3、
ジュリアスは、急いでウィンスラー伯爵家に訪れた。表門から入った彼を迎え入れた使用人は疲れた表情をして居た。
「カミラ嬢は?」
「え、どちら様で?」
使用人は見たことのない上等な藍色のビロードのローブを羽織ったジュリアスを上から下に訝しむ様な目で見た。
「失礼、エイノン帝国のジュリアス・クレメントと申します」と伝えると使用人は「ご無礼を」と言いながら、ジュリアスを応接室へ通し、慌ただしく扉の向こうに飛んで行った。
その様子から一足遅かったことに気付かされた。
しばらくして、扉が開くと、壮年の男性が部屋へ入って来た。
「ウィンスラー伯爵でいらっしゃいますね?」
「ええ、娘を訪ねられたと聞きましたが」ウィンスラー伯爵は非の打ち所がない身のこなしでジュリアスに問いかけるも、髪の毛はほつれ、いつもはきっちりと着こなしているだろう、ジャケットやシャツなども着崩されている。
「はい、彼女は……屋敷にはいらっしゃらない様ですね」
ウィンスラー伯爵は項垂れ頷いた。
「娘は国の組織である、廃聖堂委員の一員でありまして、昨夜の遅く戻って来た様なのです。使用人の話では、そのまま休んで、今朝、部屋に紅茶を運んだところまで、姿を見たと聞いているのですが、そこからどこへ消えてしまったのか。消えた様に見えなくなってしまって……娘も子供ではありませんので、私どもも、ある程度娘の自由にさせておりました。ただ、今回のように神隠しにでもあったかの様に……すみません、それでクレメント様、わざわざ帝国の方が我が娘にどの様な御用件で?」
「カミラ嬢に殺人の容疑が掛かっているようなのです」
「カミラに殺人の容疑が掛かっている? 一体何事だ?」
ウィンスラー伯爵は声を荒げた。
「この屋敷にも、もうじき近衛兵が押し寄せるかもしれません。ですから、その前に」と言って、ローブの内ポケットから一枚の紙を取り出す。
「この方をご存知でしょうか」
国城の牢屋の中で死んだ男の似顔絵を見せる。似顔絵はジュリアスが見た人物像を、リチャードの隊に居た絵の上手いと言う人物に描かせたものだった。実際の仕上がりとしては、プロには及ばないものの、的を捉えた的確な絵を描いてくれた。その成果もあり、目の前のウィンスラー伯爵は言葉を失っている。
「数年前に我が家で庭師をしていた男だ」と、咳払いをし、毅然と答えた。
「では、カミラ嬢は顔見知りであるということで間違いないですね」
「ああ。もしかしてその殺人で殺されたというのは?」ジュリアスはこくりと頷く。
「この、男が王城の地下牢で殺されていたのを近衛兵に発見されました。この男の事についてお話をお聞かせいただけないでしょうか」
伯爵は沈黙を保った。帝国から来たという男に打ち明けるべきなのかどうか迷っている風に見えた。
「ご安心ください。私は帝国から参りましたが、カミラ嬢を存じております。というのも、帝国の領地には毎年国の予算案を帝国に報告する義務があるのをウィンスラー伯爵ならご存知ですよね? 報告が上がった予算を担当官が確認し承認するのですが、この度、私がイワーツェ国の担当官でして。帝国の宰相からこの国の廃聖堂調査委員について、具体的にどのような調査を行っているのか詳しく調べろと私に命が降りました。実は私も調査員としてカミラ嬢とご一緒させていただいたのです。ですから、人ごとではないような気がしまして……私で出来ることならお力になりたいのです」
その言葉を聞いた、ウィンスラー伯爵はソファーに崩れ落ちるように座ると話を始めた。
「その庭師の名はエルヴィットと言います」
「いつから伯爵家に? エルヴィットの人柄などは?」
「彼は、私の父が当主の頃から居りました。もう父は亡くなっておりますが、エルヴィットには並々ならぬ信頼を寄せているようでした。しかし、そう聞かれてみますと彼がどのような出自でどういった経緯でこの家に勤め始めたのかは……私も聞いたことがありませんでした。父がそれだけ信用している人物ですし、特にトラブルを起こすような素振りもなかったので気にしたことがありませんでした」
「今はこの家には?」ウィンスラー伯爵は首を振る。
「居りません。数年前に、年齢と身体の不調を訴え辞めました。確かにそのころには彼も八十を超していたので、無理もないと思いました。それなりの退職金を支払って、それ以降は会ってもおりませんし、噂も聞いたことがありませんでした」
「カミラ嬢とはどのような?」
「そうですね、娘とはどちらかというと仲が良かったように思えます。宜しければ娘が幼いころから仕えている使用人がおります。彼女の方が詳しいでしょう」
伯爵が立ち上がり扉を出ると、先ほど表門で応対した使用人が部屋の中に入ってきた。
見た目はふっくらとした人の良いおばさん、年は四十過ぎと言ったところだろうか。お仕着せのエプロンをぎゅっと握り今にも泣き出しそうな表情をしている。
「初めまして、カミラ様の小さい頃からお世話をしておりますリットンと申します」そう言ってちょこんとお辞儀をした。
「クレメント様にカミラとエルヴィットについて話して欲しい」ウィンスラー伯爵が話を促す。
「かしこまりました。以前こちらのお屋敷に勤めていたエルヴィットは、お嬢様のことをお孫様の様に可愛がっておられました。奥様が……」
ウィンスラー伯爵に何かの許可をもらうような視線を送ると伯爵はただ頷く。それを見てリットンは話を続けた。
「奥様はもともとお体が弱く病気がちでございまして。カミラ様は中々外へお出かけになることが難しい奥様のために、様々なお花を両手いっぱいに奥様のお部屋へ届けられておりました。もちろん今でも、国のお仕事の合間を縫って、奥様へお届けされていました。特にエルヴィットがおりましたころは、一緒に花を種から育てることもしていたようでございます。ですが、ある時を境にそう言えば」と、リットンは声を低めた。
「十二歳を迎えたくらいから、お嬢様がふさぎ込みがちになりまして。あまり、お部屋から出たがらないことがございました。もちろん奥様には心配をかけないようにとお会いになっておりましたが。多感な年ごろでございますので、構いすぎるのも良くないと思いましたが、ずっとお部屋にいらっしゃるばかりでは、晴れるものも晴れませんので、たまにはエルヴィットと庭に出てお花を見られたらどうかと提案した時、恐ろしいものでもみたかの様に蒼白な表情をされたのです。私、その時は単に、体調が本当に良くないのだと思いまして、ゆっくり休まれるように言いました。でも、思い返すと、もしかしたらエルヴィットに原因があるのかもしれないと、ふと思ったことがあったのです。しかし、彼もそれからすぐに辞めてしまって、私も今のいままで忘れてしまっていたのですが」とリットンは申し訳なさそうに言った。
「いや、リットン君はよくやってくれている」と伯爵が言うのでリットンはほっとした表情を見せた。
「大変参考になりました。あと、お二人は《運命の乙女》についてご存知でいらっしゃいますか?」
「ええ、そりゃ人並み程度には」と、リットン。
「聖女召喚のために必要な令嬢のことでしょう」
ウィンスラー伯爵がそう言うと、リットンはその通りだとばかりに、うんうんと頷いた。ただ、ウィンスラー伯爵の顔色が少しばかり悪く見えた。
「その運命の乙女がカミラ嬢だと言うことは?」リットンは驚いた表情をした。ウィンスラー伯爵はわずかに口を開けた。その様子をジュリアスは見逃さなかった。
「ウィンスラー伯爵は何かご存知では?」
追究するように鋭く言葉を投げかけた。
伯爵はしばらくジュリアスを見て、ため息をついた。
「先ほど、エルヴィットは自ら、年齢と体調を考慮し辞めたと言いました。が、その様にするように私が仕向けたのです。いや、言葉に嘘はありません。彼は先代のころから雇われていた庭師です。ただ、ある時。私がたまたま仕事から早く戻ることがありまして、表門から屋敷に入ろうとしましたら、庭の方から話声が聞こえて。娘が庭の様子を見ているのだと思ったので、驚かせようと足を忍ばせ近づいたのです。そうしましたら――“次の生贄はレディ・カミラ。君が居れば完成だ“と彼が言っている声を聞きました。私は思わず、駆け寄ると、娘が倒れていました。服の袖がめくれ上がり、彼女の腕に痣が見られました。そばにいたエルヴィット、私を見て青ざめた顔をしました。あの時の、顔は今でも覚えています。私は何があったのか問いただし、エルヴィットは娘に、カミラに運命の乙女である証の紋を施したしたことを認めました。ご存知でしょうが、この国では魔術師は途絶えたとこになっています。国王に秘密裏にお知らせし、エルヴィットを引き渡しました。その時、私も王城に地下牢があることを知り、彼をそこに幽閉すると。私が知っているのはそれまでです」と、項垂れるように言った。
「リットンさん、貴女はその事をご存知でしたか?」
「いえ」と慌てて首を振る。
「リットンは存知ません。知っているのは本当にわずかなものです。何よりも娘を不安にさせないようにすることが先決でしたので」伯爵はそう釈明した。
「話を戻しますが、ちなみにカミラ嬢が今どこにいるかについては?」
「それが……全くわからないのです」
「私も、探しておりますが……未だ何の手がかりもわからないですね」リットンと伯爵は顔を見合わせた。
「つまり、現状カミラ嬢は行方不明ということです。ここで考えられるのが、聖女召喚のために攫われたということ。しかし、聖女召喚が出来るであろう、エルヴィットは死んでいる。じゃあ、なぜカミラ嬢は行方不明になる必要があるのか。そして、エルヴィットの殺害……」
ジュリアスはそう言って、深く考え込んだ。
「もしクレメント様が言われるように、娘が殺人をしたというその話が本当だとして、犯人だと言うのなら、何か証拠でもあるのでしょうか? それに、あの男は王城の地下牢に幽閉されていたと聞く。うら若い女性が牢屋に一人で向かうなどあり得ない。それに地下牢には、鍵などもあるでしょう。当家ではそんな鍵は手に入れることはできません。そうなるとどうやってそこまで行ったのか?」
「証拠はだけはあるのです。どうやら、カミラ嬢のイニシャルとウィンスラー伯爵家の紋章入りのハンカチが現場に落ちていたと聞いております。ただ、本当にカミラ嬢が地下牢まで行ったのかどうか、もし行ったとしたなら、どうやっていっ行ったのか。という事について、私も本人からそれを聞きたくここに来たのですが」
「そうでしたか」
「私も本人と話をさせてもらっての印象ですが、カミラ嬢は非常に聡明な方です。百歩譲り、もし彼女が犯人だったと仮定しての話になりますが。彼女程頭の良い人間が、まさか自分が犯人ですと言わんばかりの品を現場にわざわざ残すだろうか、という疑問を私は感じます。ただ、現時点ではこれが一番、有力な証拠であることには変わり在りません。後は本人から話を聞くことが出来れば良かったのですが……彼女が居ないとなると、もしかした近衛兵からは逃げたとも言われるかもしれません」
ウィンスラー伯爵は悔しそうにこぶしを握りしめた。
「娘には残念ながらそれ以上にも殺害を疑われる、動機を持っている。私が言った先ほど話のように自身が運命の乙女としての烙印焼き付けられ、エルヴィットを憎んでいたのかもしれません。私は、なんで気付いて上げられなかったのか」ウィンスラー伯爵が崩れ落ちたところ、「旦那様がお悪いのではございません。私がお嬢様の様子に気が付かなければならなかったのです」リットンが唇を噛んだ。
――しかし、それは正当防衛には当たりませんか? という言葉をジュリアスは喉まで出かかって飲み込んだ。そう言っても、どうしようもないと思った。
「カミラ嬢は一体、どこへ行ったのか……」ジュリアスは脳内の考え事が思わず口に出てしまい、無意識に口をおさえた。
「もしかしたら」リットンがはっとする。ジュリアスは話を続けるよう促した。
「お嬢様はレッド侯爵家のマーガレット様ととても仲が良いのです。確証はありませんが、何かご存知かもしれません」
「そうか」
言いながら、その女性の名を聞いてすぐにリチャードの顔が思い浮かんだ。
「最後に」
ジュリアスはウィンスラー伯爵に向き合った。
「伯爵は『生贄だ』という言葉を聞いたとのことでした。生贄とは『運命の乙女』と同じ意味で会っていますか?」伯爵は静かにうなずいた。
「運命の乙女と生贄という言い方には、何か違いがあるのですか? 帝国には聖女の知識は深く広まっておりません。詳しく教えていただけますか」
伯爵は再度こくりと頷き、「いえ、特に違いはありません。要するに聖女召喚のために犠牲になる、乙女のことですから。言い伝えですが、昔は、貴族ではなく平民、一般市民がランダムに選ばれていました。それから貴族の子女が選ばれる様になったのですが、貴族の子女に生贄と使うのは宜しく無いということで、運命の乙女。と、呼ばれる様になったという話は存じております。あと、生贄、運命の乙女には証がつけられることも」
「生贄の証?」
「生贄には術者から、しるしを授かるのです。左腕にだったと。先ほども言いましたが、カミラにも痣が左腕に。これは貴族が替え玉やすり替えを行わない様にと。そして、その証は術者が死なないかぎり。消えないとも……」
ジュリアスは思い出す。彼女は暑い夏の日でも、長袖を好んでよく着ていた。
「そうでしたか」伯爵はジュリアスの表情から全てを察したようだった。
「クレメント様は帝国の、あの魔術師の方でいらっしゃいますか?」
ジュリアスはウィンスラー伯爵の博識に舌を巻いた。あまり知られていないが、藍色のローブはエイノン帝国の魔術師である証とも言える。
「ええ」嘘をつく必要がなかった。
「娘は罪に問われるのでしょうか?」
「今の段階ではなんとも。状況が全くつかめませんので、しかし、彼女の無罪を信じています」
「娘の力になっていただきありがとうございます」
ウィンスラー伯爵は初めて表情を明るくした。
「もし、何かありましたら寄らせていただきます」と言って転移魔術を展開させる。
ウィンスラー伯爵と使用人のリットンの心配そうな顔が最後に見えた。