第12話 新たなる旅立ち
翌朝。
悠斗はサイガス宅で目を覚ました。サイガスがアンジェリカを運びがてら悠斗を自宅に招き、悠斗はサイガスの家で一夜を過ごしたのだ。
サイガスはと言うと、村の男衆と共に夜が明けるまで飲み明かしていたという。とても老人とは思えない体力である。
「んー……いい朝だ」
悠斗は伸びをしてベッドを降り、顔を洗うために村の共同井戸に向かった。
(あ、水の魔法が使えるから井戸まで行かなくても……いやいや! 気分の問題だな。井戸水で顔を洗う方がなんとなく気持ちよさそうだし)
「ワフ!」
家の外に出るとウルが悠斗の足元に駆け寄ってくる。
「おはようウル」
悠斗はしゃがみ込んでウルの頭を撫でてやる。ウルも悠斗の手に頭を擦り付けるようにして目を細める。
「あら、ユートさんじゃないか。おはよう!」
井戸に向かうと、カーラが水を汲んでいるところだった。
「カーラさんおはようございます。バゼットのおっちゃんは?」
「ん」
カーラが苦笑しながら顎で遠くを指す。悠斗の視線の先にはやはりと言うか、酒場があった。
「まーだ飲んでたのかよ。飽きねえなあ」
「ホントだよ。今からこの水ぶっかけて起こしに行くところさ。ところで、アイリさんは大丈夫だったかい?」
「まあね。すぐに寝ちゃったからベッドに寝かしてきた。今頃アンジェリカと二日酔いでぐでぐでかも」
悠斗は苦笑し、鶴瓶から引き上げた水で顔を洗った。ウルも真似したそうに見ていたので水をかけてやると、ブルブルと体を振るった。
「へえ。案外紳士なんだね。それとも奥手なだけかい?」
カーラは少しからかうような声色で言う。悠斗は最初分からなかったが、その言葉の意味を知るとたちまち真っ赤な顔になった。
「な、な、何言ってんだよ! 俺は東風谷とはそういう関係じゃ……」
「そうかい? でも、向こうはそう思ってないんじゃないかねぇ?」
「へ……?」
「まあなんだ。早く自分に正直にならないと、誰かにとられちまうよ」
カーラはそれだけ言うと2つの桶を持ち、酒場へと歩いて行った。
「……自分に、正直に」
カーラに言われた言葉を反芻し、悠斗は考え込む。ウルは視界の端に捉えた魔兎を追ってどこかへ走り去っていった。ウルなりに気を遣ったつもりなのだろうか。
(……今なら、いいのかな?)
酒場での愛梨の態度。アレが本心かは分からないが、愛梨は少なくとも悠斗に対して好意的な接し方をしている。嫌われている様子はない。
「でもここで断られるとこれからの旅で気まずくなるし、何よりショックで立ち直れるか…………ええい! このままうだうだすんのは性に合わねえ! 男なら当たって砕けろだ! 後のことは、後で考える!」
悠斗は昨夜アレコレと考えていたにも関わらず、またしても無茶を敢行する。と言っても、やはり本人に自覚はないのだが。
意を決した悠斗はアンジェリカの家へと走って行った。1分と経たない内に家の前へと到着する。
「よし……やるぞ。やってやる……」
悠斗は何度も深呼吸をし、脳内でシミュレーションをする。
『東風谷! 好きだ!』
『悠斗ー! 私もー!』
「よし!」
悠斗はかなり補正の入った妄想を終了し、アンジェリカの家の扉を勢いよく開いた。
「東風谷! 話が……」
悠斗の目に飛び込んで来たのは、下着姿の2人の少女だった。
「あるん……」
悠斗の思考回路は完全にストップし、茫然自失とばかりに立ち止まった。
「だけど……」
悠斗の視界に映る少女の1人は真っ赤な顔をして素早く両腕で体を覆い、もう1人は杖をこちらに向けて何か呟いている。
「……風砲」
悠斗は杖から放たれる圧縮された暴風をモロに受け、吹き飛ばされる。朝日を讃える澄んだ青空を見ながら、悠斗の意識は遠くに吹き飛んでいった。鼻血が出たのは風魔法が顔に直撃したからに違いない。
☆
「全く! ノックくらいしなさいよね!」
アンジェリカはいそいそと着替えを進めながら怒りを露わにする。
「ま、まあまあ。無防備だった私たちも悪いんだし……」
愛梨はまだ紅潮した面持ちでアンジェリカを宥める。
2人はほぼ同時に目覚め、二日酔いによる頭痛を訴えた。アンジェリカは棚から解毒作用のある薬草を取り出し、簡易的な漢方薬を作って処方した。風呂も風魔法と水魔法でさっと済ませ、着替えに取り掛かるところで悠斗が突入してきたのだ。
「思わず全力で撃っちゃったわよ! 初級魔法だけど当たりどころ悪かったら大怪我ね! さ、見にいきましょ!」
アンジェリカはローブを羽織ると急ぎ足で家を出た。愛梨も続く。家を出てすぐのところで悠斗は気を失っていた。目立った外傷も無く、異常は見受けられない。
「……なんともないわね」
アンジェリカはそう言って安堵するが、その表情は怪訝の色が強かった。
(普通の人間がまともに食らえば骨くらいは折れる強さで撃ったんだけど……直撃した顔もあんまりダメージを受けてないし)
アンジェリカは悠斗が受けた魔狼の引っかき傷が浅かったことを思い出し、あれこれと考え始めた。
「もう……悠斗君が無事だったからよかったけど、咄嗟の魔法は控えるようにしてねアンジェリカ」
愛梨はそう言って悠斗を担ぎ、アンジェリカの家へ戻る。
「う、ごめんなさい……。って、ん?」
アンジェリカは愛梨に続いて歩き出したが、違和感を感じて立ち止まる。
「? どうしたの?」
「アンタ、ユートのことユートって呼ぶようになったのね」
「……あ」
愛梨はそう言われてようやく自覚し、ぼっと顔が発火した。
(昨日の夜、一体何が……?)
アンジェリカは一瞬考えたが、あまり深く考えないようにした。仲の良い2人が一夜でイケナイ関係に……など、アンジェリカにはあまり想像したくない事態だからだ。
☆
キールの道具屋
しばらくして目を覚ました悠斗、愛梨、アンジェリカの3人は道具屋の中を物色していた。王都へ向かう旅支度のためだ。
「金はいい。君たちは村の恩人だからね。この袋に入る分と身につける分は好きに持って行っていいよ」
キールは気怠そうだが柔和な笑顔で3人を迎え入れる。
「マジかよ!? 気前いいなキールのおっちゃん!」
「おっちゃんは余計だ。僕はまだ28だぞ?」
「そうよユート。せっかく商品を譲ってくれるって言うんだから機嫌損ねるようなこと言わないでよね」
「そ、その理由で咎めるのもどうかと思うけど……」
3人は談笑もそこそこに防具や食料を選定する。
王都で路銀にする為に特産品の香草や香辛料も幾つか分けてもらった。
そうこうしているうちに選定は終わり、3人は新しい装備を身につけた。
「おおー! なんかしっくりくるな!」
「うん! 動きやすくて軽いし、丈夫そうだね」
悠斗と愛梨は真新しい装備に身を包みはしゃぐ。アンジェリカはローブと三角帽子を新調してもらった。若草色のローブが素朴な魅力を醸し出している。
「アンジェリカのも可愛いね」
「べ、別に。性能が良いから選んだだけよ。……ありがと」
愛梨が素直に褒めると、アンジェリカはやや視線を逸らして答えた。
「もうすぐにでも出発するのかい? 時間さえくれれば旅路のポイントなんかをまとめられるんだが……」
「いや、もう何日かは村に残ろうって決めたんだ。せっかくの装備だし、それなりに馴染ませてから出発した方がいざって時焦らなくていいかなって」
「って、アイリの受け売りでしょうが」
アンジェリカはさも自分が考えたように言う悠斗にジトッとした視線を飛ばす。
「そうかい。じゃあ地図と、王都までの近道なんかを記しておこうかな。また出発前になったら声をかけておくれよ」
「おう! 色々ありがとなキールさん!」
「ありがとうございます。大切にします」
「ありがとね。また何かあったら立ち寄るわ」
3人はそれぞれキールに礼を言い、道具屋を去っていった。
「……『ありがとう』か。それはこっちの台詞なんだけどね」
キールは仲良く談笑する3人の背中をしばらく笑顔で見送った。
☆
1週間後。 村の広場。
「聖なる癒しをここに 治癒」
悠斗は意識を集中させて呪文を唱える。右手から放たれた光の粒子が左手に乗せられた小鳥に注がれる。小鳥は足を怪我しているらしく、ぐったりとしていた。しかし光の粒子を浴びる内に目を開いて立ち上がり、やがて悠斗の手から飛び立っていった。
「ふむ。回復魔法の初歩は合格のようじゃな。良くぞこの短期間でモノにしたな」
椅子に座って指導していたサイガスが頷きながらそう言うと、悠斗は飛び立った鳥を見届けながらゆっくり立ち上がった。
「へへっ! 俺自身無茶するから覚えとかないとって思ったからさ」
「まあアンタが無茶して突っ込んだら覚えた意味ないけどね」
アンジェリカの鋭い指摘で悠斗は言葉を詰まらせる。
「分かってるってば……愛梨はどうだ?」
悠斗は愛梨の方を見るが、あまり望ましい結果は得られていないようだ。
「まあ回復魔法の素養の見方はよく分かってないからね。これからどう伸びていくかも分からないから地道にやりましょ。ところで……」
「?」
アンジェリカの言葉に2人が首を傾げる。
「アンタ達いつの間に呼び方変えたの?」
「いや、それは、その……」
「なんか、なんとなく。ね?」
愛梨は曖昧な笑顔で悠斗に同意を求める。
「ふ〜ん? ま、いいわ。仲良くなることはいいことだし」
アンジェリカはそう言いつつもジトッと2人を見る。悠斗と愛梨は誤魔化すように笑うしかなかった。
「フム。回復魔法は追い追い覚えていけばよい。王都ならば学ぶ場も山ほどあるじゃろう」
サイガスはそう言って立ち上がり、3人を見た。3人は集まってサイガスの前に並んだ。
「免許皆伝、とまでは行かんが……お主らは既に各々が一人前。あとはワシに教わるではなく、世界を見て自ら学ぶことじゃ」
「はい! 師匠!」
一番に反応したのはアンジェリカだった。胸を張り、堂々とした態度のアンジェリカを見て、悠斗と愛梨は互いの顔を見て頷いた。
「色々とありがとうございました」
「遠くに行ってもじっちゃ……師匠のことは忘れねえよ!」
「ホッホッホ。師匠冥利に尽きるわい。道中、気をつけての」
サイガスは優しい眼差しを3人に送る。3人も頷いて返した。
「では、行ってきなさい。ワシの自慢の弟子達よ」
「「「はい!」」」
ゴルトマリー村。
後に英雄の故郷と謳われるこの地を、3人の勇者が旅立った。