4、
ジュリアスとは別行動でイワーツェ国を目指していた、リチャード副騎士団長率いる一団は無事にイワーツェ国の王城入りを果たしていた。リチャードが到着した際には彼が使えるよう、既に執務室などが準備されており、必要な書類が机の上に山脈の様に並んでいる。ため息をつきながら書類とリチャード睨み合っている。少しして、ジュリアスの気配に気が付き顔をあげた。
「ジュリアスか。何だ?」
「お早い到着で。勇み足で例の姫には会えたのかい?」
返事が来ないと嘆いていたじゃないかとジュリアスは付け足すと、リチャードはぎろりと睨んだ。
「こんなくだらないことに彼女を巻き込むつもりはない」
「それは失礼」
リチャードには幼いころから、手紙のやり取りをする令嬢がこの国に居るとジュリアスは知っていた。そもそも、彼らのやり取りを手伝っていたのはジュリアスだった。帝国から手紙を送り合うのは相当の日数がかかる。リチャードが飛竜で飛んでもいいが、かなり目立つ。ジュリアスの転移魔術は都合が良かった。リチャードはジュリアスに頼みこんで、図書室の本を指定しながらやり取りを続けるという上手い方法に辿りつたのだ。ジュリアスは文通相手の令嬢の姿は見たことがないが、清くしとやかな令嬢だと聞いた。名前すら教えてくれないので『姫』と呼んでいた。まあ、何となくの検討はついていた。
「それより、そっちが知っている情報を教えてくれ」
ジュリアスは、リチャードへ、自身の見聞をなるべく詳細に話した。リチャードは考えこむ素振りを見せる。
「カミラ嬢はなぜ、忽然と消えたのだ? どこへ行ったのだろう」
「それがわからないのだ」
「連れ去られた可能性が一番高いのでは? 彼女だって伯爵令嬢だ。一人で歩いてどこかへ行こうとなれば、近衛兵が先に気付くだろう。それに女性の足で歩くったって、そうそう遠くへは行けない」
二人でこうでもそうでもないと話をしていると、控え目なドアのノック音が聞こえ、リチャードは入室を促した。
入ってきたのは、どこかの貴族に仕える、ハウスキーパーの若い女性だった。急いでここに来たのだろう、彼女はくたびれて見えるものの、着ているお仕着せは上等なものだった。それに、王城にここまで問題なく入ることが許される者。それなりの高位貴族に仕えている女性とみて間違いない。
女性はレイチェルと名乗った。若いながらも明快な口調。知性の高さが伺えた。
「失礼を承知で伺います。リチャード・ダンテ様はこちらにいらっしゃいますでしょうか?」「私だ。一体何の用だ?」
リチャードは警戒するように低い声を出した。
レイチェルはその声にひるむも、すぐに姿勢を正した。
「お忙しいところ恐れ入ります。お嬢様から大至急、これをお渡ししたく。ダンテ様にこちらをお見せすれば、すぐにわかると仰いましたので」
一通の手紙を両手で差し出す。
リチャードは立ち上がり、つかつかと彼女の近寄り、手紙を見て目の色を変え、すぐに便箋を開き読んだ。
読み終わると、「すまない、案内してくれないか?」と、先ほどとは打って変わり、真剣な表情を見せる。
「はい、その件に関してもお嬢様から仰せつかっております」
レイチェルは一礼をした。
「一体なんなんだ?」二人の奇妙な様子を見て、ジュリアスは思わず口を挟まずにはいられない。
「お前も来い。説明している時間が惜しい」リチャードは部屋を出た。その後に続き、女性も続く。仕方がないので、ジュリアスもそれに続いた。
リチャードは部屋と出ると、自身の部下に二、三指示を出し、すぐにレイチェルの後に続いた。
王城の裏門から出ると、古ぼけた馬車が停まっている。
身分がわからないように上手く偽造したのだろう。
「乗ってください。ご案内します」リチャードとジュリアスは無言で、乗り込んだ。二人が乗り込むと、レイチェルは御者として手慣れた様子で、馬車を走らせる。
「そろそろ、手紙の内容を知りたいのだが」
向いに座るリチャードに問いかける。珍しく、神妙な顔しているのだ。
「カミラ嬢の居場所がわかった」
「どこだ?」身を乗り出す様に聞いた。
「レッド侯爵家の別荘だ」
ジュリアスは目を見開く。
「じゃあ、その手紙の主というのは」
「俺が、手紙のやり取りをしていた、マーガレット嬢だ」
珍しくリチャードの言葉遣いが珍しく乱れる。手紙をジュリアスに差し出した。
ジュリアスは文面に目を通す。
手紙の内容は非常に簡潔だった。マーガレットの父であるレッド侯爵が、カミラをこの別荘へ連れて来たこと。マーガレットもこれから何が始まるかわからないが、嫌な予感がする。可能であればカミラを助けてほしい。リチャードがイワーツェ国に来たと知ったのは、王城に送り込んでいるレッド侯爵家の者がおり、その報告で知った。レイチェルはマーガレットが一番信頼している、メイドだ。彼女に道案内を頼んでいるので来て欲しい。
要約するとこんな感じだった。緊迫した状況に違いはないが、ジュリアスは心の中でため息をつく。リチャードが微妙な態度をとっているのは、マーガレットがカミラを助けてほしいと言ったことだろう。彼はマーガレット自身を助けたいのだ。
カミラを助け出したところで、マーガレットはどうするのか。
なぜ、マーガレットは自分も救い出してほしいと言わないのかという事にやきもきしているのだろう。しかし、マーガレットのこの手紙の書き方は正解だとジュリアスは知っている。もし、マーガレット自身を助けてほしいと書いたなら、すぐにと言わんばかりに飛竜を繰り出して、行くだろう。マーガレットは父であるレッド侯爵家に見つからないよう、秘密裏にリチャードにコンタクトを取っているのに、そんなことをすれば、元の木阿弥だ。そう考えると、マーガレットもリチャードという男をよく理解した上で、行動しているのだろう。会った事はないが、レイチェル同様に知性の高い女性だということが伺える。リチャードにはそんなこと言うつもりはジュリアスには毛頭ないけれど。
「レイチェルという女は信用できるのか?」手紙から顔をリチャードに向けた。
「ああ、前から、彼女の手紙に何度か名前が載っていた。文章の通りだと私は判断している」
「キツイようだが、マーガレット嬢が君を、この手紙でだましている可能性は?」
リチャードは嫌な表情を見せた。「可能性としてはゼロではないだろう。しかし、彼女はそんなことはしないと私は信じている」と威厳をもって答えた。
リチャードの言葉はどうあれ、カミラの行方の手掛かりがない今、罠であっても乗るべきだろうとジュリアスは思う。それに、リチャードとジュリアスの二人であれば、それなりのことは対応できるはずだ、とも。
馬車はかなり早い速度で、街道を抜けてゆく。
小一時間程走ったところで、一度、馬車が停まった。
もう、到着したのかと思って外を覗くと、明らかにまだ街道だった。先を見ると、別の馬車が立ち往生していた。積んでいた薪をばらまいて、老人がゆっくりと拾い上げていた。ジュリアスはそんな事をしていたら一日がかりじゃないのかと思いながらと内心悪態をつきながら、老人の様子を見ていた。
目の端でレイチェルが老人に近づいていく。街道の両端は、湿地帯のためぬかるみがひどく、馬車で追い越すのは難しい。一言二言話をして、レイチェルは戻ると馬車を再び、動かし始めた。
くるりと方向転換し、少し引き返す。二股に分かれた反対の道に入って行く。
景色は丘に林。道の先にそれなりの大きさの屋敷が見える。あれが、目的地であるレッド侯爵家の別荘だろうとわかった。馬車は正面にならないよう、屋敷から少し遠ざかり林の中で速度をゆるめてゆく。
「今回の、聖女召喚にまつわること、そして、王城の殺人にはレッド侯爵家が噛んでいる。と睨んでいる。その意味はわかるよな」
ジュリアスは確かめる様に、リチャードへ言う。リチャードはジュリアスを一見し頷く。馬車が完全に停まるとレイチェルが扉を開けた。
「すみません。事情が事情ですので、表からは入ることが出来ません。裏道がありますのでそちらから屋敷に向かいますが、ここからは馬車では行けませんので、降りていただけますか」
近づけば近づくほど、屋敷はしんと静まり返っていた。いくつか見える窓は薄暗く人の気配を感じられない。一瞬、レイチェルという使用に騙されているのではないか。という疑念まで浮かんでくるほどだ。
リチャードを見る。真面目というか表情のない顔をしてせっせと歩いて居た。
近づいてくと、建物は屋敷と言うよりも、赤い屋根のこぢんまりとした一軒家という感じだ。建物自体は二階建て、いや、塔のようなのっぽな建物が突き出た部分があり、そこは三階部分まで窓が見える。
二人が着いたのは、裏口……ではなく、家の横壁だった。その辺りは咲き終わったアジサイがもさもさと葉を伸ばしていたので、身を隠すには充分だった。
そこには、戸口ではなく、採光のための大きな窓がいくつかあり、その内の一つをレイチェルは音もなくスッと開けた。「ここから入っても大丈夫なのか?」思わず口に出た。
「はい。この時間は誰もいらっしゃいません。それでも長居は無用ですので、急ぎます」
レイチェル窓を乗り越え、二人を引き入れる。もともと鍵をあけていたのだろう。
部屋の中は赤と紫を基調としたティールームになっている。天井からは見事な花弁を広げた花の様なシャンデリアが吊り下がっている。レイチェルは二人が部屋の中に入ると、窓を閉め、内側から鍵をかけた。
「こちらです」と、屋敷の中を移動する。
レイチェルはきょろきょろと辺りを不自然には見えない様に確認しながら二人を促した。
二階に上がり、廊下を少し進んだ部屋で立ち止まり、ノックをする。少し部屋の外で待つも、一向に中から返事がない。もう一度ノックをする。やはり返事はない。
「失礼します」
半ば強引に扉を開ける。
ベッド、椅子、チェスト、本棚、暖炉、開け放たれた窓、風に靡くカーテンが目に入るも、人の気配はない。しかし、ベッドは乱れており、ついさっきまでそこに誰かが休んでいたような感じだった。レイチェルは焦った様子で、部屋の中を歩きまわる。
チェストの上に水差しと、水か少しだけ入ったコップがある。部屋の奥にある洗面所までくまなく回り、「一歩、遅かったようです」
レイチェルの苦い顔が物語る。
「一歩遅かったとは? 一体?」リチャードが詰め寄ったところをジュリアスは横目で見て、開け放たれた窓に一人近づいた。レイチェルはベッドのそばに歩んでいった。
「こちらに、カミラ様がお休みされていまして、マーガレット様が付き添われていたのです。カミラ様はまだ意識が戻らない様子でした。ですから、急いで」と、その後の言葉が続かない。
ジュリアスは窓の外を眺めた。門から屋敷の入り口まで続き、道の両脇には綺麗に生垣がある。辺りは山々に囲まれた風光明媚場所だ。
リチャードがまだレイチェルに詰め寄っていたので、「いないものは仕方がない。これからどうするかを考えよう。ここには間違いなく二人が居たということだな?」
冷静な口調でレイチェルを見た。
「誓って。間違いありません」と、レイチェル。
「じゃあ、必然的に二人はこの部屋から出たということだ。行先に心当たりは?」
「それが……わかりません。マーガレット様は別に馬や馬車を用意していた訳ではないので、そう遠くまで行けるはずもありません。それに、カミラ様は私が見た時、全てを預けるようにベッドの中に。薬を嗅がされたと聞いています。ですから、目覚めてすぐはまだ、ぼんやりとされている状態だと思うのです。もし、この部屋を出られたと言っても、そう遠くには行かれてないと思うのですが……」
「そこがどこなのか検討がつかないと言うこと。この屋敷のどこかに居る可能性は?」
ジュリアスは自分でそう言ったにも関わらず、その可能性はほぼないだろうと思った。それは、あまりにも、この部屋、だけでなく屋敷の中に人の気配がなさすぎるからだ。
「探してみましょうか。ただ、恐らく可能性は低いかと。この屋敷はレッド侯爵家の本宅、マナーハウスやカントリーハウスとは異なりまして、別荘という名の宿泊施設と申しますか、カントリーハウスから、マナーハウス。その逆もしかりですが、移動の際の休憩施設として使われております。誰かを招くような場所ではないので、屋敷の中の部屋数は多くありません」
「今の話から、レッド侯爵家にはこういった宿泊施設が他にもいくつかあるという事なのだろうか?」
そういえば、以前にカミラは同じようなこと言ってなかっただろうか。同じ景色を、どこかで……
「ええ。今の侯爵様があまり、宿屋と申しますか、そう言った場所に泊まられるのがお嫌いな方でございます。ですが、仕事の関係上、一か所に留まることが出来る方ではございませんので、絶対に年に何回か通る場所に、数か所屋敷を構えていらっしゃいます」ジュリアスはその話を聞いてはっとした。
「もしかして、他の場所にある屋敷も赤い屋根をしている? 君は他の屋敷も訪れたことがある?」
「ええ、侯爵様は自身の所有物だと誇示されるのだと仰られて、同じ色を。もちろん他の屋敷にも数回ですが言ったことはあります」
「この屋敷と他にある屋敷のレイアウトは全く同じということは?」
一同は凍り付いた。
「……ええ、た、確か。あ、あったかと、わ、私……」
「別に責める訳じゃない。ここに来る途中、街道が立ち往生した馬車に塞がれていた。あの時、何を話したか教えてくれ」
「本来でしたら、街道を真直ぐ行くのですが、あの様な状況でして。実は私もこの辺りはあまり詳しくないものですから、あの者に他に回り道はあるかどうか尋ねたのです。あのまま待っていてもいつ通れるかどうかわからない状況でしたので。そうしますと、少し引き返したところ、二股の反対側の道を行った方が早く着くと言ってくれたので、わ、私、申し訳ございません」と今にも泣き出しそうな声で言った。
「いや、そうすると、あの老人は親切で言ってくれた可能性がある。君はきっとレッド侯爵家の別荘へ向かっていると、老人に尋ねたんだろう?」
「ええ」
「君が目指していた別荘と、老人が脳裏に浮かんだ別荘はもしかすると、もともと違うものだったのかもしれない。だって、全て一緒の造りをしているのだから。それに、レッド侯爵はこうなることを見越して全ての屋敷のこの間取りの部屋に同じ細工を予めしておいたのかもしれない。とりあえず、目的地がここではない事がわかっただけでも十分だ。早く向かおう」
ジュリアスはそう言って、二人を促す。
なんとなく部屋から出る時、再度振り返る。
先ほどは、そう言ったが、やはり、街道に居た老人はジュリアスを含めた三人を欺くために配置されたものだったのか。
考えている余裕はないと、すぐに思考をかき消し、馬車へ急いだ。