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もしも、王子様が  作者: ごまプ
第2章
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9 薬室の日常

 王宮薬室の朝は、それなりに早い。毎日まだ夜が明けきらぬうちから、薬師が出勤して薬の調合をはじめる。

 これは第一王子のオーガスタス殿下が毎朝飲まれる持病の薬の準備のためで、鮮度が命の非常に珍しい薬だとか。

 オーガスタス王子は私のような怠け者とは違い早起きなので、薬の準備をする薬師はさらに早く起きて仕事を始めなければならなかった。それでも、この毎朝の恒例が二十年以上も続けば、皆に薬室の日常の風景として受け入れてしまう。

 何より、薬師たちは皆仕事熱心なのだ。王宮ひいては王族に仕えることに誇りを持っている生きている。

 だから多分、誰も早起き程度のことを苦に思っているはずがなかった。――私、以外は。


 実家で穀潰ししていた頃は、夜更かしも朝寝坊も慣れたものだった。毎日、誰かが起こしにきてくれて、それが許される環境。

 けれど、ここではそうではない。朝は自分で起きなければならないし、甲斐甲斐しく世話をやいてくれる人もない。

 この程度のことを大変だと思うなんて、自分のクズさに笑ってしまうくらいだけれど、今は何故かそれすらも心地よかった。

 できることが増えていく――それだけのことが、嬉しい。




「最近、早く来るようになりましたね」


 そんな微妙な誉め言葉(?)を薬室長から頂いたのは、勤め始めて一月が過ぎた頃のこと。

 さすがに寝坊することも少なくなって、仕事にも幾分慣れてはきたものの、給料分の働きができているのかと問われれば、自信を持っては答えられない。

 何と言ったものかと曖昧に笑っていると、薬室長は勝手に納得したように研究に戻っていった。


 この薬室では、医師からの依頼を受けた薬の調合の他に、新しい薬の研究も日々行っている。

 日々進歩しているとはいえ、世界にはまだまだ不治の病が多くある。だから、薬の研究はとても大切なのだ――と薬室長は前に力説していた。

 もちろんそれには異論はないのだが、薬室には何故か一般の薬師が立ち入りを制限された特別室があって――何故かそこに、ルシオ王子が度々通ってくるのだ。


「お早うございます、レディ・モニカ」


 その日も午前中から、ルシオ王子が薬室に顔を出した。

 薬室内の掃除中、背後から声をかけられた私は、慌てて振り向いて挨拶をする。


「お早うございます……殿下」


 今のこの生活があるのも、すべてこの王子のおかげ。私としてはもう足を向けて寝られないくらいの恩があるわけだが、王子の態度は出会った時と相変わらずで、いつもそれがむず痒く感じる。


「どうかされたのか? 顔色がよくないが」

「そんなことは……」

「では……何か、言いたいことでも?」


 私が分かりやすすぎたのか、それとも王子が無駄に鋭いのか。

 どちらにしろ、こうなった王子は自分が納得するまで諦めてくれない。

 私も隠すのは諦めて、口を開いた。


「……私はただの雑用係です。殿下が以前と変わらずに接して下さるのは嬉しいのですが……その、以前の身分はもう捨てたものと思っております。ですから殿下もどうか、そのように……」


 いつまでもレディ、と貴族の令嬢のように話しかけられては、薬室の方々も私の扱いに困るだろうと思った。

 しかし、ルシオ王子はそんな私の言葉に眉を寄せる。


「貴女がそのようなことを言うとは意外だった。私たちは、友人ではなかったのか?」


 王子の声には微かな怒気が含まれていて困惑する。

 何が彼を不機嫌にしているのか、私には分からなかった。


「殿下は私などには勿体ないほどの大切なお友達です。ですが……」


 私が王子の婚約者で、ブライトマン公爵家の威信が健在だった頃ならばともかく、だ。

 王子が誠実で優しい人なのはよく知っているが、そもそも友人とか言っている時点でおかしいことに気づいていない。

 ていうか、まあ、そのおかしなことを言い出したのは私なのだけれども。


「確かに――友人ならば、こう畏まっているのもおかしな話だな」

「え?」

「私には今まで女性の友人などいなかったから、あまり考えたことがなかったんだ。すまないが――異性の友人同士は何と呼び合うのが普通なのか教えてくれないだろうか」


 王子は勘違いをしている――と、すぐに気づいた。多分私の言いたかったことはほとんど伝わっていない。

 しかし私という友人をあっさり受け入れてしまう天然王子に、それを理解してもらうのは骨が折れるだろう。

 もはや目的が達成されるならば何でもいいと思った。私はただ王子に令嬢扱いをやめてほしいだけなのだから。

 ただのモニカ。今の私にはそれが一番似合っている。


「ただモニカ――と、そうお呼び下さい」


 私が言うと、先程までの不機嫌はどこへやら、王子は頬を綻ばせる。


「では――そうしよう。モニカ、後で私の研究室にお茶を頼む」


 王子は上機嫌に言うと、いつものように王子専用の研究室へと入っていった。


 そう――何故か、王宮薬室には、ルシオ王子の私設研究室がある。薬室長にさらっと聞いた話では王子は王族でありながら薬学を修めた薬学博士でもあるとか。

 こういった学問に熱心な王族が全くいないわけではないが、あまり聞かない。専門的な学問を深く学ぶことが、王族にはそれほど必要ではないからだ。

 薬学に熱心だなんて変わっている――この時の私は、その程度にしか思わなかった。




 それからも王子は、頻繁に薬室を訪れては一人で研究室にこもった。

 その頻度は、王子としての必要な公務の時間以外のほとんどを充てているのではないかと思うほどだったが、薬室の薬師たちは当たり前のことのように気にする素振りを見せなかった。

 それほど王子の来訪が、王宮薬室の日常となっているということだったのだろう。




 首都に今年の初雪が降ったある冬の日、私は王子から温かい飲み物を頼まれて研究室の扉を叩いた。


「殿下、失礼致します」


 いつもならすぐに返ってくる返事がこの日はなく、私は断ってからそっと扉を開ける。

 既に何度か足を踏み入れたことのある王子の研究室は相変わらずよく分からない煙と香りが立ち込めていて、あまり居心地がいいとは言えない。

 そんな部屋の中で、ルシオ王子はいつもの机で、開いた本の上に突っ伏して寝息をたてていた。


 ――よほど、疲れていたのだろうか。


 王子のこんな姿を見るのは初めてで、なんだか不思議な気分になる。

 隣に脱いで置かれていた外套を身体にかけてあげると、王子が不意に身動きをしてどきりとした。


「ん……」


 驚いて思わず身を引いたものの、王子が目を覚ます様子はない。

 間近で見る無防備な王子の寝顔は、やはり整っていて、改めて見目のいい人なのだということを思い出させた。


 ――少し、変わった人ではあるけれど。


 それでも、王子の誠実な人柄は疑いようがない。文句のつけようのない紳士でもある。そんな人が、この国の王子だなんて。

 本来なら、女性たちが放っておくはずがないのだ。

 彼自身がそれで苦しんできたことは容易に想像がつく。私の適当な言葉で、王子が救われたというなら、畏れ多いが嬉しくも思う。

 けれど何故だか、心が寂しい気がする。

 王子が――男色家でなければよかったのに。

 一瞬そんな風に思って、我に返った。


 ――何を、ばかなことを。


 どうしてそんなことを考えたのか、自分に戸惑う。

 眠っていた王子が再び身動きをしたのは、その時だった。


「兄上……」


 ほとんど囁くような声は、確かに言った。

 ルシオ王子の兄上とは、オーガスタス王子のことだろうか。一体どんな夢を見ているのか、王子の寝顔からは何も読み取れなかったが、少し親近感がわいた気がした。私も――マリーベルの夢を見るから。


 ――王子さまも、こんな風に寝言を言ったりするのね。


 そうしているうちに、不思議と王子に対する興味がわいてくる自分に気がついた。

 彼はここで一体何を研究しているのだろう――私はこの時初めて、そう思ったのだった。

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