28 初夜の告白
うららかな春の日、王宮内の礼拝堂にて、私たちの結婚式はひっそりと行われた。
「これは単なる儀式だから、それほど身構えることはない」
式の直前、私の緊張をほぐそうとしてくれた王子の言葉の通り、粗相をする暇もないほど、それはあっけなく終わった。
王太子の結婚にしては地味すぎるとも言える式は、どうやらルシオ王子たっての希望だったらしい。
別に――うら若き乙女のように、豪華絢爛な結婚式を夢見ていたわけでもないし、それは全く構わない。無事に終わってほっとしているくらいだったが、私の心はあの日からずっと晴れないままだ。
――王子のことが、分からない。
プロポーズ日から、王子が私に気を遣ってくれているのが痛いほど伝わる。
結婚式を非公開にしたのも、オーガスタス王子とリリーさまの時のような盛大なパーティーを開かなかったのも、きっと急に王太子妃として衆目に晒されることになる私への王子なりの配慮なのだろう。
私などよりよほど大変なのは王子の方なのに、会えばいつもこちらを気遣う言葉ばかり。必ず守ると言った言葉の通り、私を守ろうとしてくれている……そう思えば、嬉しい気持ちがないわけではない。
けれど――一国の王太子妃が守られてばかりでいいはずがないと思う。それは、男色家の王子があえて妃を娶る気になった理由を考えれば明らかだ。
オーガスタス王子の王位継承権放棄。これによって、ルシオ王子の立場は大きく変わった。
現国王唯一の直系男子。彼の義務は、国を正しい道へと導き、子孫を残して王家を繋いでいくこと。
守ってもらえるのは嬉しい。でも、あの日から私に指一本触れない王子が、妃に何を求めているのか分からなくなる……
結婚式の後、王宮では小さな宴が催された。
私の家族はもちろん、国王や王妃、フランシスカ王女など王家につらなる方々からの祝福を受け、私は恐縮しながらも必死に笑顔を作った。
こんな不安な気持ちを悟られてはいけない――そればかりに気をとられ、終わってみれば料理の味など少しも覚えてはいなかった。
「間もなく、王太子殿下がいらっしゃいます」
宴もとうにお開きとなった夜更け、寝室の外に控えていた侍女の声で我に返った。
王太子妃として新たに王宮に賜った部屋に、私は一人初夜の身仕度を整えて王子が来るのを待っている。
これも儀式のうちの一つだった。神父が夫婦の床入りを見届けて、ようやく結婚式という儀式が終わる。そう――学んだ。
侍女の言葉通り、間もなく王子はやって来た。初めて見る、寝衣に着替えた王子の表情はやはりどこか固い。
――どうしよう。緊張で胸が、張り裂けてしまいそう。
「確かに、見届けました」
遠くで、神父の声を聞いた気がした。
寝室の扉の閉まる音で、私は王子と二人きりになったのだと気づいた。
「……大丈夫か? 今朝からずっと、顔色が悪い」
寝台に座る私を前に、王子は近くの椅子へと腰を下ろした。
「へ、平気です!」
体調が悪いとかではない。これはきっと、心の問題だ。
これ以上王子に気を遣わせるわけにはいかないと、私は姿勢を正して向き直る。しかし――王子は、そんな私を見て苦笑した。
「心配しなくていい。何もしない」
「何も……?」
「形式的なものだからな。頃合いを見て私は部屋に戻ろう」
「で、でも……」
部屋に戻るなんて――王子は本当に何もしないつもりなの。
「私たちは……夫婦になりました。しかも、ただの夫婦ではありません。殿下はこの国の王位を継がれるお方。子を産むことは、私の義務だと……」
「そんな風に思い詰めることはない。確かにそれも大切なことだが、固執することでもない。将来的な話になるが、私は親戚筋から養子を迎え入れてもいいと思っている」
「養子……ですか」
「確かに――養子が王位を継いだ例は、我が国にはない。だが、いいじゃないか。時代とは変わっていくものだ」
もしも本当にそんなことになるなら、建国以来直系の血筋のみに王位を受け継いできた王国の歴史が変わる。
保守的な貴族たちの反発が目に見えるようだ。実現は容易ではないだろう。そんなことをあっけらかんとして話す王子が遠くに感じる。
――殿下は、私との子を望んでなどいないのだ。
考えてみれば彼は同性愛者で、義務とはいえ、女との交わりを忌避しようとするのは当然だった。あるいは、私に気を遣っているのか。または、その両方か。
いや――どれでも同じだ。私が彼に、望まれていないことは。
「それでは――何のために私を妃にしたのですか。子を産まぬ女に妃としての価値などありません……」
自分で言いながら、泣き出しそうだった。
側にいられたら、他には何も望まないと思っていたのに。女として否定されてしまったようで悲しい。
馬鹿な考えだと分かっている。最初から分かっていたことじゃないか。
こんなことを言っては王子を困らせる――嫌われるかもしれない。それでも、止められなかった。
「私は、どうしたら良いのですか? 私には、他にできることなど……」
「モニカ、そんな風に考えてくれるな」
意外にも――王子の声は、酷く焦っているように聞こえた。
「私にとっては君が側で仕えてくれることに価値がある。誰よりも慕ってくれると言った、その心が嬉しかった。妃に望んだのは、私がそうしたかったからだ」
「……わ、分かりません……殿下は一体何をお望みなのですか」
「それは……」
一瞬の沈黙。王子は言いよどんでに目を伏せる。けれどやがて、意を決したように私を向いた。
「誰にも渡したくなかったのだ。この先君が、他の男……いや、他の誰かのものになることがないように――自分だけの側にいるようにしてしまいたかった。軽蔑するだろう? 私は実は、そういう利己的な人間だ」
王子の言葉で、ますます困惑は深まる。私が知る友人とは、誰かのものになるとかならないとか、そういう関係ではないはずで。
どうして王子はそんなことを言うのか。理解できない、分からない、有り得ない。
「な、何故です……私たちは友人ではないのですか。私にはそのように思って頂く価値など……ありません」
わきまえなければ、と思う。勘違いしてはいけない。私は――
「友人か。君にとってはそうだろう。だが、私にとっては今更そうは思えない」
その言葉の意味を理解する前に、王子の真っ直ぐな視線にとらわれる。
そうして、次に彼から放たれた言葉は、私の全てを根底から覆すには十分過ぎる破壊力を持っていた。
「分からないかな。愛している、と言っている」
――愛している? 愛している……って、なんだっけ。
真っ先に浮かんだ疑問。もちろん、言葉の意味は知っている。
だけど、それはあまりにも私たちには似つかわしくない言葉。
本来は家族や恋人に向けるべきもので、少なくとも友人に対するものではないはず。
王子にとって私は、友人ではない――
つまり、これは……
「……っ!」
自覚した途端、顔に熱が上るのが分かった。
どういうことかはさっぱりだが、どうやら王子は私のことを好いてくれているらしい。それも、多分……女として。
だけど、おかしい。王子は同性愛者ではなかったのか。やっぱり、何かの間違いではないかと思う。
「あ、あの……ご冗談では、ないのですよね?」
「このような冗談は言わない」
「そう、ですよね……」
遠慮がちな私の問いに、王子はぴしゃりと言い切った。
冗談ではない。夢でもない……ようだ。でも。だって、王子は。
「何だ……腑に落ちないことがあるなら、言ってみるといい。ここまで話して、今更隠すこともないだろう」
変わらず真剣な王子は、私の困惑を察して言った。
もしかしたら、私の解釈の仕方が違っている可能性もある。これはもう、直に確かめてみるほかないと思った。
「えぇと……その……殿下は、男色家だと聞いておりましたので」
一瞬時が止まったように固まった王子は、どこかぎこちなく首をかしげる。
「…………、誰がそんなことを?」
「初めてお会いした日、殿下ご自身から」
「私は、自らを男色家だと称したことは一度もないが」
「……………………えっ?」
身体中の熱が、みるみるうちに冷めていく。
さ迷わせた視線が、王子のそれと交錯する。彼もまた、顔色を失ってこちらを見つめていた。
「ちょっと、ちょっと待ってくれ……では、君は私のことをずっと男色家と思い込んでいたと」
「ち、違うのですか……?」
「……ずっと女性は苦手にしていたが。そういう性的指向は持っていない」
「じゃあ……殿下は、本当に、私のことを……その、好いて下さっていると」
私が再度確認するように言うと、王子は照れ臭そうに視線を外した。
「先程からずっと、そう言っている」
夢にまで見た、夢のような話。
言葉をなくした私は、信じられない気持ちでただ彼を見つめた。




