2 舞踏会にて
元々公爵家の穀潰しのようなものだった私だが、王子に婚約を破棄されてからはその穀潰しにいっそう磨きがかかってしまった。穀潰しに磨き……って意味が分からないと思うかもしれないが、要するにただの穀潰しから超・穀潰しにレベルアップした的な感じだろうか。
この穀潰し生活は、私が死ぬまで、または公爵家が没落するまでは続くと思われた。クズな私は楽な現状に満足して、ただ時の流れに身を任せる気満々だったのだけれど、流石にそんなに甘くなかった。
「結婚しないでずっと家にいるのはいい。だがせめて働け」
怠惰な穀潰し生活をする私を兄がなじったのはつい先日のこと。
温厚でいつも優しかった兄が、呆れた顔で私を見ていた。申し訳なくて胸がつぶれる思いになって(というのは盛りすぎだが)、私は思わず目を伏せた。
仕方ない。ただ穀潰しであることを許されないのも私の運命ならば……
「分かりました、お兄さま。私、夜会に行きますわ」
貴族にとって、夜会――舞踏会は、独身の男女の結婚相手探しを兼ねている。
結婚の方が働くよりは楽かなと思った。もちろんこれはただのポーズであり、本気で結婚相手が見つかるとも、探そうとも思っていない。とりあえず、何かはしているというところを見せなければ、兄は納得しないだろうから。
私の決断に、兄は「そうか」と小さく言って去っていった。
これでしばらく穀潰し生活を継続できると考えた私は、我ながら流石のクズっぷりだと思う。
しかし、穀潰し生活のためにもやることはやらなければ。王子との婚約破棄から約二月が過ぎたある夜、私は兄への宣言通り、王宮で開かれた舞踏会に出席した。
社交界など、デビュタントの時以来と言っていいくらいに久しい。しかも久しぶりの夜会が王宮とは。王宮で開催される夜会には、特に身分の高い王侯貴族が出席することが多い。兄も憎いことをしてくれる――私がこういう場を苦手にしていることを知っているだろうに。
「あら、ブライトマン家のモニカさまじゃありませんの。随分とお久しぶりでございますわね」
挨拶回りも適当に、壁の花を決めこもうとしていた私に、どこか高飛車な声がかけられる。
「あ……ええと、ご無沙汰しております、クレイトン伯爵夫人。私などを覚えて頂けているなんて、光栄ですわ」
私は吃りながらもなんとか笑顔を返すことができ、ホッとした。デビュタントの時に会った以来の女性を思い出すことができるなんて、奇跡に近いと思った。
クレイトン伯爵夫人は、以前に会った時と同じく、傍らに少女を連れている。私とは違い、まだ初々しい年若い少女だ。
「当然ですわ、あのブライトマン家のご令嬢ですもの。リディアさまや、マリーベルさまとも懇意にさせて頂いてましたのよ」
「……そうですか」
「本当に、マリーベルさまのことは残念でございましたわね……聡明で美しくて、王子殿下の妃に相応しい方でしたのに」
ええ、と私は掠れた声で頷いた。
みんなマリーベルを惜しんでいる。そんなことはずっと分かっている。別に今更傷ついたりはしない。気にしたりもしない。どうせ私はクズですから。
「――ところで、こちらのご令嬢は……?」
私は延々とマリーベルの思い出話を続けそうなクレイトン伯爵夫人の関心を逸らすべく、夫人の隣で不安げに彼女を見つめる少女に話題を誘導する。
「ああ! そうでしたわ、私ったら。ご挨拶が遅れて申し訳ございません。この子は三番目の娘ですの。昨年社交界デビューしたばかりで、まだまだ頼りなくて……本日はこの子の付き添いで参りましたの」
夫人が言えば、少女は少しぎこちなく私に微笑んだ。
「ミリアリアと申します。モニカさま、お会いできて光栄です」
「モニカ・ブライトマンです。こちらこそ、仲良くしてくださいね」
「……はい」
ミリアリアは小さく言うと、照れたように頬を染めて俯いた。
人見知りなんだろうか。ミリアリアはまだほんの少女と言ってもいいような年齢に見える。薹が立ちかけたような私からすればずっと幼く、子供に過ぎない。
「そういえば、モニカさまはルシオ王子との婚約が破談になってしまわれたとか」
せっかく――話題を関係のないところに逸らしたところだったのに。伯爵夫人はそれさっそくこちらに引き戻してしまって、私は思わず顔をひきつらせた。
「私たちも皆、残念なことと思っていましたのよ。けれど、お聞きになりました? 殿下の噂」
「……いえ、私は何も」
「あまり大きな声では言えませんけれどね、正直なところ破談になってよかったと思いますのよ」
伯爵夫人は周囲の目を少し気にしながら、声を落として私の耳に囁いた。
「どういう――こと、でしょう?」
「それが……なにやら、変わった性癖をお持ちだとか」
「せい……へき?」
耳慣れぬ言葉に首をかしげた時、不意に広間がざわめき立った。
扉の方へと視線向ければ、どうやら相当に高貴な人間が入ってきたのだと分かった。辺りの者が「彼」に恭しく道をあけたが、なんだか雰囲気が妙だ。
将来有望な男と見れば、我先にと群がっていく夜会の令嬢達が、ぴくりともその場を動かない。それでも注目を集めていることには間違いがないのだが、令嬢達は遠巻きに眺めてひそひそと話をするばかりであった。
「あら……お噂をすれば、ご本人がいらしてしまわれたわね」
「……え?」
仮にも婚約していた身でありながら、私は王子と一度も会ったことがない。そのため王子の容貌すら知らないが、確か御年二十五になる美丈夫だと聞いた。
年の頃も合う、何より伯爵夫人が「本人」と言った。では、彼がルシオ王子なのだ――
「とにかく私は、モニカさまがお気を落とすことなどありません、ということを言いたくて。一つご忠告申し上げれば、あの「殿下」とは関り合いにならない方がよろしくてよ」
一応、元婚約者とはいえ、相手は王族だ。自らここで突撃でもしない限りそうそう接点を持つことなどないし、私はそうするつもりもない。
でも、一体何故? 小さな疑問が私の胸にくすぶった。
「では――そろそろお暇させて頂きますわ。ごきげんよう、モニカさま。いずれ、また」
「あ、はい……こちらこそ……」
いまいち腑に落ちぬままクレイトン母子と別れた私は、ミリアリアの小さな背中を見送りながらとりあえずは安堵し、再び壁の花へと戻ることにする。
大丈夫――私にだってこれくらいはできるし。この調子で夜会が終わるまでの数時間、やり過ごせばいい。
そう、思っていた。
それから、私の壁の花作戦は悲しいくらいに上手くいった。
世間では、女の旬は十代の半ばと言われている。対して、私はもう二十歳。王子との婚約話があったのが信じられないくらいの奇跡で、本来なら何か抜きん出るものがなければ相手にもされない。
当然、そんなもの私にはない。強いて言えば、名門中の名門である公爵家の出ということくらいだろうか。けれど、それすらも大した売りにはならない。高すぎる家格は、却って敬遠されやすい。より高貴な家柄ならば話は別だけれども、そんな相手は相当に限られてしまう。
「うっ……」
食べ過ぎた、そして飲みすぎた、と気づいたのは舞踏会も終わりに近づいた頃だった。
誰からも誘われないのを良いことに、給仕の者に勧められるがまま、無心で飲み食いし続けてしまった。
気分が悪いのは、行きすぎた満腹感なのか、悪酔いによるものなのか、もはや分からなくなってしまっている。
これではとても踊れない――一瞬そう思ったが、どうせ誰からも誘われないのだから関係ないやと思い直し、水を取りに行こうとした。
その、途中のことだった。私は自らの同類を見つけてしまった。しかも、男だし。
「大丈夫……ですか?」
声をかけるなんて、らしくないことをしてしまったのは……多分、壁にすがるような男があまりにも哀れに見えたから。あるいは、舞踏会に来て、踊りもせずに酔いつぶれる男が他人のようには思えなかったのかもしれない。
だけど――男がこちらに顔を向けた瞬間、声をかけてしまったことを全力で後悔した。
畏れ多くも、私が声をかけたのは――あの、ルシオ王子だったのだ。
「す、すみませ……」
何故か咄嗟に謝罪の言葉が口をついて出た。すみませんって何だと、自分で内心で突っ込みを入れる。
ああ、そうだ。だって相手は王子だ。しがない公爵令嬢ごときが話しかけちゃってすみません、みたいな? いや、そうじゃない。そうじゃなくて――
「……吐く」
「え?」
不測の事態に取り乱しかけていた私は最初、聞き取ることができなかった。
「……く」
次の言葉はもっと不明瞭だったが、王子が苦悶の表情で自らの口を押さえたものだから、私は慌てた。
「ちょっ……お待ちくださっ……王子! うわああぁあ、すみません! どなたか! お手洗いはぁ、お手洗いはどちらでしょうかぁっ!?」
気づけば、恥も外聞も捨てて叫んでいた。
これは……淑女であるべき貴族令嬢として、公爵家始まって以来の醜態かもしれない……と、頭の片隅で思いながら。
私が必死になった甲斐あって、ルシオ王子はなんとか最悪の事態を免れた。
一時は広間中の注目を集めたものだったが、王子が駆けつけた従者に付き添われて退室してからは静かなものだ。もしもあのまま――……だったら、今頃王子の醜聞が瞬く間に広まっていたことだろう。
あの後なんだかどっと疲れてしまい、一人バルコニーに出た私は、夜風に当たって静かに酔いをさます。
物思いにふけりながら、ふとクレイトン伯爵夫人の言葉を思い出した。王子と関り合いにならない方がいいと言ったのは、こういうことだったのだろうか、なんて。
実際にはルシオ王子の訳ありの「わけ」は、酒癖が悪いとか、そんな甘いレベルではなかったのだけれども。