27 妄想と現実
この私が、ルシオ王子の妃になる――
なんとかして王子の側にいたい私にとって、これは願ってもない話。当然、断る理由などあるはずもなかった。
――だけど、まさか。本当に、私が?
いつまでも自分の置かれた状況に実感がわかないまま、私とルシオ王子の結婚話は驚くほどトントン拍子に進んでいく。
父母や兄、姉は、驚きつつも私が望んでいるならと皆一様に祝福してくれた。一方で、王家側としてもこの話は渡りに船だったらしい。ちらと聞いたところによると、国王陛下も王妃さまもルシオ王子が女と結婚する気になったというだけで喜んでいるとか。たとえ相手が――没落しかけの公爵令嬢でも。
あまりに好意的な周囲の様子に、騙されているのではないかとすら思う時すらあった。
だって、これではいつかの妄想の通りになってしまうではないか。私のような穀潰しのクズが信じられない好運に恵まれ、王子の妃に――そしてゆくゆくは、王妃になっての贅沢ざんま……
「――モニカ? 大丈夫か?」
「……え?」
「いや、なんだか上の空のような気がしたから」
月のきれいなある夜、珍しく王子が私を散歩に誘った。
会うのはしばらくぶりのことだった。彼との結婚を承諾した後も、特に二人の関係が変わるわけでもなく、私は薬室での仕事を、彼は王太子としての公務を忙しくこなしていたからだ。
「……申し訳ございません。でも、私は大丈夫。それより、殿下のことが心配です。近頃、ご公務が更にお忙しいとか」
私は慌てて雑念を打ち消して、事も無げに微笑んでみせる。
「なんてことはない。国を支えるためには、この程度で音を上げることはできない」
「そうですか……でも、くれぐれもご無理はなさらないように。大事なお身体ですから」
「肝に命じておこう」
――なんだろう。何かがおかしい、と思った。
妃になれば、王子の側でお仕えできる。それは私が望んでいたことで、何にもかえがたい喜びのはずだ。
それなのに、どうして。あれから上手く、笑えている気がしない――……
「――モニカ」
不意に、いつになく真剣な表情のルシオ王子が私の方へと向き直る。
「式の日取りが決まった。まもなく我々の結婚も公になる――そうなれば、後戻りはならぬ」
「――はい」
「本当に良いか」
「もちろんでございます」
そう静かに頷けば、王子はそっと私の手を取った。
次の瞬間、指には冷たい金属の感触。それはまばゆい輝きを放つ指輪だった。
見たこともないくらい美しい宝石に言葉を失っていると、王子が私の手を持ったまま自分の顔を近づけていく。
「あ、あの……! 私」
制止した、つもりだった。けれど、王子は一瞬動きを止めただけで、彼はそのまま私の手の甲に口づける。
初めて感じる王子の唇は、たとえ手であろうとも、私を赤面させるには十分だった。
――なんで、こんなこと。
王子の心情が理解できない。私たちはお互いが同性愛者同士の偽装結婚のようなもの。少なくとも王子にとっては――だから、こんな普通の男女がするようなことは、必要がないのに。
「やはり、嫌だったか? すまないな、でもこうして誓っておきたかった」
そう言った王子は、赤面して硬直する私を見て苦笑した。それがどこか寂しげに見えて、ますます分からなくなる。
「嫌だなんて……そんな」
「気を遣う必要はない。君が私を男として、夫として好いてくれているわけではないと分かっているから」
「殿下、……」
「それでも、友人としての君の気持ちが嬉しかった。君の一生をもらうかわりに、絶対に不自由はさせない。私は死ぬまで君とこの国のために生きよう」
まるで本物の、情熱的なプロポーズのよう。
だから、勘違いしそうになる。
いつか王子が、私のことを好きになってくれるんじゃないかって。
「モニカ……?」
瞬きの瞬間、じわりと滲んだ涙が頬を伝ってこぼれ落ちる。それは次々と溢れて、止まらない。
「す、すまない……それほど嫌だとは思わなくて。誓いなど、私のわがままだった。配慮が足りなかった。嫌なら、二度と触れることはしない――だから」
王子は酷く狼狽したように言った。
彼を困らせたくない。けれど、涙は止まってはくれなくて、私は必死に首を振った。
「そうじゃ……ありません」
「ならば、どうして泣かせてしまったのか……申し訳ないが、私には他に理由が浮かばない……」
――あなたが、すきだから。
口から出かかったその言葉を、すんでのところでのみ込んだ。
言えない。言えるわけない。
私は軽い勢いで自分が同性愛者だとか虚言を吐いてしまうようなクズで、にもかかわらず王子は私を信じてくれる。女としては見てもらえなくても、大切にしてくれる優しい人。
そんな人をずっと裏切っている。本当のことを知ったら、幻滅される。嫌われてしまう。それだけは。
「殿下のせいなんかじゃありません。ただ……初めて自分が公爵令嬢でよかったなあって、思ったんです。だって、もしも私がただの町娘だったら、きっと殿下の妃にはなれなかったでしょう?」
涙を拭って笑顔を作る。上手く笑えている自信はないけれど。
「不出来な妃かも知れませんが、立派な王妃になれるように、殿下をお支えできるように、精一杯頑張ります。だからどうか、これからもよろしくお願いいたします」
私は言って、いつの間にか王子のぬくもりが消えた手をぎゅっと握りしめる。そこには、消えない指輪の感触があった。
数日後、第二王子ルシオ結婚の報が王国中を駆けめぐる。そして、続くように発表された王女フランシスカの隣国セーヌ王との婚約――二つの慶事は、まるでそれまでの国民の不安を覆い隠すように広がっていった。
王妃になって贅沢三昧……クズな私の妄想が現実になろうとは、死んだ妹のマリーベルだって予想しなかったに違いない。
しかし現実は、実は妄想とは少し違っている。
私と王子が偽物の夫婦だってことは、家族にだって言えなかった。
これは多分王子に嘘をついた罰。だから、どんなに苦しくても仕方がない。
きっと立派な王妃になる。誰よりも何よりも、彼の優しさに報いるために。




