3、
エヴァンの書いた地図をもとに、町の中心地にある聖堂までたどり着いた。
ゴシック様式の二階建ての建物で、青い屋根の尖塔が印象的だ。
聖女協会の本部はそれなりに立派な建物のため、迷うことは無かった。実はここに来るのはカミラも初めてだった。
時刻は夜の七時を回っていたが、夜の礼拝があるため、人はいるだろうとカミラは踏んでいた。礼拝と言っても、何か儀式的なものがある訳ではない。各々、就寝前に聖堂に訪れ祈りをささげるというささやかなものだ。その人によって訪れることの出来る時間というのは、仕事などもあるので違ってくる。聖堂はなるべく、扉を開放し祈りのために訪れる人を受け入れている。
聖女協会の本部は聖堂と同じ建物の中にある。
廃聖堂ばかり回っていたので、現在も信仰されている聖堂を見ると違和感を覚えた事は心に秘めた。
中に入ると受付の男が出迎える。枯れた様なローブを纏った頑丈な体格の男は見た目とは裏腹に細々と気の弱そうな声で「あの、礼拝でしたら、階段を上がって……」と、言った。
「すみません。廃聖堂調査員のクロムウェルと言います。少し伺いたい事があるのですが、よろしいでしょうか」
「クロムウェル様ですね、私は受付を担当しておりますレセップと申します。一体、どのような?」レセップはわたわたと、メモを用意した。
「先ほど、アメリー・トルエバと言う女性はこちらに訪問されましたでしょうか?」カミラがクロムウェルの後ろからそう聞いた。
「失礼、貴方様は?」
「廃聖堂調査委員のカミラ・ウィンスラーと申します」カミラは小さく会釈をした。
「わかりました、少しお待ち下さい」
レセップは、メモをもって、奥の方へずたずたと歩いていく。しんと静まり返った。入り口には二階への階段が両脇から折れて続く。靴箱には様々な色や形のスリッパが並ぶ。聖堂の祭壇などは二階にあり、一階は事務所になっているのだろう。
レセップが奥から戻ってくる。
「どうぞ」
おどおどしながらもにこやかに言われたのでカミラとクロムウェルは後に続いた。
「初めまして。本部長を務めております、セザル・ドニエと申します。以後お見知りおきを。ウィンスラー様と、クロムウェル様ですね、立ち話もなんですからおかけください」
案内されたのは、こぢんまりとした応接セットが置かれた部屋だった。カミラとクロムウェルは手近にあったソファーに腰掛ける。ドニエは六十代に差し掛かるぐらいの男性だ。しわしわと痩せてみすぼらしく見えるも、瞳の輝きは深く、人を引き込む様な引力を感じた。
「早速ですが、アメリー・トルエバと言う若い女性が来たと思うのですが、何を話されていたのか、伺っても?」クロムウェルがそう尋ねると、ドニエは顔を顰める。
「秘匿義務がありますので」
声には張りがあり威厳が感じられた。
「死者にも、ですか」クロムウェルの言葉に、明らかに嫌な表情を見せた。
「失礼、アメリーさんは亡くなりました」
「亡くなったとは?」
「殺された可能性があるのです」ドニエとレセップは顔を見合わせる。
「騎士団の到着は早くとも明日の朝になりそうとのことでした。鉄は熱いうちに打てともいいますので、宜しければお話いただけないでしょうか」
ドニエは、ふぅと小さく息を吐いた。
「そう言ったご事情があるのでしたら。ええ、確かにいらしておりました。彼女は、とある書類の写しを欲していました」
「書類の写し?」
「はい。左様でございます。よろしければ、同じものをご用意いたしましょう」
「ご親切に。そうしていただけると助かります」クロムウェルがそう言うと、セザルは、指示をだした。
「しかしながら、私からも少し伺ってもいいでしょうか。まあ、ギブアンドテイクという事で。ウィンスラー様はあの、運命の乙女、その人で間違いないのでしょうか?」
不意にカミラへ話題を切り替えられ、息を飲む。
重い沈黙。ドニエとクロムウェルに見つめられ、返す言葉が見当たらない。
「これで、す」戻ってきた、レセップは部屋の中に漂うなんとも言えない空気を察し、言葉を詰まらせた。
「ありがとう」
クロムウェルが書類を受け取ると、部屋を出て行こうと振り返り、カミラを呼んだ。
聖堂を出ると、目の前に馬車が停まっている。当たり前の様に乗り込むクロムウェルに続く。扉が閉まると、馬車はゆっくりと動き始める。
閉ざされた空間。
目が合うこともなく言葉を発することもなかった。
クロムウェルは先ほど受け取った書類を見ると、眉間にシワを寄せた。
カミラはそんなことよりも、腕を押さえ、頭の中の考えがまとまらない。
ついに、いたたまれなくなり「先ほどのこと」と、自ら口を開いた。
クロムウェルはそれに対し、何も言わなかった。
少しだけカミラ方に顔を向け、すぐに窓の外を見た。
馬車はパルマ商会兼屋敷の前に停まる。
屋敷に入ると目鼻立ちのくっきりとした金髪の可憐な女性が出迎えに笑顔で現れる。
「廃聖堂調査員の皆様ですね、こちらへ」と、案内された応接室は豪華な調度品と古今東西から集められたのだろう、様々な見たこともないない品が溢れていた。
「父の趣味で。仕事で様々出かける物ですから。その土地で興味を持ったものを買ってくるのです」と笑みを浮かべる。クロムウェルが爽やかな声で問いかける。
「貴女が、ソレンヌ・パルマさんで間違いないでしょうか?」
「ええ」
ソレンヌは貴婦人の笑みを浮かべる。
カミラは驚いた。先ほど、宿屋にやって来たソレンヌとはまるで別人だ。
「先ほど、宿屋にいらっしゃいませんでした?」思わず聞いた。
「えぇと、?」
不思議そうな表情をされる。
先ほどの宿屋での女性は……?
「アメリー・トルエバという女性はご存知ですか?」
「ええ。もちろん父の仕事の関係で付き合いのあるご令嬢です。個人的にも幼い頃から知っています」
クロムウェルの言葉にそうすぐに答えた。
「彼女が亡くなったことは?」ソレンヌは間の抜けた表情を見せる。口が半開きになり、声なき声を表している様だ。
「ご存知なかった様ですね」クロムウェルは冷静にそう言った。この言葉が意味するのは、宿屋に来た女性はソレンヌ本人ではなかったことを決定付けている。
「亡くなったって、本当ですか?」ソレンヌはようやく、言葉を咀嚼しながらそう吐き出す。クロムウェルが何も言わないので「本当です」と、カミラがそう言った。
ソレンヌは頭に手を当て、ソファーに崩れ落ち目を閉じた。
「信じられません。先月、私の結婚が決まり、本当に一週間前ほどです。父の仕事の絡みで、アメリーもこちらへいらっしゃって、私その話をしましたの。自分のことの様に喜んでくれて、それが最後だなんて」最後の言葉は、声が涙に濡れていた。
こんな時、どう声をかけていいのか。カミラの動揺は収まっていなく、頭も心も回らない。
対して、クロムウェルはどこまでも冷静だった。
「実際にその時の様子を教えていただけますか?」
ソレンヌは涙を拭いた。
「ええ、一週間ほど前でした。アメリーが来ましたの。お父様の代わりにいらしたと聞いております」
「代わりというのは具体的にどんな?」
「アメリーの家は農家で、主に小麦を育てています。品種改良も行っておりまして、現在、お菓子との相性の良い小麦を作ってくださっています。試作品ができたとのことで、それを届けに来てくれたのです」
「なるほど、その時に、結婚されると話したのですね」
「はい。まさかこんなことになると」
「その、話をした内容を思い出せる限り、教えてください」
「ええ、内容とは?」
「そうですね……、まず、結婚することを伝えた時、アメリーさんは何と言っていましたか?」
「ううんと、おめでとう。と、顔を綻ばせて言って、それから、どんな人と結婚するか聞かれました」
「貴女は何と答えたのですか?」
「カフェの店員をしている年上の男性で、話をしていてとても面白い人なの。もともと、彼のお母様が旅役者をしていた様で、お母様も現役だったころは、衣装とメイクを駆使し、様々な役をこなしていたと。彼も出演していたと聞いたわ。そうやって各地を転々と過ごしていた様で、色々なことを知っているわ。数年前、お母様が体を壊されて、この町で暮らす様になられたと。そう言えば、そう話した時、少しだけ不思議そうなお顔をされていましたわ」思い出した様言った。
「不思議そうですか。彼女はその後、何て言ったのですか?」
「彼の名前を聞かれました。エーリクと答えると、少し目を見開きました。でもすぐに、微笑んで」
「貴女はそれから何と言いました?」
「それで、私ばかり彼のことを話しているものよくないと思いまして、どなたか想っている人はいないのかと聞きました。そうしたら、なんとも言えない淋しそうな笑みを浮かべて、首を振ったの」
「わかりました。最後に一つだけ教えて下さい。いえ、そんな手間のかかることではありません。エーリクさんのお住まいを教えていただきたいのです」
「はあ、もちろんです。でもそれが何か?」ソレンヌは少々拍子抜けした表情をしつつ、エーリクの住所をメモしクロムウェルに手渡した。
「どの様な経緯で知り合って結婚を決めたのか、私は存じませんが……心を強く持ってください」クロムウェルは意味深な言葉を残して、踵を返した。
カミラもお辞儀をして去る。この時はなぜ、クロムウェルがこんな回りくどい言い方をしたのか意味がわからなかった。