30 王子様と私
その夜、私は「話がしたい」と言って、自室に王子を呼び出した。
「すまない――雑務が片付かなくて。待たせてしまったな」
「いいえ……こちらこそ、お忙しいところ、お呼び立てして申し訳ございません」
「……それは構わない」
数日ぶりに顔を合わせた王子は、平静を装いつつも、どこかよそよそしく感じた。
やっぱり、避けられていたのかと思う。王太子となってから、彼の忙しさが増したのは確かだろうが、初夜以来全く姿を見せられぬほどとは考えにくい。その証拠に、こちらが望めばすんなりと応じてくれた。
「あ――えぇと……今何かお飲みものをお持ち致します。すみません、私気が利かなくて――」
「いや」
返事を聞く前に外に控えている侍女に声をかけに行こうとした私を、王子の声が制する。
「酒はいい」
「では、茶でも」
「いい、それより話とは? 何かあったか?」
そこまで言われては、無理に取りに行くこともできず、私は王子と共にテーブルについた。
「そういうわけでは、ないのですが……」
「そうだったか。急に話がしたいなどと言うので、心配したのだが」
そう言う王子は、あからさまにほっとした様子だった。
「……申し訳ございません」
「謝る必要はない。忙しくて、何日も執務室にこもりきりですまなかった」
「いえ……私は」
王子の貼り付けたような笑みに、嘘だと直感する。前はこんな顔をする人ではなかったのに。
言わなければ――と思う。けれどあと一押しの勇気が出なくて、結局王子が口を開くのを待ってしまった。
「そう言えばちょうど私の方も、モニカに伝えておかねばならないことがあったのだ」
「結婚パーティーのことでしたら、お義母さまから聞きました」
「ああ、聞いていたのか。ならば話が早いが、――どうする?」
「どうする――とは?」
てっきり、パーティーの詳細について話すのだと思っていた私は、予想外の質問に首をかしげる。
だから、次の王子の言葉にはもっと驚いた。
「嫌なら、やめてもよい。陛下や母には、私から話そう」
「やめる――? な、何故です?」
「何故って……公の場ともなれば、本当の夫婦のように振る舞わねばならない。それは、君にとっては苦痛だろう」
「そんなこと――私は、承知で殿下の妃になったのです」
「だが、あの時とは状況が変わった。君が友人だと思って結婚した男は――実はそう思ってはいなかった、だろう? お披露目はいずれ必要だろうが、もうしばらく時をおいてもいいと思っている。申し訳ないが、その間に心の整理をつけてくれると嬉しい。どう思われても、私には君という妃が必要なんだ」
何も求めない、ただ妃でさえあれば――王子の言うことは、つまりはそういうことだ。
だけど、そんなものが妃と呼べるだろうか。王子は誰よりも分かっている……それでも、そうさせてしまっているのは私だ。
「殿下……私は」
「そろそろ私は失礼しよう。建前は夫婦とはいえ、夜更けに女性の部屋に長居するのは気が引けるから」
私の言葉を遮るように言った王子は、苦笑しながら立ち上がる。そうして、私が止める間もなく立ち去ろうとした。
「お、お待ち下さい!」
扉へと向かう王子を慌てて追いかけ、すんでのところでひき止める。無意識に掴んだ手は、プロポーズの日以来の彼の体温だった。
「どうした、モニカ?」
王子は少し驚きながらも、私の手をはらうようなことはしなかった。そして、優しく微笑んでくれる――これも、最後かと思うと泣きそうになる。声が、震える。
「大事なお話が――私には、殿下にお詫びしなけらばけないことがあるのです」
「……詫び?」
「初めてお会いした夜から、ずっと嘘をついていました……私は、同性愛者ではありません」
王子の顔から笑みが消える――まるで、永遠のように感じる沈黙だった。
どうなっても受け入れるとは覚悟しても、それはやはり恐ろしいことだ。私はいつこの手が振り払われるのたろうと怯えながら、王子の言葉を待った。
「……何故、そんな嘘を?」
「でっ……殿下がお悩みのようでしたので、少しでも励ましになればと思いました。今思えば、あまりに愚かな考えでした――このようなことになるとは、思わなくて」
王子の静かな声には、怒りの色は込められていなかった。だけど、表情は固いまま――やっぱりもう、笑ってはもらえないのだ。
そう思えば、堪えていたものがぽろぽろと溢れる。自分に泣く資格はないとは、分かっているのに。
「……泣くな。私は君の涙にはめっぽう弱いのだ」
その時、不意に頭上から柔らかな声が降る。
見上げると同時に、王子の大きな手が私の頭を撫でる。
「なるほどな……確かに違和感はあったが。そういうことだったのか……ははは。まるで笑い話だな」
「も……申し訳ございません」
何故か王子が笑っている――しかも、今までに見た中で一番嬉しそうに。
これは一体、どういうことか。私は、信じられない気持ちで王子を見た。
「もう謝るな。別に怒ってなどいない――そりゃあ、驚いたが」
「よろしいのですか……? 私はずっと、貴方を騙して……」
「私を思ってのことだったのだろう? ならばよい。それより私は、君の素直な気持ちを聞きたいのだが」
――私の、気持ち。
気づけば、無意識に王子の手を強く握りしめていた。慌ててそれを離したけれど、間近で王子の顔を見れば、顔に熱が上るのを止められはしなかった。
「わ、私は……」
――まだ、夢を見ているよう。だって、こんなに簡単に許されてもいいのかしら。
そんな戸惑いはもちろんあった。だけどそれ以上に、どうしようもなく、彼のことが――すき。毎日毎日、恋しくてたまらない。
それはほとんど、懇願するようだったかもしれない。きっとひどい顔だ。だけど、もう、どうでもよかった。
「私は、もっと殿下の側にいたいです。毎日だって、お会いしたい。普通の夫婦になりたいのです――……お慕いしております、ずっと」
次の瞬間――離したはずの王子の手に、ぐいと身体を引き寄せられる。瞬きの間に、私の身体は王子の腕に包まれた。
「あ、あの――殿下?」
「モニカ――私の気持ちは知っているな。そこまで言うからには、容赦はしないが……いいか?」
囁くような王子の吐息が、耳の後ろを震わせる。熱に浮かされたような私は、その感覚にはっと我に返った。
「えっ……えぇっと、それ……は――――っ!」
どういう意味かとたずねる前に、彼の唇に飲み込まれる。
そうして初めての感覚に酔いしれながら、私は王子の問いの意味と、この先に起こることを悟った。
夫婦の夜にすることは決まっている――もちろんそれを、拒む理由などなかった。




