第9話 俺が護る
久々に風邪というものを引きました。いやぁ辛いですね、アレ
「あれ? ここは……?」
愛梨は目を覚ました。辺りを見渡すと、一面の真っ白な空間だった。体は自由が効かず、ふわふわと浮遊している感覚がある。
『……フ。悠斗と同じ反応をするのだな』
突然かけられた声に愛梨は振り向いた。頭に直接響く、荘厳な声。振り向いた先には運命の車輪が緩やかに回りながら浮いていた。
「あ、車輪さん!」
『車輪さんはちょっと……。コホン! 漸く己が力を呼び醒ましたようだな。悠斗は未だに力を使いこなせていないようだが』
車輪はそう言うと緩やかだった回転を止める。
「立花君を知ってる……? って、よく考えたら不思議じゃないか。私達をこの世界に連れてきた張本人さんだもんね」
愛梨は驚くでもなく納得する。
『ほう。悠斗よりは聡明なようだな。とてもあの【因子】を受け継いでいるとは思えん』
車輪は感心したような声を上げた。
「あの因子……?」
『先の戦闘のような強い殺意に呑まれてはならん。そのまま黒く塗りつぶされれば、お前の運命は大きく狂うだろう』
車輪は意味ありげな発言をしながら、最初の回転とは逆方向に回り始める。
「ちょっと待って下さい! 運命って? 因子ってなんですか? それに、私と立花君をこの世界に呼んだのは何故……?」
愛梨は急き立てるように問い質した。車輪は無言で回転の速度を上げる。それが別れの合図だと愛梨は直感で理解できた。
『運命は覆った。彼の村は滅びの運命を免れたのだ。因子とは、生来お前が持ちながら覚醒することの無かった要素。お前と悠斗をこの世界に呼んだ理由は……』
車輪はそこで言葉を切った。ばつが悪いとか、言いすぎたといった雰囲気ではなく、答えを用意できないようにぷつりと言葉が途切れた。
『名を訊こう。黒き宿命を芽生えし者よ』
車輪は誤魔化すように愛梨の名を尋ねる。
「……私の質問に答えてからです」
愛梨は最も知りたかった答えを教えてもらえず意地になった。
『案外強情なのだな。いいだろう。それはまたの機会に』
愛梨はその言葉を聞くと、何かに強く引っ張られる感覚と共に意識を失った。
☆
「なぁ……こんなとこにいるくらいなら戻ろうぜ」
洞窟の入り口付近。セドリックは、膝を抱えて蹲るアンジェリカにあれこれと声をかけていた。
洞窟を抜けた直後、息を整えるために立ち止まり、アンジェリカはそのまま蹲ってしまったのだ。
「…………」
アンジェリカは答えない。代わりに、時折鼻をすする音が聞こえた。
(私……最低だ)
アンジェリカは魔法使いだ。近接格闘も基礎は知っていたが、腕前は一般の剣士に比べれば半人前。本分は前衛の守り前提の先刻のような戦法がメイン。幾つかは自分が魔狼などとの戦闘で知ったものだが、大半はサイガスから受けた訓練をさも自分が体得したかのように悠斗達に教えていたのだ。
(魔力がもう無いのも事実。あんな化け物に近付いたって私じゃ相手にならないことも事実。けど……アイリを見捨てたのも、事実)
アンジェリカの肩が震える。
洞窟を抜け出せた安堵と共に、自分に対する情けなさやら恥ずかしさが高じて涙が溢れ出てきた。
「せっかく残ってくれたアイリの思いを無駄にすんのかよ!? 俺たちがやるべきことは、ここから1秒でも早く逃げ出して、このことを村に伝えることなんじゃねえのかよ!」
セドリックの正しく真っ直ぐな言葉は、それでもアンジェリカを動かすには足らなかった。
分かっている。悠斗が死に、残してきたのは手負いの愛梨ただ一人。長くは保たない。早く村に戻ってこのことを報告して王都に派兵を要請するのが一番いい。
分かってはいた。しかし足は止まり、代わりに涙が出てきた。まるで、走るエネルギーが目から零れ出してしまうように。
(洞窟で言ったことだって、半分は嘘。自分が怖いから、逃げ出したいから咄嗟に言ったこと。正しいかも知れないけど、私は正論を盾にしてアイリを……とんだ臆病者ね)
アンジェリカが更に深く沈んでいくのが、セドリックには目に見えて分かった。
「……分かった! 俺だけでも村に戻るぜ! お前も……落ち着いたら来いよ」
セドリックは頭をガシガシと掻いていたが、諦めたように肩をすくめるとアンジェリカに背を向ける。
(また小難しいこと考えてんだろうな。コイツは村に来た時からそうだった。なら、それは頭のいいコイツに任せよう。俺には考えるなんてできねえしな! だから……あんまり悩まなくて済む)
セドリックは最後にアンジェリカを一瞥し、走り出した。
「…………ゴメンね」
アンジェリカは、消え入りそうな声でぽつりと呟いた。洞窟の外は、いつの間にか夕日に照らされ始めた。
☆
しばらくして、悠斗と愛梨は同時に目を覚ました。サイガスによって、仲良く並んで寝かされている。
「んぅ……?」
「ふぁ……」
上体を起こし、欠伸や伸びをする。互いに顔を見合わせてしばらくぼーっとした後、先程の戦闘を思い出して俊敏に立ち上がる。
「さっきの奴は!?」
「それより、立花君大丈夫なの!?」
愛梨は悠斗の胸を見た。革の鎧には刺し貫かれた穴と血の跡があったが、出血している様子ではなかった。
「おう! ピンピンしてるぜ!」
「ホントに? 他に怪我してるところない?」
愛梨は悠斗の周りをぐるぐる回りながら悠斗の体をぺたぺた触って確認する。
「わっ、ちょ、くすぐったいって」
(こ、東風谷が俺の全身をぺたぺた……いやいや! 真剣に俺のこと心配してくれてるんだ! やましいことは何も……)
「っあ!? ご、ゴメン!」
(し、しまったー! つい無遠慮に立花君の体触ってた! 立花君の体、男らしくてゴツゴツしてて……じゃなくて!)
愛梨はやましいことをバンバン考えていた。
「ほっほっほ。さて……2人とも回復は済んだようじゃな」
そんなやりとりをしていると、岩の窪みに腰掛けていたサイガスが声をかけた。いつものローブは所々破けており、泥や砂で汚れていた。顔も目に見えてやつれ、疲労の色が濃い。
「じっちゃん! ……よかった」
「ご無事でなによりです、師匠」
悠斗と愛梨は各々喜びの声を上げる。サイガスも2人に笑顔で答えた。
「さ。行くとするかの。久々に大きな魔法を使って、もうクタクタじゃ」
「無理すんなよじっちゃん! 俺がおぶってってやるよ!」
「師匠と呼ばんか師匠と。そう年寄り扱いするでないわ。よっこいせ」
サイガス達は立ち上がり、洞窟を出ようとした。
「クゥーン……」
突然の甲高い鳴き声に、3人は思わず振り返った。見ると、大魔狼の亡骸に擦り寄る小さな魔狼の姿があった。大魔狼の子どもなのだろうか。大きさは小型犬程度で、魔狼には似つかわしくない白い体毛に覆われている。アルビノという奴だろうか。大魔狼の顔をしきりに舐め、呼びかけるように弱々しい鳴き声を出している。
「…………」
悠斗はそれをなんとも言えない気持ちで見ていた。
この子狼は放っておけばいつか死ぬだろう。でなければ、成長して新たな脅威となる。どの道、親の命を奪った自分には口出しする権利などない。悠斗はそんなやるせない気持ちを持て余していた。
「災いの芽は……断たねばならん」
「ッ!」
サイガスはそういって携帯杖を構える。愛梨は一瞬体を強張らせたが、唇を真一文字に結んでそれを見届けようと決めた。
「ま、待ってくれよ!」
「……ユート」
悠斗は、気付いたら子狼の前に出て両手を広げていた。まるで、子狼を庇うかのように。サイガスは意外そうに、けれども宥めるような声で悠斗の名を呼んだ。
(なにやってんだ俺……?)
一番戸惑っていたのは悠斗本人だった。
悠斗は優しい人間だ。他人の気持ちを考えた行動もできるし、誰かの危機には躊躇なく手を貸そうとする。
しかし、魔狼は魔獣だ。魔獣は人々に害を為す存在。悠斗はそのことを分かっていたし、訓練で何度も魔狼を殺してきた。
なのに。目の前の子狼を殺すのは、何か間違っている気がした。理由は分からない。恐らく、殺すべき理由の方が悠斗自身の頭の中にいくらでも浮かぶ。それでも、殺すのは嫌だった。
「何にも……してないじゃんか」
弱々しく、下を向いて、縋り付くように、悠斗は言葉を紡ぐ。
「…………まだ、の」
サイガスの言葉に、悠斗は唇を噛んだ。
その言葉は、今しがた悠斗自身が思っていることだ。成長すれば、いつかは人里を襲う。知っている。分かっている。
でも。
「でも、やめてくれ……」
悠斗は、力なくサイガスを見た。燻った想いを形にできない歯がゆさに苛立ちを覚える。昔から想いを言葉で表現するのは得意ではなかった。そのことを、悠斗はこの世界に来て何度も悔やんでいた。
サイガスは豊かな顎髭を弄りながら思案顔で悠斗の目を覗き込む。
「ふむ。では、どうする? このまま野放しにするわけにはいかんじゃろう?」
「俺が世話する」
即答だった。考えたわけじゃなかった。ただ、そうすることが正しいと思った。口にすると、ストンと肝が据わった。
「……理屈ではないようじゃな。よかろう。伝説の勇者様に免じてその子狼はしばらく見逃す。ただし、人を襲わぬようしっかり育てること。それができねばやはり殺す」
サイガスは目を見開いて悠斗を見ていたが、諦めるようにため息を吐くと厳しい言葉で締めくくった。
「ああ! ありがとう師匠!」
「やれやれ。調子のいい奴じゃ。しかし、そやつは着いてくるのかの?」
サイガスの言葉に、悠斗は子狼を見た。相変わらず親の周りを走り回って声をかけるように鳴いている。
「俺に任せてくれ」
悠斗はそういうと子狼へと近寄った。
「グルルルル……」
子狼は悠斗が近付くのを見つけると、威嚇の声を上げる。
「ゴメンな。お前の……父ちゃん? 母ちゃん? を殺しちまって」
「ガウ!」
子狼は悠斗を責めるように吠えた。『そうだ! お前が殺した!』とでも言うかのように。それを感じ取った悠斗は、複雑な表情で、それでも子狼に近付いた。
「なぁ、俺と一緒に来ないか? このままだとお前、殺されちゃうんだって。お前も死ぬのは嫌だろ?」
悠斗がしゃがみ込んで手を差し伸べる。
「ウウウウ……ガウ!」
子狼は悠斗の手に思い切り噛み付いた。
ふざけるな! お前の仲間になるくらいなら死んでやる!
そう言っている気がした。
「ッ! へへ……まだまだだな。俺が今まで闘ってきた奴らに比べりゃ痛くも痒くもねえや」
悠斗は手が噛みちぎられるかと思う程の痛みに顔を歪めるが、平静を取り繕った。もう片方の手で子狼の頭を撫でてやる。
「ウウウウ……」
子狼は悠斗の手から離れない。棘のついた万力のように、悠斗の手に食い込んでいく。
「お前の親はな。一杯、魔狼を殺したんだ。それだけじゃない。森に住む動物も、片っ端からな」
悠斗は子供に言い聞かせるように優しく語りかけた。子狼は知ったことかと唸りながら顎に力を入れる。
「だから、殺さなきゃいけなかったんだ……森を荒らした奴は、罰を受けないと……」
「ガァ! ワウワウ!」
子狼は突然悠斗の手から牙を抜いた。そして抗議するかのように悠斗を見据えて吠える。
「な、なんだよ? 違うってのか?」
「ウォウ!」
子狼は肯定するように短く答えると、洞窟の奥へと走り出した。
「あ、待てよ! なんなんだよ……?」
悠斗は子狼について走った。愛梨とサイガスもそれに続く。暗闇の中、杖に灯した火の光を頼りに洞窟の奥へと進んでいった。
「ウォーン!」
子狼の遠吠えが聞こえ、やがて悠斗達は子狼に追いつく。
そして、杖を掲げた。
「な、なんだよこれ!?」
まず、むせ返るほど強烈な血の匂い。そして、杖の炎に照らされたのは、大量の子狼の亡骸だった。白い体毛を血で赤黒く染めている。どうやら子狼は皆体毛が白いらしい。
「アイツ、自分の子供まで襲ってたのか……?」
「ガウ! ガウ!」
子狼は否定するように悠斗に体当たりした。そして、亡骸の一つを指す。
「これは……刀傷じゃな」
追いついたサイガスが愛梨の杖で光を灯すと、ぽつりと言った。よく見ると、確かに血が一直線に伸びている。獣の牙や爪ではここまで長い傷口はできないだろう。
「刀って……まさか! さっきのアイツがやったのか!」
ヴェルドゲーデ。その顔を思い出す。
悪魔のような見た目で、性格も極めて残忍。そしてヴェルドゲーデは、洞窟の奥から出てきた。
「そう言えば、『ご主人に頼まれて渋々来た』って言ってた。さっきも消えるようにいなくなったし、ヴェルドゲーデが突然この魔狼の巣に来たのかも」
愛梨がヴェルドゲーデの言葉を思い出す。悠斗はその一言で思考が高速回転していくのが分かった。
洞窟の主、大魔狼。森の動物を襲っていたのはヴェルドゲーデに献上させられたか、はたまたヴェルドゲーデを倒すために力を蓄えていたのか。ともかく、大魔狼は子殺しの張本人であるヴェルドゲーデを許していなかった。子を殺された親の怒りを悠斗は知らなかったが、その怒りの正当性はなんとなく理解できた。
パズルのピースが埋まっていくかのように事件の背景が浮かび上がる。
「そっか。アイツに住処を荒らされて、でも刃向かうこともできなくてお前の親は……」
弱肉強食。おそらく大魔狼はこの辺りの主だったのだろう。突然変異なのか、より濃度の高いマナを浴びでもしたのか。何にせよ、普通の魔狼より高い戦闘能力を手に入れた大魔狼は力で周りをねじ伏せた。そして、因果応報とも言えるが、大魔狼自身が最後は強大な外来種に屈伏させられたのだ。
「クゥーン……」
悠斗は子狼の頭を撫でた。子狼は悲しそうな眼差しで悠斗を見ていた。
「気付いてやれなくてゴメンな。お前も、大魔狼も辛かったんだな。急に出てきたアイツに住処も子供たちも奪われて。最後に残ったお前を、必死で守ってたんだな……」
悠斗はそう言って子狼を抱き寄せた。子狼も逆らうでもなく身を委ねる。生命の温かさと重さが悠斗の腕に伝わる。
「頑張ったな……辛かったんだな……」
悠斗は子狼の背を撫でた。いつしかその目には温かい涙が蓄えられていた。突然現れた侵略者に居場所を奪われる。悠斗は不思議とその苦しみが手に取るように感じられた。
「クゥーン……」
子狼は悠斗の手を舐めた。先刻自分が噛んだせいで血が流れているその手を。子狼は丁寧に、優しく舐める。謝罪するかのように。感謝するかのように。
「……じっちゃん。いや、師匠。なんで俺がコイツを庇ったのか、ようやく分かった気がするよ。悪いのは大魔狼じゃない。ヴェルドゲーデだ。コイツは、親に代わって俺が護る」
悠斗は涙を拭い、サイガスを見た。覚悟を決めた目だ。悠斗の嫌いな、覚悟を。
サイガスはそれを見て無言で頷く。愛梨も潤んだ瞳で頷いた。
こうして、新たな仲間が増えたのだった。