハンカチで包み、ポケットにしまった。落ちていた鉄製の物体も見たいと言ったので、カミラとオルサークはもう一度、その場所をクロムウェルに示した。クロムウェルはそれを見ると、「鎖、か」と呟いて、拾い上げ、同じようにハンカチの別の面に包むと、ポケットにしまった。
「あと、もう一度伺いたいのですが、この建物について知っている方はこの村には誰もいらっしゃらないということで?」クロムウェルのあまりの強い物言いに、オルサークは少し嫌悪を示した。しかし、それは一瞬で、すぐに答えを提示する。
「ええ、僕の叔母がこの村に割と長く住んでいるのですが、この聖堂があったことすらも知らないと言っていました。確かめるように何度か聞きました。叔母は嘘をつく様な人物ではないので。僕が保証します。ただ、そういえば……」
「ただ?」クロムウェルはその言い方に食いつく。
「この村の長老と言われているソベクという人物がいます。実際の長老と言う訳ではないのですが、今で八十五歳だったかと。幼い頃から両親とこの村に入植したと聞いているので、今この村に住んでいる住民の中で一番、古い人物のため長老と呼ぶ人が多いです。もちろん、彼にもこの聖堂について何か知らないかと尋ねました。ソベクさんは、知らない。と言ったっきりそっぽを向き、そのまま家に引きこもりました。ただ、それだけなのですが、普段は温厚なソベクさんがなぜ、あんな頑なな態度を取ったのか。僕の個人的な勘というか意見ですけど、ちょっと気になりました」
「ソベクさんにお会いして話を聞くことは出来ないでしょうか?」
今度は丁寧にオルサークに尋ねた。