See of the Hedge
「健一くん! 全然口座にお金が振り込まれていないんだけども! 本当に狩ることができたんでしょうね!」
俺と凛華が事務所としている雑居ビルに怒鳴り声が響き渡る。
あまりにも日常茶飯事のことだからだろうか、最初は近隣から騒音迷惑だという類の文句が来ていたが、今では誰も何も言わなくなっていた。
俺はため息を一つつくと、無言で部屋へとあがり、応接間の隣にある冷蔵庫を開けた。
凛華は実家というものがあり、黙っていても炊事家事洗濯といったものが行われる。だがしかし、俺はこの事務所で寝泊まりしていることもあり、今目の前にある冷蔵庫の中身が味噌1パックと牛乳瓶2本しかないという現実を真摯に受け止めなくてはならない。
また一つ、大きなため息が出てくる。
それを聞き逃すことはなく、さらには余計な自己解釈も加えた鬼の形相の凛華が俺の背後に立っていた。
「健一くん! こんかいの黒瘴は簡単に狩ることができるって言ってたよね?! だけれども、賞金はそこそこの額だって!」
「そんなことも言った気がするかな?」
「それなのに、どうして数千円しか振り込まれていないの?! これじゃあ、ここの家賃も払えないじゃない! 健一くん、君はここの事務所に住むことができなくなったら、どこに住むつもりなの?!」
「そうなったら、凛華の家に転がりこもうかな? お前の家、どうせ無駄に広いだけで住む人は少ないだろ?」
我ながら、なかなかにクズな発言をしていることは自覚している。ゆえにこの後、凛華から壮絶なる右フックが飛んで来ようとも応戦するつもりはなかった。
しかし、待てど暮らせど凛華から反応はない。
気になり、後ろを振り返ってみるとあわあわと口を動かしている彼女がいた。
「そ、そ、そ、そんなことできないよ! 私達、まだ18歳なんだよ! いくら健一くんが高校を卒業していて、私が大学生だからって一緒に住むことはできないよ! 未成年なんだよ!」
「……あ、そういうこと」
いったいどんな想像をしたのだろうか? 凛華は俺の予想の斜め上のことを考えていたらしい。
「わかってるよ。今のは冗談だよ。ちゃんと仕事はする。そもそも、俺は今回の件で今月分の家賃はチャラにするつもりだったんだ。それを……正直に話したら、間藤め……内密にするなら減額することもないだろう……」
「なにかあったの……?」
今までの態度とは打って変わって、凛華が心配そうな声を出す。
「……現場で俺のことを知っている奴に会った。そいつが標的を殺したんだ。しかも、間藤は俺にそいつのことは忘れろって言う」
「……健一くん、もう危ないことは嫌だよ」
思い出す過去の記憶。
凛華は俺のことを心配している。それは心の底からの心配であり、決して社交辞令などではない。
俺が抱えるべき闇が誰かを突き放すものだとしたら、凛華の抱えている闇は誰かの手を掴めなかった闇だ。
極端な違いこそあれど、現代社会において決して軽くない闇を抱えてしまっている男女がこうして一緒の時間を過ごしているのは、運命と言っても過言ではないのかもしれない。
「わかってるよ。……なあ、凛華。新しい仕事はないか? 本当に事務所から追い出されちまう」
「あ、あぁ……うん、あるよ。はい」
手渡された紙を見る。
それを見た瞬間に吐き気を覚えた。最も、黒瘴関連の事件ではよくある話ではあるが……
「孤児院で人口妖鬼製造疑惑か……」
大戦中を思い出す。
苦々しい記憶が脳内を駆け巡る。
今の俺にはただ、書かれている文面を見つめるしかなかった。
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同時刻 某所
漆黒の闇が世界を包みこむ。
空は暗黒の色に染まりあがっているというのに、彼らはさらに薄暗い部屋で電気をつけることなく、目の前の施設を眺めていた。
「間もなく、実験は第二段階を迎えます。協力もあり、この孤児院に泣く泣く子供を預ける親も少なくありませんから」
「……良い商売だ。妖鬼事件に巻き込まれた子供ですら、優しく面倒を見ることをお題目に、素材を集めているんだからな」
「お褒めの言葉として聞いておきますね」
小太りの男はクツクツと笑い声をあげる。
しばらく笑い声をあげると、小太りの男は不思議そうな顔をした。
「疑問なのですが、あなたの商売敵は何の手出しもしないのですか?」
「DKOのことかな?」
「あそこは事件が発覚するまで動けないうすのろですから。僕が言っているのは、同じ裏社会にある鬼滅の楠井のことですよ」
「同じことだ。あの男もまた、事が起きなければ動き出さない。あいつはしょせんは臆病者。自分の手の届く範囲の幸せしか望まない」
「よく知っているような口ぶりですね?」
「当たり前だ。あれは……俺の戦友だった。俺達は戦場で戦い、そして死ぬことを誓った。残念ながら生き延びてしまったがな」
「生き延びていただかないと、僕の商売が成り立ちません」
暗いせいだろうか、小太りの男の発言に対するもう一人の男の表情は見えない。
男は踵を返すと出口へと向かった。見送りはいらないと一言だけ残し、彼はさらなる闇の中へと消えていく。
月明かりに照らされた顔の頬に、深く長い傷跡が見えた。
男は傷跡に触ると呟く。
「大戦の亡者はまだ生き彷徨うべきだ」