第6話 焦りと不安、時々怒り
3日後。森の入り口付近。夜の森に木の葉を踏み砕く雑踏が鳴り渡った。
「グルルルル……」
魔狼のグループが、威嚇の声を上げる。
「ざっと10匹ってとこね。私は一切手出ししないから、2人だけでなんとかしてみなさい」
「おう!」
「うん!」
悠斗と愛梨はアンジェリカに応え、魔狼のグループと対峙する。その服装は学生服でもローブでもなく、動きやすいレザーメイルだった。腰には直剣を帯びている。どれもキールの店で買ったもので、古くてよれよれで、サイズもガタつきがある安物だ。愛梨はサイガスに貰ったローブをマントのように背に羽織り、悠斗は割いて黒いマフラーにした。布の総量がかなりあったのでとても長くなったが。
「東風谷。まずは俺が前衛やるから後衛頼む。5匹倒したら交代な」
「了解!」
2人は打ち合わせを終えると、悠斗は抜刀し、愛梨は詠唱の準々に入った。
「おりゃああああ!」
悠斗は群れに突っ込む。魔狼たちが一斉に襲いかかった。
「其は楽しげな弾む炎。されど焼き尽くす破壊の炎……」
愛梨な杖を抜き、呪文を唱え始めた。愛梨の手に次々と火球が生まれる。火球は杖を持った右手から左手へ半円の弧を描くように回転し始めた。
「ゴガアアアア!」
魔狼が爪と牙を剥き出しにして悠斗に突進する。
「ほっ! はっ! やあっ!」
悠斗はそれらを躱し、受け流し、隙あらば真っ向から斬りつける。悠斗の剣が1匹の魔狼の首を斬り落とした。その魔狼が愛梨に意識を向けた、一瞬の出来事である。
「やった!」
「油断しない! 次!」
悠斗は歓喜の声を上げたが、アンジェリカの声で瞬時に戦闘に戻る。
「灼熱の曲芸! 今ここに開幕せよ! 道化師の火遊び!」
愛梨が杖を魔狼に向けると、周囲を飛び回る火球が一斉に魔狼の群れへと射出される。
「ギャン!」
「キャイン!」
火球は魔狼全てにヒットし、魔狼達は堪らず逃げ出した。
「ちぇっ! 俺も魔法使いたかったのに」
悠斗は剣に着いた血を振り払って拭い、納刀した。
「ゴメンね。昨日ようやくアンジェリカに合格貰った魔法だから、どうしても試しておきたくて」
愛梨は悪びれて舌先をちょろっと出す。その仕草が可愛くて悠斗はつい視線を逸らした。
「うーん。まさか本当に手出し無用とはね。正直恐れ入ったわ。口は出したけど」
アンジェリカがお手上げと言わんばかりに肩を竦める。
この3日で悠斗達は魔法、体術共に目覚ましい速度で上達していた。アンジェリカは短剣での近接戦闘を得意とし、旅人の間で広く普及している剣術の基礎を2人に叩き込んだ。
刃命流剣術。
魔獣が発生し始めた頃、新進気鋭の自警団や放浪の商人に好まれた民間に伝わる剣術。モットーは『一刃一命』(1本の剣で1つの命を最期まで守り抜く)である。基本はガード&カウンターで敵の数を減らしながら道を切り抜ける戦法で、殲滅などには向かない。そのせいで剣術に覚えがあると宣いながら平気で敵前逃亡する自警団も出てきてしまい、別の流派からはやや軽蔑の声を投げられることもしばしば。中には護衛対象を置いて自分たちだけ逃げ出してしまう事件もあり、擁護しきれない部分もあったが。
アンジェリカはそれに加え自身の経験を基にした体捌きを教え込んだ。2人が余りにすんなりと覚えるので、アンジェリカにとっては呆れ返るばかりの3日間となった。
「なんかここにきてからやたら物覚えが早くなった気がするな」
「うん。新しい知識だからすんなり頭に入っていくのかな?」
確かに、この世界に来てから悠斗と愛梨の習熟速度は飛躍的に上昇している。愛梨はともかく、座学が苦手な悠斗ですら魔法の詠唱は不思議と頭に入っていくのだ。
「なんにせよ覚えがいいに越したことはないわ。さて、これで私の提示した条件は全てクリアね」
「ってことは、師匠を助けに行ってもいいのか!?」
悠斗は期待の込もった目でアンジェリカを見る。
「ふふっ。ええ! 今夜はたっぷり休んで、明日の朝出発しましょ!」
アンジェリカも嬉しそうに答える。この3日間、それだけを考えてひたすら2人をしごいたのだ。
「やった! やったね立花君!」
「おう! サンキューな東風谷!」
2人はハイタッチを交わした。この3日間、それだけを考えてひたすら訓練に励んでいたのだ。
3人は顔を見合わせて頷き、悠斗が狩った1匹の魔狼の死体を持ち帰った。キールに渡すと加工したり王都に売りに行ったりしてくれる。悠斗は記念の毛皮を飾るんだー! と意気込んでいたが、家主に断られたのでキールの店に寄贈することにした。アンジェリカは代わりにその夜一際豪勢な食事を振る舞った。
そして、夜は明ける。
☆
翌朝。3人は打ち合わせでもしたかのように同時に目覚め、言葉少なに支度を始めた。朝食を食べ、装備を整える。各々が準備し終えると、家の前に集まった。
「分かってると思うけど、実戦は練習と違うわ。失敗したらやり直しは無し。特にユート! 昨日みたいな油断は致命的よ。死にたくなかったら最後の1匹まで敵を倒しなさい。それができないなら闘いながら逃げなさい。いいわね?」
「……ああ。もう大丈夫」
悠斗は真剣な顔で頷き、登る太陽を見上げた。その手には折れた杖が握られている。
(じっちゃん。今行くからな。無事でいてくれよ)
「…………」
愛梨は目を瞑り、呪文や剣術を反芻する。
(絶対に師匠を助けよう。そして、みんなで生きてもう一度この村に帰ってこよう)
物静かに佇む愛梨だが、その心中は強い覚悟と決意に満ち溢れていた。悠斗の身を守ることが第一だが、愛梨にとってサイガスも最早放ってはおけない大切な人なのだ。
「……行こう!」
悠斗を先頭に、一同はゴルト山へと向かった。
☆
村から少し歩くと、山道の入り口に着く。
朝の山は幻想的だった。
朝露が日光を反射してキラキラ光り、吹き抜ける風はいい匂いがして爽やかだ。
それでも、視界に捉えきれない広大な森。見る者を圧倒する高さと大きさの山岳。悠斗と愛梨は口を半開きにしてしばらく山を見上げていた。
「おお〜い! 待ってくれよ〜!」
背後から声がしたので振り向くと、セドリックがこちらに走ってきていた。
「セドリック? どうかしたの?」
「へへっ! なに、俺も連れてって貰おうと思ってさ。爺さんの場所教えるだけ教えておしまい、ってのはやっぱ性に合わねえわ」
セドリックはそう言って矢筒と弓を示す。と言っても、いつもと同じ格好だ。
「そうね。山の地理は普段狩りをしてるアンタの方が詳しそうだし、洞窟まで案内をお願いするわ」
「よろしくな、セドリック」
「よろしくお願いします、セドリックさん」
アンジェリカが快諾すると、2人も賛同した。セドリックは上機嫌で先頭に立つ。
こうして4人になったパーティは、一路ゴルト山の洞窟へと向かった。
☆
「出ねえな魔獣……」
山道から外れて洞窟へと向かう道中で悠斗は退屈そうに言う。
「この辺の魔獣はあらかた訓練で痛めつけたからね。私達の顔見たら出てこないわよ。それに、会わないに越したことはないでしょ? 何が不満なのよ?」
「まあ、そうなんだけどさ。こう、剣と魔法でズババーッと魔獣の群れを切り開いてくイメージがあったからさ」
悠斗は子供みたいにはしゃぎながら自分のイメージを語る。
「はいはい。洞窟の中はそんなもんよ。だから今は温存しておきなさい」
アンジェリカはくすくすと笑いながら悠斗を宥めた。愛梨とセドリックも笑っている。
「ユートって面白ぇ奴だな! そんなん今までの旅路でいくらでも経験したんじゃないか?」
「? あ、そっか……」
(アンジェリカとじっちゃん以外にはただの旅人だって言ってあるんだっけ?)
「えーっと……今までもこんな感じでさ。魔獣出てこーいって森に入ったはいいけど疲れきったところで魔狼に出くわしてさ。いやぁあの時は参った参った! な? 東風谷?」
「え? う、うん。そうだったね。あははは……」
愛梨も話を合わせて愛想笑いをした。
「なあんだ迂闊な奴らだな〜。もしかして王都から来た初心者なのか? だとしたらゴルト山はオススメしねえな。越えても砂浜と海くれえしかねえし……」
セドリックはアレコレと勝手に話し始める。賑やかな一行が数時間歩いていくと、大きな洞窟の入り口に差し掛かった。
「ここが……ゴルト山の洞窟か」
「ああ、俺が仕留めた獲物を拾いに来た時、偶然サイガス爺さんの杖を見つけたんだ。ちょうど、入り口のこの辺」
セドリックは洞窟の入り口付近の岩肌を指す。砕けた岩石が散らばっていた。
「よし! さっそく……」
「待った!」
勇んで洞窟に足を踏み入れようとした悠斗を、アンジェリカがマフラーを引っ張って止めた。
「ぐえっ! な、なんだよ!?」
「その前にご飯にしましょ。慣れない山歩きで疲れてるでしょうし、もうお昼だからね」
「賛成〜! ちょうど腹が減ってきたとこだったんだ!」
セドリックがにこやかにそう言うと、持ってきた弁当をいそいそと広げ始めた。
「んなことしてる場合かよ!? こうしてる間にもじっちゃんは……」
「立花君。さっきアンジェリカも言ったけど、師匠が杖を折られるような相手なんだよ。万全の準備をして、確実に助けようよ」
「その通りよ。ユートは肩に力入りすぎ。洞窟がどれくらい深いか分からないし、師匠がどの辺までいるのか分からない。ここで準備するってことはすごく大事なの。分かった?」
アンジェリカは畳み掛けるように悠斗を諭した。
「わ、分かったよ。じっちゃんを助ける為に、だな……」
悠斗はあまり腑に落ちなかったが、無理矢理言い聞かせた。3人は今朝作っておいたクックのサンドイッチに手を伸ばす。
☆
10日前。ゴルト山の洞窟。
「ふむ。確かに異常に濃い魔力……」
サイガスはニーナから依頼された魔狼大量死の真相を探るために洞窟の入り口にきていた。時刻は深夜。魔獣の活動が最も活発になる時間帯である。サイガスは盛んに活動する魔獣達を観察していた。すると、魔獣達はこの洞窟の前で立ち止まり、踵を返して去って行ったのだ。サイガスは洞窟に歩み寄り魔視を行う。暗い洞窟の奥から更にドス黒い魔力が溢れ出しているのが見えた。
(そうか。ゴルト山の山頂は龍脈。龍脈の魔力で魔獣に変化した新種の生物という可能性もあるのう。どれ、確かめてみるか)
「大地の精霊12柱。巌に宿り我に従え。地肉精魂」
サイガスは洞窟に落ちている尖った石に杖を向けて詠唱する。ゴトリ、と石が動いたかと思うと、周りの石や岩肌を吸い込むように岩石が集まった。そして手足のような形が形成されると、最初の一個が顔の眼の部分に嵌め込まれた。
そうしてできた岩石人形が12体。サイガスの前に集結した。
「よし、では行けい!」
サイガスは杖を軍配のようにして洞窟に向ける。ゴーレム達は応えるでもなく洞窟に向かって歩き出す。
(ゴーレム達なら魔狼程度の爪や牙は効かん。無事に戻ってくればそれ以上の脅威はないということじゃが……)
「ガギャアアアア!」
しばらくして洞窟の奥からけたたましい咆哮が響き、洞窟を揺らす。咆哮が入り口から突風という形で吐き出される。
「ぐおっ……!」
サイガスは咄嗟に顔を庇う。ゴーレムの一部だったらしき岩が持っていた杖に直撃し、杖は音を立てて折れた。
(! 杖が……)
杖は魔法の発動を補助する器具であるから、無くても魔法を使うことはできる。だが、杖を使っての魔法に慣れたサイガスにとっては(最も、この世界で魔法を使う人間はそのほとんどが杖を用いるのだが)杖なしでの魔法は発動までにややぎこちなさが表れる。杖有りに慣れると杖無しでは同じ操作をする時に微妙な遅れが生じるのだ。
「くぅ! 派手に暴れてくれるのぅ……」
(放っておく訳にもいくまい。このレベルはアンジェリカですら全力でどうにかなるかどうか……。すまん、アンジェリカ。そして、異界から来た2人の勇者様よ。ワシは……どうやらここが死に場所のようじゃ)
サイガスは静かに目を閉じると、覚悟を決めて洞窟へと足を踏み入れた。ぽっかりと開いた口は、サイガスを飲み込むように受け入れた。
☆
昼食を終えた悠斗達はいよいよ洞窟へ入った。セドリック以外は杖を松明にして掲げ、セドリックは夜目で辺りを警戒する。
「セドリック。本当に何もなしで大丈夫なの? 無理しなくても、入り口で待っててくれれば」
「水臭ぇこと言うなって! お前らをほっとけるかってんだ! それに、この洞窟なら俺も入ったことあるし、ある程度のガイドができるかもだしな!」
セドリックは強く主張する。アンジェリカもそれなら、とそれ以上何も言わなかった。
「セドリックっていい奴だな。なんだか頼れる兄貴分って感じでよ」
「うん。山道もすごく楽に進めたし、罠の作り方とか教わったしね」
修業に明け暮れた3日間、セドリックは悠斗達が食事に困らないよう食材を狩ってきてくれていた。その時セドリックは決まって何も訊いてないのに話し始める。最初は辟易していた2人もいつの間にか聞き入っていた。セドリックの話は要領を得ていて分かりやすく、尚且つ抑揚があって飽きさせない。話がとても上手かったのだ。
「へへっ! もっと褒めてくれていいぜ! なあ兄弟!」
「おう! へへっ!」
セドリックは上機嫌で悠斗と肩を組んで笑った。
「に、似たもの同士ね……」
アンジェリカはやや呆れた顔で言った。愛梨はクスクスと笑っている。
ドガッ ガッ
「! 」
会話は洞窟に響く音に掻き消された。
何かが強く壁か地面に叩きつけられる音。
「この先は確か……泉があって広い場所に出たか。鉱物を掘りにきた王都の奴らが……」
セドリックが記憶を辿りながら呟く。
「じっちゃん!」
悠斗は音のした方へと走り出す。足がちぎれるのではないかと言うほどに強く、速く踏み出す。
「バカ! 2人とも、ユートを追うわよ!」
アンジェリカの言葉は悠斗の耳に届かない。愛梨とセドリックは頷いて悠斗を追った。
☆
「じっちゃん!」
セドリックの言葉通り、すぐに開けた場所に出た。サイガスが火を点けたのか壁伝いに古びた松明が並んでおり、辺りは明るい。悠斗はそこで目にした光景に、絶句した。
「グウルルルル……」
巨大な魔狼。全長4メートルはあろうかという、正真正銘の化け物。額には角のような鋭い突起が生えている。大魔狼は魔兎を前足で押さえつけていた。魔兎だけではない。魔狼も何匹か餌食になっているようだ。大魔狼の足元には無惨に胴を噛みちぎられた魔狼の死体が転がっている。
「……ッ!」
悠斗は、後悔した。
死ぬ。間違いなく、相手にもならない程に強大な力に殺される。あの時、森で魔狼の群れに襲われた時よりも強く、確実に、等身大にそれを感じた。大魔狼は大声を出した悠斗を見つけ、唸るように威嚇している。
(とりあえず、剣、を……)
柄を握る。しかし、抜刀できない。それは、敵対する証になる。目の前の、冗談みたいな化け物と闘い、死ぬか生きるかを始める合図。そう強く思うと、剣は接着剤でも着けられたかのように鞘から抜けてくれない。
『ユー……ト……』
「ッ! じっちゃ……」
悠斗はサイガスの声が聞こえ、辺りを見渡した。そして、見つける。
野球場のように広い洞穴。その隅に、横たわる老人の姿を。
「じっちゃん!」
サイガスは動かない。先刻の声は幻聴だったのだろうか?
しかし、悠斗にはもうそんなことを考える余裕がなかった。
「テメェが、じっちゃんを……!」
悠斗の中で何かがプツンと音を立ててキレた。恐怖が掌を返すように殺意へと換わる。
スラリ、と剣が抜けた。先程の重みが嘘のように軽い。剣を持つ手が怒りで震えた。悠斗は大魔狼に強い怒りと憎しみを目に込めてぶつける。
「ガル……」
大魔狼は一瞬体を強張らせる。悠斗の目に、気迫に気圧された。しかし、この洞窟の主としての矜持が、そのことに苛立ちを覚えさせた。
「グガアアアア!」
大魔狼は魔兎を壁に弾き飛ばし、本格的に悠斗と対峙する姿勢を取る。
「来いよ犬っころ。……ぶっ殺してやる」
悠斗の魔力が、激しく体から迸った。