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6、

カミラはいつも袖を通すさらりと着心地の良い真っ白なネグリジェに身を包まれウィンスラー家の自室のベッドの上で目が覚めた。何事もなかったかの様に。

頭が重く、ぼんやりと霧の中にいる様なほど記憶は朧気だった。

起き上がるのも億劫なので、そのまま天井を見てぼうっとしていると、ドアの向こうからリットンが顔を出した。

「お、お嬢様、お目覚めで。ああ、よかった。私、もうお嬢様のお綺麗な瞳も見られなくなるのではないかと、本当に心配で心配で。あっ、言われていたんです。お目覚めになったら、旦那様をお呼びする様に。ちょっと行って参ります」

嵐の様に去って行った。

カミラはそれ程眠っていたのだろうかとリットンの言葉から疑問を感じながらも、少しずつ、記憶が蘇ってくる。ハッとして、自身の左腕を見ると、あんなにもカミラを悩ませた紋章は腕から、消えていた。

翌日も何事もなく穏やかな日々を過ごしていた。そうすると、だんだんとあの紋章は一体何だったのだろうと、それが本当にあったものなのか、実は幻だったんじゃないかという気さえしてくるのだから不思議だった。

忌まわしい、過去の記憶。

なぜ、庭師のあの男はあんなものをつけたのだろう。なぜカミラじゃなければならなかったのだろうか。それから、それから、伯爵家へ急いで帰宅する様に馬車を用意してくれた、クロムウェルはどうなったのか。

マーガレットはどうなったのだろうか。

「お嬢様、王城から届きました」カミラがちょうど、紅茶に口をつけた時だった。

「ありがとう」リットンから書状を受け取って、中身を見る。

「明日、王城へ来る様にとあるけど、差出人は……宰相様だわ。一体何かしら?」

王の御璽を使った、正式な書状である。

「この間の、レッド侯爵の件ではないでしょうか。あの時、お嬢様を屋敷へ運んでくださった、ジュリアス様はいずれ、説明される、との様なことを仰っておりましたので」

「ジュリアス様は、エイノン帝国の魔術師をされている方ね」

帝国の魔術師まで関わっているとなると事態はそんなにも大事になっているのかとカミラはため息が出る。

その時の記憶が少しだけあるのだ。藍色のローブを着た、サファイアの色をした美しい瞳がカミラを見つめていた。あの時は、何も考える余裕がなかった。しかし、今改めて思い出すと少しだけ胸をかすめる何かを感じる。

「私も何かお咎めがあるのかしら」

「まさか、お嬢様は被害者でございます」

リットンは頑として言い放った。

「百年前の戦争の後、帝国からイワーツェ国は聖女召喚を禁止された。でも、私は運命の乙女として、この出来事に関わってしまった。結果として、聖女様が召喚はしていないとしても」

「そんなことはございません。もしそんなことを帝国側が言ったとしたなら、私、リットンは断固として抗議します。それより、お嬢様はまだ疲れが抜け切っていないのですよ。もっとしっかり休まれてください。何か甘いものなど、お持ちいたしますか?」

「そうね、お願いしようかしら」

カミラが笑顔を作ると、リットンはキッチンへ急いだ。その姿が見えなくなって、誰にもわからない様にため息をついた。

「もしかしたら、この国が全ての責任を私に負わせる可能性だって、あるかもしれない」と、呟いて。


いよいよ王城へ向かう日の朝。

結論から言うとよく眠れず、朝起きる時間になっても、眠りと現実的の世界の間にいる様な感覚が抜けなかった。

起こされたリットンに、意識はまどろみの中。髪を結われ、いつもよりも豪華なドレスを着せられ、馬車に押し込められた時、カミラの父である、ウィンスラー伯爵も同じ様に呼ばれていると教えてくれた。


湖畔の波止場で船に乗り換え王城へ向かう。空は生憎の曇天。白く続く薄雲を見上げ、今更、どうやって生きて行ったらいいのか、なんて考えてカミラは目頭が熱くなった。

腕に刻み込まれていた紋章。全身を覆っている訳ではない。体のごく一部だけなのに、もうそれだけで自分の体には疾患があり、使えないものだと思い込んでいた。それは、女として、他の貴族の女性がする様に、普通に生きていくことなんて望めないと思っていたから、あえてそうじゃない道に進んでいたのに。……。

湖は風も波も一つもなく、清々しいほど穏やかだった。

王城に着くと、いつもの様に近衛兵が出迎えた。

いつもと違うのは、「カミラ・ウィンスラー様ですね、宰相がお待ちです。ご案内します」と、カミラが名乗る前にそう言われたことだった。カミラはその言葉に続く。目が腫れていないかだけ気になった。

向かっている場所は、宰相の執務室だと聞いた。御璽まで使った書状で呼び出されたのだ。もっと何か物々しい場所に呼び出されると考えていたカミラは少々拍子抜けした。

マホガニー調の重厚なドアをノックし、「カミラ・ウィンスラー様をお連れしました」

近衛兵が告げると、「入れ」と、中から声が聞こえる。宰相の声ではない。

聞き覚えのない声だった。

近衛兵がドアを開け、お辞儀をして中に入る。そこまで広くない宰相の執務室には既に数人が居た。知っているのは、宰相様、ペイル室長、聖女協会の本部長であるせざる・ドニエ、それからフィリップ伯爵。そしてあと二人、男の人がいる。見たことのない顔の人だった。その一方の人のサファイア色の瞳は一度見たことがある気がする。そして、その人の髪の毛の色は、クロムウェルに似ていないだろうかと思った。しかし、身に纏っている藍色のローブはとても気品があり、失礼だが、クロムウェルの印象からは似ても似つかないものだった。もう一人は、御伽噺から抜け出した様な、美丈夫。着ているものから騎士なのだろうと思う。だけど、その隊服は見たことのないものだった。かなり立派なものだ。他国、帝国かもしれないと思った。カミラのあとに続く様に、すぐにウィンスラー伯爵が入ってきた。伯爵はカミラ見て、微笑んだ。とても急いできた様で、息が荒い。

「急な召集にも関わらず、お集まりいただき感謝を申し上げる」宰相様が慇懃にそう述べ、美丈夫な騎士を見た。

「この方は、エイノン帝国の騎士団副団長のリチャード様である。あとは、よろしいでしょうか」カミラの予想があたり、宰相のゴマをする様なもの言い方からこの人が実質的に呼び出したのだろうと思った。そうなると御璽があったのも納得できる。カミラは畏怖なのか、掌が食い込むほど強く手を握った。

「挨拶は抜きにして結論を申し上げる。残念ながらこの国で聖女召喚の儀式が再度行われようとしていた」リチャードは低い声で端的にそう述べた。

それに対し、この部屋の人々はしんと静まり返っている。

「承知の通り、聖女召喚は百年前の戦争後、禁止されている。その禁忌を犯したとなった場合、こちらとしてもそれなりの対応が必要になってくる」リチャードと呼ばれた男は強く、非難めいた口調でそう述べた。その言葉についても反論するもの、言葉を返したものすらいない。ただ、カミラの体内に黒くドロドロとした液体が溢れて、断頭台に足をかけているような気がした。

「そしてここにいる全ての者が関係者だと申し上げる」

そう言って辺りを見回した。流石にどよめいた。お互いがお互いを睨みつけるような表情で見合っている。

「娘は何も関係ありません。どうか」

ウィンスラー伯爵は懇願する様に悲痛な声を絞りだした。リチャードはその声を手で制する。

「他に異議を唱えるものはいるか」

更に互いに顔を見合わせて、「そんなことを言われましても、何を根拠におっしゃるのですか? いきなりそんなことをおっしゃられても横暴すぎないでしょうか」聖女協会本部長であるセザル・ドニエがゆったりと言った。彼には危機感と言うものがないのだろうか、それとも自分に絶対の自信があるのか。

「では一つ一つ、ご説明いたしましょう」そう切り出したのは、藍のローブ男だ。

「オタクは?」訝しむ様な目で見つめる。

「彼はエイノン帝国の魔術士である、ジュリアス・クレメント」サファイアの瞳とカミラの視線が刹那、絡み合う。カミラはあの美しい瞳に断罪されるのか。何とも言えない気持ちになった。クレメントは帝国の侯爵家にあたる。もちろん見たことも話したこともない殿上人の様な存在だ。帝国の中心人物。そんな人が、イワーツェ国に来ていたなんて。

「まず、ここにはいないものの、本来ではれば登場する必要のある人物がいる」

「誰かな?」ジュリアスは一人一人の顔を見渡し、「レッド侯爵、その人である」と言い下した。

「レッド様ですか、もちろんイワーツェ国の貴族として生きている者なら誰でも知っている。その、レッド侯爵様が何か? ここにいないと言うことは、もっと重大なご用事があったのではありませんか?」と、ジュリアスをせせら笑った。

ジュリアスとリチャードは顔を見合わせ、ため息をついた。

「レッドがここに来ることができないのは、彼が死んだからだ」

一同は凍りついた表情を見せた。

「し、死んだ? 何を馬鹿なことを」

重い空気を一掃する様にへの字に歪んだ口から言葉を零した。イワーツェ国の人々はそれに賛同する。あれほど猫被りを決め込んでいた宰相ですら。そうじゃないのは、ウィンスラー伯爵とカミラだけだ。カミラは自身の身体に起きた変化についてよくわかっていた。

「レッド侯爵はイワーツェ国に唯一、あった魔術師の一族の末裔だった」

「お言葉を返すようですが」とペイル室長が続ける。

「百年前の戦争を区切りに、一族であるフェラン家は途絶えております」その言葉ははっきりと室内に響いた。

「では、この王城の地下室で亡くなった男についてはどう説明する?」

リチャードのその言葉に、「ち、地下室ですか」とその時初めてペイルは動揺を見せた。

「地下室の鎖につながれていた人物は、以前、ウィンスラー伯爵で庭師を勤めていた、エルヴィットという人物だと聞いたが、それについて説明をお願いしたいのだが?」

ペイルは苦虫を嚙み潰した様な表情で睨みつけている。

カミラは眩暈がした。

「……私からお話しましょう」ウィンスラー伯爵が言った。

「いえ、私が知っていることをお話しましょう」と、カミラは自ら申し出た。

「お前が出る幕ではない」ペイルはカミラに対し、もの凄い剣幕でまくし立てた。

「いえ、彼女に話してもらいましょう。カミラ嬢」

ジュリアスがカミラを向いてそう言った。

彼に自身の名を呼ばれるとどきりとした。それは少しだけくすぐったく、懐かしい声色だった。

「はい。全ては今から八年程前のことでした」――。


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