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もしも、王子様が  作者: ごまプ
第3章
19/31

19 とらわれの闇の中

 その部屋の空気は、以前に感じたことがあった。暗く、静かで、湿ったような……なぜ途中で気づかなかったのかと悔やんでも全てが遅い。

 どこか不自然さを感じながらも、私はリリーさまを疑ってはいなかった。そんなことはあり得ないと、本能を否定した。その結果がこれなのだから笑えない。


 私が一人閉じ込められた部屋は、おそらくこの間迷い込んだ立ち入り禁止の区画にあった。オーガスタス王子は、このあたりを地下牢へつながる場所と言っていたが、今いる部屋はとりあえず地下ではないし、一般的な牢屋のようでもない。

 一部だけを見たなら、簡素な客室とも言えなくはなかった。天井には小さいながらもシャンデリアがあり、部屋を薄暗く照らしているし、きれいに整えられた一人用のベッドと小さなテーブルもある。しかしながら、貴人を泊めるには少々質素すぎる上、使用人の部屋だとしても――窓に頑丈そうな格子がついているのはおかしい。


 そもそも、リリーさまは何故私を閉じこめられなければいけなかったのか。

 これまでに面識はなかったはず。彼女の最後の表情を思い出せば、そこまで憎まれているというふうでもなかった。

 それでも何か、私のことが邪魔に思う理由があったのだろうか――?


 全く心当たりのない戸惑いの真っ只中、身体には今夜の疲労がどっと押し寄せていた。

 今は何時なのだろう……パーティーがお開きになるほど時間が経っていることだけは分かる。おそらく、もう相当遅い時刻には違いない。

 私はそのうち眠気を堪えられなくなって、部屋の中にあった椅子に腰かけてテーブルにもたれた。

 眠ってしまっている場合ではないのは分かっていたが、何しろ今夜は心身共に疲労が激しい。少しくらいは、かまわないはずだ……




 どのくらい眠ってしまったのだろう。

 次に私が目覚めたのは、重い扉が閉まる音を聞いたからだ。辺りに人の気配を感じて寝ぼけ眼をこすってみれば、私はまだ寝入った時の体勢のままで、何も変わってはいなかった。

 ただテーブル正面に 、人が座っていること以外は。


「お目覚めか? レディ、モニカ・ブライトマン」


 彼はそう言って、意味深に微笑んだ。

 瞬間、冷や水を浴びせられたかのようにはっきりと目が覚める。

 一度しか話したことはなかったが、それが誰かはすぐに分かった。ルシオ王子の面影があるその顔も声も、私は決して忘れはしない。


「王太子……殿下?」

「ああ、覚えていてくれたのか。弟の方に夢中な君のことだから、私のことはてっきり、忘れ去られてしまったのかと」


 オーガスタス王子は、パーティーで私が挨拶に行かなかったことを皮肉っているのだ、とは分かった。

 けれども、未だ状況が飲み込めない。素直に謝るべきなのか、判断に迷う。そもそも、この状況が異常だ。未婚の男女が(王子は婚約中だが)、鍵のかかった部屋に二人きりで。しかも、私がルシオ王子を好きなことは何故か知られている模様。

 それだけではない。リリーさまに閉じ込められたこの部屋に、オーガスタス王子が現れたということは……二人は共犯?


「まだ、混乱しているのか? 君のことは、リリーに頼んでここへ連れてきてもらったのだが、所用で来るのが遅れてしまった。そのお陰で、まさかレディの寝顔が見られるとはね」

「では、殿下が私をここへ? 何故、このような……」

「もっと話したいと、前にそう言っただろう?」


 オーガスタス王子は、全く悪びれる様子がない。


「ご挨拶に伺えなかったことは、大変申し訳ございませんでした。しかし、このようなことをなさっては、あらぬ誤解を招きます」


 折しも婚約披露パーティーがあったばかりだというのに、理解に苦しむ。

 リリーさまも、リリーさまだ。オーガスタス王子と私を、こんなところで二人きりにさせるなんて。


「なんてことはない、ここは安全だよ。ここは王族に許された者以外は立ち入り禁止の区画だ。秘密の話を誰にも聞かれたくなかったのでね」

「秘密の……?」

「そう、まあ、夜も遅いから、単刀直入に言おう。まずは、穏便に」


 刹那、オーガスタス王子の微笑みが、底冷えするような冷笑へと変わった――そう思った。


「君には薬室を辞めて、実家の領地に帰って欲しい。それが嫌なら、適当な貴族の男を紹介してもいい。結婚して悠々自適に暮らすのも良いだろう」

「あの……お話が見えないのですが」

「分からないかな。私は、君にルシオの前から消えろと言っているんだよ」


 オーガスタス王子が端的に言い直す。しかし私は、なんだか腑に落ちなかった。


「そういうことでしたか……」

「意外と驚かないのだね」

「いえ……」


 私がルシオ王子の側にいるには、たとえ友人としてでもふさわしくない。それは心のどこかで感じていたことだったから、驚きはしない。けれど、これが誰にも聞かれたくない秘密の話か? 違うだろう。


「スキャンダルのあったブライトマン家の娘が友人では、王家として外聞が悪いでしょう。それは分かっておりましたので。でも、本当の理由ではないのでは? でなければ、こんなところでする話とは思えません」

「君があっさりと引いてくれるなら、すぐにでもここから帰そう。どうかな、弟のことは諦めてくれないだろうか」


 オーガスタス王子の言葉は、私の問いに対する答えになっていない。それどころか、これは――脅しだ。

 もしも断れば一体私はどうなる? 少なくとも、自分の部屋に帰ることはできないのだろう。そのための、鍵のかかった部屋なのか。


「……私は、友人としてルシオ殿下を尊敬申し上げております。理由を教えて頂けませんか。私がいなくなることが、ルシオ殿下のためになることと思えば、王太子殿下のおっしゃる通りにいたしましょう」


 恐怖がないと言えば嘘になる。それでも、私は意外と落ち着いていた。

 しかし、生意気なことを言ってみたところでルシオ王子にはもう嫌われてしまったかもしれないのに。そう思うと、胸を締め付けるような痛みばかりがよみがえる。

 王太子の命に逆らうという危険をおかしても、何の意味もないかもしれない。もう二度と、私に笑いかけてはくれないかもしれない、けれど。けれど。


「友人として、など……白々しいことを言うね。しかし、どうせ君は知っているんだろう? 君の想いは、決して叶わない……それを知りながら、健気なことだ」

「……私がふさわしくないことは承知しています。元より、想いが叶うなどとは思っておりません」


 自分で言って、落ち込む。こんなこと、わざわざ言わせないで欲しいのに。


「あくまで譲らぬと言うか。いいだろう、君が分かるように理由を話そう」


 オーガスタス王子は、私の思いとは裏腹にこの状況を楽しんでいるかのようだった。

 そう――まるで、こうなることは分かっていたとでも言いたげに微笑んで。


「君がルシオに相応しくないなんて、私は思ったこともないよ。お父上のスキャンダルは確かに多少の傷だったけれども、あのルシオと友人をやっている君には些細なことだ。でもね――だからこそ君が邪魔だ、モニカ」


 どういうことですか、と口を挟もうとした時、憎しみのこもった視線がこちらを向いた。私は思わず息をのんで、オーガスタス王子から目をそらせなくなる。

 私の尊敬するルシオ王子に似た男は、もうどこにもいなかった。なぜなら、ルシオ王子はこんな風に私を見たことがない。こんなのは、違う――……


「実際、君と会ってからあいつは変わったよ。王族のくせに、自分の研究室に引き込もっていた男が公務をサボらなくなった。あんなに嫌がっていたパーティーにも、出てくるようになった」

「――っ」


 オーガスタス王子の口からは、躊躇いなく弟をそしる言葉が飛び出した。

 この人は、知らないのか? ルシオ王子が誰のために研究室にこもっているのか。それとも、知っていて――?


「私は実は、君に興味がある。家族以外の女を全く受け付けないはずの弟の側に、どうして君だけがいられるのか。君の何が特別だったのか……そして」


 オーガスタス王子は、今では全く知らない顔の男になっていた。


 ――この人は、誰。全ては演技だったのか。


 妖しげな視線に、思考を搦め捕られる。頭の中では、ずっとけたたましく警鐘が鳴り響いていたけれど――もう、遅い。きっと私は、逃げられない。


「君を失った時、あいつがどんな風に絶望するのか――私は見てみたくって仕方がないんだ」


 端正な顔立ちが、おぞましく歪む。

 私はただ、その場に凍りついたように動くことができなかった。

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