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7、

カミラが十歳の時、家に新しい庭師が来た。老年の男で、名前をエルヴィット。紙のように薄っぺらい体に、ぼさぼさに伸びた白い髪の毛、茶色の瞳は飛べない鳥の目の様だった。見たことも無い風貌をした男に、カミラは少しの恐怖と興味を覚えた。何よりもその体で庭仕事が出来るのかしらと、疑問に思った。カミラの気持ちとは裏腹に、エルヴィットは精力的に仕事をこなしていた。色のない瞳は何を映しているのかそのころのカミラには知る由もなかった。

エルヴィットに話かけたきっかけが一体何だったのか、その時カミラが何と言ったのかまではっきりとは覚えていない。確か、カミラの母は病気がちであったので、花を持って行きたいと。カミラが摘んだ花を母が休む寝室に届けたい。そんな様なことを言ったのが始まりだったような気がする。

「エルヴィット」

恐る恐る呼びかけた声に、薬を撒いていた、振り返った時のあの瞳。途端に熱を帯びたようなねっとしとした視線でカミラを上から下まで何度も見ていた。カミラはその時点で、選択肢を誤ってしまったと何となく幼いながらに知った。しかし、踏み出したものは留まることを知らない。

それから、ことある事にエルヴィットは自らカミラに接触するようになった。傍目から見ると、母の元に花を届けることが出来るような庭師の粋な計らいに見えただろう。しかし、カミラにとっては、単にカミラに話を伺うタイミングを自ら計っているように見えた。カミラはたまらなく嫌だった。ただ、それを断わると、もっと嫌な予感がしたので、そうすることも出来なかった。

カミラが十二歳になった時、珍しい花を見せるとエルヴィットに言われ、ここにはないのでついて来てほしいと言われた。嫌な予感しかなかった。でもその時のカミラは断るという術を知らず、頷く事しか出来なかった。手を引かれ、まず馬車に乗せられた。家から外出するならば、父であるウィンスラー伯爵に一言伝えなければならない。とカミラ言った。それは最後のささやかな抵抗だった。そのカミラの希望を打ち砕くように、エルヴィットは『伯爵も知っている』と、答えたのだ。その時の驚きと失望。言葉に言い現わすことも難しい。その人カミラは絶望という言葉の意味を知った。馬車の中で甘い液体を嗅がされ、それからの事はあまり記憶にない。地下室の様な場所に運ばれ、赤く染まった円の真ん中に置かれた。誰か、男の声が空間に響き渡る。まどろみの中で辺りを見回すと、地下室には何人かの気配があった。気がついた時には馬車に乗っていて、左腕が焼けつくような痛みを感じた。右手でさすりながら左腕の内側を見ると、花が咲いたように青く縁どられた宝石の紋章が刻み込まれていた。エルヴィットは綺麗に花が咲いたと言った。それを見た時、カミラは声も涙も、もう何も発することも出来ず、心も何も感じられなくなっていた。

それからの日々はただ、淡々と流れて行った。特筆する出来事と言えば、エルヴィットがウィンスラー家から去るということだった。何があったのかはカミラも知らない。深く知ろうとしなかった。あの日から、カミラは自室に引きこもるようになり、エルヴィットとは顔を合わせないようにしていた。リットンは全てを分かったように何も言わずにいてくれた。そこから伯爵に話が伝わったのかもしれないとカミラは思っていた。流石に、本当にエルヴィットが去る日は、父である伯爵も含め、彼を送り出すと言ったので、カミラもそこに立ち会うことにした。どれくらいかぶりに会うエルヴィットは、やっぱり薄っぺらく、瞳は以前よりも生気が全くなくなり、死んだ魚の目さながらであった。カミラを見ると、一瞬瞳が強くなり、それから憐れむように目を反らした。カミラは初めて激しい怒りを覚えた。そんな風に見るならなんであんなことをしたのか。

エルヴィットは本当に最後の最後にカミラの前に立つと一礼した。

そして『虹のかなたには、素敵な場所がある。これは、爺さんが死ぬ前に言っていた』と、それだけ言い残して行ってしまった。

それからしばらくして、気づくとカミラは十六歳を迎えていた。

流石に、ウィンスラー家の娘として、このままでは、いけないとカミラ自身も感じていた。家の中に引きこもっていても何も解決しない。だからと言ってどうしたらいいのかと言ってもわからない。そんな時、ウィンスラー伯爵が、珍しい占い師が近くまで来ているらしいので会ってみてはどうかと、言われた。カミラは頷き、馬車で占い師のテントまで。占い師はパラートという。見たこともない綿のような素材で出来た、深紅の衣装をまとった浅黒い肌をした老婆だった。その老婆が言ったのだ。『あんたの左腕の紋章を刻み込んだのは、イワーツェ国に伝わる、聖女召喚の魔術を扱える魔術師の仕業だ』と言われました。どうしたらいいのか、この紋章を消す方法はないか、とカミラは占い師に問うた。『紋章を消すには、紋章を刻み込んだ魔術師が死んだ時だけだ。それ以外の方法はない。ただ、どうしたらいいのかという疑問には答えることが出来る。廃聖堂にまつわる何かをすることだ』

カミラはその言葉の意味が全くわからなかった。廃聖堂を祀るべきだ、と言われた方がわかりやすかった。しかし、占い師はそう言わなかったのだ。占い師との邂逅はそれだけだった。

しばらく、言葉の意味を考えていると、ひょんなことから廃聖堂調査委員の存在を知った。カミラはピンと閃き、父に相談し、この仕事を始めた。

あとは、ご存知の通りだ。しかし、この仕事を初めて気が付いたことがある。十歳のカミラが薬を嗅がされ、地下室で見た顔ぶれにそっくりの人々と良く出会うのだ。それは、ペイル室長、クレイン宰相、フィリップ伯爵、聖女協会本部長のドニエ氏、そしてレッド侯爵だ。だから、もしかしたらカミラは運命の乙女と言われる由縁である、その渦の中に引き込まれてしまったのだと感じた。

廃聖堂調査委員で一緒になった、クロムウェルにサーケラ村で急いで、伯爵家に戻れと言われ、馬車を急がせ、伯爵家に到着した翌日、レッド侯爵が訪れ、薬をかがされレッド侯爵家の別荘に連れ去られた。その時に薬の甘ったるい匂いは、八年前のあの時、と全く同じ匂いがし、それで、八年前のあの時、エルヴィットだけではなく、全てはレッド侯爵の采配によって引き起こされていたことだと悟った。レッド侯爵家に連れていかれる前に、王宮の地下牢によって、老人に会った。薬がひどく頭ががんがんとしてはっきりとは覚えていない。だけど、目があった。最後にあった時よりみすぼらしくやつれていたけれど、すぐにそれがエルヴィットだとわかった。ウィンスラー家で最後に会った時と同じ、憐れんだ悲しい目をしていた。

それから記憶がまたなくなって、次に目が覚めると、にベッドに寝かされており、枕の傍らにはマーガレット・レッドが居た。彼女は父親がやっていることを知っていた。知った上で、自分は何も出来ないのだと言った。そして、カミラに逃げて欲しいとも言った。だけど、レッド侯爵は急いでいるのか、すぐにカミラを地下室に引っ張り、魔術をはじめようとした。

抵抗する術がなかった、その時、ジュリアスがあの儀式の部屋に現れ、カミラを連れ出してくれた。


「私が知っているのはそれまでです」そこまで、話をすると、頭がくらくらとした。

誰も、口をはさむものはいなかった。

「私も、少し調べさせてもらいました」ジュリアスが口を開いた。

「まず、イワーツェ国は魔術師の生き残りを捉え、牢で幽閉していた。これは宰相であるクレインが命じた。エルヴィットは、イワーツェ国の魔術師であるフェラン家の末裔の一人だった。エルヴィットの母親はフェラン家で召使いをしていた。しかし、ある時期、屋敷を辞しておりその後、すぐにエルヴィットを出産した。恐らく、フェラン家の主人と関係を持ち、秘密裏に屋敷を去ったのだろう。エルヴィットの母親はひょんなことからレッド侯爵で仕事をすることになった。そのころの侯爵家の当主は先代の未亡人であるレッド夫人が侯爵家を治めていた。もともと、夫は入り婿で百年前のエストの戦いで戦死した。そこに、エルヴィットとエルヴィットの母が召使いとして、召し上げられる。エルヴィットは若いころ見目麗しい美しい青年だった。未亡人だったレッド夫人に気に入られた。しばらくして未亡人は子供を妊娠した。そこで生まれたのがレッド侯爵だ」

カミラはその説明に奇声を発してしまった。

「私もこの資料でこのことを確認した時に、何度も読み返した。しかしこれは本当のことだ。レッド侯爵の父はエルヴィットだった」

「ではマーガレットは? そうすると、彼女も魔術師の血を引いているということになるのかしら?」

「いや、彼女は養子なのだ。公にはされていないが。それに、そもそもレッド侯爵は妻帯していない。話が少しそれた。レッド侯爵家に、生まれた子供は男子だった。レッド夫人と亡くなった夫の間には子供がなかったので、出自はどうあれ歓迎された。間違いなく夫人の子供であるからには正統な血の継承者であることは間違いない。後継ぎとして大切に育てられた。しかし、エルヴィットは一介の召使いであるため、醜聞になる。彼は家を追い出された。幸い庭師として、仕事は出来たので様々な家を転々とし、ウィンスラー家に来た。レッド侯爵は大人になり、自分の持っている血の重大さに気がついた。

自身の出自に関して、元々疑っていたのだ。それから知った真実、裏切り。彼は、自身の血と魔術の力を使って、力を示そうとした。つまり、聖女を召喚をもくろんだ。そのためには、生贄に生粋の貴族令嬢が必要だった。自身の娘は養子のため貴族の血を引いていないのだ。そこで選ばれたのがカミラ・ウィンスラーという令嬢だった。レッド侯爵は狡猾で、自身の目論見に、賛同する協力者も集めていた。それが、ここにいる全ての人だ。皆、帝国の領地であることに、異議を発していた。例えば、フィリップ伯爵は自身の領地でとれる岩塩を世界中に流通させたいともくろんでいるが、そのためには帝国は関税を徴収するため足かせになる。また、ペイル室長と、ドニエ本部長は、純粋に聖女を復活させ、聖女協会を発展させようと考えていた」

ジュリアスはそこにいるものを睨みつけるように言った。

「そして、ウィンスラー伯爵、貴方はカミラ嬢が生贄になるとわかっていて、自身の家にエルヴィットを迎え入れましたね。貴方が加担したのは、今でこそウィンスラー伯爵が経営している商会はそれなりに、運営されていますが、当時は火の車だった。レッド侯爵とフィリップ伯爵が無条件に手を貸してくれると言ったのでしょう」

ただ、今回のことは知らされていなかったのでしょう。とジュリアスは付け足す。

ウィンスラー伯爵は力なさげに頷いた。カミラの胸が強く傷んだ。わかっていたことだったのに。

「準備は整った。あとはカミラを生贄にし、聖女を召喚するストーリーが秘密裏に進められた。聖女の生贄は十八歳が好ましいと伝わっている。それまでに結婚されてしまうのは元も子もなくなるので、彼女の興味を引きそうな職種を作り、用意した占い師にそれとなく、彼女を誘導させた。エルヴィットが地下牢に閉じ込められたのは、推測になるが、もしかしたらこの計画に今更になって反対したのだろう。老人は、こんなになってまで自身が利用されること、それで一人の若い少女が犠牲になること。全て自身が撒いた種だったと言うことを知って」

「その通りでございます」クレイン宰相がようやく口を開いた。

フィリップ伯爵やペイル室長が非難めいた目を向けた。

「もう、ここまで来たらどうしようもないのでしょう。あのエルヴィットはカミラ嬢に紋章を刻み込んだところで、辞めたい。と言い出したのです。他に、告げ口でもされたら困りますし、何より彼は魔術師ですから、地下牢に閉じ込めるしかありませんでした」

「最後に手を下したのは、レッド侯爵自身、であっているか?」

クレイン宰相は肩を落とした。

「貴方が言うように、レッド侯爵がもう、亡くなっているということならば、本人に確かめる術はありませんが、彼が最後に、エルヴィットを説得すると言っていたので、多分そうなのでしょう。殺されたということは最後まで反対したのでしょう。それでも都合がよかった。彼の血は魔方陣に使えますから」

そこまで言うとリチャードが帝国の兵を部屋に引き入れ、「詳しい話は個別に聞こう」と言って、それぞれ、縄にかけられ部屋から連れ出された。残ったのは、リチャードとジュリアス、カミラの三人だけだった。カミラは思い切って、ジュリアスの方を見る。

「レッド侯爵家は、マーガレットはどうなりました?」と、聞いた。

「彼女は今裁判を待っているところです。帝国との契約事項の違反ですから、それなりの措置になるでしょう」

リチャードの方をふと見て、清々しい笑みを浮かべられた。以前、帝国に知り合いがいると言っていたので、その筋の方のお世話になっているのだろうか。

「彼女は、それなりのと、言われると、その、罪に問われるのでしょうか?」

「ん? 本来であれば、そうですね。ですが、貴女の居場所を知らせて来たのが、マーガレット嬢ですから。それに……、とりあえず、彼女の身はとても安全とは言い切れないかもしれませんが、それでも彼女は悪いようにはなりませんので安心して下さい。それと、ここからは貴女自身の話です。まず、廃聖堂調査委員は解散です。後、帝国とこの国の契約に、聖女召喚禁止事項があります。貴女はその腕に印を染められた、その時なぜ、、報告せずそのままにしたのですか?」

カミラはかっとなった。「言えば、家族が……」カミラの目から涙がこぼれた。

庭師の男は、善良な男だった。それは全てフリだったが。もし言いつければ、一族の破滅を紋章を刻まれた時にそう脅された。何よりも、母のことが心配だった。ジュリアスはその様子を見て、「そうですね。貴女は、脅され言いたくても言えない状況だったと、間違いないですか?」カミラはこくりと頷いた。

「やむを得ない事情があるとなると、情状酌量の余地があります。しかし、全てが帳消しになる訳ではない。帝国としては、貴女を罪には問わなくとも、しかし今後いつ聖女召喚をまた言い出す輩が出るかもわかりません。ですので、貴女を監視する必要があると判断しています」

「異論ございません」

カミラは真っ直ぐにジュリアスを見た。ジュリアスはふっと、笑った。

「その監視を私が努めます」

「ジュリアス様が?」

「ああ、すみません、言い忘れていましたが、というか気づいていない様ですので。クロムウェルは私です」

ジュリアスは自身の髪の毛をぼさぼさとさせると、カミラは目を見開いた。「クロムウェルは偽名でした。騙すつもりはなかったのですが、こちらも色々と事情がありましたので……改めて帝国魔術師、ジュリアス・クレメントと言います」

そう言って、ぼさぼさの髪の毛をかきあげた。彼のサファイアの様な瞳がカミラを射抜く。

「もしかしたら、この国にも私のことを知っている人がいるかもと思い、変装していたのですが、もう必要ありませんので。これからのことですが、今、帝国で、人員を募集している部署があります。よろしければ来ませんか? その方が、私も楽なので」ニッコリと笑って手を差し出す。

占い師が言っていた「破壊と再生」。

エルヴィットは虹の彼方には素敵なことがあると言っていた。

カミラは頷き、ジュリアスの手を取った。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

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