始まりは唐突に
《一日目》
僕は苛ついた顔のまま、友人の家に勤める執事を見やる。
「朝早くからなんなんだよ。朝は弱いと何回言ったら分かるんだよ」
そう言ってみても執事は黒塗りの車から降ろしてくれない。
「麗二様がお呼びですから」
溜め息をついて麗二を恨んだ。
僕の友人であり、この界隈では有力な貴族、瑩鐘家の跡取り息子である瑩鐘麗二は美少年として高校でも人気な奴だ。誰も、麗二が悪い奴なんて思っちゃいない。しかし、実際は寝起きの弱い友人を無理矢理自宅に連れて来る非常識な奴だ。
「着きました。麗二様をお呼びします」
何度も来ているからよく分かっているのに執事はきちんと案内する。
「そうしてくれ」
言われるがままになろう。立派な門構えを見やり、溜め息をつく。どうしてこんなにも麗二は自分勝手なのか。貴族であったのは昔の話だ。今は庶子であるはずだ。僕と立場は同じなのに。
「やあ、おはよう」
執事に連れられてやって来た麗二は爽やかに挨拶をしてきた。イライラしている僕はツンとしていた。
「ツンデレだね」
腹に一発お見舞いした。腹を抱えてうずくまる麗二はそれでも笑う。
「明後日まで泊まろうか」
「はぁ?」
素っ頓狂な声が出る。いきなりどうしたのだ。頭を割ってしまったか。
「あ、今何でか、って思ったね?」
誰だって思うだろう。事前に連絡をとることもなく、いきなり言われたら驚くだろう。
「何でだよ」
言ってみると麗二は険しい顔になった。
「折り入って話があるんだ。家に入って、きいて くれないか?」
「それは依頼か?」
僕は学生であるが、その前に辣腕探偵でもあるのだ。たまに海外でも取り上げられるような凄い事件に関わったりする。
「そうなるな。依頼したらいくら払うんだ?」
「らしくないな。何かあったのか?」
この金持ちが金の心配をしているなんておかしい。なにか、金絡みの事件が起きたのだろうか。
「ありがとう。今日は下がって良い。ゆっくり休み給え」
麗二が執事に声を掛けた。
「しかし…」
戸惑いを隠せずにいる執事に僕も笑いかけた。
「麗二が無理をしないように僕が見張るから安心してくれよ。たまには休みな」
偉そうになってしまっただろうか。だが、執事は安心したように顔を緩めた。
「ありがとうございます。家内が風邪をこじらせておりまして」
「なら早く行きなよ」
麗二に会釈して執事は門の近くに停めてあった車に乗り込んだ。
「何かあれば呼んでください」
そう言って去っていった。扱い雑な麗二に如何してこんなにも良い執事がいるのだろうか。不思議だ。
「大丈夫だ。僕が面倒見るから」
麗二にぶっきらぼうに言うと麗二は苦笑した。
「いつになったら独り立ち出来るんだろう」
それはこっちの台詞だ。深くため息をつく。
何度来ても貴族が住まう邸宅は洗練されており、見る者を圧する何かがあるように思う。僕は母と二人暮らしをしているため、県営の家賃が安いアパートに住んでいる。初めて麗二の家に母が訪れた時、母が腰を抜かしていたのを覚えている。それを軽くあしらい、笑って紅茶を振舞っていた麗二は色々な意味で怪物だ。
「で、何の用件だ」
面倒に巻き込まれた気がしてならない。
「実は脅迫状を貰ったんだ」
脅迫状か。脅迫されるような何かをしでかしたのだろう。
「おめでとう。喜ばしいよ」
「人間性が欠けているね」
毎朝おかしな時間に呼び出され、起こされては気も狂う。
外部から見て人間性が欠けているように見えるならそれは麗二のせいだ。
「それで脅迫状は?」
恨むとしたら僕くらいだろう。基本、麗二は人当たりが良いから恨まれなさそうだ。なら、麗二の両親が何かやらかしたのだろうか。
「取り敢えず家に保管しておいた」
「誰かにその事は?」
「言っていないよ、一応外部に知られてはいけない事ではあるから」
僕はホッ、と息を吐く。事件が起きた際に容疑者が絞り込めるから解明が楽になる。
「でも、執事には言ったよ、長年この僕に仕えてくれているから」
信頼出来るから安心しろ、と言いたいのだろう。
麗二の、人を見る目はかなり高い。信じて良いだろう、と考えた。
「じゃあ、立ち話はなんだから、部屋に案内するね」
「そうしてくれ。腹が減ってたまらないんだ。フレンチを出してくれたら実に喜ばしい」
冗談のつもりで言ったのだが、麗二と言う金持ちのボンボンには通じなかったようだ。
「シェフに相談してみるよ。今日は日本食のつもりだったんだけど、他でもない、探偵の頼みなら…」
「…」
無言で麗二を目で殺す。
「怖いよ?目がナイフになっている」
「料理の変更はなしで良いよ。今からだと仕込みとか大変だろうから」
使用人への配慮と言うものもなかった。麗二の事は高く評価していたが、もう少し低く評価し直す必要が出て来た。
「さあ、僕のお城へ…」
麗二に皆まで言わせずに何度も行き慣れた麗二の部屋へ向かう。
「おい!置いていくなよー!」
麗二が文句を言った。
「馬鹿な口を開くな。庶民の思考が分からないやつの案内など聞かないよ」
「わぁっ!墓穴掘っていたの!?」
麗二が途端に慌て始めた。あわあわ、と後ろからついて来る。
「おはよう。朝が早いのね」
麗二の部屋に着き、重厚なドアを開くと麗二の姉、亜由美さんがいた。麗二専用のノートパソコンを開いて何か調べている。自分の、最新型を使えば良いものを。
「おはようございます。亜由美さん。どうして麗二のパソコンを使っているんですか?」
麗二に叩き起こされた事は伏せておいた。あまり亜由美さんと麗二の兄弟仲は良くない。…と言う事は…。
「…お姉さん。どうしているんですか?」
遅れて自室に入ってきた麗二の低い声が部屋に轟く。少しだけ部屋の温度が上がった。一悶着ありそうだ。
「どうしても何も、私の弱みを隠しカメラで撮られていたことが判明したからそれを消していたのよ」
この家はどうなっているのだろうか。兄弟で弱味を探りあい、より有利な立場に立とうと戦略の練り合いをしている。もしかしたら、あの脅迫状を出したのは亜由美さんかも知れない。
「でも、パスワードはどうしたんですか。麗二は教えないでしょう?」
僕は亜由美さんに言ってみる。すると…。
「私を誰だと思っているの?瑩鐘亜由美は警察にも依頼されるほどの腕前を持っているのよ」
ブラックの背景に、ローマ字がずらりと並んでいる。ハッキングしていたのだろう。なんというか、怖い。
「まあまあ、来たからには楽しんでいきなさい。麗二は憎いけれど死んで欲しいとは思っていないから弟の命を助けてくれると嬉しいわ」
すると、麗二が驚いた様に声をあげた。
「驚いた。僕を抹殺したいのだとずっと思っていたから、僕を助けろ、と依頼するなんて」
心底驚いた様な顔と声色で麗二が亜由美さんに食って掛かるがこれが演技だと僕も亜由美さんも分かっている。だから、亜由美さんは麗二の演技に付き合う。
「そう?私は腐っても死んでもあんたを殺してもあんたの姉よ。だから、あんたを守る義務があるの。分かった?」
麗二は不満の残る顔をしていたが、亜由美さんの微笑によって言葉を失わさせられた。
「じゃあ、私は出て行くわ。麗二の事をきちんと守って下さい」
亜由美さんは僕にそう言い残して去って行った。
「パソコンの電源くらい落として行ってくれ」
煌々と光を放ち続けるパソコンをシャットダウンし、定位置であるシングルベッド傍の物書き机に置くと、麗二は亜由美さんが消えた方向を軽く睨んだ。
「どうしてそんなに亜由美さんと仲が悪いんだ?」
問うと、麗二は苦笑する。その笑いが少し黒かった事は見なかった事にする。
「姉は、とある事が原因で僕を憎んでいる。僕は良かれと思ってした事だったから、姉の反応に困っているんだ。…知っているだろう?元々はとても仲が良かったことは」
微かに残る幼少期の記憶を漁ると、仲良く遊ぶ麗二と亜由美さんが見えた。…いつからあんなに仲が悪くなったのだろうか。更に記憶を漁ってみるものの、きっかけが思い出せない。
「そうだね。喧嘩でもしたのか?」
問うと、麗二が顔を歪めた。
「覚えていないのか?」
麗二の声色に背筋がぞわりとした。
「全く」
すると、麗二は悲しげに笑う。
「君のせいだよ、全て」
僕は、麗二の隣の部屋をあてがわれた。直ぐに色々と話せるから、と言うのが理由らしい。あとは、優男風でありながら武道に長けている僕なら安心、ということらしい。簡単に言えばSPだ。全くSPの仕事について調べたことはないが。
朝食も取っていない僕は麗二と共に朝餉を楽しむことになる。亜由美さんも一緒だが、麗二の両親は海外での取引の為に家を空けている。一応、僕が泊まる事について許可を取ったのか確認きてみたがしらばっくれた。…取っていないな。麗二の腐れ縁であるが為に両親の連絡先を知っていた。麗二の父に電話をして、泊まることの許可を得た。
『麗二の事、頼んだぞ。あいつは人に慣れているようで慣れていないからな』
何故か信頼されていた。生返事を返しながらこれからのスケジュールを考える。まずは麗二のもらった脅迫状を見て、印刷されたものか、書かれたものかを見る必要がある。今の自分、なかなか手書きで脅迫をする人は少ない。恐らく、印刷されたものだろう。それからの行動は全く思い浮かばなかった。
そうこうしているうちに麗二が食事だ、と呼びに来た。何時もならスラスラと解決への道が思い浮かぶのに、と思いつつ、麗二の後に続いた。
二階にあてがわれた僕の部屋から螺旋状の階段を嫌になるくらい下り、なかなか慣れない笑顔の仮面を貼り付けて従者達に笑いかける。従者は優しく僕に笑いかけた。幼少期から麗二のうちに入り浸っていた為に顔を覚えられた。幼馴染の力は強いな、と感じた。
「あら、やっと来たわね。今日の朝食のメニューがいきなり変わったから、シェフが苦労していたわよ、麗二、あんたのせいよね?」
亜由美さんが麗二を睨む。
「あんたのせいで重要な案件がパァになるかもしれないのよ?そうしたらどうしてくれるの?」
噛み付くようにいう亜由美さんの怒りを軽く無視している麗二を一瞥してから亜由美さんは僕に優しい声で話しかけた。
「どうなの?麗二はやはり仮面を付けて日々生活を送っているのかしら?」
僕は何も言えずに笑っておいた。ここで、兄弟喧嘩の原因を作るほど僕は悪党ではない。
麗二が、従者の差し出してきたフランス料理をナイフとフォークで切りながら愚痴を言っているのが聞こえた。 「フレンチを食べたいと言っていた友人の為にわざわざシェフに相談する僕は偉いと思うんだけどなあ」
僕は全く『フレンチを食べたいから無理やり食事メニューを変えろ』などとは言っていない。麗二はきちんと人の話を聞くべきだ。
「あの阿呆の話は無視して良いわ、貴方はそんな、人を困らせることなんて出来ないだろうから麗二の思い違いとかでしょうから」
亜由美さんは、流石麗二の姉だ、と言わざるを得ない。よく分かったな、と感心してしまう。一方で、僕がいなければ今も仲良くしていたのではないか、と考えると胸が苦しくなる。
フレンチトーストだけを貰ってナイフで切り揃えていく。会話が途絶えてしまった。口下手な僕にはこの場をどうすれば良いのかなんて分からない。口が達者な麗二も、亜由美さんも仲が悪いために何も話さない。この場で、お互いに不自由無く話せるのは僕だけだと気付いてからは更に僕の気持ちが暗くなる。
「あ、そうだわ。麗二に届いた、件の脅迫状なら私にも届いているわよ。…良ければ一緒に捜索してもらえる?私は別件で忙しいからまだ着手していなかったの、どう?」
静かな空気に乗せるように亜由美さんが言ってきた。
「亜由美さんにも届いているんですか?」
軽く衝撃を受けた。
「.......お姉さんはどうして隠していた?言ってくれても良いじゃないか、そこまで信用出来ないか?」
麗二が、肉を運んでいた手を止めて、射抜くような鋭い視線を姉に向ける。
「信頼出来ない訳では無い。真実は言わないけど、解決の糸口にヒントをあげるわ。」
亜由美さんは薄く笑う。何かを企んでいるようで怖い。
「何なんだ?その“ヒント”は役に立つんだろうな?」
麗二の、明らかに棘のある声に亜由美さんの表情が曇る。しかし、直ぐにいつもの、感情を読ませないような顔になり、麗二と僕を交互に見つめながら話した。
「手紙は、一通とも、二通とも限らない。もしかしたら私達瑩鐘家を狙った犯行かもしれない。もしかしたら無差別に送っているだけかもしれない。真実なんて、分かってもただの一部よ。謎が解けたからと言って気を緩めたら首の皮が千切れる。それだけしか言えないけどそれだけでも知っておいた方が身のためになる。......分かった?」
分かった、と上辺だけ取り繕うけれど、よく意味が分からない。取り敢えず頷いておいた。
それからは、亜由美さん自らの手で現在行っている、海外との取引について話された。あまり面白くない、社会の闇をありありとそのまま覆い隠さずに話していた為か、食事の場がかなり暗くなった。せっかく美味しい料理が不味くなる、とは言えず、フレンチトーストを咀嚼する行為が億劫になった頃、ようやく亜由美さんの出勤時間になる。す
「ご馳走様」
ナイフとフォークを音もなく置いた亜由美さんは従者の差し出したエルメスのバーキンのバックを受け取って颯爽と去っていった。
「はぁ。やっと五月蝿い姉が去ったよ」
麗二は大きな溜め息をついてナイフを置いた。
「さぁ、あれがいないうちにあれの部屋を見てみよう。で、あれの隠していることを暴いてやろうか」
いい感じの笑みで言い、あと一口残しておいた僕のフレンチトーストを手で掴んで食べた。
「姉さんの部屋に入ったことはくれぐれも内密にしておいてくれ」
従者は頷いたが、僕は反論したい。あの亜由美さんが何もせずに部屋に入れてくれるだろうか。.......答えは否だ。猪突猛進気味の麗二に何を言っても「大丈夫だろう」としか言わないだろうから何も言わないでおこう。これで被害を被るのは麗二であり、僕ではない。姉弟喧嘩になにかを言うつもりはないから放置しておくのみだ。
「入らないの?」
麗二が勝手に亜由美さんのノートパソコンを開いて中身を見ている。
「それ、パスワードはどうしたんだ?」
麗二にパスワードを教えるはずがない。どうして麗二がパソコンを開けるのか不思議に思い、聞いてみた。
「…腐っても身内だからね、そのくらいの思考回路は読めるよ」
あまり嬉しくなさそうな声だ。それでいて時たま姉と仲良くできないことを嘆いている。麗二と言うやつは、人間と言うやつは本当に面倒だ。僕には理解できない領域にいる。
「じゃあ、ここからは僕に任せてくれ。電子機器は僕の方が得意だろうから」
麗二はノートパソコンの前に置かれていた回転式の椅子から立ち上がり、座るように勧めた。




