第7話 偶然
三点リーダー使い過ぎ問題
「うおおおお!」
「グゥガアアアア!」
洞窟に、二つの声が響く。それを聞き、アンジェリカ達は更にペースを上げた。次第に色々な音が耳に飛び込んでくる。地を強く踏み込む音。剣戟のような硬いもの同士がぶつかる音。火球が宙を舞う音。
(立花君! どうか無事でいて……)
愛梨は走りながら祈るように目を細めた。
そして、到着する。泉の湧いている広場。かつて王都が鉱物資源を得ようと作った坑道の成り損ない。
「はああああ!」
「グギャアアアア!」
悠斗が闘っている相手を見て、3人はゾッとする。通常の5倍はあろうかという大きさの魔狼。愛梨はもちろん、山や森に慣れたセドリックとアンジェリカさえその姿を見て立ち尽くした。
「はぁっ……はぁっ……」
しかし、すぐに気を取り直した。
悠斗の荒い呼吸が聞こえる。誰もが見ただけで立ち竦むような大魔狼を前に怯むことなく立ち向かっているのだ。それは、倒れているサイガスを見て逆上し一時的に恐怖が麻痺したからこそ為せる業であったが、たった今到着した3人には知る由もない。
その偶然が幸いし、3人の目には【サイガスの為、無謀にも果敢に立ち向かう悠斗】という像が映っていた。
(ユートを……)
(立花君を……)
(助ける……!)
アンジェリカ、愛梨、そしてセドリック。3人の思いはぴたりと一致し、全員が大魔狼へ臨戦体勢を取る。
「ユート! アイリと連携して時間を稼いで! 私が決める!」
「! ああ!」
「行くよ、立花君!」
悠斗は大魔狼から目を離さずに答えた。愛梨が抜剣して悠斗に近付く。セドリックは矢を番えて静かに構え、狙いを定めた。
「ガルルルルァ!」
大魔狼は新たな敵の登場に苛立ち、大きく吼える。洞窟全体の空気が小刻みに振動し、4人は堪らず両手で耳を塞いだ。
「ガァ!」
隙ができた悠斗に大魔狼の爪が振り下ろされる。
「っさせるかよ!」
悠斗は爪を剣で弾き、反動で後ろに跳ぶ。
「やあああ!」
咆哮が止み、愛梨が大魔狼に斬りかかる。しかし大魔狼は図体に見合わぬスピードで愛梨の剣を躱した。
「疾い!」
「くっ! 動きが速くて碌に狙えねえ! どうにかして動きを封じねーと……」
3人は素早い大魔狼の動きに手間取りながら、なんとかアンジェリカに近づけさせないよう注意を引く。
「其は煉獄を這いずる猛き炎。紅蓮を生み出す永久の凍土……」
アンジェリカが詠唱を始める。悠斗と愛梨は大魔狼に邪魔させぬよう距離を詰め続けた。
「ッ!?」
しかし、悠斗の体に異変が訪れる。大魔狼の爪の一撃を躱して着地したかと思うと、そのまま膝を折って転ぶように倒れた。
「立花君!?」
「おいユート!? 早く立ち上がるんだ!」
(脚、が……)
悠斗の脚は限界を超えていた。体躯の差が何倍もある魔獣。本来なら剣術の初心者が独りで太刀打ちできる相手ではない。それでも、悠斗は怒りに身を任せて且つ冷静に敵の攻撃を対処し続けたのだ。アンジェリカ達が到着するまで、1分程も。それに、致命傷ではないが体の至る所に爪痕が刻まれている。過剰分泌された脳内物質で誤魔化していた疲労とダメージが許容量を超え、体が悲鳴を上げたのだ。
「グゥアアアア!」
これを見逃す大魔狼ではなかった。愛梨の攻撃を無視して悠斗に接近する。前脚で悠斗を完全に押し倒し、地に押さえつけた。
「が、はっ……!」
悠斗は物凄い圧力で全身が圧迫されるのを感じた。肺の空気は押し出され、骨がみしみしと嫌な音を立てている。
「させないっ!」
愛梨は大魔狼に斬りかかったが、尾に受け流された。
(!? 尻尾の毛だけ凄く硬い……?)
愛梨は剣から伝った感触に違和感を覚え、一歩退いた。その特徴には覚えがあった。魔兎の毛である。魔兎は弱点である喉以外の毛は硬く頑丈であるという話をセドリックから聞いていた。
(魔狼なのに、尻尾だけ魔兎と同じ性質……?)
しかし考察は悠斗の呻き声で止まった。ハッと我に返り、状況を打破する方法を考え出す。
「くっ……! 早くしないと、立花君が」
「東風、谷……」
愛梨が焦燥に駆られていると、悠斗が喉から絞り出すような声で愛梨を呼ぶ。
「立花君! 待ってて、今……」
「俺はいい。アンジェリカの護衛を優先するんだ」
悠斗が指差す先には、凄まじい魔力を練り上げているアンジェリカの姿があった。
「でも、立花君が」
「はぁっ!」
悠斗は渾身の力で大魔狼の前脚を少し持ち上げ、深く息を吸う。
「今大事なのはこいつを倒すことだ。それが俺を助けることにも繋がるだろ? 俺が囮になってる内に、早く!」
(なんて、ドジっちまってこうなったからお為ごかしなんだけど……)
(立花君……まさか、この為にわざと転んだフリを!?)
悠斗のお為ごかしは愛梨にとって効果抜群だった。加えて、悠斗がまだ余裕であるような錯覚を愛梨に植え付け、最優先すべきことを再認識させた。
「分かった! もうちょっとだけ頑張って!」
愛梨はそう言って勇ましく笑う。それを見た悠斗も額に汗したままニヤリと口角を上げた。持ち上げた前脚が少しずつ降りてくる。
「やっぱ、東風谷の笑顔はいいモンだな」
悠斗の腕は限界を迎え、再び押さえつけられた。
「ガォッ!」
もう抵抗されることはないと悟った大魔狼は前脚を高く上げた。直後、ソレを強く振り下ろす。悠斗を、目の前の敵の息の根を止めるために。
「立花君!」
愛梨は思わず立ち止まって絶叫した。悠斗の体勢では、回避も防御もままならないと感覚的に察知したのだ。
(ああ、こりゃあ駄目だな。せっかく生き残れたと思ったんだけどな)
悠斗は夜の森のことを思い出していた。
異世界に飛ばされ、魔狼の群れに襲われ、アンジェリカに命を救われ……。この数日間の出来事が走馬灯のように駆け巡った。
今は、あの時と違う。アンジェリカは大魔法の詠唱をしていて魔法による援護ができない。中断しても、今から詠唱と発動ができる魔法の威力では大魔狼はびくともしないだろう。
(これまでか……約束、守れなかったな)
悠斗は夜の森と同じく、目を閉じて死を受け入れた。
ビシュッ
風を切り裂く鋭い音。
「ユート! まだだ! まだ諦めんな!」
悠斗は目を開き、声の方を見た。
セドリックだった。
カッ
「ギャオオオオ!」
大魔狼は苦しそうに吼える。見ると、片目にセドリックが放ったらしき矢が突き刺さっていた。
「よっし! 悠斗が引きつけといてくれたお陰だぜ! 魔法も剣も使えねえけど、これくらいはさせてくれよな!」
「ナイスよセドリック! ……獄炎と氷結。双極の刃よ、今一つに交わりて無双の絶槍となれ!」
アンジェリカは詠唱を終えた。真上に掲げた掌には紅い炎と強烈な冷気が渦巻いている。事前の打ち合わせで愛梨と悠斗に目配せをして退かせた。愛梨はすぐに離脱したが、悠斗は脚が動かないため中々動き出さない。それでも、魔法を当てることが最優先だと事前に話し合って決めておいた。アンジェリカは目を閉じて覚悟を決める。
(ユート……死なないでよ!)
「これが師匠直伝! 大魔法! 炎熱紅蓮槍!」
2つの魔力の塊がぶつかり、真紅の鋭い槍が射出された。
「ッ! ガフォオオオオ!」
大魔狼はアンジェリカの魔法を察知し、前方への咆哮で勢いを殺そうとした。しかし、炎と氷の螺旋槍は風圧を切り裂きながら大魔狼へ真っ直ぐ突き進む。
「! ガル!」
大魔狼が今度は回避の姿勢を取ろうとした。
「へへっ! 逃がすかよ!」
悠斗は剣で大魔狼の前脚を深々と串刺しにした。
「グガアアアア!」
大魔狼は進退ままならなくなり、悔しがるように吼えた。
「くたばれ、犬っころ」
大魔狼に槍が直撃する。瞬間、激しい熱風と冷気の奔流が大魔狼を襲った。無論、前脚を封じていた悠斗にも。
「ぐぐぐ……!」
(スゲェ! これがアンジェリカの本気魔法か。熱くて冷たくてわけわかんねぇ! とにかくスゲェ!)
「ユート! 早く逃げなさい! そのままだと直撃を食らうわよ!」
アンジェリカは必死に叫ぶ。自分が放った魔法が、どれほど強力なものかを一番理解しているから。しかし、悠斗はその場から動かず、ただ笑顔をこちらに向けていた。
「ユート! まさか……」
(悪ぃアンジェリカ。脚が言うこと聞かねえんだ。けど、まだ諦めねえ。そうだよな、セドリック? )
目を開けることすら困難な炎と氷の嵐の中、悠斗はセドリックを見て頷いた。セドリックもそれで悠斗の心中を察し、ガッツポーズで励ます。
「おおおおおおおお!」
悠斗は吼えるように叫んだ。突き立てた剣を離すまいと、両手で押さえ込む。
「ガアア…….オ……」
大魔狼の咆哮が止み、魔法の槍が消え去った。辺りには静寂が訪れる。
「やっ……た……?」
「倒した……のか?」
「どうやら、そのようね」
アンジェリカの言葉で、悠斗を除く3人はワッと勝鬨を上げた。悠斗はフラフラと立ち上がり、3人を見て弱々しく微笑んだ。危機を乗り越えた安心と高揚。
それが、最大の油断を招く。
「あン? デッケー犬がやられてんじゃねえか」
ドシュ
声。そして、刺突音。
「…………ぐふっ」
悠斗が口の端から血を噴き出す。胸には、漆黒の剣が突き刺さっていた。
「…………え?」
「なん……!?」
「ユートォ!」
愛梨は思考が凍りついた。2人は突然現れた、悠斗を貫いた『ソレ』を見る。
悪魔。この世界にもその概念はあり、そのイメージと目の前のソレは重なった。
鋭く伸びた爪。焦げ茶色の毛に覆われた薄紫の皮膚。山羊のような巻き角。爬虫類のような縦長の瞳。
「チッ! 昼寝してたのにやたらうるせーからド突いてやろうと思ったのによ。もう死んじまってるじゃねーか。だからなんとなく近くにいたコイツを」
ソレは悠斗から剣を引き抜いた。
「立……」
「殺しちまったぜ」
そして、冷徹に笑う。愛梨は悠斗に駆け寄ろうとしたが、ソレの言葉と、胸から血を流して倒れ込む悠斗を見て目を見開き、足を止めた。不敵な笑みが、アンジェリカとセドリックに恐怖を与える。
「…………い」
しかし、愛梨は俯いて震えていた。恐怖故ではない。
「許さない……ッ!」
愛梨の魔力が、静かに、しかし激しく唸りを上げ始める。