公爵令嬢 カレン3
魔獣討伐に参加し、この国の土台を作った賢王として名を馳せるリチャードと、他国から嫁いできた王妃、少年の現王と父と叔父である小さな王子が談笑する仲睦まじい絵を見て、今更恨みつらみを吐くことはない。それでも気分が悪くなるのはしょうがない。
カレンが移動魔法で帰ろうとしたとき、人の気配がした。慌てて起動を止める。
「カレン……様?」
「……ロード様?」
ロード・ザナギス。代々頭脳明晰で、宰相や官僚を送り出す名門ザナギス侯爵家の嫡男。ハンターのご学友で現宰相の息子……というのは失礼だ。もう国の中枢で才能を発揮している、将来有望な官僚。
怜悧なシルバーの瞳に銀縁のメガネをかけ、鼻筋の通った面立ちに銀の髪の容姿は美しくも易々とは人を寄せつけない……との下馬評。浮いた噂は流れてこない。
「名前を覚えていただけているなんて、ありがたき幸せ」
ロードが目尻を下げて少し微笑んだのを見てカレンはおや?と思った。学生時代の彼を見たときは常につまらなそうな、人生を諦めたような視線で眼鏡の奥から世の中を見ていたから。
(大人になったということ?)
カレンはきっちりとお辞儀をして立ち去ろうとした。
「あ、お待ちください!」
「何か?」
「いえ、滅多にお目にかかることのできないカレン様……ご不敬を承知でお尋ねします。カレン様がこのような公の場に出てくるということは、本当の意味で、この国の危険が去ったと考えてよろしいのでしょうか?」
ロードがクイっと眼鏡のブリッジを中指で上げる。
(頭のいい男)
今後国の舵取りを任される立場である身ゆえに、確約が欲しかったのだろう。どうせあらゆる情報から答えを導き出している宰相家。正確な情報を伝えた上で守らせたほうがいい。カレンは静かに頷いた。
「今回の魔獣の暴走は終結です。そして数十年後に再来するそれは、これまでよりも規模が小さく、この世界の民で解決できるものとなります。召喚などという名の異世界からの誘拐はシンジで最後です。公文書に書き留めておいて。私のサインが必要ならば、弟宛に送ってください」
「カレン様……」
「様はいらないわ。私は神の御使を卒業したの。これからは悠々自適の隠居生活よ。それでは」
「それならば!お待ちください!」
ロードはいきなりカレンの足元に跪いた。
「なっ」
「私と、踊ってくださいませんか?」
上目遣いの瞳にはカレンへの憧憬が見え隠れし、カレンは戸惑った。
(きちんと話すのは今日が初めてのはず……どうして?)
しかし、長居は無用。
「ロード様、私、もう帰るところなの」
「このまま一曲も踊らずに帰宅されては、公爵閣下ががっかりされて、ますます体調を崩されるかと」
(……食えない男)
カレンはロードの手にそっと手を重ねた。
ロードは優雅に立ち上がり、カレンの手を自分の肘に導く。
再び戻った舞踏会のホール。大勢の若者が踊る輪の中に、ロードはさりげなく滑り込む。
カレンは嗜みとしてダンスはマスターしていたが、このような場で踊るのは初めてだった。
(ああ、でも、前世ではここで踊ったわね。あの人と。とんだ下手くそで、失笑を買ったっけ)
ロードのリードのおかげで、今回は誰にもぶつかることなく、父の選んだ深紅のドレスがクルクルと回る。
(だってしょうがないじゃない。日本の女子高生がワルツなんて知ってるわけないじゃん)
「楽しそうではありませんね。私とのダンス、気に入りませんか?」
ロードが不安げに尋ねてくる。
「ダンスが嫌いなのよ。愉快な相手でなくてごめんなさい」
「カレン様と踊れること、私にとってどれだけ幸せなことか!」
カレンは頭を振った。
(そろそろこの若者の目を覚まさせてあげないと……)
「ねえ。私はこんなナリだけどハンター殿下よりも5歳も年上なのよ。あなた確か殿下と同い年よね。こんなおばさん相手にせず、かわいい女の子にリップサービスしてあげて?」
「申し訳ありません。あなたの言う若さには、私は全く興味がありません。あなたのその見かけに反した……重い経験からくるその知性のこもった眼差しの方が……私を虜にする」
「……ロード様って、変わり者ね」
曲が終わった。
「ロード様のおかげで義理が果たせたわ。ありがとう」
「カレン様、また私と踊っていただけますか?」
「……機会がありましたなら」
(ないけれど)
カレンはマナー通りのお辞儀をし、弟にアイコンタクトで帰る旨を伝え、会場を出るや否や、崖の家に飛んだ。
◇◇◇
崖の下はウニでいっぱいだ。この世界ではウニを食べる習慣がない。カレンは二日に一度はウニ漁に行き、網いっぱいに取ってきて、残酷にも真っ二つに割ってスプーンで食べる。マジうまい!生に飽きたらオムレツに入れたり、パスタに混ぜたり。
(定番の異世界食テロ、やっちゃおうか……)
フォークを片手に頬杖をつく。
(いやいや、この世界の食文化に貢献してどうする。そもそも肝心のパスタはお取り寄せ。作り方聞かれても分からんし)
カレンがモグモグと昼食を食べていると、腹が白で翼が灰色の小鳥が飛んできた。この鳥はカレンの目であり耳である。20年以上もカレンに付き従ってくれる相棒。定期的に地球に関わりのある人々の生活の様子を見に行っては、カレンに報告してくれる。ジュウシマツに似ているのでまっちゃんと呼んでいる。まっちゃんの灰色の瞳を見つめると、小鳥が目にしてきた情景が流れ込む。
(お、シンシア御懐妊!おめ!まだ本人が気づくには早いかな?レオが世話焼きすぎてウザそうだなあ)
(あ、ナージュ村のマックスおじいちゃん、亡くなったか……、寝たきりだったもんね……天命だ)
「南無…………」
カレンは浄土に向かって手を合わせる。
マックスの転生前の宗教がなんだったかはわからないが、カレンはいつもその念仏を唱えて送る。
(天命、いいなあ)
カレンもとっとと召されたい。しかし、
『逆さ仏だけは許さない』
と、きつく、『ママ』に言われていた。『ママ』と『パパ』が地球で生きているか、もう死んでしまったかわからない以上、自殺するわけにはいかない。まして『パパ』は命を救うことを生業にしていたのだ。
カレンはまっちゃんの映像を見終わると、アワのような穀物をたっぷりと出して労った。
◇◇◇
一人ウニ祭りブームが去り、今度は一人アワビ祭りと称して七輪で地獄焼きをによによしていると、伝令クロちゃんがやってきた。焼きたてのアワビの肝を差し出すと、今回は美味しそうに食べる。
(グルメだね)
カレンは静かに手紙を広げる。
弟キャメロンから、時候の挨拶に始まり……あの舞踏会の後、カレンへの縁談が後を絶たないと書いてあった。
(マジか……物好きな)
カレンはハンっと鼻で笑った。
前回も討伐後、山のように縁談が降ってきた。しかしどれも、物好きな男が物珍しい勇者を手に入れて見せびらかしたいだけの理由か、勇者の手に入れた莫大な報奨金狙いのものだった。
(そういえば、報奨金、全部金のインゴッドに替えて、監禁部屋の中庭に埋めたっけ。いっちょ取りに行くか!)
特にお金に困ってるわけではなかったが、気に食わないやつの手に渡るのはシャクだ。それくらいならばシンジやシンシアにあげてしまいたい。
カレンはTシャツ短パンの上から、全身を覆うマントを着込み、夕暮れの中、タップして飛んだ。