公爵令嬢 カレン7
「え?」
カレンは胸元から真っ赤に染みていく自分のドレスの有り様を眺めた。さながら前世浴びた魔獣の返り血のようだ。一瞬であの時の不快な光景、臭いが蘇る。
視線を上げると斜め前に、空のワイングラスを持ち、涙目でプルプルと震える、ピンク色のドレスを着た若い女の子がいた。
「レイチェル!」
ロードが珍しく大きな声を出した。彼女はビクリと震えたものの、しっかりとカレンを睨みつけた。
「こ、この泥棒猫!神の御使だかなんだか知らないけれど、偉ければ何してもゆ、許されるの!?」
(…………ポッカーンなんだけど……?)
「私はずっと、ずっと、ロード様と結婚するために、努力してきたのに!ポッと現れて、ロード様を私から奪って!」
ロードがカレンの前に出た。
「レイチェル、何を言っているんだ?君とは家ぐるみの付き合いだ。しかし、君と婚約したことなど一度もない!誤解される態度を取ったこともないはずだ!」
「いいえ!私たちはいつも一緒だったわ。私の両親も、宰相閣下も侯爵夫人も私が嫁いでくるのを楽しみにしているとおっしゃってたもの!」
(何、この三文芝居……)
嫌な可能性を思いつく。
(まさか、まさか今度は私がヒロインの立ち位置ってこと?ワインをバシャッ!ってことは彼女は悪役令嬢……ロード!マジで勘弁して)
「……レイチェル、私は昔も今も、君のことを妹としか思っていないよ」
ロードの瞳は冷ややかだ。いつか学院で見かけた時と同じ。
「ウソよ!おおかたその女に誑かされたんでしょう?その人、ホントは30超えてるんでしょう?気持ち悪い、みんなその人のことバケモノって呼んでるって知ってた?ロード兄さんはバケモノのおかしな術に……」
ヒエッ!と女性の悲鳴、男性の息を飲む音が響きわたる。
「いい加減にしろ!」
王と王妃臨席の、一年を労い合う晴れがましい場が、騒然とする。
「またなの?」
カレンはポツリと独言る。
カレンは騒然とするホールでまた独りぼっちだった。
なんとなく、事態の概要はわかった。本当にロードはこの少女のことを親戚の延長としか思ってなかったのだろう。
ただ、ロードはきちんと身の回りを把握していなければならなかった。家族の思惑に気がついていなければならなかった。面倒くさがらず、彼女と一度向き合っているべきだった。
(いや案外、私が現れなければ、流されて彼女と結婚していたのかもね)
ますます自分はポッと出のヒロインだ。
(前世に引き続き、私、二度目の主人公、バンザイ………)
カレンは天を仰ぐ。
散々思わせぶりな態度を取られても、他の女が現れて、いざ天秤にかけられると結局〈普通〉ではないバケモノは捨てられる。
『リチャードのときと、一緒じゃん』
カレンはポツリと日本語で呟いた。
「カレン、すまない、こんな目に合わせて!」
ロードがカレンのほうに振り向き、目を合わせようとするが、カレンの瞳は内に向かってしまっている。ロードが絶望を顔に浮かべ唇を噛む。
ロードとカレンの間に突然、高位の夫人が二人入り込んだ。
「よくも……よくも私のカレン先生を虐めてくれたわね……覚悟しなさい!」
怒りで固有の光魔法を制御できず、ピカピカと全身を輝かせる、騎士団長夫人で、今代聖女、シンシア。
「カレン先生……濡れてしまわれましたね。お召し替えしましょう?」
優しいだけでない、婚約破棄騒動を経てすっかり思慮深くなった、ケイト第二王子妃殿下 。
「……まあ、シンシア。妊婦がこんな空気の悪いところにいてはダメじゃない」
「……ふふふ、先生は、なんでもお見通しですね」
「妊婦だとー!聞いてないぞー!」
遠くで大男が喚いている。
「殿下、お兄様、私、先生のお手伝いをしてまいります。後は……」
「ああ、後は私に任せて」
ハンター第二王子が神妙に頷き、側近アレクサンダーに目配せする。
「トリガー伯爵夫妻、御息女と共に御同行願えますか?」
アレクが場内の収集にかかる。
「姉上!」
キャメロンが前へ進もうとするも、人波に邪魔されてカレンの元にたどり着けない。
「カレン!!!」
ロードの悲痛な叫びがどこかで聞こえる。
(……頭痛い)
カレンは教え子二人にピッタリ両脇腕を組まれガードされて、ホールを後にした。
◇◇◇
王族用の控えの間に連れて来られたカレンに着替えるようにと何着ものドレスが運び込まれたが、カレンは軽く拭うと必要ないと首をふった。ケイトは静かにお茶を入れ、シンシアはカレンの手をずっと包み込んでいた。自分達がかつてカレンにしてもらったように。
「……昔から鬼門なのよ、ここは。もう二度と来ないと陛下に言っといて」
「……先生の気持ちはわかります。でもお立場ある先生がそうおっしゃってしまえば、今回の責任を取って何人もの貴族の首を切らなければならなくなります。どうか……ご容赦ください」
「素晴らしいわ。ケイト……」
カレンは成長したケイトを目を細めて眺めた。そして、周囲と状況をよく見た上で判断しているケイトを鑑みて、JKの小夜が王家に嫁ぐなんて、所詮無理だったんだと今更気がついた。リチャードも私にその資質がないから選ばなかったのだろう。
「どう見たって、インテリ銀縁メガネ宰相の方が先生にゾッコンだったじゃん!あのバカ脳湧いてんじゃない?」
「ぷっ、シンシア口悪すぎよ!でも、私が変な術でロードを操ってるかもしれないでしょ?」
「先生がそんなめんどいことするわけない!それに宰相の息子攻略対象だったヒロインは私だっつーの!変な術なら私にもかけられるし!」
シンシアがフンっと胸を張る。
カレンは、教え子たちに思いがけなく助けられて……一人ぼっちの戦いだった救世の日々が報われたと思った。
(今回は……ふふふ、孤立無援じゃなかった……)
「二人とも、ありがとう。さあ、愛する旦那様の元にお戻りなさい。私は疲れたからこのまま帰るわ。相当な醜聞になるでしょうから当分公爵邸には戻らないと、ケイト、キャメロンに伝えておいて」
「……承知しました。すぐに迎えの準備を!」
「お気遣いなく。私、確かに変な術使えるの。じゃあ、元気でね」
カレンは右足を三度タップし、飛んだ。
◇◇◇
カレンはようやく念願の引きこもり生活を取り戻した。
崖の下には今、キングサーモンがどんどん戻ってきている。シャケ祭りがスタートした。
刺身に石狩鍋、味噌を取り寄せちゃんちゃん焼き、メスからは当然イクラを作る。
軽いフリースのパジャマを着て、荒波を立てる海を眺めていると、クロちゃんとシロちゃんが今日もやってきた。分厚そうな手紙の束を双方脚に巻きつけてるが、
「ゴメンね。読まない」
仕事を今回も果たせない二羽はプンプン怒っている。カレンはサーモンの切り身を惜しみなく振る舞う。
「別に急いで帰らなくてもいいでしょ。今夜はゆっくり羽を休めて、朝明るくなってから飛べばいいわ」
しかし二羽は急いで戻るように言い使っているのか、お腹いっぱいになると、闇に向かって飛んでいった。
(ひょっとしてサーモンよりもいいもので餌付けされてんのかな?まあいいけど)
どうせ眠れないカレンは外のロッキングチェアで毛布に包まり、お取り寄せのコーヒーを飲みながら、星空を眺めた。
(あと幾夜、こうして過ごしたら、還れるのかしら……)
シャケ祭りから寒ブリ祭りに移ったころ、木枯らしと共に、クロちゃんがやってきた。
脚に巻かれた封書には、これ見よがしにデカデカと王家の刻印が押してあった。
(無視し続けると、こういうカード切ってくるのか……)
クロちゃんの脚から手紙を外す。クロちゃんが喜んで頭をカレンに擦り付ける。
差し出し人は意外にも、大嫌いな皇太子だった。




