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もしも、王子様が  作者: ごまプ
第4章
26/31

26 熱情の病

「モニカさまにはご不快かもしれませんが……これを受け取っては頂けませんか」


 始終恐縮しきりだったリリーさまは、去り際――そう言って、一通の手紙を差し出した。

 これは、とたずねた私にリリーさまが答える。


「オーガスタスさまよりお預かりしました」

「……オーガスタス殿下が?」

「本来なら直接おわびにあがるべきところであるのは承知しておりますが、……どうか、ご容赦下さい」

「いえ……そんな」


 リリーさまは、どこか言葉を濁すようだった。

 なんとなくそれに感じるものがあって、私はあえて追及することなく、手紙を受け取り、リリーさまを見送った。


 リリーさまの姿が見えなくなってから、受け取った手紙を開いてみる。

 そこに綴られていたのは、オーガスタス王子の悔恨と私に対する謝罪。そして、これからのこと――

 



 手紙を読み終わった後、私は再び仕事に戻った。

 けれど、いつまでもいつまでも、手紙の内容が頭から離れない。

 来週、オーガスタス王子はリリーさまと共に療養のために王宮を離れ住まいを移すという。療養先は首都を遠く離れた閑地。そこで静かに死を待つ――と、手紙にはあった。どうやら病気は相当に悪いらしく、今日来られなかったのもおそらく体調の問題なのだろう。

 オーガスタス王子は、死を当然のものとして受け入れているようだった。実際彼は不治の病に冒されていて、それは揺るがぬ未来なのかもしれなかった。

 でも――だけど、彼のように、まだ若く志半ばで生を終えることが、当然だなんて。


 味わった恐怖を簡単に許すなどとは言えない。それでも、境遇に同情はする。もしも本当に彼が心から自分の行いを悔いているのなら、私にしたことは許してもいい。


 ――だけど。ルシオ王子は?


 ルシオ王子への仕打ちは、きっと許せない。あの人を、傷つけて、苦しめて、それを笑っていたなんて。私は今でもそれがやりきれないし、悔しい。

 手紙には私への謝罪ばかりで、ルシオ王子にはほとんど触れてはいなかった。私の知らないところで、二人がよい方向に向かっていればよいのだけれど。


 あれから彼はどう過ごしているのだろう。今や次期王位継承者となった、彼は。


「……会いたい」


 不意にこぼれた言葉は、幸いにも誰かに聞かれることはなかった。

 だって、この想いは不毛だ。どんなに願っても、叶うことのない想いだ。

 私は薬室の雑用係で、彼は本物の王子さま。何より、彼は女を愛さない。

 私たちの未来が交わることは、永遠にないから。だったら会わない方がいい。この想いを断ち切る努力をした方が、余程建設的に思える。


 好きだと気づいてしまった時点で、もうだめだった。友人として側に、なんて……いられるわけがなかった。

 だけど、仕方がないじゃない。あんなに素敵な人の側にいて、好きにならない方が難しい。




「モニカさん、まだ残ってる?」


 扉から顔をのぞかせた薬室長の声に我に返った時、外からは既に夕日が差し込んでいた。

 気づけば勤務も終わりの時間だ。同僚の薬師たちは、既にいなくなっていて、薬室長と私が最後のようだった。


「すみません、あと少しだけ」

「そう……あまり遅くならないようにね」

「はい。お疲れさまでした」


 私は言って、処理途中の書類を一人片付け始める。


 ――もういい。これは、明日にしよう。


 結局、あれから仕事は全く捗らなかった。

 寝ても覚めても、王子のことを考えてしまう――そんな気分。どうかしている、本当に。


 ルシオ王子は、今や次期国王。

 彼が同性愛者だとしても、きっと間違いなく妻を娶る。そうして子を残すことが王の役目だから。

 そんな想像はしたくない。胸が苦しくて、気が狂いそうになる……


 だから私を呼ぶ声が聞こえたとき、とうとうおかしくなってしまったのだと思った。




「――モニカ?」


 きっと幻聴だ。忙しい彼が、薬室に立ち寄るなんてことがあるはずがない――そう思いながら顔を上げる。

 そんな私の目に飛び込んできたのは――


「どうしたんだ? こんなに遅くまで……」

「――っ」


 よく知っている王子の姿。今度は幻覚かと思って、目を瞬かせる。

 けれど、幻は消えなかった。ならば、これは――


「これ……夢、ですよね……?」


 そう言った次の瞬間、ルシオ王子は思いっきり怪訝そうな顔で私を見た。

 そしてそれは、徐々に困惑へと変わる。


「夢の方がいいなら、何も見なかったことにするが……?」


 王子のどこか哀れんでいるようにも見える表情に、ようやくこれが現実なのだと気づいた。


「――えっ……いや! そうじゃなくて! えっと……」


 夢じゃない、これ。本物の王子。

 まさか会えるなんて思っていなかったから、何て言えばいいのか分からなくなる。


 ――どうしよう、私。


「大丈夫か? 何かあったのか?」

「なっ、何でもないんです! 今のは、忘れて下さ――……っ!?」


 今度は、思わず息が止まりそうになる。


「熱は……ないようだな」


 唐突に私の額を覆った王子の手のひらが、ゆっくりと離れていく。

 私は声も出せずに、固まったまま王子を見つめていた。


 おかしい。こんなのはおかしい。

 抱き締められたことだってあるのに、額に触れられたくらいで、顔の表面温度が上がっていくのが分かる。

 だめだ――赤面したら、王子に気づかれてしまう。


「大丈夫ですので……本当に」

「そうか……しばらく寝込んでいたと聞いていたから、心配していたのだが」

「お気遣いありがとうございます。お陰さまですっかりよくなりました」


 王子に気づかれぬよう微妙に顔を伏せながら、熱が引くのを待って顔を上げる。

 にっこりと笑みを作れば、王子は気にしたそぶりも見せなくて、ほっと胸をなでおろした。


 ――大丈夫、まだ笑える。


「それより……こんな時間にどうなさったのですか。薬室の皆さんはもうお帰りになってしまいましたけれど」

「ああ、いや。研究室の私物を取りに来たんだ」

「……そうでしたか」


 ルシオ王子の研究室は、彼が訪れなくなった後も以前のままの状態を保っていた。

 あの部屋がある限り、そのうち王子がひょっこり顔を出してくれるのではないかという期待が、密かになかったこともない。それも、なくなってしまうのか。


「ここも寂しくなってしまいますね……」

「結局、兄上の病の薬は完成させられなかったが……。君は惜しんでくれるのだな」

「……当然ではありませんか」

「そうでもない。母などは研究に没頭することをよく思っていなかったから、喜んでいるだろうな」


 確かに、一国の王子が打ち込むようなことではなかったのかもしれない。

 けれど、本気でオーガスタス王子の病気を治したかった、その思いに身分なんて関係ないと思う。

 器用に立ち回ることができなくても、私は一生懸命な王子が好きだった。


 ――そんな王子を、もう側で見ていることができなくなる。分かっている……分かっているけど。


「……モニカ? どうした?」


 急に黙りこんでしまった私に、王子が首をかしげる。

 その優しくて真っ直ぐな瞳に吸い込まれそうになる。もう逃げられないと気づいた。


「……ルシオ殿下、ずっと尊敬申し上げております」


 離れたくない。他の女には渡したくない。

 何もかも私にふさわしくないのは分かっている――だけど、この気持ちはきっと止められそうにない。

 だって――こんなにも欲しいと思ったもの、初めてなんだ。

 どんな手段だって選べる。彼が私の側で笑ってくれるなら。


「どんな形でもかまいません。私を側に置いては下さいませんか。永久とわの忠誠をお誓いします――生涯をかけて殿下にお仕えしたいのです」

「……急にどうしたんだ? 本当は何かあったのか?」


 ほんの一瞬、王子の顔がこわばる。けれど、その微笑みを崩しはしなかった。


「何かって……そんなの決まっています。殿下が、薬室からいなくなる。こうして会うことも、もうなくなってしまうではありませんか」

「はは、大げさだな。薬室にはあまり来れなくなるだろうが、その気になればいつでも会える――私たちは、友人だろう?」


 友人――その言葉は、痛く心に刺さった。

 結局どこまで行っても、私は王子と友人以上の関係にはなれないのだと、改めて思い知らされる。


「友人です。けれど、誰よりも尊敬申し上げ、お慕いしております。この気持ちだけは、誰にも負けません!」


 そう言い切った私に、遂に王子の笑みが途切れる。

 困惑しきったその表情は、信じられないとでも言いたげだった。


「本当にそれが……君の望みなのか? 私の側にいれば、きっと不幸になる……それでも?」

「不幸になんかなりません。私は殿下と出会えて、ずっと幸せでしたから」

「一生を捧げても構わないというのか……私などのために」


 絶句したような王子に、私は静かに頷く。

 王子と出会わなければ、今の自分はなかった。全部彼から始まった。だから、後悔はない。




「兄上のことがあってから――ずっと考えていたことがある 」


 王子が再び口を開いたとき、その声は少し震えていた。


「私はいずれこの国の王になる。これは必ず誰かにしてもらわなければならない仕事だ。しかし一度承知すれば、心変わりは許されぬ」

「……構いません。何なりとおっしゃって下さい」


 王子が酷く緊張しているようなのが、不思議だった。それほどに重要な役目なのだろうか。

 信頼してもらえると思えば嬉しいし、どんな役目でもやりとげる覚悟はある。しかし――王子に告げられたのは予想外の「仕事」だった。


「きっと至らぬ国王だろう。そんな私でも構わないなら支えて欲しい。妻として――王妃として」

「……え?」

「幸せにはできない。その代わり、必ず大切にする。君を守ると約束する」




 気づけば――熱っぽい瞳がこちらを見つめていた。


 「幸せにできない」なんて、端から見ればあり得ない求婚。

 それでも、良かった。

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