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翌日、言葉通りクロムウェルは馬車とともに、ウィンスラー伯爵家に迎えに来た。
カミラはタフタのスカートにレースついた長袖のブラウスの袖を少しだけ捲り、馬車に揺られながら、ガラス越しに外の景色を眺めていた。
カミラの正面にクロムウェルが座る。
彼の様子を横目でちらちらと眺めた。黒の長いコートに、手には同じ色合いの手袋をはめている。もう夏に差し掛かろうという、季節。少々疑問に感じるも、色々と事情があるのかもしれないと思った。カミラ自身だって、どんなに暑い季節になったところで、半袖やノースリブのドレスに袖を通す事はないのだ。そう思って自嘲が湧く。
お互いに何かを話す訳でもないこの空間が無性にムズムズとして、何かきっかけを探していたカミラ自身に驚きつつため息が漏れた。
外を見ていると、木々の中に赤い屋根の家が見えた。クロムウェルがその屋根を凝視している様に見えたので、「あの赤い屋根の家はレッド侯爵家の別荘よ」と言ってみた。クロムウェルはふとカミラの方に顔を向ける。どのような目をしているのかは、相変わらず髪の毛で見えないが、口が少し開いていた。
「私の親しい友人がレッド侯爵家のご令嬢で、前に教えてもらったの。侯爵様は、宿屋という場所に泊まられるのがあまり好きではないんですって。他人が眠っていたベッドと使うのが嫌みたい。けれど、広大な領地を運営するために、各地を渡り歩く必要があるから、要所に自身で屋敷を建設なされたそうよ」
クロムウェルは「へぇ」と興味無さそうに言った。
「レッド侯爵家のご令嬢がマーガレット様と言われるのだけどね」とカミラが付け足したところで、話は途切れた。
目の前にいる男にわからないよう再度、ため息をつく。フィリップ伯の領地に向かっている。こんなにも気が進まないのは、話が全く弾まない、男といるからか。それとも、目的地のせいだろうか。フィリップ伯爵にはカミラ自身も前に一度会った事がある。確か、友人であるマーガレットの父、レッド侯爵が主催した夜会でのことだ。
マーガレットは由緒あるレッド侯爵家の令嬢で、肌が白くスカイブルーの瞳が印象的な気位の高いお嬢様に見えるが、話してみると驕った様子が無く、むしろ少々天然すぎるのが玉に瑕である。彼女の家が主催する夜会に招かれること自体がこの国の貴族にとってステイタスだった。カミラは友人だということで、頻繁に招待状を受け取る。
調査員の仕事がない時など、参加することもあり、その時に一度、フィリップ伯に会ったことがある。
小柄で丸顔。頭は申し訳ない程度に髪の毛がぺったりとつき、正装しているのがなぜか野暮ったく見えるという、あまり好印象が抱けない見た目と何より、あのニヤニヤとして薄気味悪く浮かべる笑みがどうしても生理的に受け付けない。領地に持つ岩塩坑事業に関しては舌を巻く手腕で次々と、成果を上げている。多分、根は悪くない人なのだ。ただ心配なのは、カミラがいつも通りの表情を作って対応が出来るかどうかという一点だ。ゆっくりと息を吸って吐く。
「君は魔術師?」何の前触れなく、不意に目の前のクロムウェルがそう言った。
「え?」
「失礼、君に魔術の、なんというか痕跡を感じたから」
魔術を使用できる者を魔術師と呼ぶ。魔術とは描いた魔法陣の中で呪文を唱え、契約した精霊を呼び魔術を発動させる。家と精霊が契約を行っているため、代々その家の血筋を引くものが魔術を行使できる。
つまり、誰でも魔術が使える訳ではない。精霊との契約家系は決まったものであり、各国に数えるほど。契約の精霊によって使用できる魔術も決まっている。現在イワーツェ国に魔術師の家系はいない。正確には、過去にいたが、現在では途絶えている。聖女召喚をしていたフェラン家のみ。それ以外に魔術師の家系はイワーツェ国には居ない。もちろんカミラの家は違う。
「いいえ、私は魔術を使えません。イワーツェ国にはもう魔術師は居ないかと。聖女様に関することに関わっている。ただそれだけです」
クロムウェルは視線を反らし、「そうだな」と言った。
その言葉に、鷲掴みにされていた心臓が正常に動き出す感覚を覚える。
魔術について聞いてくるなんて、もしかして高位の貴族だろうか。しかしカミラはこんな人知らない。なぜ廃聖堂調査委員にいるのか。
《貴方は何者?》その問いかけに喉まで出かかり、飲み込んだ。カミラはブラウスの袖をしっかりと手首まで下げると、何となく笑った。
半日、馬車に揺られ、あたりは薄暗くなり、外から涼しげな風が感じられた。
ようやく目的地が見え、石畳の道の先に、オレンジの屋根が鮮やかな、ゴシック様式の建物が現れた。聖堂の小塔も見える。それがフィリップ伯の屋敷であることが遠目からもすぐにわかった。屋敷の入り口には、ふさふさとした白髪を靡かせ全体的に丸っこい体をはちきれそうなお仕着せで包んだ執事のウォルターが今か今かと待ち構えていた。
「遠いところよくお越しくださいました」
馬車のドアを開けるとスッと頭を下げる。鈍重に見えるが、動きはテキパキと声をしっかりしていた。
「ありがとう。フィリップ伯爵は?」カミラはクロムウェルに続いて馬車を降りた。
「おります。長いところお疲れでしょう。まずはお部屋へご案内します。夕食をご用意しておりますので」
屋敷の中から、フットマン飛び出し、二人の荷物を運び出した。
カミラは部屋に案内され、息をつく暇ないまま、手早くダークネイビーのイブニングドレスに着替えた。スカートはシフォン生地でふわりとし、袖は八分丈のレース生地にビーズが装飾に使われている。トランクに詰め込んでも、あまり型崩れしにくく、着ると華やかに見えるこのドレスはカミラのお気に入りだ。簡単に髪の毛をまとめ上げ、部屋を出ると、待ち構えていたメイドに連れられ、ダイニングへ案内される。
フィリップ伯夫妻がちょうど、クロムウェルを席に案内したところだった。カミラの姿を見ると、積年の友人にでも会ったような挨拶を受け、カミラも席についた。フィリップ伯爵は相変わらず、質の良い正装に小柄な体を包み、なんとも言えない、雰囲気を醸し出していた。
「ペイル室長及び、クレイン宰相より調べて欲しいと直々に、書簡を出されていますが?」と、心を奮い立たせ、カミラは切り出した。
「その件なのですが」フィリップ伯爵は、食べていた手をとめ、ワインを飲み干す。
「私の領地には広大な岩塩抗があります。歴史も古く、中大昔に掘られた坑道も少なくありません。そういった無数に伸びた坑道があるものですから、現在、私の方でも把握できていない部分があります。無用な事故が起きない様に、調査なども進めております。今回、岩塩が出尽くしたと言われ、ほとんど足を踏み入れなかった坑道の地区に行きまして、現場調査をしていたのですね。その坑道の少し先に、廃聖堂らしき部屋がみつかったのです。こんなところにと、私も驚きました。扉にはアジュールダイヤの紋章が描かれていました。それで、協会に報告したところ、国に調査機関があると言われましてね。どんな屈強な連中がくるのかと気がきでありませんでしたが、カミラ様の様な方が来られるのなら大歓迎です」とにやにやとすると、フィリップ伯爵のエリザがギロリと睨みつける。
アジュールダイヤの紋章は聖堂を意味する。カミラはフィリップ伯爵の心の内側は無視を決め込んだ。クロムウェルが話の続きを促した。
「実際に私も入りました。部屋の中はがらんとしており、ただ、棺がありました。棺の中にアジュールダイヤの腕輪が見つかったのです」
「祭壇などは?」フィリップ伯爵は首を振った。
「アジュールダイヤの腕輪ですか」クロムウェルは、食事をしながらそう言った。アジュールダイヤは、聖女を表す。明かに聖女と関りの深い何かを表しているということは見て取れた。
「もしかしたら、昔聖女様自身が身につけられていたものの可能性もあります。棺の中ですから、保存状態は良いように思えましたが、私も見たこともないほど、高価なものの様に思えましたので。それにもし本当に聖女様の物であったならば」
「そうですね、国で保管する必要が出てきます」帝国の支配になり、昔程聖女信仰が薄まったとは云え、今でも熱狂的な信仰者はいる。そういった人たちから見ると、聖女の遺物は喉から手が出るほどの品のため、高値で転売される。それを防ぐために国が保管するのだ。
出された食事は特産の岩塩を用いた魚や肉料理だ。味も申し分無い。廃聖堂調査委員のトップは宰相になる。
またカミラ自身、かなり身構えて挑んだ、フィリップ伯爵については思いのほか上手く笑うことが出来た。それは隣にいる女性、妻であるエリザ・フィリップの存在があったから。
はっきりと言う。エリザは夫であるフィリップ伯爵の存在が普通に見える程、エキセントリックな女性だった。恐らく、四十代という年齢にも関わらず、パフスリーブのサテンの清楚なドレスに身を包み、もともと金色だった髪の毛を黒く染めている。生え際が金髪なのだが、黒とのコントラストのせいで白く見える。化粧は濃くないもののおしろいだけは、肌がぺったりするほどすりこんでる。その風貌から聖女にかなり傾倒しているのが見て取れた
「クロムウェル様はなぜ廃聖堂調査に?」エリザがおっとりとした口調で問いかける。しばし間があり、「上からの指示で」とクロムウェルは答えた小さく答えた。エリザはその回答では満足できなかったようで、フィリップ伯爵に対して「貴方がちゃんともてなさないから、ダメなのよ」とヒステリックに怒鳴った。始終こんな様子のため、伯爵に憐れみの感情を向けることが出来たのだ。
「奥様、素敵なお召し物ですね。もしかして聖女様の?」助け舟を出す様に、カミラはエリザに問いかけた。
「やはり、わかる方にはわかっていただけるわね。私、歴代の聖女様の献身的な行いに感動致しまして、その尊い存在に私も一歩近づきたいと。まずは形からと初めてみましたの」少女のような微笑みでそう言ったエリザに「素敵ですね」と、カミラは笑みが引きつっていないかどうか気になった。
歴代の聖女様は《ニッポン》という異国の地から呼ばれた白い陶器の様な肌に艶やかな黒髪を持ったうら若き乙女だと伝わっている。聖女は世の女性の憧れの対象になるため、確かにエリザのように見た目を真似る者は少なくない。
フィリップ伯爵とクロムウェルを見ると、我関せずという姿勢を貫いている。
「そうなの、聖女様に関する文献を調べて、特注で作らせたのよ。ふふふ。皆さんは今回、新たに発見された、アジュールダイヤの腕輪を調べに来たのでしょう? 私も一度見たの。ぞくぞくするほど美しいわね」とフィリップ伯爵を見つめたエリザの表情は一種の狂気を孕んでいた。
「来る途中、この屋敷に聖堂の尖塔が見えました。きっと奥様は丁寧に管理をされているのでしょうね」カミラはエリザに微笑んだ。
「廃聖堂調査委員の皆さん。もしかしたら、我家に伝わる、聖堂を見てがっかりするかもしれません。皆さまが調査されております廃聖堂とはかけ離れております故。妻は熱心な聖女信仰を持っているため、かなり手入れをしていますので現役です。領地に住む住民も訪れております」フィリップ伯爵は渇いた声で言った。
「伺っております」カミラはにっこりと笑みを作る。
クロムウェルが話を戻し、「明日にでも是非拝見させていただきたいと存じますが、そのアジュールダイヤの腕輪はどちらにあるのですか?」と言い、フィリップ伯爵は頷いた。
「現在も発見した時のままの状況を保つために棺の中にあります。ただ、念のため廟扉は南京錠で施錠しております。鍵はこの屋敷で保管しておりますので」
「そうか」クロムウェルは再度食事に戻った。黒のローブを脱ぎ、グレーの正装に白っぽい手袋をはめ、慣れた手つきで食事を取っている。その仕草と、衣服の質が貴族と言っても遜色がない出来栄えだった。
「クロムウェル様は、やはり聖女様を深く信仰されてこの仕事に?」フィリップ伯爵は再度クロムウェルに話題を向けた。
「いえ、お恥ずかしい話ですが、私はフィリップ伯爵の奥様ほど信心深くはありません。ただ、聖女様がお決めになった、男女間の制度については、帝国を含めた他国に比べ、この国は先進的であると感じます」
「例えば?」フィリップ伯爵は身を乗り出す様に聞いた。
「例えば、基本的に離婚に対して難色を示すことと、一夫多妻制を廃止する事。これは歴代の聖女様皆さまが望まれていたことと聞いています。聖女様たちは、大抵、ニホンという遠い異国からいらっしゃり、当初のイワーツェ国が定めていた、一夫多妻制、妻からの離婚は認めない、夫からの離婚は認めていた、国の制度に強く反発。今でもそうですが、この国は男尊女卑がひどくありまして、聖女様自身が女性だったこともあり、女性の地位の向上を目指しされておりました。まあ、一朝一夕で根付くものではございません。しかし、聖女様の多大な働きかけにより、今の結婚感がこの国に根付いております。あと、同性同士の結婚を認められたのも革新的です」と長々と述べた。
「そうですね、貴族の間ではなかなか後継ぎと血縁の問題があり、難しいところもありますが、一般市民に置いては。偏見するものはあまりいないと思います」と、伯爵もその意見に同意した。
「帝国ではまだ、そういったものに対する偏見などもあると聞いておりますので」
「そうですか。では我が国の方が先進的ということになりますね」伯爵が笑ったところで、食事が終わり、ウォルターは紅茶を運ぶ。
「明日の朝、調査員の皆さまを坑道内で発見された廃聖堂に案内します。その際、私は所用があり同行出来ないのですが、この辺りで民俗学者をしている若者がおり、その者を同行させますので。では、ゆっくり今夜は休まれてください」そう言って、伯爵は足早に部屋を出て行った。
エリザの元に召使いが歩み寄る。ほっそりと華奢な体にお仕着せを教本の様に着ている十六歳ぐらいの若い女性であるがその声を芯がありはっとさせられる印象を与えた。
「奥様、準備が整っております」
「ええ、ルディー。では私も今夜はこれで」ルディーは椅子を引き、まるで息をするように立ち上がったエリザのドレスの裾を直す。カミラとクロムウェルにすっとお辞儀をし、エリザの後に続いた。カミラはルディーから目が離せずにいた。
「彼女は奥様の専属でございますので」ウォルターはカミラの心を読んだ様にそう言った。
「有能そうですし、とても教育がしっかりされた方ですね」カミラの言葉に嘘はなかった。ただ、少し妄信的過ぎる気はあるように思えたけれど。
「ありがとうございます。お部屋の用意も整っておりますので、ゆるりとお寛ぎください」ウォルターはそう言って食事が終わった食器を集め出て行った。クロムウェルは立ち上がり、室内を少し歩き回ってそのまま出て行った。カミラも少し、見て回った。
先ほどまでは食事とフィリップ伯爵夫妻に気を取られ、目が行かなかったが、部屋の中は豪華絢爛の装飾品に囲まれたていた。特に、カミラの目を引いたのは暖炉の上にある、少女が花を抱えた様子を描いた絵画が可憐で印象的だった。