5:「力の限界」
初戦果に浮かれるルシールは、二度目の探索に出撃するが、そこで待っていたのは、残酷な現実だった。
5:「力の限界」
成長制御コアを破壊された根の崩壊は、先端部から始まる。
三重の鉄格子で閉ざされた開口部の奥は真っ暗で、ミシミシ、バキバキとひっきりなしに崩壊音が響いていた。
活動を停止した根は、強固な生体防御フィールドも失い、新たに成長し続けている根に押し潰され、跡形もなく砕かれてゆくのだ。
ともかく、わたしがコアを破壊したことによって、わずか数百メートル四方ではあるが、迷宮樹の根は駆逐された。
「……第二百四十六機動砦、前進開始します!」
わたしの隣で宣言する技術士官の声も、心なしか弾んでいるように聞こえるのは、自意識過剰と言うものだろうか?
最初の探索で、わずか数時間で成長コアを発見、破壊した「赤の召喚者」つまり、わたしの評判は、一夜のうちに、一気に広まっていた。
普通は、多くても一日に二つか三つ、それも、数十時間の探索を続けた後に、ようやく破壊できるコアを、日帰りで破壊して無傷で帰還したのは、わたしが最初らしい。
「……さて、それじゃ、別の開口部から、今日も探索に出ようかな……」
機動砦が、人の歩く程度の速度でゆっくりと前進してゆくのを見届けたわたしは、少し離れた所に見える、迷宮樹の開口部へと歩いて行く。
「え? 今日も行くんですか? 少し休んでもいいのに」
「ノーダメージで、疲れてもいないからね。まあ、昨日みたいな幸運はそうそう続かないだろうけど、今日も探索頑張ってみるよ」
茶色っぽい髪と、ちょっと童顔が可愛い技術士官の娘に答え、わたしは再び、迷宮樹の内部へと足を踏み入れた。
わたしが成長コアを破壊したことで、他の召喚者チームも一気に活気づき、いつもより多い人数が、各開口部から侵入して探索を始めているらしい。
(今日も成長コア撃破! なんていうのは、調子に乗り過ぎなのかな? まあ、力の限りやってみよう!)
昨日、確かな戦果を上げたことで、わたしは少しテンションが上がっていた。
途中、小規模なゴブリンの群れと遭遇し、難なく撃退したが、コア守護に配置されているという、ガラ・ゴブリンの姿は、見えない。
「さすがに、二連続の幸運は無いか……ムッ!?」
ちょっとガッカリしながらつぶやいたわたしの耳が捉えたのは、遠くから聞こえてくる叫び声だった。
「どっち? どっちから!?」
焦燥にとらわれたわたしの前には、分岐したトンネル。
迷宮樹の成長する、バキバキ、メキメキという音がひっきりなしに響いていて、さっき聞こえた一瞬の音を掻き消してしまう。
(もう一度、叫んで!)
心の願いが届いたのか、右側のトンネル奥から、かすかな声……断末魔のような悲鳴が響いてきた。
「クウウウウウッ!!」
激しい焦燥に身を灼きながら、わたしは疾走する。
自分でも驚くほどの速度で迷宮樹のトンネルを駆けつけたわたしが目にしたのは、血の海に倒れ伏した、重装鎧の男と、その傍らで、必死に闘っている軽装戦士の若者の姿だった。
「支援しますッ!」
若者に声を掛けたわたしは、三十体以上いるゴブリンの群れに斬り込んだ。
「ハアァァァァッッ!!」
最初の一閃で三体の首を宙に飛ばし、後はひたすらに刀を振るって、数を減らしてゆく。
ゴブリンには、畏怖や威圧、後退や逃走はない。
どんなに仲間が倒されようとも、その屍を踏み越え、ひたすらに、執拗に攻撃を仕掛けてくる。
死山血河を築きながら、チラリと、背後に視線を走らせると、一人奮戦していた若者は、倒れた仲間の治療にあたっているようだ。
(うん。それでいい……こいつらは、わたしが殲滅する!)
胸の内で叫びつつ、迫って来る緑の小鬼を一刀両断し、返す刀で腕を飛ばし、更に踏み込んで、鋭い突きで緑色にぬめる身体を刺し貫く。
ゴブリンたちを掃討し、援軍が来ていないことを確認したわたしは、倒れている重装戦士の所に駆け寄った。
「大丈夫か!? 今、治療するから!」
声を掛けながら、わたしは、手遅れであったことを悟っていた。
男の身体の下には、巨大な血溜まりができていて、その面積は、絶望的な広さで赤黒い領域を拡大している。
「でも! でもやるしかない! アクアヒールッ!!」
男の胸に手を当て、水術系の治癒魔法を発動。
治癒魔法にも、種類がある。
地脈の力を治癒のエネルギーに変え、傷を癒す「グランドヒール」風の結界で身体を包み、疲労の軽減と血中酸素濃度上昇による身体能力活性化を促す「ヒールウインド」そして、特殊な水の皮膜で傷口を覆い、出血の抑制と傷の殺菌、鎮痛を行う、「アクアヒール」それらの上級魔法もあるのだが、あいにく、わたしには使えない。
はっきり言って、わたしが使える治癒魔法のレベルは、それほど高くない。
わたしのアバターボディの内部に形成された魔法回路は、攻撃魔法に特化していて、治癒魔法は、基本的なレベルしか修得できないのだ。
それを補うために、治癒魔法が封入された呪符を何枚か持っていたが、男の受けたダメージは、その程度で治療できるレベルを超えていた。
「アンタ、魔法戦士か!?」
倒れた男のチームメイトらしい若者が、返り血と、自分の血糊でまだら模様になった顔で、必死の声を掛けてきた。
「そうだよ。できるだけのことはやるから、キミも治療に力を貸して!」
全身をズタズタに斬り裂かれた男の治療を続けながら、わたしは声を掛ける。
「……オレは……」
声を絞り出した男の口から、ゴポッ! と音を立てて、鮮血が吐き出された。
(肺までやられてる!? ダメだ……ダメ……だ……)
鮮やかな紅い血潮を目にしたわたしの胸を、絶望と焦りが駆け抜ける。
「オレは……還る……」
既に焦点の定まらぬ目で宙を見つめ、血まみれの男は声を絞り出した。
「ああ、あぁぁッ! 帰るぞ! 帰ればこんな傷なんて、あっという間に治せる! だから……」
チームメンバーの若者の悲痛な呼びかけに、男は答えなかった。
宙を見つめていた瞳から、命の光が失せると同時に、男の身体に変化が起きる。
半開きのまま動かなくなった口や鼻孔から、白く輝く煙のようなものが溢れ出し始めたのだ。
光る煙は、全身至る所から滲み出すように吹き出して、たくましかった身体の輪郭を包み込んでゆく、やがて……。
カランッ! と渇いた金属音を立てて、首輪が床に転がった。
男の身体は、鎧や装備品、そして、首輪を残し、完全に消失していた。
「うあぁぁぁぁ……アアアァァァァァァァァァァァ~ッ!!!!」
若者の絶叫が、トンネル内に木霊した。
「く……」
唇を噛みながら立ち上がったわたしは、トンネル内を少し探索して、周囲の様子を探る。
幸い、ゴブリンの増援は来ていないようだ。
「仲間は全部で何人!? ……答えて!」
「五人……オレを合わせて、五人……」
茫然自失状態の若者に、強い口調で問いかける。
「そう……」
わたしは、トンネル内で拾い集めてきた三つの首輪に、今さっき消えたばかりの男の首輪をあわせて布で包むと、ただ一人残された若者に持たせた。
「立って! 帰るよ!」
「でも、ゴブリンが……」
「出てきたら、全部わたしが斬り捨てる!」
若者を伴い、わたしが帰還した頃には、すっかり日が落ちていた。
機動砦まで若者を連れて行き、事情を説明したわたしは、一旦、ロクサゴン市街へと帰還した。
昨日の昂揚感とは打って変わって、今日は気が重い。
少し、酒でも飲みたい気分だ。
いい酒にはならないだろうけど……。
結構流行っていそうな居酒屋を見つけて入ったわたしは、しばらくの間、一人、しんみりと呑んでいた。
「やぁ! ルシール、こんなとこで会うなんて奇遇だね~!」
声を掛けられて顔を上げると、戦闘訓練でお世話になったゴーレムマスター、リデアが立っていた。
かなり酒が入っているらしく、目がトロンと潤んでいる。
「聞いたよ~! ソロで、探索初日に成長コアぶっ壊したんだって? さすがは赤だねぇ! おめでと~♪」
快活な性格の褐色美女は、わたしの肩を抱いてくる。
「あ、ありがとう……」
「ん? それにしては浮かない顔だねぇ。何かあった?」
わたしのテンションの低さに気付いたリデアが、ちょっと真顔になって問いかけてきた。
「……うん。実は……」
今日の顛末を、話して聞かせる。
「あ~、出会っちゃったか。うん、探索者やってると、そういうこと、けっこうあるんだよね?」
わたしの正面の席に座ったリデアは、少し酔いが醒めたのか、真面目な口調で話しかけてきた。
「ゴブリンってさ、思ったより弱いじゃない? だから、気が緩んじゃうんだよね……」
「うん……」
わたしは自戒を込めて頷く。
「でも、奴らの攻撃は意外と素早いし、持ってる武器の切れ味もいい。油断すると。結構深手を負わされる」
何かを思い出したのか、硬い表情になったリデアは、口の中の苦いモノを呑み込むかのように、持っていたジョッキの酒をあおる。
「アタシもね、ゴーレムマスターになる前は、探索者チームに所属してたんだよね。クラスは軽装戦士」
「あ、そうなんだ?」
突然、自分語りを始めた褐色肌の美女に、わたしは相づちを打つ。
「探索も順調でね。二個、連続で成長コアをぶっ壊して、調子に乗ってたところで、ちょっとポカやらかしてね。仲間が二人、死んだ」
哀しげに目を伏せ、フウッ、と酒臭い息を吐き出したリデアは、また酒をあおる。
「あ、なくなっちゃった。お替わりおねが~い!」
給仕の女の子にお替わりお注文し、話を続ける。
「で、チームは休業状態になっちゃってね。アタシは、ゴーレム増しターのスキル修行して、訓練教官になったんだよ」
「そう……だったんだ?」
「アタシはね、造ったゴーレムに、あの憎いゴブリンどもの動きを可能な限り盛り込んでるんだ。で、召喚者たちが、アタシのゴブリンぶっ壊すでしょ? それを見て、なんか、スッキリしてるんだよね。アハハッ、虚しい喜びだけど、スッキリするんだよね」
虚無と悲哀、自虐のこもった笑い声を上げるゴーレムマスターの表情には、明らかに、救いを得た者の微笑みが浮かんでいた。
「アンタは出来るだけのことはやった、そうだよね?」
リデアの問いに、わたしは無言で頷く。
「なら、いいじゃないの。折れちゃダメだよ。アンタは赤なんだから、この程度で折れちゃダメ!」
お節介焼きな酔っ払いの言葉に、わたしは強く深く頷いた。