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 ツィッターを始めて十日が経過したある夜、みほろはメッセージを頂戴した。

『おひさしぶりです! みほろさんですよね? わあ懐かしい!』

 なんと。十年前に、みほろが携帯小説サイトで活動していた頃にやり取りをしたウェブ物書きさんだ。フォロー数もフォロアー数も半端ない。しかもだ。嬉しいことに、その方、りるけさんは、みほろの小説リンクの入った固定ツィートをリツィートしてくれた。みほろのような底辺物書きにとっては実にありがたい。久しぶりですねー、とやり取りを重ね、みほろは眠りに就いた。


 ツィッターを始めて一週間頃から、異変を感じた。前述のとおり、日中の仕事中にぐるぐる頭をめぐる事象が、自分の家族の問題そして小説ネタではなく、常にツィッターのネタ。なにを呟こうか……どう呟こうか。そればっかりで、小説に向けるエネルギーが低下しているのを感じた。まずい、とみほろは感じた。自分は小説を書くために活動している。ツィッターを始めたのも、例えば読み専のかたとやり取りをしたいと思ったからである。しかしながらなかなか読者のフォローがつかず、みほろはもどかしさを感じていた。悶々としながらも、仕事をしていると、

「お忙しいところすみません。西邑さん。いま、大丈夫ですか……?」

 遠慮がちに同僚に話しかけられた。頭の回転が鈍くなっていると実感する。「はい。大丈夫です」

「あの、ここ……」ファイルを開く同僚はみほろの作ったレターの日付を指で指し、「期限、十月になってますが、正しくは十一月かと……Novemberですし……」

「あ申し訳ありません」みほろは頭を下げた。「教えてくださり、ありがとうございます。すぐに直します」

 ――なんという凡ミスだ。舌打ちをしたくなった。みほろは自分の犯したミスの修正に取り掛かった。ウェブ上で案件のデータを管理しており、その日付。かつバックアップ用のカレンダーの日付も修正し、顧客にお詫びのレターを作成。……まったく。いくらツィッターが楽しいとはいえ仕事に支障を来たすようであれば本末転倒ではないか。駄目だな、と彼女は思った。ツィッターの内容をぐるぐる考えるのは危険だ。思えば、自分は、娘の寝かしつけまで毎日のように姫子様とやり取りをさせていただき、寝かしつけを完了してから小説を書いている。日付が変わるまで。それまで娘と一緒に十時には寝ており、ヨガもしていたのが、いまはまったく出来ない。やり取り……小説。どれもやりたくてたまらないのだが時間は限られている。みほろにはそのことがもどかしい。……よし。

 ひとまず、今日は小説を書こう。書きたいことが溜まっている。帰宅するとみほろは「オフります」宣言をし、その日だけで一万字執筆した。


 翌朝、久々に頭がクリアになる感覚を覚えた。澄み渡る海のような。……ああ自分にはこれが足りなかったのだな、とみほろは思った。改めて彼女は思った。小説を書くのは、決して楽しい現実に恵まれている人種なのではなく、むしろ、一日何時間も小説を書かなければ自分という人間の有り体を保てぬ、可哀想な人種なのだと。現実は誰にとっても厳しい。そういうものだ。

 それにしても、とみほろは思う。インフルエンサーの方々とやり取りをさせて頂いてもフォロアー数はさほど伸びず。リツィート頂いてもアクセスはなく。……見ていないのか? みほろはショックを覚えた。せっかくの彼らの善意を自分の小説の未熟さ加減が無下にするのか。期待に応えられない自分がもどかしい。気を遣わせて申し訳ないし、あのリツィートで読者が増えたらどれほど楽だったろう、とみほろは思う。

 帰宅し、最低限の処理を済ませ、やはりパソコンに向かう。子どもに動画を見せる親に対し、みほろはかつて「どうかな」と思っていたのがいまはどうだ。頼りっぱなしである。最も、娘の見る動画は確かに面白く、素人であれど小説を書くみほろの目から見ても立派な群像劇として成立しているものが多い。よくあれだけ毎日面白いものを思いつけるなと感心してしまう。ゴーストライターがいてもおかしくないくらいのクオリティの高いものが毎日配信されている。

 部屋は、夫の衣類や書籍、娘のおもちゃで散らかり放題。みほろは最低限、虫が出ないレベルにしておけばあとは構わないという考えの持ち主である。尤も、すべて自分が処理していてはいくら手があっても足らない。――と、数瞬後にみほろは自分の考えを後悔することとなる。

「ママー。あれどこ行ったー? みりかのこないだ塾で貰ったふくろのやつ」

「あーそれなら」パソコンから顔を背けず、みほろは娘に答える。「台所にあったわよ? ほらお薬のあるあたり」

「えーどこ?」

「ママ、いま、手が離せないの。自分で見てきて?」

「えー」

「だからあっち! あっちだってば」

 みほろが指を指した瞬間、そのタイミングでみりかが床に放置された自分のお絵描きで足を滑らせ、ちょうどみほろの指先に目を突っ込んだ。即座にみりかが叫んだ。「いったい!」

 みほろは全身の血が凍り付くかと思った。娘は目を押さえている。「ごめん……大丈夫? みりか……目ぇ開けてみて」

 みほろは娘の目を確かめた。……なんと! 白目の部分に赤い点がついているではないか! ざぁーっと、頭の血流が凍る感覚。なんということをしてしまったのだ自分は。とにかく――電話だ。冷蔵庫に貼ってある、自治体の小児科の緊急連絡先に電話をする。事情を話すと、緊急性が高いか否かまでは分からないが、この時間開いているのはある総合病院のみ。みりかはその後痛いとまでは言っていないが、翌朝までは待てない。手術や処置が必要ならいますぐしなくては。車を持たないみほろはタクシーを呼び、病院へと向かう。仕事中である夫にはメッセをした。いまどき夫とはショートメールでやり取りをしている。

 病院では長時間待たされた。慌てていたので時間を潰せるものをなにも持ってこなかった。こんなときに絵本でもあれば。いやそういう心理状態にないのだが。病院の待合でまさか動画を見せるわけにもいかず、ただみほろは娘と寄り添い、順番が来るのを待った。

 医者は、若い医者で。丁寧にみほろに説明した。「そのうち消えますよ」……と。腕に物がぶつかるとあざが出来るのと同じ原理で、目もぶつかればこのように赤い点が出来るのだという。視力や他にも検査をし、無事、娘の視力等に異常がないことを確認し、病院でタクシーを呼び、みほろたちは帰宅した。タクシー代が往復一万円もかかってしまった。が娘の安全に代わるものはなにもない。


 帰宅すると、娘とシャワーを浴び、歯磨きを済ませ、すぐに寝かしつける。既に帰宅していた夫は、娘のことを任せてといったふうになにも聞かず、ただ、娘に「大丈夫か?」と聞き、目の点を確かめ、渋い顔をしていた。

 娘の部屋を出ると夫はテレビゲームをせず、だが携帯でゲームをしていたようだ。ところがみほろの顔を見ると、手を止め、

「おまえさ、……小説、やめろよ」

 予想していた言葉ではあったが、その台詞はみほろのこころを深くえぐった。正論。あまりにも正論だった。言葉を返せずにいるみほろに夫は、

「あくまで趣味は趣味に留めておくべきだろ。最近、おまえは、様子がおかしい。……自分でも分かっているだろう? ぼうっとしたり、みりかから目ぇ離したり……どうかしてる。

 おれは、みりかの父親として、みりかに起きている事態を看過出来ない。

 ……辞められるよな? 小説。みりかをあんな目に遭わせておいて。今回は、大したことのない傷で済んだかもしれないがそれはたまたまだ。どんな大事故に繋がるかも分からない。そんな危険に晒すわけにはいかない。おれの言っていることが分かるよな? 鞠子」

 みほろは頷いた。それ以外にどうしようもなかった。反論も弁解の余地もなにも残されていなかった。

 夫はそれ以上なにも言わなかった。深夜であったがみほろはパソコンの電源を入れ、片っ端から退会した。小説投稿サイトそしてツィッター。メインHPであり、携帯小説向けサイトだけは……閉じられなかった。挨拶が必要だと思ったのだ。だからみほろはトップページを編集し、

『ご挨拶


 大変急ではございますが、この度、東野みほろは、ウェブ小説活動を休止させていただきます。

 お世話になったかたに直接ご挨拶を出来ぬご無礼を、どうかお許しください。


 2019年9月18日 東野みほろ』


 それからすぐに寝た。もう、なにも考えたくなかった。なにもしたくなかった。とにかく、……休みたかった。こころを整理したかった。自分の犯した過ちがどれだけ重大なのかは分かっている。だから。だから……。とにかく、休んで、気持ちの整理をしよう。そして、母親としてみりかに向き合おう、……そう思った。

 布団に入ると涙がこぼれた。それまで一滴の涙も流さなかったのが、急に、堰を切ったかのようにあふれ出る。みほろはただ流れるに任せた。顔も見たことのないあのかたたちのイメージが蘇る。それはみほろのなかで膨らみ、変化し、みほろの涙へ嗚咽へと変換されていく。カタルシスなど微塵も感じなかった。もし、みりかの母親が自分でなければ、みりかは傷つかなかった……押し寄せる後悔の波に耐え、先の見えないトンネルからの出口を探した。ひかりは、まだ見えなかった。みほろは眠るみりかの寝顔を見つめた。罪もなにもないあの子を……傷つけてしまった。消える傷だからよかったものの、もしあれが一生残ったら……例えば顔に傷などを負っていたらいったいどうなっていたことか。みほろは考えた。これは神様がくれたチャンスなのだと。ツィッターに小説にかまけてばかりいないでもっと娘を愛せよ――という。

 このチャンスを逃すわけにはいかなかった。――読み専に戻ろう。元々小説を読むのは好きなのだから、読む側へ戻ろう――と、そう決意した。タクシーで病院に向かう途中、この傷が一生残ったらと焦燥に駆られた――あんな思いを二度としたくない。

「ごめんね……みりか。こんなお母さんで……」

 眠るみりかの髪を撫でる。まだとてもやわらかい幼児の髪を。眠る安らかなその顔。――この子にこの先どんなことがあろうとも母親として守り抜かなくては……。そのためにはなにが必要か。考えるまでもなかった。

(明日っから、『東野みほろ』じゃなくなるんだ……)

 それはとても寂しいことだった。十年来、夢中になった趣味である。それまで関わったひとたちは一言二言のやり取りを含めるとゆうに千人は超えるであろう。

 寂しい。

 とみほろは思った。

 仕方がない。

 とみほろは思った。ドストエフスキーが言う通りで、罪を犯した以上罰が必要だ。悔い改めなくてはならない、そのためにみほろはみほろであることを捨てなくてはならない。それは決意ではない、結論だった。

 想像もつかなかった。この先、自分にどんな日々が待っているのかが。けれど、贅沢はいうまい。子どもがいるだけで恵まれているのだ。世の中に、子どもが出来ず悩んでいるカップルはどれほどいるであろう。その苦悶に比べたら、趣味など。たかが趣味など。母親なら捨てるのが当然ではないか。

 ――西邑鞠子に戻る。

 ただの、ママ。ただの、社会人。

 救いなのは、みりかがみほろを本当に慕っていること。あんなにも、愛していることだ。ツィッターをして以来、何度あの子の目を見たことだろう? 何度、あの子の話を聞けたことだろう。やり取りをしたいのに、必ず、必ず、あの子の歯磨きや寝かしつけなどが入り、即レス出来ないことに苛立ち、「早く寝てよ」怒ったこともあった。あれを、過去のものにしなければならない……。

 一通り思考を一巡させるとみほろは眠った。これまでの財産を捨て、真に自分の娘に向き合うことを選んだみほろは、これからの娘の未来がより輝かしいものになることをただ、願った。


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